15話 反撃の準備
たぶん、浮かれてたんだと思う。
弥生さんに文化祭を回ろうと誘われてから、ずっと心がフワフワしていた。自分から誘おうと思ってたところに言われたから、本当に嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、判断力が低下していた。
弥生さんが先に教室へ戻ると言った時、俺は止めようかどうか迷った。教室では野村さんたちが作業をしている。万が一教室の男子たちが外出して、タイミングよく鉢合わせたとしたら、何か嫌がらせを受けるんじゃないかと思ったからだ。
でも、行かせてしまった。さすがにそんな都合の悪いことは起こらないだろうと油断していた。先輩たちがいたから、「俺が行くまで待ってて」と言うのが恥ずかしかったのもある。でも、ちゃんと待ってもらうべきだった。
そんな後悔が、2-1の教室に近づくほど増していく。本来静かであるはずの教室から喧騒が聞こえてきたからだ。何かあったのかもしれない。嫌な予感は膨らんでいく。
階段を下りて教室が見えた時、その予感は確固たる確信に変わった。2-1の廊下の前は、野次馬で溢れかえっていた。
「千歳っ!」
野次馬の最後尾に知り合いを見つけたので呼びかける。千歳は困惑した表情を浮かべながら手を上げた。
「何があった?」
「えっと……。いやっ、見た方が早い」
前の人たちに見せてくれと頼むと、人の壁が左右に割れた。そして、開けた視界が映したのは、バラバラにされた像だった。
驚きのあまり声を上げる。そんな俺を見て、気は済んだかとでも言うように野次馬の壁が再結成された。
「これ、誰がやったとかは……」
「……弥生さんらしい」
「はぁ?」
さっきより大きな声が出る。しかし、ここにいる人たちのざわめきを黙らせるほどの大きさではなかった。
「……本当にそう思ってんの?」
「えっ?」
「本当に弥生さんがこんなことすると思う?」
「いやっ、そりゃ思ってないけど。でも……」
頭に血が上ってるのを実感する。ここで八つ当たりするのはダメだ。落ち着け。
「いろいろ説明してくれ」
千歳は「もっと詳しい奴がいる」と言って前にいるクラスメートを呼びつけた。さっきまで教室で作業していた一人だ。まぁ、この際誰でもいい。事情さえ聞ければ何でもいい。
彼によると、教室にいた男子一同はゴミ捨てに行っていたみたいだ。出発したのは3時5分くらい。もう少しで七篠たちが戻ってくるな、とか話していたらしい。ゴミ出しは4時までだから、別にこの行動に対する文句はない。
それで戻ってきたのは3時15分よりちょっと後。今が3時20分過ぎだから、5分前だ。戻ってきた時にはすでにこの騒ぎだったらしい。
「バラバラになったジィン君の像の前に立っている弥生さんを、トイレから帰ってきた野村たちが見つけたみたいなんだ」
順番としては、まず、弥生さんを見つけて声を上げる。次に野次馬が集まる。そして騒ぎを聞いて駆け付けた先生に対して、野村さんがいろいろ説明したらしい。ちなみにこの流れは伝聞によって知ったみたいだ。
「それで、弥生さんは教室から飛び出したらしいんだ」
「は?飛び出した?どこに?」
「そこまではわかんねぇよ。でも、廊下に出た後階段を下ってたらしいぞ。あっ、あと、三国が追いかけてったらしい」
どうやら弥生さんが飛び出した後、弥生さんを呼ぶ三国の大声が聞こえたみたいだ。じゃあ、三国に聞けば居場所が分かるか。そう思ってスマホで三国にメッセージを送った。弥生さんに送るかを少し迷ったけど、それはやめておいた。
既読はすぐについた。返信もすぐに送られた。場所は中庭。了解。
すぐに向かおうと足を踏み出し――。
――踏みとどまった。
だめだ。俺が弥生さんへ会いに行ったところで、状況は一切好転しない。みんなが弥生さんを疑ってる場所に、彼女を連れ戻すことはできない。
俺にできること。
…………。
……1つ思いついた。
冤罪を晴らす。
犯人はわかっている。野村さんたちだ。男子が出かけてから戻ってくるまでの間に教室にいたのは、弥生さんを除いて彼女たちしかいない。
「廊下を歩いてる弥生さんを見た人とかいないの?少なくとも3時10分までは3-9にいたんだけど。短時間でこんなことするのは厳しいぞ」
試しに尋ねてみるが、特にそういった話をしている人はいないみたいだ。最短で教室に戻ったら3時11分ぐらいに着くのか。だとしたら、野村さんが声を上げるまで約5分。
……5分あれば壊すことはできそうな気がする。胴体、頭、腕、足はそれぞれ簡単に抜けるから、それをバラバラにしたうえでカッターを使って切り裂けば可能かもしれない。というか、やったことないから正確に判断できない。5分じゃできませんという主張は水掛け論になるだけだ。
運が悪い。3-9から帰るときに2階の廊下を通っていれば、弥生さんのことを見かける人は誰かしらいただろう。2年において弥生さんは有名だから。
でも、おそらく彼女は行きと同じく3階の廊下を通った。3年生にとって弥生さんの知名度はそこまでだろうし、目撃した人がいなくても仕方ない。
時間で攻めるのは無理。思った通りに行かなくて焦りが募る。弥生さんが心配で、今すぐに会いに行きたくなる。
しかし、そういった感情は理性でねじ伏せた。大丈夫。弥生さんには三国がついているから、ひとまずは大丈夫なはずだ。それに、こんな雰囲気を彼女にさらすわけにはいかない。
次の策を考え、思いついた。時間がだめなら物的証拠を見つけるか。バラバラに壊すなんて派手なことをしたんだ。何かしら見つかるかもしれない。
「ちょっと通して」
「おっ、おい」
前の人たちに呼びかけると、再度道が開いた。千歳も慌てて俺についてくる。もしかしたら、何かしでかすのではないかと心配しているのかもしれない。さすがに不要な心配だ。
教室の中には、野村さん、木村さん、高村さんと、担任の先生がいた。像の状況は先ほどと一切変わっていない。
……少し、違和感を覚えた。像に対する違和感。いや、残骸に対する違和感。
なんだか段ボールの量が少ない気がする。俺も結局足の作成に携わったのだが、その時にもそこそこの量の段ボールを使った。だから全身だとかなりの量になると思っていた。でも、思ったより少ない。
もちろん段ボール自体は切り貼りされるから、使った段ボールの量は実物よりだいぶ多くなる。それでも、なんだか量が少なすぎると思われた。
「これっ、野村さんが見つけた時から動かしてない?」
野村さんから肯定が返ってくる。だとしたら好都合だ。嘘ついているかもしれないけど、野次馬が早々にやってきたみたいだし、その可能性は低いだろう。
俺はとりあえず近くにある段ボールを持ち上げようとした。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
すると、野村さんが俺のことを制止してきた。
「何で?」
「いやっ、現場保存って大事でしょ。勝手に動かさないでよ」
現場保存。推理小説を勧められるまで聞く機会のなかった単語だ。もしかしたら野村さんも、案外そういうのを読んでいるのかもしれない。
「じゃあ写真撮っとこう。それに、あんまり無暗に動かすつもりはないよ」
「えっ、あっ、うん」
野村さんは渋々といった表情で俺に従った。お互いのスマホで現状を写真に収める。
そして、俺は段ボールの観察を始めた。切り傷が刻まれているが、それぞれがどこの部位のものかを判別するのは容易だった。
「……ん?」
段ボールをどかして見えた床は少し黒く染まっていた。
「湿ってる」
俺の言葉に対して野村さんたちが少しだけ反応した。現場保存を主張したのは、これを知られたくなかったからか。確かに夏だから、もう少し時間が経てば乾いていたかもしれない。
「ほんとだ、湿ってる」
俺の隣にいる千歳も床が湿っていることを確認した。オッケー。これで野村さんたちに誤魔化されることはないはずだ。
だけど、何で教室が濡れているのか。その原因を探ろうと教室中を見回して、それっぽいものを発見した。
教室の隅っこにバケツが置いてある。おそらく筆を洗うためのものだ。俺が3-9に出発するまで、野村さんたちは像の色塗りを絵の具で行っていたからな。たぶん、あの中に入っている水がこぼれたんだろう。
……なんとなく、頭の中で形になってきた。弥生さんの無罪を証明するための手順が徐々に形成されていく。あともう少し、だな。
「おっ、おい、七篠」
先生が俺の名前を自信なさげに呼ぶ。
「もういいんじゃないか?やってしまったことは仕方ないけど、謝ればみんなしてくれるだろ?過去のことよりさ、次のことを考えよう」
まるで俺がバラバラにしたみたいな言い草だな。それを俺に伝えてどうしろってんだ。
「先生」
先生の目を見つめて発言を続ける。
「弥生さんの様子を見てきます」
それを聞いて、先生の表情はふっと緩んだ。なるほど。さっきの言葉は、弥生さんを説得して連れてきてほしがってたってことか。
「だから、段ボールはこのままにしておいてください。動かさないでください」
俺の言葉を聞いて、先生の顔が硬直した。申し訳ないが、このまま穏便に流すつもりはない。弥生さんはやってないんだから。
「弥生姫はいいねぇ。王子様がたくさんいて」
野村さんの皮肉を無視して教室を出る。相も変わらず廊下はごった返していた。
「何かわかったのか?」
「あぁ」
千歳の問いかけに肯定する。……千歳にも協力してもらおう。
「千歳」
「ん?」
「探してほしいものがある」
「遅い!」
中庭に到着して早々三国に叱られる。なぜお前が怒るんだとは思うが、時間がかかったのは確かだ。
「いいんだよ、仁千花。七篠くんだって忙しいんだから」
イライラした様子の三国を弥生さんがなだめる。まぶたを腫らした彼女を見て、すぐに駆けつけなかったことに対する後悔がじわじわ広がっていった。辛い時は側にいてあげたかったし、そうするべきだったかもしれない。
「ごめん、すぐに来られなくて」
「ううん、大丈夫だよ」
気丈に振舞っているのはありありと伝わった。あんな訳の分からない出来事があったんだ。参っているのは当然だろう。
「ごめんね、迷惑かけて。私、すぐ戻るから」
戻る。教室にってことだろう。今のまま戻ったらどうなるかくらい想像できるはずだ。それでも、この短時間に、あの針の筵へ戻る覚悟を済ませたらしい。
「ねぇ、七篠」
三国は珍しく遠慮がちに話し出した。
「どうにかなんないの?だって美月、やってないんだよ」
「仁千花。それは無茶なお願いだよ」
「でもっ!」
「いいの。七篠くんも気にしないでいいよ。私は大丈夫だから」
三国は半ば諦めたような表情を浮かべていた。弥生さんも場を収めるために身を切るつもりらしい。
でも、その必要はない。
「どうにかできるよ。弥生さんが傷つく必要はない」
俺の言葉を聞いて、2人は揃って目を見開いた。その仕草がそっくりで、なんだかおかしかった。
「なっ、七篠くん。どうにかって、どうするの?」
「冤罪を晴らすためにちょっと調べてきたんだ。それで、証明する手順もだいたい思いついた」
できるだけ堂々とそのことを伝える。少しでも不安がなくなるように。
弥生さんは俺の言葉を聞いて、ポカンと口を開けていた。そんな表情も可愛いんだから、本当にすごいや。
「だいたいって。ミスったらどうすんの」
しかし、三国は目ざとく俺を批判してくる。まぁいい。最初から2人には協力してもらうつもりだったから。
「だから、ミスする確率を下げるために、2人に探してほしいものがある」
探し物を聞いて2人は困惑していたが、俺の言う通りの場所を探してくれた。結果は千歳からの連絡も含めて上々だった。ピースはできる限り集められたと思う。後は証明するだけだ。
次回 16話 『無罪の証明』