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顔見せ五千円の男

「チェリーちゃん」顔見せ五千円の男の日常

 薫が生まれ変わりたいと思う生き物は、ダチョウだ。


 あの巨大な鳥は脳みそが小さすぎて、三秒しか記憶を保持できない。素晴らしい。どんな嫌なことも三秒で忘れて、ひたすらたくましい脚で走り続けているだけの生き物だ。


 めっちゃ楽しそうな人生や。


 でかいから外敵はいない。食べ物は虫やら草やら、雑食でその辺にあるものをちょっと食べて生きていける。


 めっちゃええ人生やんけ。


 薫は三歳のときの嫌な気持ちも鮮明に覚えている。可愛い天使みたいだわぁ、と祖母にぶちゅっと頬に唇を押し当てられ、号泣した。

 五歳のとき、保育園で「かわいいー」といきなり抱きつかれて、嫌で突き飛ばしたら、薫が先生と母に叱られた。


 十歳のとき、バレンタインの朝。登校すると、チョコレートの鮮やかな箱が上履きの上にぎっしり詰まっていた。


 それを見た薫は家に帰って、一週間引きこもった。靴の上に食べ物の入った箱をぎっしり詰めるなんて不潔すぎる。そんな女子がいるクラスに行きたくなかった。


 しかし母に叱られ、とりあえず中学はなんとか卒業したが、高校は通信制に通った。


 薫は、かなりの美形だ。ロシア人のおじいちゃんの隔世遺伝で、西洋人のような青い瞳と深い顔立ちをしている。それが薫を生きづらくさせる。


 みんな、容姿で判断する。


 薫は、それで人間が大っ嫌いになった。かろうじて母と父、弟に会うくらいで、親戚付き合いは絶っている。


 薫は大阪豊中市のセキュリティ万全のマンションで一人暮らしだ。祖父から継いだ土地をパーキングにして、その収入で生活している。


 家具はすべてニトリ。テレビは4K。プレイステーション、ニンテンドースイッチをラックに並べている。


 ローテーブル、ソファ、本棚。黒と白の部屋の中に、一つだけカラフルなものがある。花柄のクロスを敷いた机の上に置かれた、ハムスターの大きなゲージだ。三角屋根は透明で中がよく見える。オレンジ色のパイプ、滑車、給水ボトルなど、こだわってそろえたものだ。滑車は丸いのとピンクのハート型の二種類がある。


 ふかふかの紙製チップの上で鼻をひくひくさせているハムスターに、薫はそっと触れる。


「チェリーちゃん、はい、ひまわりの種やで」


「うん、これが最後のひまわりの種や……。注文するの、忘れてた。はぁ、買いに行かんと」


 薫はほぼすべての買い物を通販で頼み、できるだけ置き配にしている。

 たまに出るときは、すぐシャチハタのハンコを手にしてチェーンごしに押し、「そこに置いてください。ありがとうございます」と言ってドアを閉める。


 自分のご飯なら我慢する。薫は空腹に耐えられる方だ。

 しかし、ハムちゃんのチェリーちゃんにはひまわりの種が必要だ。薫はすぐに通販でひまわりの種を注文してから、マスクをつけてキャップを被り、ヘッドホンをして外に出る。


 暑い。まだ五月だというのに。薫はジャージの上を脱ごうとして、下に何も着ていないことを思い出した。


 クソっと思いながらチャックを少し開ける。薫は夏が嫌いだ。しかしここまで温暖化が進んで毎年熱中症で大勢の人が死ぬのに、気候危機にしっかり対策しない人間の方がもっと嫌いだ。薫は環境汚染につながる洗剤は使わない。環境保全を心がけている。グレタ少女のように、大人もみんなあれぐらい環境問題に立ち向かえよ。


 近所の小さなペットショップのドアを、薫はそーっと開けて中を見る。よし、紫ババアはいない。今日はたぶんジジイの日だ。薫はそっとひまわりの種の袋を手にして、レジに向かう。


 もう何十年とやっているような店で、壁に染みがあちこちにあり、棚は古臭い。

 たまに子犬がゲージの中にいるが、適度にペット用品が置かれている小売店だ。


 レジの前に立っているのに、店員が来ない。

 ゲフン、と薫は咳払いをした。ケフン、ともう一度する。

 出てこない。

 あー、商売する気あんのかうざいなぁ、と薫はため息を吐いた。


「あのぅ、すみませーん」


 店の奥に声をかける。


 ガタンっと大きな音が奥からして、薫は驚いた。


「なんや、客かー」


 小学生が出てきた。年は十歳ぐらいだろうか。カビゴンのTシャツを着ている。

 日焼けした生意気そうな顔をした子供だ。


 薫の敵が登場した。

 子供――人類の中でもっとも嫌いなのが、小学生、中学生のクソガキだ。赤ちゃんが泣くのは仕方ない。しかしこの年頃は親の教育と学校の環境の悪さが原因だ。子供の嫌さに薫が耐える必要はない。


「ひまわりの種? ハムスター飼ってるん?」


 子供は案の定、生意気な口ぶりでじろじろ薫を見てくる。


「おじいちゃんか、おばあちゃんは?」


「にいちゃん、暑くないん? っていうかその格好、小学校の前とかでやめた方がええで。この前な、にいちゃんみたいに帽子で顔隠した男がな、女の子につきまとって騒ぎなってたわ」


「家族の人は?」


「ん、にいちゃんキレイな目ぇしてるな。その立体のマスク、高いやつやろ」


「だーかーら、店の人は? 早く会計して」


 あまりにも子供が話を聞かないので、ついきつい言い方になる。


「僕やん。あ、ここ、PayPayとクレカ無理やで。レジ古いねん。現金のみやねん。おばあちゃんに買い替えたらいいのにーって言うねんけど、レジ新しくできるほどもうかってへんねんって。それに『私もうあと何年生きるかわからんー』ってばあちゃん言うねんけど、今日は特番の日やったわって、さっき自転車で走って行ったわ。ばあちゃん百年ぐらい生きるぐらい、チャリ漕ぐの早いねん」


 なぜ、ひまわりの種を買いに来ただけで、子供のくだらない話を聞かないといけないんだ。帰ろうか……でもチェリーちゃんのうるうる瞳が「ひまわりの種ないの?」って潤むのは見たくない。


 しかし、この子供。さすが紫ババアの孫だ。


 いつもこの店に来たら、あの紫色の髪のババアはどうでもいい世間話をしてくる。ヘッドホンしてるのにお構いなしだ。聞いていないふりをしても一人ごちで話し続けて、「おおきにー」と銀歯を見せてニカっと笑い、商品の袋を渡してくる。


 だからこの店は「緊急」しか来ない。

 じいさんはレジの操作がノロノロしていて、お釣りをしょっちゅう間違うのでイラッとするが、まだマシだ。

 ここにきて「孫」という敵がご登場だ。


「あの、お釣りいいから。はい、千円」


 ひまわりの種の袋の値段を見て、そっと薫は千円をレジに置いて袋を持とうとしたが、子供がパッと取り上げた。そしてレジを小さいが慣れた手つきで操作して、きっちりお釣りを青色の釣り銭トレーに置いた。


 できる子だ。あの紫色の髪のババアよりレジの操作ができる。

 この年でこのレジさばき、なかなかやるなと感心した。


「はい。袋代はいらんで。なぁ、ハムスターの名前、なんなん?」


「…………チェリーちゃん」


 ぼそっと言うと、子供は笑った。


「え、ダサいな」


 薫はムッとして、ひまわりの種の入った袋を持って、走って帰った。


 だから子供は嫌いだ!


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