11話 図書館デート
「あっつ……」
気温は30度を優に超え、太陽が容赦なく俺のことを照らす。やっぱ真昼に外出するんじゃなかったな。あまりにも暑すぎる。
時刻は1時30分。どうして真昼間から外出しているのか、それには訳がある。今日は休日で、部活も午前中で終わっていた。午後の予定は空白であり、差し迫った課題もない。つまり、完全に自由の身であった。
ではこの休暇をどのように過ごすか。考えること30秒、俺はレンタルショップで漫画を借りようと決意した。気になっている漫画があったからだ。
そうと決まるや否や、俺は家を飛び出した。早く読みたかったからだ。もちろん外が暑いことはわかっていた。わかっていたさ。でも、抑えきれなかったんだ。
「はぁ……」
せめて夕方になってから借りに行けばよかった。右手のトートバッグをゆらゆら揺らしながら、そんな後悔を思い浮かべる。あーあ。とにかく、あっつい。
「あれっ、七篠くん?」
俺のことを追い越した自転車が目の前で止まる。乗っている人が誰かは一目でわかった。
「あっ、弥生さん!」
なんという幸運。昼間に外出してよかった。
弥生さんはサドルから腰を下ろし、片手で俺に対して手を振った。私服姿を見るのは初めてだ。デニムパンツに半そでのシャツ(たぶん何かしらの名称があるけれど、俺にはわからない)を着ている。ボーイッシュな感じだな。すごい似合ってる。
俺もふさがってない方の手を振り返す。こうなるんだったら私服をテキトーに選ばなきゃよかった。
「眼鏡似合ってるね、七篠くん」
「……あっ、うん、ありがとう」
「いつもはコンタクト着けてるの?」
「うん。けっこう目が悪いからね」
弥生さんに言われて、自分が眼鏡をかけていることを思い出した。正直自分の眼鏡姿には自信がないから、横着してコンタクトを付けなかったことを若干後悔する。まぁ、弥生さんが似合っていると言ってくれたし、素直にお褒めの言葉を受け取るとするか。
「……ねぇ、眼鏡ってかけたらどんな感じに見えるの?」
俺の目をじっと見つめながら、弥生さんは疑問を投げかける。たぶん目が良いから、眼鏡もコンタクトも使用したことがないんだろうな。
だけど、どんな感じ、か。説明するのが難しいな。うーん……。
「……試しにかけてみる?」
弥生さんの喉が、コクっと音を鳴らして動いた。やばい。ビックリさせたかも。ちょっと攻めすぎか。
「……うん」
弥生さんははにかみながら肯定した。どうやら引かれてはなさそうだ。よかった。
眼鏡をはずし、弥生さんに手渡す。視界はぼやけるが、近くにいる弥生さんの様子ははっきりと見える。やはり手慣れてないようだ。彼女は恐る恐るといった感じで俺の眼鏡を耳にかけた。
「……ど、どう?」
度が強くて目に負担がかかっているのだろう。目を細め、シパシパさせながら、弥生さんは自信なさげに尋ねてきた。
「うん、似合ってるよ。いつもと印象変わるね」
レンズの大きめな眼鏡だから、弥生さんの強気そうな印象が緩和されていた。なんというか、大人のお姉さんって感じだ。本当によく似合っている。
俺が褒めると、弥生さんは目をぎゅっと狭めてありがとうと言った。その姿を見て変な気分が湧きあがってくる。誰も知らない弥生さんの姿を見ている優越感と、自分の眼鏡をかけてもらっているという背徳感。なんか……。キモイな、俺!
変態的発想を振り払いながら、弥生さんが外した眼鏡を受け取る。一瞬かけるかどうか躊躇って、結局かけることにした。変なこと考えてるって思われると嫌だしな。まぁ、思ってんだけど。
眼鏡をかけると一気に視界がクリアになる。弥生さんの顔を見ると、額の辺りが少し汗ばんでいた。そういや炎天下だったな、ここ。
「それで、どこ行こうとしてたの?」
あんまり日向に立たせ続けるのも申し訳ないので、話を切り上げようと試みる。もうちょっと話してたいってのが本音だけどね。
「図書館だよ」
なるほど、図書館か。確かにこっちの方だな。勉強をしに行くのだろうか。もしくは本を借りに行くのかもしれない。というか、一度に両方できるな。
目的地もわかったので、『俺はそろそろ帰るから、勉強頑張ってね』、みたいなことを言って別れようとした。だが、俺が話すより前に弥生さんが口を開いた。
「よかったら、一緒に行かない?」
……ん?
想定外の言葉だったから、パッと理解することができなかった。沈黙をごまかすように、「もし予定が空いてたらだけど」と、弥生さんはもごもごと付け足す。そうか、そうか……。
「あっ、そのっ――」
「――うん、行くよ!この後暇だから。もしよかったら、ご一緒させて」
フリーズした脳を無理やり働かせて、何とか答えを絞り出す。弥生さんは断られるか不安だったのだろう。食い気味な俺の返答に対して、ほっとしたように笑った。
あの後、弥生さんには近くのコンビニの中で待ってもらうことにした。俺は早足で帰宅して自転車を取り出す。服を着替えるかとコンタクトを付けるかはけっこう迷ったけど、結局そのままで合流することに決めた。変に気合入ってると思われると恥ずかしいからな。
そして再度合流した後、一緒に図書館へと向かった。改めて目にすると、随分大きな建物だと感じる。どうやら6階建てらしい。思ったより高層だ。
中に入るとしっかり空調が効いていた。初めて入室する緊張感と、私服の弥生さんと一緒にいる緊張感で、心臓がいつもよりバクバクする。
「学校の図書館と違って、参考書以外の本もたくさんあるんだよ」
弥生さんの口調は少しウキウキしているように感じた。他の学校は知らないけれど、うちの学校の図書館は参考書や新書ばっかりである。だから、彼女にとって推理小説を借りられる近場はここなんだろうな。
静かに階段を上り2階へ移動する。小説が置いてあるのはここの階みたいだ。読むスペースも設けられてるから、2人で本を選んだ後にここで読もうという予定である。
「これ、おすすめだよ。短編集で読みやすいし、内容も明るめだから。それに、いくつも賞を取ってるから、面白さも心配しないで大丈夫」
本を指で指しながら、ひそひそ声でおすすめを紹介してくれる。横目で弥生さんを見ると、目を爛々と輝かせていた。本当に好きなんだなぁ。
ちなみに弥生さんに借りた推理小説を読んだんだけど、めちゃくちゃ面白かった。もともと活字に抵抗はなかったから、すんなり楽しむことができたのだろう。それと、当然だが弥生さんのチョイスがバッチリだったてのもあると思う。
そういうわけで、弥生さんの紹介してくれる本を読むのはけっこう楽しみだった。下心抜きでね。もし全然合わなかったら継続して読むのが厳しかっただろうから、ちゃんと楽しめたのは幸運だったな。
本を選び終えて、貸出カウンターで手続きを行う。俺は初めての利用だからカードを作る必要があったので、弥生さんには先に行ってもらった。住所証明は年賀状で大丈夫みたいだな。住民票はどこにあるか分からないから、これで済んで助かった。
10分ほどで手続きを終えて弥生さんを探す。てっきり読み始めていると思っていたが、彼女は近くの本棚の前で俺のことを待っていてくれた。律儀な人だな。
2人でウロウロと席を探し、奥の方にある円形テーブルへ座ることにした。勉強スペースは3階だから、あまり知り合いに会う心配はしなくていいだろう。そう思って弥生さんの対面の椅子へ腰かける。
そして、2人で本を読み始めた。
…………。
…………。
……うん。どうしよう。集中できない。目の前に弥生さんがいるって状況に慣れてなさ過ぎて、文章がすっと頭に入ってこなかった。
ふと弥生さんの様子が気になった。彼女は俺にお構いなしで読み進めているのだろうか。小説慣れしてるっぽいし、誰がどこにいるとか気にならなかったりするのかな。
確かめるためにそっと視線を上げた。すると、弥生さんと目がバッチリ合った。
「ふっ」
「ふふっ」
思わず出そうになる笑い声を、2人で必死に抑え込む。そうだよな。テーブルを挟んでそれぞれ読書する状況なんて、経験したことないよな。そりゃあ気が散るわ。
2人で軽くうなづき合って、再び本に目線を落とす。互いに集中しきれてないことが分かったおかげか、さっきより安心して本を読み進められた。たまに弥生さんの様子を確認しながらページをめくる。目が合ったり合わなかったり。2人で静かに本を読むのが、いつの間にか楽しくなっていた。
短編の1つを読み終えたところで、1つの考えが思い浮かぶ。もともと俺は、弥生さんと話してる時間を楽しいと感じていた。だが、話す話さないに関わらず、どうやら俺は弥生さんと一緒にいると楽しめちゃうみたいだ。誰といるかで感情がここまで影響されるのは初めてだった。
それに気づいたとたん、欲望が湧きあがってきた。もっと一緒に居たい、ずっと一緒に居たいという、果てしない欲望。利己的で、醜くて、でも、無視することができない。俺はたぶん、ずっとこの感情と付き合っていくこととなるのだろう。少なくとも、決着がつくまでは。
自分の嫌な部分が見えたみたいで、それを振り払うかのようにページをめくる。そして、なんとなく弥生さんの顔を確認してみる。彼女もちょうど視線を上げたみたいで、正面から目を捉えることができた。
弥生さんの優しげなまなざしを見て、俺は願わずにはいられなかった。どうかこの時間が長く続きますように、と。
次回 12話 『衝撃』