盗賊 キルシュレド
キルシュレドは追い詰められていた。
カードを持つ左手も、金貨50枚相当のチップの山に添えられた右手も震えている。
額には脂汗がにじみ、背中には冷や汗が伝う。
このゲームを知る者なら誰でも、キルシュレドが次に手札から切るべきカードは明白だ。
残していても上がりの障害になるだけのカードだからだ。
しかし上級者ならば対戦相手の捨て札を見て、そのカードは相手の上がりの可能性があるという事も分かる。
キルシュレドの向かいに座った対戦相手は余裕の表情で足を組みかえ、キルシュレドを煽る。
「おいおい、いつまで考えてんだ? 夜が明けちまうぜ」
キルシュレドは奥歯をギリッと噛みしめた。
これを切るしかない。でなければ未来はないんだ。
キルシュレドは自分にそう言い聞かせ、震える手で一枚のカードを抜き、テーブルにそっと置いた。
観客たちが固唾を飲んで勝負の行方を見守る。
対戦相手は歓喜に目を見開き、椅子から立ちあがってテーブルに手札を叩きつけた。
「ハッハ! それだぜ! まさか出るとはな!」
キルシュレドは全身の力が抜け、ドサリとテーブルに倒れ伏した。
「おっと、これはもらっていくぜ」
対戦相手がキルシュレドのチップの山を両手で自分の方へ引き寄せ、周りの観客たちに宣言する。
「今日は俺の驕りだ! みんな好きなだけ飲み食いしていいぜ!」
観客たちはワッと歓声を上げ、対戦相手の周りに群がって賛辞を述べ、勝利を祝福した。
テーブルに突っ伏したキルシュレドに声を掛ける者は皆無だった。
翌朝、キルシュレドはベッドでなく床の上で目が覚めた。手やつま先がヒリヒリと痛む。
負けの腹いせに酒を浴びるように飲み、手当たり次第に壁や物を殴り蹴りした代償だ。幸いにも骨には異常は無いようだった。
床に転がっている安酒のビンに残された、最後の一口を呷る。
意識が覚醒するにつれ、徐々にキルシュレドに暗雲のような不安がのしかかってきた。
昨日の勝負で勝てば完済できた金貨100枚の借金が、丸々残ってしまった。返済の期限は1年あるとはいえ、到底まともに働いて返せる金額ではない。
踏み倒すことは不可能だ。どこに逃げても期限になれば必ず徴収人が現れ、返済できなければ奴隷として売られ、死ぬまで鉱夫か船漕ぎをすることになるだろう。
自分の特技で稼ぐしかない。でなければ未来はない。
キルシュレドは立ち上がり、床に脱ぎ散らかった衣服からまともなものを選んで着替え始めた。
裏路地の目立たない扉の前に立ち、周囲に誰もいないのを確認すると、一定のリズムで扉を叩く。
しばらくして扉が開き、中にいる用心棒の大男が無表情にキルシュレドを見下ろした。
キルシュレドは男の横を素通りして階段を降りる。いくつか並んだ扉のうちの一つに入ると、そこは小さな穴の開いた壁、それに向けて椅子が一つ置かれただけの殺風景な小部屋だ。
キルシュレドは躊躇いなく椅子に座る。すると小さな穴から老婆の声が聞こえてきた。
「要件は?」
キルシュレドはぶっきら棒に答える。
「貴重品探しだ」
キルシュレドには才能があった。ギャンブルではなく盗みの才能だ。目当ての物の場所さえ分かれば、貴族の屋敷であろうと危険な組織のアジトであろうと、誰にも見つからずに盗み出す自信があった。何度かヒヤリとする場面、目当ての物が見つからずに逃げ出した事もあったが、捕まった事は一度もない。
「銀貨一枚」
キルシュレドは舌打ちして、壁の穴に銀貨を投げ込んだ。老婆がヒッヒと笑う。
「毎度。お前さん、昨日はずいぶん派手に負けたそうじゃないか」
相手は自分の事をよく知っているというアピールだ。キルシュレドは途端に不機嫌になる。
「うるせぇ。そんな事はどうでもいい。仕事はあるのか?」
「ああ、あるとも。お前さんにピッタリの仕事だ。よくお聞き」
キルシュレドは思わず椅子から身を乗り出した。足の長さの合わない椅子がガタリと傾く。
「ここからずっと西、辺境のガルデアの街に突如開いた地面の穴の事は聞いているだろう?」
キルシュレドは老婆の言葉に意表を突かれた。
「あ? 何だ? 地面の穴?・・ああ、聞いたがそれがどうかしたか?」
「それはただの穴じゃない。中はとてつもなく広く、見た事もない怪物がうごめき、人を死に至らす危険な罠があちこちにある。けどそこには財宝も眠っている。売れば何年も遊んで暮らせるような大粒の宝石を見つけて、持ち帰った者がいるというんだ」
「バカバカしい。そんな御伽話、誰が信じるかよ」
キルシュレドは悪態をつく。これも駆け引きだ。何でもハイハイと聞いていては相手のいいように使われてしまう。しかし老婆は聞こえなかったかのように話を続けた。
「これはうちの商会からの仕事の依頼だ。お前さんはその穴倉に潜って財宝を一つ持ち帰り、そこで見聞きした、体験した事を報告するんだ。報酬はお前さんの借金をチャラにしてやる。それとは別に旅費も出してやる。他にそこで見つけた物はお前さんが自分の物にしていいし、持ち帰った物もタダじゃなく買い取りだ。どうだい?」
キルシュレドは老婆の提案に強く惹かれていたが、自分に言い聞かせるように呟く。
「ハッ、話が上手すぎるぜ。誰がそんな得体の知れないとこに行くかよ」
「嫌ならいいんだよ。他の奴に頼むから。アンタにはチンケな盗みを紹介してやる。けど金貨100枚分を稼ぐには何度も盗みに入らなきゃならない。さすがのお前さんも、いつかは捕まって縛り首だ。一度で終わる仕事で済むんならそっちの方が利口じゃないかい?」
「ぐっ・・」
それはまさにキルシュレドが考えている通りの事だった。
「さぁその穴倉に行くのか行かないのか、今すぐ決断おし。まぁお前さんほどの賭博師が、こんな二度とないチャンスを見逃すはずが無いよねぇ。ヒッヒ」
老婆のその言葉にキルシュレドの意思は固まった。
ダンジョンへ行く。でなければ未来はないと。




