暗号と沈黙と、少女の視線
その日は、誰もマイクを握らなかった。
あやの声が“盗まれていた”という衝撃が、放送室全体を覆っていた。
ノイズは徹夜で配線チェックを始めたし、俺は録音済みの音声を繰り返し確認していた。
そして──見つけてしまった。
昨日の放送ログに、聞き覚えのない“音”が混じっている。
あやが話し終えた後、ほんの数秒だけ。
「……ドット、ドット、ドット──ダッシュ、ダッシュ、ドット」
モールス信号。まさか。
「ノイズ! これ、暗号じゃないか?」
「マジで!? ちょい貸せ! ……うわ、完全に入ってる。しかもこれ──位置情報っぽい」
「誰かが“送って”きてる……?」
そう。あやの声の後に挿入された、“意味のある信号”。
「盗聴だけじゃない。完全に“干渉”されとる。これ、音声を加工して差し込まれてるわ」
「じゃあ、“敵”は放送をリアルタイムで拾って、加工して、送り返してきてるってこと?」
「そや。つまり──監視されてる」
そのとき。
「お邪魔します。ドア、開いてたので」
静かな声と共に、少女が入ってきた。
黒髪のボブカットに黒縁メガネ。冷たい視線。制服のネクタイがピシッと真っ直ぐ。
名前を聞くまでもなかった。
「東雲シグナ。物理部所属、放送技術オタクです。あと、あなたたちの放送、ずっと解析してました」
「……してました?」
「ええ。EMPで死んだはずの世界で、動いてる“声”がある。これは国家レベルの異常事態。放っておけません」
彼女はノイズの隣に座り、勝手にケーブルを繋ぎ始めた。
「この信号、一定の間隔でループしてますね。たぶん、既に複数回流されてる。場所は──ここ」
地図を広げ、赤鉛筆で“X”を描く。
「……ここって、旧研究都市の地下……?」
「そう。都市開発が中止されたまま放置されてる区画。地上は廃墟だけど、地下には……何があるか、誰も知らない」
シグナの目が、鋭くこちらを見据えた。
「“音を盗む敵”は、そこで“私たち”を見てる。たぶん、あなたの声も、私の声も、あやさんの声も」
あやが小さく身震いする。俺は、無意識にマイクに触れていた。
「……つまり、放送すればするほど、奴らに俺たちの“存在”を晒すことになるってわけか」
「でも逆に言えば、それを“利用”できる」
シグナがわずかに口角を上げる。
その目は、知的で冷たい光を宿していた。
「“声”で罠を張りましょう。次の放送は──逆探知のために使う」