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殺意の方程式  作者: 虹宮
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第八問、それぞれの思いはどこへ向かうのか

 その日、崇史は一人で秀麗塾へと来ていた。

 いつもなら彩音も伴って来るところだが、Bクラス以下は依然として休講状態なので仕方がない。

 いつもより人の少ない一階のロビーを眺めながら、崇史は受付で登校記録をつけた。

「君、この前入ってきたばかりの子よね? 入塾して早々こんなことになって、大変ねぇ」

 受付の女性の言葉を曖昧に笑って受け流す。きっと彼女も、いつもより人が少なくて退屈しているのだ。

 どこか気だるそうな雰囲気をかもし出していたその女性は、しかし崇史の背後に視線を移した途端、急に顔を強張らせて背筋を伸ばす。

 崇史は女性の急激な変化に驚きながら、首をひねって彼女が視線を投げていた背後の方を見た。

 そこには、相変わらず厳格そうな顔をした塾長の高塚秀次がいた。こつこつと硬質な靴音を鳴らしながら、崇史と受付の女性の方へ歩いてくる。

「こんにちは、緒方くん。笹島ささじまさん、変わりはないか?」

「はい」

 笹島と呼ばれた受付の女性はやや緊張気味に答えた。

「今日は人も少なく、少し退屈かもしれないがよろしく頼む」

「はい」

 笹島が答えると、高塚は今度は崇史の方へ視線を向ける。

「少し、話があるんだ。六階まで行きながらでいい。大丈夫か?」

「分かりました」

 高塚には、どこか周囲の人間を緊張させるような雰囲気がある。それをオーラというべきか、威厳というべきか、あまり語彙ごいが豊富でない崇史には何と説明すればいいのか分からなかったけれど。

「それで、話ってなんですか?」

 階段の方へ並んで歩きながら、崇史は高塚に聞いた。

 高塚は少しの間沈黙し、言葉を選ぶようにしながら口を開く。

「……君は、今回の殺人事件と数ヶ月前の放火事件に、何か関わりがあると思うかね?」

 質問を質問で返され、やや面食らいながら、崇史はどう答えるべきかと思案した。あまり思い付きでものを言うのは避けた方がいいだろう。

「分かりません。ないとは言い切れないと思いますけど」

「歯切れの悪い言い方だな」

 高塚は苦笑した。

「別にどういう答えが出ようと君をとがめるつもりはない。根拠なんてなくていい。君が直感のままに感じた印象を教えてほしい」

 真剣な表情で言われ、崇史もそれならばともう少し腹を割って話すことにする。

「俺の印象では、何か関係があると思います。放火と殺人がこんなに近い期間で連続して起こるなんて不自然だし、それに……」

「それに?」

「殺された二人のことです。田淵と川上は、どちらもあの火事の日に最後の最後まで校舎内に残っていました。そのとき、殺人の動機につながる何かがあったのかもしれない」

 崇史の言葉に、高塚は静かに頷いた。

「私も同感だ。考えたくはないが、放火犯も殺人犯も、我が塾の人間の中にいる。私はもうこんな死と不幸の連鎖は止めてしまいたい」

「塾長……」

 どこか思いつめたような顔で呟く高塚に、崇史は何と声をかけるべきか迷う。

「緒方くん、私は今回の事件の犯人を捕まえるためならば手段を選ばないつもりだ。そこで考えたんだが―――」

 何か重要な打ち明け話をしようとしているらしいことは崇史にも理解できた。

 余計な口は挟まず、そのまま高塚の言葉を待っていたそのとき、高塚の声を遮るように、誰かの悲鳴が上の階から響いてきた。

「ぎゃああああああああ!」

 耳をつんざくような声量。声の低さから考えて、男のものらしいことは分かったが、その声の主が誰なのかまでは分からない。

 崇史と高塚は互いに顔を見合わせた。

「誰だ!? 何があったんだ? 大丈夫か!」

 崇史が声を上げたが、返事はない。ただ、何か危険なことが起こっているらしいことは確かだ。

「くそっ!」

 崇史は吐き捨てるように呟くと、階段を二段飛ばしで駆け上った。

 後ろから高塚もついてくるが、年齢のせいもあり、スピードは振るわない。崇史と高塚の差はどんどん開いていき、高塚を置いていく形となってしまったが気にしないことにした。なにしろ、人の命がかかっているかもしれない状況なのだ。

 普段サッカー部で鍛えている脚力で、出来る限り早く駆けるが、それでも悲鳴を聞いたのが一階付近だったこともあり、なかなか悲鳴のもとまでたどり着けない。

「はぁ……はぁ……はぁ……くっ!」

 体力には自信のある崇史でも流石に息が切れてきたころ、崇史はそれを見つけた。

 六階と七階の間、広告やポスターが貼ってある階段の踊り場に、一人の男子生徒が倒れていた。

 頭が歪に変形しており、床に血溜まりを作っている。更に、左足は本来ありえない方向に折れ曲がっている。誰がどう見ても、もう既に死んでいた。

 崇史はそれが誰であるかすぐに分かった。

 その男子生徒が来ている学校指定のブレザーを崇史は何度も見たことがあったから。だらしなく着崩したその様子も、彼の生前の様子によく似ていた。

「橋本……」

 倒れていたのは間違いなく、理系のAクラスに所属する生徒、橋本昌司だった。

「きゃあああああ!」

 呆然としていた崇史の耳に、女性の悲鳴が響いてきた。

 その方向へ目を向けると、七階へと伸びる階段の上で、中野澄香が腰を抜かして座り込んでいる。

「は……橋本くん、なの? 嘘でしょう? 何で、何でこんなことにっ!」

 怯えた声でヒステリックに叫ぶ中野。

 崇史は一旦橋本の死体の傍から離れ、中野のもとへ近づいた。

「落ち着いてください、中野先生。橋本の方は、なるべく見ない方がいいです」

 宥めるように崇史が言う。それと同時に、高塚もようやく事件現場へとたどり着いた。

 ほぼパニック状態になっている中野を励ましながら、崇史は高塚の方へと振り向いた。

「警察への連絡、お願いします」


 通報を受けた警察がやってくるまでの間、崇史は中野を高塚に任せ、昌司が死んだ現場の状況をよく観察してみた。

 頭部から流れた血溜まりは昌司の遺体の付近にのみ広がっている。壁や床にも細かい血の跳ねた痕は見られるが、微々たるものだ。

「は、橋本くんは……」

 だいぶ落ち着いたらしい中野が、それでもまだ顔を青くさせたまま口を開いた。

「橋本くんは、誤って足を滑らせて、階段から落ちたのかしら?」

 本気でそう思っているというよりは、そうであったらいいと願っているように崇史には聞こえた。

 崇史は、静かに首を横に振った。

「左足を骨折しているようだし、もしかしたら階段から落ちたのは事実かもしれません。でもこの頭の傷は、そんな事故でついたものじゃない。明らかに何か硬いもので殴られて出来た傷です」

「何でそんなことが言えるんだ?」

 冷静な声で高塚が聞く。

「まず、傷口からして階段から落ちただけではありえない、何度も殴られたとしか思えない状態です。それに、階段から落ちて出来たものだと考えると、出血の状態もおかしい」

「というと?」

「普通、階段から落ちて頭をぶつけて出血したなら、そのぶつけた個所に血の痕が残るはずです。まして、橋本はかなり出血してますから、目で見てはっきり分かるくらい大きな痕が残るはずだ。でも、この現場にはそれが見られない。橋本の頭の下の辺りに血が溜まっていて、壁や床には少しの血痕が飛び散っているだけだ」

 崇史の言わんとしていることを理解したらしい高塚は、厳しい顔で頷いた。

「つまり……この状況は、事故よりも殺人と考える方が自然だということか」

「そんな……」

 中野が絶望した声で呟いた。

 無理もない。これで、この塾で三件目の殺人が起こったことになるのだから。せめてこの死が事故であったなら、と考えてしまう気持ちは、分からなくもない。


 その後、到着した警察の調べで、六階のAクラスのフロアにあるごみ箱の中から、鉄パイプと血塗れの雑巾が発見された。

 鉄パイプは階段脇に置かれていた、壊れた椅子の脚の部分で、ルミノール反応で血液が検出された。雑巾は廊下に設置してある掃除用具入れの中から拝借してきたものらしい。どうやら犯人は、犯行の後、掃除用具入れの中の雑巾で鉄パイプの血を拭い、そのままごみ箱に捨てたようだ。

 またしてもAクラスのフロア内から犯人の痕跡が発見された。やはり、犯人はAクラスの関係者でしかあり得ないのだ。






 宝井がこっそり教えてくれた情報によると、六階に設置された改札機の記録を調べたところ、事件が起こった時刻付近で、三回の出入りがあったそうだ。

 各階に設置されている改札機には、出入りした際、その時刻が記録される機能が付いている。

 しかし、誰が出入りしたのかも分からないし、その記録がAクラスのフロアに入ったときのものなのか、出たときのものなのかも分からない。ただ改札を通った者がいたときに、その時刻を記録するだけだ。

 三回の記録のうち、二回は事件前の時刻、一回は事件後の時刻に記録されていた。

 崇史と高塚が昌司の悲鳴を聞いたのが大体、午後六時十五分ごろ。一回目の記録が午後五時五十一分、二回目の記録が午後六時十分、三回目の記録が午後六時十六分に記録されている。

 このうち、一回目の記録は昌司が出て行った際のものと考えられる。昌司は物理の講師に分からない問題について質問に行っており、昌司が講師控室までやってきた時間が大体その頃だったと物理の講師が証言している。

 残りの二回の記録が犯人のものなのかどうかはまだ分からない。

 校舎内には階段が東側と西側の二ヶ所に設置されており、当然改札機もその二ヶ所の両方についている。昌司が殺害されたのは東側の階段であり、残っている記録が東側の改札機のものであるなら通ったのは犯人の可能性が高いが、偶然事件の時間付近に西側の改札を通った人物がいる可能性もある。

 また、例によって塾生たちはみな自分の自習室にいたと証言しており、アリバイがある者はいない。講師はほとんどが講師控室にいたためアリバイが成立しているが、中野澄香だけは暫くの間講師控室を離れており、アリバイはない。本人いわく、体調が悪くなったのでトイレにこもっていたのだとか。

 結局、アリバイが成立したのは講師控室の講師たちと、悲鳴が聞こえたとき一緒にいた崇史と高塚だけだった。Aクラスの塾生たちと中野澄香は未だ怪しいままだ。


 昌司が殺されたときのことについて、何か少しでも情報は得られないかと、崇史はAクラスの生徒たちを探していた。全員が全員、防音構造の自習室にいたと言っているのだから、何らかの手がかりを持っている可能性は低いのだが。

 事実、昌司の発した悲鳴に、Aクラスの生徒たちは誰ひとりとして気付かなかったのだから。

 それでも、例えば昌司が殺された理由などについて、何か知っている者がいるかもしれない。

 わらにもすがる気持ちで、崇史は校舎内をうろうろと歩く。

 事情聴取を終えた塾生たちは一応の自由行動を許されていたので、校舎外に出なければ自由に移動してもいいと言われていた。そのためか、誰がどこにいるのか分かりづらい。

 とはいっても、二階から五階のBからEクラスのフロアは改札に阻まれて出入りできないはずなので、一階か六階か七階のどこかにいるはずだ。

 そう考えて、とりあえず一階からしらみつぶしに探してみることにした。

 三人目の死者が出たと知り、流石に顔を強張らせている笹島を横目に、崇史は奥の方へと進む。

 すると、一番奥に一際大きな教室が見えてきた。

 この校舎内で最も大きいらしいその部屋は、ネームプレートに「自習室」と書かれている。

 この教室は、BからEクラスの生徒のための共通の自習室なのだ。

 Aクラスの塾生が優雅に個室の自習室を使っている中、それ以外のクラスの塾生はこうしてひとつの部屋に押し込まれているわけである。とはいえ、一階の半分ほどのスペースを占めている大きなその部屋は、BからEクラスの生徒全員分としては十分な広さではないかとも思う。

 今はAクラス以外は休講状態なので、当然この自習室にも人気ひとけはない、と崇史は思っていたのだが。

 その自習室の中から、誰かの声が聞こえてきた。

 声といっても誰かと話しているようなものでなく、どうやら泣き声らしい。押し殺したようなすすり泣きの声が、静かに教室内から響いてくる。

 声の主に気付かれないようにそっと中を覗き見ると、広い広い教室の真ん中で、ぽつんと一人ぼっちで、不破舞子が泣いていた。

 普段の強気で自信に溢れた様子からはあまりにもかけ離れたその姿に、崇史はしばし絶句した。

「……誰?」

 何者かの気配を感じたのだろう、俯いて泣いていた舞子が、不意に顔をこちらに向けてきた。覗き見を見破られた形となった崇史は気まずい思いで頭を掻いた。

「ごめん。見るつもりはなかったんだけど……」

「いいよ、別に」

 言い訳じみた崇史の言葉に、舞子は短く返す。

 制服の袖で涙をやや乱暴に拭うと、自分の近くの椅子を手で指し示した。

「緒方くんも座ったら?」

 崇史は一瞬迷った後、素直にその言葉を聞き入れた。

 指し示された椅子を引いて座ると、何と声をかけるべきか悩みながら舞子の方を見る。

 しかし、崇史が何か言う前に、舞子の方が口を開いた。

「馬鹿みたいだよね、あたし」

 赤くなった目を擦りながら、舞子は自嘲気味に嗤った。

「昌司のこと、もうとっくに嫌いになってたはずなのに。昔のことにしたはずなのに。こんなに悲しいなんて」

「…………」

「告白してきたのは、昌司の方からだったんだよね。それまであたし、誰かと付き合ったこととかなかったし、告白とかされたこともなかったし。だから結構舞い上がっちゃったのかも。よく考えもせずに、オッケー出しちゃったんだよね」

 そのときの情景を思い浮かべるように、舞子はすっと目を細めた。

「今思えばとんだ間違いだった。付き合っても何もいいことなかったよ。昌司の奴、だらしないし適当だし、性格悪いし。……まあ、最後のはあたしが言えた義理じゃないかもしれないけど」

 舞子は溜息をついた。

「一ヶ月くらいですぐ別れた。あたしの方から別れようって言ったんだけど、あいつ、それを根に持っちゃってさ。ほんと、子供っぽいよね」

「橋本は、まだ不破のことが?」

「それはないと思うよ。別れるころには、あたしたちの仲は険悪って言ってよかったくらいだし。でも、自分がふる側じゃなくてふられる側だったことに、プライド傷つけられちゃったのかもね。昌司って、そういう変なところでプライド高い奴だったから」

 うんざりしたような顔で話す舞子。

 けれどやっぱり、その表情はどこか寂しそうでもあって。

「……でもさ、あいつにもちょっとくらい、いいところもあったんだよ。初デートのとき、歩き疲れたあたしに、ジュースおごってくれた。風邪で塾休んだ日に、『大丈夫か』ってメールくれた。あたしが苦手な数学の問題、『しょうがねえな』って言いながら丁寧に教えてくれた」

「…………」

「確かにあいつは子供っぽくて、女好きで、適当で、まるで駄目な男だったけど……、でも、殺されるほど酷い奴でも、なかったよ」

 話すうちに再び浮かんできた涙を、舞子はメガネを外して静かに拭った。

「何で、昌司が殺されなきゃいけなかったんだろう。川上さんや田淵だって。殺された人たちが、一体何をしたっていうの?」

 訴えかけるように、舞子は崇史の目をじっと見た。

「あたし、本当のことが知りたいよ」








 舞子と別れ、崇史は七階を目指していた。舞子の思いを叶えてやりたいと、それぞれの事件について必死に考えてみたところ、あることに気付いたのだ。それを確かめるためには、ある人物の協力が必要である。

 西側の長い階段を上りきると、その先に誰かの後ろ姿があった。

 崇史はそれが宗像尚であることに気付き、少し歩調を速めると、その細い肩をぽんと気軽に叩いた。

「うわっ!」

 尚は、予想以上に過剰に身を縮ませる。が、肩を叩いたのが崇史だったと分かると、緊張を解いてやや照れくさそうに笑った。

「びっくりした。驚かさないでよ」

「悪い。驚かせるつもりはなかったんだけど」

 崇史は、ただ単に肩を叩いただけだ。そこに、尚を驚かせてみようとか、そんな悪戯っぽい意図はどこにもなかった。

 少し気まずそうに頭を掻いている崇史を見て、尚は少し表情を曇らせる。

「いや、謝るのはこっちの方かな。変に過剰反応しちゃってさ。やっぱり色々あったから、怖くてね」

 尚は視線を宙に彷徨わせている。

 何と話すべきか、と思案しているようにも見えた。

「緒方くんは、まだ誰か殺されると思う? 殺されるとしたら、それは誰なんだと思う?」

「宗像?」

「……次に殺されるのは、もしかしたら僕かもしれない」

 ふう、と小さく息をつく尚。

 崇史は、尚の言葉に硬直する。

「……何か、心当たりでもあるのか?」

「ないよ、何も。でも、今まで殺された人たちって、みんな理系の人たちでしょう?」

 田淵政人、川上美弥、橋本昌司。

 確かに、狙い澄ましたかのように理系のAクラスの生徒たちだけが殺されている。

 そして今、目の前にいる宗像尚は理系Aクラスの最後の生き残りなのだ。

「犯人が何であの三人を選んだのか分からないけど、もしターゲットが理系クラスの人間だっていうのなら、犯人は最後に僕を殺しに来るかもしれない」

 そんなことを考えていたのか。

 確かに殺されたのは理系クラスの生徒たちばかりだが、崇史は理系の人間が狙われているのだとは思っていなかった。

 尚の不安を完全に除けるかどうかは分からなかったが、とにかく自分の考えを言ってみることにした。

「多分だけど、犯人の動機には放火事件が絡んでいると思うんだ。田淵と川上はどちらも火事のとき最後の最後まで校舎内に残っていた。そのときに、何か動機となりうるものが発生したんじゃないかと俺は思ってる」

「……橋本くんは? 彼は、中野先生たちの呼びかけで避難したんだよね、確か。田淵くんや川上さんとは別行動だったはずだけど」

 もっともな疑問だった。

 だが、崇史はこの問いにも明確な答えを出していた。

「橋本に関しては、元々犯人は殺すつもりはなかったんだと思う。だっておかしいだろ? 田淵は事故、川上は自殺を偽装されて殺されていたのに、橋本だけは殺し方が雑だ。階段から突き落とすなんて殺人方法としては不確実。事実、階段から落とされただけでは橋本は死ななかった。だから、例の鉄パイプで撲殺せざるを得なかったんだ」 

 崇史は言い聞かせるように言葉を重ねる。

「大体、その鉄パイプからして偶然の産物だ。たまたま、七階の階段付近に脚の壊れた椅子が置かれていたからそれが凶器になった。その場の間に合わせのものを凶器として使ってる以上、橋本が殺されたのは計画的なものというより、突発的なものだったんだと思う」

「なるほど……」

「つまり、犯人の元々のターゲットは田淵と川上の二人だけだったんだ。そしてこの二人の共通点は、理系クラスだという以外に、あの火事の日に最後まで校舎内に残っていたってことだ。単に同じクラスだったってことより、火事の件の方が、殺人の動機には結びつきそうじゃないか?」

 そして、崇史は尚を安心させるように笑って見せた。

「俺は逆に、宗像は一番犯人のターゲットからは遠い位置にいると思うぜ。だって、放火事件があったとき、宗像は俺と同じくまだこの塾には入ってもいなかったんだからな。……だからきっと宗像は、大丈夫だ」

 自分の言葉にどれほどの説得力があったかは分からない。

 そもそも、自分の仮説が正しいのかも分からないし、だから尚の安全なんて簡単には保障できないし、それは尚自身よく分かっているのだろうけれど。

 それでも、尚は崇史の言葉を聞いて、「ありがとう」と呟いてにっこりと笑った。


「ところで、宗像はどこかに行こうとしてたのか?」

 崇史が声をかけたとき、尚は廊下を歩いている途中だった。どこかへ向かおうとしていたのかもしれない、と考えてそう聞いてみたら、尚は小さく頷いた。

「うん、秀次叔父さんのところにね。母さんから差し入れを預かってるんだ。色々あって大変だろうからって。……渡す前に、橋本くんがあんなことになっちゃったんだけど」

 よく見てみれば、尚の右手には小さな紙袋が提げられている。おそらく、食べ物か何かでも入っているのだろう。

「塾長は宗像の叔父さんなんだよな。宗像の母親と塾長がきょうだいなのか?」

「うん。母さんが姉で、秀次叔父さんが弟だよ」

 そんなことを話しながら、二人は塾長室の前までやってきた。

「緒方くんも、塾長室に何か用が?」

「ああ。ちょっと頼みごとがあってさ」

「ふうん……」

 尚は一瞬首を傾げて踏み込んで尋ねるべきか悩んでいたようだが、結局それ以上は聞かないことにしたらしく、そのまま塾長室の扉をノックした。

「はい、どなたですか?」

 扉越しに、高塚の声が聞こえた。

 心なしか、声が沈んでいるように思える。

「尚です。あと、緒方くんもいます」

「入りなさい」

 高塚の許可が得られたことで、尚が塾長室の扉を開けた。

 塾長室の内部は、数日前に見たままの重厚な雰囲気が漂っている。

 そしてこの部屋の主は、これもまた崇史が初めて室内に入ったときのように、高級そうな椅子に腰かけていた。

 違うのは、顔に明らかに疲れの色が滲んでいることだけ。ただそれだけしか違いがないはずなのに、高塚の身体が、数日前よりも一回り小さく見えた。

「叔父さん……少し痩せたんじゃありませんか?」

 心配そうに尋ねる尚に対し、秀次はポーカフェイスを崩さない。

「心配ない。それより、何か用事か? 今はいろいろ忙しくて、あまり君たちに構っていられないんだが」

 それはそうだろう。

 これで殺されたのは三人目。警察への対応など、やることは多いはずだ。

「これ、母さんからです。大変だろうけど、身体だけは壊さないようにと言っていました」

 言いながら尚は紙袋を高塚に差し出した。

 高塚はそれを受け取ると、中を覗き込んで静かに微笑んだ、

水羊羹みずようかんか。姉さんが作るのは絶品なんだ。ありがとう」

 その微笑みに、崇史は塾長としてではなく、一人の人間としての高塚秀次を見た気がした。

「塾長。お願いがあります」

 高塚が紙袋を机の上に置くと、崇史は一歩前に進み出て言った。

「田淵の事件があった日の、監視カメラの映像を見せてもらえませんか?」

「監視カメラ?」

 塾内には、一階の出入り口付近に監視カメラが設置してある。舞子と話をした後、それを不意に思い出したのだった。

「それは構わないが……監視カメラが設置してあるのは一階だぞ? 大して参考になるとも思えんが……。それに、一応警察も映像はチェックしている。不審な人物の出入りはなかったそうだ」

「それは分かってます。でも、ちょっと確認したいことがあって」

「ふむ……」

 崇史の熱意に押される形で、高塚は了承した。

 椅子から立ち上がると、つやのある木製の本棚の方へ歩いていき、その中から一枚のDVDを取り出す。

「田淵くんの事件の日の映像だったな。それならこの中に入っている。一階に視聴覚室があるから自由に使ってくれて構わないよ」

「ありがとうございます」

 もし崇史の予想が当たっていれば、この中に容疑者を絞り込むための重要な証拠が秘められているはずだ。崇史はそのDVDを、大切そうに受け取った。

「……君は、今回の殺人事件について色々調べてくれているのかい?」

「まあ、自分なりに、ですけど」

 どことなく高塚の期待を感じるが、未だ犯人を特定できていないため、申し訳ない気持ちになる。

「さっき、私は君にたずねたね。今回の殺人と数ヶ月前の放火に関係があると思うかと。もし関係があるのなら、私は何としても犯人を突き止めたい。それが、正臣の死の真相を突き止めることにつながるかもしれないからな」

「叔父さん……」

 尚が小さく声をあげた。

「私も、君にばかり調査を押し付けるつもりはない。私なりに、この事件の犯人を探っていきたいと思っている」

「どうやってですか?」

 崇史の言葉に、高塚は眉間にしわを寄せ、厳しい表情を作る。

「鎌をかけてみようと思う。Aクラスの生徒と関係する講師全員に」

 言葉の意図を掴み切れていない様子の二人に、高塚は更に説明を重ねる。

「例えば突然呼び出して、『犯人は君か?』と尋ねたとする。その相手がもしも犯人だったら、相当焦ると思わないか? 何かボロを出してしまうくらいには」

「やめてください、叔父さん!」

 高塚の意図をいち早く察知した尚が声を荒げた。

「相手は既に三人も殺しているんですよ! そんな相手に、そんな質問をするなんて……危険すぎます!」

「そうですよ! ここは警察に任せておいた方がいい!」

 冷静な印象を受ける高塚の、あまりに無謀なアイディアに二人は声高に反論した。

 そんなことをしていては、命がいくつあっても足りない。

 高塚はそんな二人の剣幕に圧されたように目を見開くと、そのまま何か考え込むように黙り込み、そしてやがて溜息をついた。

「……分かったよ。私もどうやら冷静さを失っていたようだ。今の案は考え直すことにする」

 高塚の言葉に、崇史と尚は安心したように息をつき、互いに顔を見合わせた。

「もっと現実的で良い案がないか考えてみるよ。……さて、そろそろ警察の方とお会いする時間だ。君たちもここを出なさい」

「はい」

 崇史と尚は揃って返事をすると、塾長室を出た。

 廊下に出てドアを閉める直前、何気なく室内を振り返ってみると、高塚は何かを考え込むような顔をしていた。

 手には不格好な焼き物の灰皿が握られており、それを大切そうに両手に包みこんで持っている。

 そしてそのままドアを閉めると、そのドア越しに、小さな小さな声が響いてきた。

「……正臣。お前の無念は私が晴らすよ。必ず」


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