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化学準備室の窓[1]

「閂さん。第二化学準備室のお化けって知ってますか?」

ある日の放課後、閂美乃(かんぬきよしの)は見ず知らずの女子生徒に呼び止められ尋ねられた。


着ている服は美乃と同じ黒のセーラー服の制服。

それもそのはず。

ここは美乃が通う私立旭ノ学園中等部。

その第一校舎と文化部部活棟をつなぐ渡り廊下だ。

グランドや体育館のようにジャージを着ている人は少ないし、他校の生徒が意味なく闊歩してたらそれはそれで問題だろう。

 旭ノ学園の中等部では学年カラーがあり女子の冬用制服ではスカーフがそれぞれ異なる。

美乃が在籍する2年生は赤だ。

また美乃に話しかけてきた目の前の女子も同級生のようだ。


美乃はもう一度少女を観察した。

記憶から知り合いかを考えたわけじゃない。

この学校で名前と顔が一致する人物なんて一桁程度だからだ。

その理由は実は転校生とか、先日まで入院してとかの設定があるのではなく。

ただただ友達がいないからだ。

 観察の理由は少女への対応を考えたからだ。

愛嬌のある顔立ちと肩にかかるくらいの内巻きに整えた黒髪。

校則内で着崩した制服。

結果として特別な派手さはないが見るからに真面目で女の子らしい普通の女の子だと分かった。

美乃が関わらないタイプだ。


 少女は美乃の無遠慮な視線に少し困ったような顔で返した。

そう、彼女は先ほど質問をしてきた。

つまりは返答を待っている会話をしているのだ。

 さっと視線を外した美乃に彼女は再び声を掛ける。

「あの、閂さん。第一校舎の第二化学室ってあるじゃないですか。そこで

「あ、はい。すみません。知りません。お化け信じてないんで。」

気まずさから先ほどの内容若干たどたどしく繰り返す少女に対し美乃は慣れた嘘で返す。

正確に言うと嘘を交えた返答だ。

彼女が言っている第二化学準備室のお化けの話を知らないのは事実だ。

 だが美乃はお化けをはじめとした異形のモノが世に溢れていることを事実として知っている。

生まれつきそういったものが見えるため知り合いさえいるくらいだ。

 しかし(実際にその光景を見た事はないが)人間を食べるモノも多いらしい彼らは危険極まりない存在だ。

ここ最近劇的に関わる機会が増えているが、今でも極力避ける幼い頃からのスタンスは変わらない。

ただ彼らはこちらから関わらなければ、接触してこないものの方が多いのだ。

無知を演じるのが吉だ。

関わりなくない。

 こういったオカルト話はされるのも嫌がる人はそれなりにいる。

よって美乃も全身でそれを演じる。

もう話さないで。そう訴えた。

結果として

「突然すみません。閂さんにお願いがあります。」

全然伝わらなかった。

コミュ障の力はこんなもんだ。


大島奈緒子と名乗った少女は、隣のクラスに所属し理科委員の活動をしているそうだ。

「最近第ニ化学準備室で幽霊が出るって噂があるんです。私お化けとか苦手で…。そこで閂さんに調べて欲しいんです!」

「…あの…なんで私なんですか?多分大島さんと話したことないですよね?」

「え?…流川さんに話を聞いたんです。オカルトは閂さんに取材して貰えば全部解決するよって。それで私新聞部のボックスに入れたんですが。…見てませんか?」

大島はどこか気まずそうに、苦笑いを含んだ何とも言えない顔をした。

要するに彼女は既に美乃に悩みを相談しようとして手紙を出した。

しかしいくら待っても美乃が接触してこないので催促に来たのだ。

 とはいえ美乃にも言い分がある。

美乃の所属する部活は文芸部であって新聞部ではない。

必然的に部活棟一階にある新聞部用の部活動ポストを見る機会はない。

ただそれを大島に言う意味はない。

責めるべきは他にある。

美乃が関わるオカルト話のきっかけを作る元凶。

そして4月にあったあの事件の元々原因の疫病神、厄介な幼なじみだ。


「奏!あんたまたオカルト取材、私に押し付けたでしょ!!」

大島と別れた美乃は文芸部兼新聞部の部室に飛び込んだ。

わざと大袈裟に扉を開けたのは口達者な幼馴染にせめてもの先制攻撃だ。

「あ!奈緒子ちゃん来ました?そうなんですよ、怖いですよねー」

部室はの広さは6畳ほどで、壁に大きな本棚と長テーブルとパイプ椅子が二つだけある部屋だ。

その片方の椅子にだらしなく腰掛けるのが美乃の幼馴染、流川奏である。

 ピンクのカーディガンと校則を無視した長さのスカートに下がったネクタイ。

髪は染めこそしていないが大胆なパーマがかかっていて、薄くメイクで飾られた顔はなかなかに整っている。

見た目からしてわかるパリピ中学生。

人種として美乃と最もかけ離れているタイプだ。


奏と美乃は家が近所同士、親が友人同士というために物心ついた頃からの付き合いだ。

同じ幼稚園に通いそこそこ勉強ができ裕福な家庭に育った2人は自然と同じ私立小学校入りエスカレーター式で中等部に進学した。

なんの因果か毎度同じクラスになり付き合いは10年を超えている。

また美乃にとって校内で唯一まともに話ができる相手でもある。

コミュ障を極めた美乃は教師とすらまともな会話をしないため奏でとの会話がなくなると本気で会話がゼロになる。

天然で明るく人気者の奏と、何に対しても冷めてるコミュ障ボッチの美乃。

2人は性格が正反対だからバランスが取れていた。


なんてことは全然なかった。

確かに奏は美乃の霊感体質を面白がりやたらと関わってくる。

しかし美乃としてはいい迷惑だ。

人と関わることが嫌いな為話し相手なんて必要ないと考えているのだ。

休み時間に話しかけられても迷惑だし、食事も一人で取りたい派だ。ぼっち飯上等である。

同じクラスであり続けるのはもはや呪いか何かかもしれない。

正直ウザい。


 この部室もそうだ。

旭ノ学園では必ず委員会または部活動に所属する校則がある。

趣味も特技もない美乃は当時引退間近の3年生の部員しかいない文芸部から勧誘を受けそれに応じた。

読書は嫌いじゃないし、少しの間我慢すれば部員は自分1人になるからだ。

待望の3年生引退後、奏が襲撃してきたのは軽いトラウマである。

 曰く自分が所属する新聞部が引退と退部が重なりに重なり1人になってしまった。

1人での部活動なんて寂しい為教師に相談したところ、同じく3年生引退のため1人になってしまった文芸部と部室を共有するようにと言われたそうだ。

以来部室は奏の城となった。

 勝手に文芸部の本を読むから始まり、幼少より面白がってる美乃の体質を利用して校内新聞にオカルトコーナーを作り美乃を巻き込みまくるようになった。

もちろんデマも多いわけだがなにぶん小中高の一貫校。

生徒数は半端じゃ無い。

思春期の生徒達の中でその手のネタは尽きることはない。

見える美乃が接触すれば大抵のものがその場から去っていった。

ただ逆に付き纏うようになる者もいる。

1年生の間は何度か本物にあたり一苦労あった事もあった。

それでも付き合っていたのは奏の口のうまさから言いくるめられたのと、もしオカルト関係で事故が起こって見える自分が不必要な罪悪感を感じたくなかったからだ。

結局そこ甘さから4月頭におこったあの事件に巻き込まれて自分の人生を変えることになってしまったのだから笑えない。


「私はそもそも新聞部じゃないんだからこう言うことはやめてっていつも言ってるじゃん。」

「よしのは文芸部としてもちゃんと活動してないしいいと思います。月曜日の週1放課後1時間のみって殆ど幽霊部員です!」

「部長は私なんだからいいんだよ。」

正直奏言い分は理解できた。

ここまで活動してない部活は他にはないし教師に知られたら校則違反と指摘されるだろう。

しかしそもそも放課後に時間がなくなったのは、この幼なじみがきっかけなのだ。

言われる筋合いはない。

「まあまあいいじゃないですか!昼間は地味っ子、夜はお祓い屋とかかっこいいです!ヒーローみたい!!」

足をバタつかせ興奮する奏はお祓い屋美坂を想像を働かせているようだ。

以前ならその天然ディスりが入った奏の発言に呆れただろう。

しかし今の美乃は冗談にならないという言葉を飲み込むことしかできなかった。


「ともあれ私は無理だから。大島さんには奏から断っておいてね。」

「えーー!やってあげて下さいよ、結構噂広がってて本気で怖がってる子もいて私も困っているのですよ!」

「…実害あった子いるの?」

流石に怪我人がいたら放っておくのは危険。

そんな心理を僅かに表を出してしまった。

それを透かさず見破った奏は机に手をつき向かいのパイプ椅子に座る三坂に顔を近づける。

手をついてない右手を自分の口元に当てると内緒話をする様に声を潜めながら話し始めた。

「怪我した子はいません。でも施錠した扉がいつも開いてたり、1人夜に忍び込んだ子が足を引っ張られて階段から落ちそうになったと聞きました…。」


 吉祥寺の駅から少し離れた分譲住宅地。

美乃が住む家はそこにある。

 二階建て庭付きの家だが、庭にガーデニングなどはなく大きな木と古い木製のブランコがポツンと放置されている。

あとは雑草防止用の砂利で地面を敷き詰めている為どうしても寂しい印象がある。

美乃は入り口についているチャイムを鳴らさず持っていた鍵で家に入った。

 挨拶にしては小さく、普段の彼女の話し声にしては大きめの声でただいまと声をかけた。

返答はなくしんと静まった、少し気温の低い室内が母の不在を意味している。


 美乃は自室のある二階へ向かうためリビングを通り階段を上がる。

(一応相談しておいた方がいいかな。また報連相ができないってキレられたら堪らないし。)

手摺りに手を当てて先程奏に聞いた内容を考えていた。

 その話はよくあるオカルト話だが実害が皆無とは言えないように感じた。

だが鍵が壊れた教室なんて他にもあるし、廊下を歩いてこけるなんて普通なことだ。

オカルトオカルト騒ぐからことが大きくなる気がする。

よって美乃は今回の怪談話に関わらないことに決めたのだ。

 とはいえ万が一、億が一事が大きくなった場合。

そしてそれの飛び火がこっちに来た場合この先にいるであろうあれらが自分のせいにしてくることは間違いない。

くだらない話をして機嫌が悪くなる可能性があるのは確かだが、基本的に一日中機嫌がいいことなんてない。

何がきっかけになるかの違いだ。


 決意を新たにした美乃は二階の奥、自室の扉をノックした。

少し間を置いてゆっくりと扉を開く。

「ただいま戻り…」

挨拶をしながら部屋を入ったが途中が止まってしまった。

いつもでんとベットにいるはずの人物が不在だったからだ。

先程に引き続き相手のいない挨拶を連続した美乃は、適当な場所に学生バックを下ろした。

あらためて部屋を見渡しても当然誰もいない。

ここ半月近くで初めての事に戸惑う。

同時に喜ぶ。

(いなくなってくれた!)

次に落ち込む。

(それはないな…)

この部屋に居座っているあれらがいきなりいなくなることはない事は月頭に起こったあの事件で充分理解している。

少なくともここからいなくなる時、自分は無事ではないだろう。

そこまで想像し背筋にヒヤッとしたものが走った。

(考えるのはよそう…)

それから美乃はもしかしたら隠れて自分を隠れて監視している可能性を思いつき部屋中を探した。

ベッドの下。机の引き出し。カーペットの下など。

幸いというか監視の目はないことがわかった。

本人達はもちろん監視カメラ等の設置はない。

が、監視に勝るとも劣らない嫌なものを見つけた。

それは隠すわけでなく美乃の勉強机の上に堂々と置かれていた。

 数ヶ月前まで見たことすらなかった羊皮紙。

正方形でタテヨコ30㎝程度の大きさだ。

50枚の束となっていて、散らばらないように上には掌程の大きさの重りがあった。

中央に十字架。周りにはそれを主張する細かな飾りが彫られた重りは素人目に見ても高価な純金であり、そこそこ裕福とはいえただの中学生である美乃の部屋には場違いで浮いている。

羊皮紙自体も加工技術が高いのか薄くとても柔らかい素材であることが一目でわかる。

 また置かれていたのはそれだけではなかった。

黒い表紙のとても重厚感のある本が一冊、羊皮紙の隣にあった。

学校の教科書と同じくらいの大きさと辞書くらいの厚さのあるその本はまたとても高価なものであることをこれでもかと言うほど主張している。

表紙にはとても軽く硬い金属板が使われていた。

癖のある筆記体で読み取ることができないが金色の刻印でタイトルが彫られている。

流石に普通の本と比べると重めの表紙をめくると、3000ページはあるだろう中身は絹のようないつまでも触っていたい触り心地だ。

 これらは学校に行く前には机の上になかったものだ。

間違いなく今部屋にいないあれらが置いてあったのだろう。

そして美乃の勉強机に置いてあった以上これが何かはすぐわかった。

確かにこの本は初めて見るが、似たような本はいつも見てる。

このサイズの羊皮紙にいたっては、毎日嫌と言うほど見てて大嫌いなやつだ。

あれらが不在。

机にはいつもの勉強道具。

 ここまでわかったら馬鹿でも察す。

これは自習だ。

 もし自習が学校の教師からの指示であった場合。

いい教師なら事前に指示するだろう。

普通の教師なら直接指示を出して席を後にするだろう。

微妙な教師でも書き置きくらいは残すだろう。

 しかし相手は彼女だ。

そんな丁寧な対応できるわけじゃない。

自習道具を置いて行っただけでも神対応に値するサービスのつもりだろう。

ここでもし美乃が反抗心を発揮しようものなら、彼女らが戻ってきた時自分がどうなるか考えたくもない。

 自習を行う事を渋々、恐々と決めた以上まずは勉強机の前に腰掛ける。

足りない女子力のせいでスカートの整え方が雑になったが気にする美乃ではない。

自らの安全のため自分は早く自習を始めなくてはいけないのだ。

決して座り直すのがめんどくさいとかじゃない。


 羊皮紙を一枚束から抜くと自分の正面に置く。

利き手の右手を握り人差し指だけで羊皮紙の上部中央を触る。

右手を少し高くし人差し指の触れている指先が羊皮紙に対し90度になるようにした。

 そこで目をつぶって深く深呼吸をする。

「私は陣を書きたい。陣を描きたい。陣を描きたい。…」

美乃は誰かに話すでもなく、しかしはっきりした口調でそう呟き始めた。

20数回続けた頃右手人差し指の羊皮紙に触れている部分が熱を持ち始めたのを感じる。

(よし…)

「私は陣を書きたい。私は陣を書きたい。私は陣を書きたい。私は」

さらに3分程続けた。

 人差し指はゆっくりと光をおびてくる。

指全体が光っているというよりも、人差し指の内部の一点が強い光を放っている感じだ。

水色よりの白い光はLEDライトに似ていると密かに思う美乃である。

 光が一定の強さになったのを薄目で見て、美乃は呟きをやめた。

目を開き羊皮紙をしっかり見ると、羊皮紙内で収まる円を描くように人差し指を右手ごと動かした。

人差し指を動かした軌道に光が線となって残る。

ペンで描いたようにはっきりと。

光の軌道線は指の中の光と全く同質で、大きな円を描き終え始めのスタート地点に一周し終えても全く弱まらない。

 静かに息を吐き指を持ち上げる。

光の円はまるでコンパスで描いたように歪まない。

その出来に美乃は思わず笑みを見せた。

心に小さな喜びを感じた。

指の軌道が光を発しているのはともかく、この円の歪みなさはひとえに美乃の実力であり努力の成果だからだ。

 気分を良くした美乃はもう一度人差し指を立てた。

先程スタートした位置の真下、指の横幅分程下がったところに指を伸ばす。


 それから円の中に一回り小さな円を均等な位置で描き、さらに気分を良くした。

小さな円の中に三角形を上下反対に重ねて描き、重なったことで生まれた五角形の中央にやたらとくるくるとした謎のマークを描く。

一見()()()()()()に似ているが書き始めは大きく上にはね、終わりの部分に関しは花丸マークのようになっている。

 そんな謎のマークを2つの三角形の中にある6つの頂点にそれぞれ微妙に異なう形で描いていく。

 途中一度指先の光が消え、光をつけ直すことがあり全てが描き終えたのは18分もの時が過ぎていた。

美乃は額に薄くかいた汗を拭い右手を下ろした。

大きな深呼吸をして、光の線が描かれた羊皮紙を眺める。


 謎のマーク、いや文字を書く時わずかに歪んだが総合的に見ればここ数日の中で最高の魔法陣だった。

 この魔法陣の修行は毎日欠かさず行なっている。

魔力が残しやすい羊皮紙を使う為凄くやりやすい初心者用の修行らしく、これがないと話にならないそうだ。

マスターしたら空中にもかけるようになり、実際に見せてもらったが正直それを自分ができる想像がつかない。

(でも今回のはいいんじゃない!?だって丸はこんなに綺麗だし、それぞれの図形のバランスも最高!テクメル文字はちょっと潰れてるけど下手ってわけじゃないし!)

「これ空中に描けたらかっこいいかも…。」

何に対しても興味が薄く消極的な美乃だったが、あまりの自分の最高傑作に思わずテンションが上がってしまった。

課題がこんなに楽しいと感じたのは初めてで、自習の効果かと考えてしまう。

(やっぱり人の目がないっていいなぁー。第一あんなプレッシャーを与え続ける教育方針はどう考えてもまちがってんのよ!)

自らの対人スキルの低さと、今は不在の彼女の教育スキルの低さはつくづく相性が悪いのは既にわかっていた。

だがそれさえ無くせばこんなに自分はできるのだ。

そう考えて虐められ疲れた心が楽になる。

 高いテンションのまま2枚目の羊皮紙に手をかける。

が、そこに積み重ねられた49枚残るそれをみて心がすっと冷えだった重たい疲労感に変わった。


 全てが描き終えた頃にはすでに夜もどっぷり使っていた。

50枚目を書き終えた瞬間勢いも考えず、まるで頭突きをするように机に突っ伏した。

ぶつけた額は熱を持ちヒリヒリと痛みがあるがそれに変わってはいられない。

呼吸は乱れ、汗でワイシャクがべったり湿っている。

右手は痙攣して、1番重症な人差し指は軽度の火傷となっている。

 どう考えてもやり過ぎだし美乃はこんなふうに何かに熱血するタイプではないのだ。

それでも途中棄権しなかったのは自習命じたあれらが帰ってこなかったからだ。

自己判断で休憩や途中棄権しようものなら自習放棄とみなされ明日の朝日を見ることはないのは1ヶ月ほど続いている付き合いの中で理解している。

本人がいたところでスルーされる可能性の方が高い訳なのだが。

自分の現状を改めて実感したのか目尻に涙がたまる。

悲しいとか痛いとかいうより絶望感にただただ自然に滲んできた感じた。


 元々美乃はただの所謂霊感が強い中学生だった。

それは物心ついた時からで、今更それについて思うところはない。

幸い身内も同じ能力を持っていたのと、危険なものが分かる直感があったので命の危険を感じたことなどなかった。

それに危険なものがあるのは知っているからこそ、オカルト話は嫌いで関わらないように生きてきた。

 中学2年に進学して数日の日。

出会ってしまったあれらと、巻き込まれた事件。

それらからなんとか生き残る方法として美乃が行っているのがこの()()()()だ。

 こうして怪我を負うのは日常だし、疲労感は毎日限界を突破している。

何度も後悔して逃げ出したいと思ったがあの時も今も他に選択肢などなかったのだ。


 息が整い頭を上げた美乃は机の1番上の引き出しを開けた。

小物が乱雑に入っている中から取り出したのは銀製の掌サイズのケースだ。

リングケースに似たそれには薄透明の塗り薬が入っている。

 痛む左手に少しだけつけて伸ばした。

薬が馴染み始めると見る見るうちに人差し指にこもった熱が引いていく。

剥がれかけた皮も元々何もなかったように癒えた。

あっという間だ。

 ドン引き不可避の回復だがもちろんこれは美乃の特技とかそういう類のものではもちろん無い。

今ここにいないあれらから前に渡された塗り薬の効果だ。

曰く軽い火傷や打ち身、切り傷程度しか治せないらしいが。

正直こんな早送り再生のような回復力を促す薬使うのは人間を辞めてるのを感じて怖い。

だが痛いのは嫌いなので使わざるおえない。

人間ある程度の諦めは必要なのだ。


 それから5分程たち美乃は次の課題である黒い本、魔法書の黙読の準備を始めた。

 そこで問題が発生した。

「…電子辞書がない……!」

そう、美乃の生命線たる電子辞書が見当たらないのだ。

 この魔法修行において美乃の最大の壁。

それは言葉の壁だった。

修行におけるテキストは全てがなぜか英語だった。

全く訳がわからない。

日本人の美乃に対し用意した本が毎回英語。

どんなに簡単な内容だろがそれだけでもう超難解書だ。

 美乃はそれなりに勉強ができる方だ。

習い事などをしなくてもそこそこの進学校である旭ノ学園においても中の上の成績をキープできている。

ただ所詮は中学レベル。

所詮は中の上。

授業で教わっていない単語も文法も知らないし、習ったことだって全て完璧に使いこなせるわけじゃない。

英語の問題なら文法を考え単語を当てはめればいい。しかし長文の英文で勉強をするためには同じ内容の日本語を読むペースで読めなければ頭に入ってこない。

 そもそも美乃は地頭がいいというよりは、友達が皆無で趣味も特にない為勉強の時間がやたらとあるというだけ。

特に文系科目は元からなんとなく理解しやすい理数系と違ってしっかりとした予習復習が必要なのだ。

 何が言いたいかというと美乃の魔法修行には英文翻訳の機器、電子辞書が必要なのだ。

机、学校バック、クローゼット、ベッドの下まで探したても見つからない。

こうなってくると学校に置き忘れたのだろう。

正直学校バックに入ってない時点で予想をしていたのでそこまで落ち込まない。

思い返してみれば最後に使ったのはこの部屋ではなく学校の英語の授業だ。

恐らくその時無意識で机の中に入れてしまったのだろう。

 美乃は大きなため息をつくと脱いでベットに放り出していた制服のスカーフを襟に通す。

(時間はもう23時過ぎ。いつ帰ってきてもおかしくないから賭ね…。…何もやらない自殺行為よりはマシか…。)

重たい体を引きずり定期券の入ったパスケースと念のための携帯電話、財布を手に取り美乃は学校へと向かった。

 その時には今日部室で聞いた、くだらないオカルト話のことなんて完全に記憶から抜け落ちていた。


 家を出て30分程で学校に着いた。

終電の時間を考えるとあまりゆっくりしていられない時間になりつつある。

3メートルはある正門を通り、葉が目立つ桜並木道を歩く。

まだ日によって夜は肌寒い4月中旬。

今日は月さえ見えないほど雲の厚い日だ。

風が吹くたびに、短い髪が届いていない剥き出しの首が震える。

 10分程歩き中等部の昇降口についた。

当然校舎は真っ暗だ。

職員室くらいは電気がついていると考えていたが、一階にあるはずのそこにも光は灯っていなかった。

 美乃は携帯電話のライト機能を使用しながら校舎に入った。

流石に靴は脱いだが上履きは履かず靴下のままだ。

暗闇の中自分の下駄箱を探すのが面倒だからだった。

靴下の裏は汚れるだろうがどうせ短時間だし帰ったら洗濯物に出すつもりなので問題はない。

よくはない意味で他人の目を気にしない美乃は要所要所でズボラなところがあった。

 美乃の在籍している2年B組は中等部本校舎の2階に位置する。

真っ暗な中階段を登るのは怖い。

携帯のライトなんて微々たるものだ。

特に美乃のようなガラケーでは尚更。

手摺りを掴みながらゆっくり上がっていく。

 普段の倍近い時間をかけて美乃は2年B組の教室についた。

ここに電子辞書がなかったらもう和英辞典を使うしかない。

ただその場合文法はわからないし、何より時間がかかり過ぎる。

それでは美乃の死亡フラグが見え隠れする。

祈るような気持ちで教室の扉に手をかけた。


 ガチャと音を立てる扉は開かない。

何度か力を込めて扉を揺らすが開く気配はない。

 そこで美乃はようやく気がついた。

これまで自分が難なくここまで来られた不自然に。

今までは忘れ物への焦りから、また夜でも教師がいるはずという先入観から意識できていなかった。

しかし教師には教師用の駐車場備え付け門や職員室に直接出入りできる扉がある。

大体警備員のいない正門を深夜開けっ放しにしていたら門の意味がないのだ。

 美乃の焦りが種類を変える。

不安感。恐怖心。自分の失敗からくるある種の喪失感。

美乃は思い出したのだ。

昼間部室で聞いた奏での話を。

『施錠した扉がいつも開いてたり、1人夜に忍び込んだ子が足を引っ張られて階段から落ちそうになったんだって』

 美乃は扉から手を離し吹き飛ばされたように後ろに下がる。

 いつの間にか美乃の携帯のライトが切れていることに気づく。

何度も電源ボタン、他のあらゆるボタンを手探りで押すが反応はない。

(電池切れ!?なんで今…。)

あたりを見渡すがそこは闇。

屋外よりも冷えた気温。

曇り特有の重たい湿気感。

 ゆっくり呼吸する。

目を凝らし真っ直ぐ続く暗闇を見つめる。

もは瞬きすら許されない。

手に痕が残るほど指を痛いほど握りしめ、震える足を叱るように爪先に力を入れる。

 そして感じた。

幼い頃から知っている感覚。

五感どれとも違うそれはまるで脳が直接感じ取ってるようだった。

 暗闇が濃すぎて目には見えないが確かにいる。

ただ一つ幸がある。

それがいるのは階段とは逆の方。

逃げることはできる。

 これだけ暗いのだ。

相手だって見えない。

もしかしたらあっちは自分に気付いていないかもしれない。

 ゆっくり決して音を立てないように後ずさる。

気配の感じまだ距離がある。

気付かれる前にさらに距離を開ければ一気にダッシュで逃げられる。

幸い運動神経は悪くない。


 だが。

神様は魔法修行者の美乃に優しくはなかった。

突然校舎から音が出る程の強風が吹いたのだ。

風は空を覆っていた厚い雲を流し空に穴を開けた。

 そこから顔を出したのは真っ白な満月。

扉が全て閉まっている校舎に入った月光は僅か。

それでも充分だ。

 既に目の慣れている美乃が、大体4m先だろう。そこにいる悪魔の姿を確認するのには。

大きさは1m程度と小柄。

だがそれを補ってあまる禍々しい姿だ。

山羊のような角。

毛は無く輪郭の形は魚に近い。

左右についた目は出目金のように飛び出して忙しなく眼球が動き回る。

口はアナゴのように大きく、少し開いた口には細かい小さなサメのような歯と蛇のように細長い舌が見える。

二足で立つ体はガリガリに痩せていて異常に長い手が目立つ。

とてつもない猫背のため小さく見えるが下手すると美乃と同じぐらいの大きさはあるかも知れない。

その全てをさらに邪悪にしているのは色。

見事なまで全身漆黒だ。

 体が硬直する。

その姿はあまりにも悪魔然としていた。

近づいていけない類なのは間違いない。

 ここで問題なのがあの悪魔が一般人に見えるか見えないかだ。

どちらも別の問題があるがそれぞれ対応方法が異なるからだ。

 もし自分にしか見えていない場合、がっつり目が合ってしまった。

無視はできない。

したら追ってくるのは確実だ。

一か八か交渉するしかない。

 もし誰にでも見える類の場合、強くて危険な奴が多いのだ。

よってもうなりふり構わず逃げの一択だ。

 どう対応するか決めかねていると…悪魔が動いた。

一歩前に踏み出したのだ。

ヒタッという不気味な足音に身が竦む。

動くと尚の事怖い。

これは交渉とか言っている類ではない。

 こちらから動くのは危険だ。

あちらが足を動かそうとした瞬間に走り出そう。

美乃はただじっと相手の動きを観察した。

腰を少し低くしいつでも走れるように足の筋肉に力を入れる。

 しかし悪魔は動かない。

動かず大きな口を開け…絶叫した。

「ギイイィィィィィィィィィエエエエェェェェェェ!!!!!!!!!」

「ひっ!」

美乃の口から思わず短い悲鳴が漏れる。

甲高い耳障りな悪魔の絶叫は美乃の身体から力を抜いた。

腰がぐらつく。

立っているのが奇跡のようだった。

 思考を止めたらやられる。

叫んできたということはなんらかの敵意があるんだ。走れなくなった以上の抵抗を。

纏まらない頭で、整わない呼吸で必死に考える。

 そんな必死な努力の時間も悪魔は与えてはくれなかった。

「c…k……リ……、タイ………#_skt……」

(聞き取れない!共通言語じゃない魔界語!?)

自分の理解できない言葉に絶望感が強まる。

それでも美乃に出来ることは突然増えたりしない。

震える足では走ることはままならない。

なら試すしかない。

自分の数少ない()()()()()()

「あの!突然夜に来てすみません!こちらに敵意はありません!すぐに出て行きますので逃してください!!」

「ダ………モコni……〆たハ………………」

「わ、私は既に帝国軍の者と契約しています!なので悪魔のあなたの敵ではありません!!」

「……ドck………<€○skb・+」

かなりギリギリの危ないワードまで使った説得。

美乃にとっての切り札ともいえるソレ。

だが聞き取れない悪魔の言葉はどんどん感情的になっていってる気がする。

まずいと反射的に思う。

次に話す言葉を考える。

必死で。懸命に。

 悪魔が突然震えだす。

まるであの周囲だけ大地震が起きているような大きな震え方。

 そして、悪魔は再び叫びながら。

 こちらに駆け出した。

 硬直する身体。

 ひと呼吸程の間を空けず目前に迫る。

 身体に叩きつける風圧。

 咄嗟に瞳を閉じ、恐怖から逃れようとする。

 悪魔の振り上げた腕が下される瞬間。

 凄まじい衝撃が襲う。

 ()()()()()()()悪魔に向けて。


 悪魔は廊下の向こうまで凄まじい速度で吹っ飛んでいった。

 最奥にまで飛んで行き、そのままの勢いで廊下の端のスタンドガラスにぶつかる。

 同時に不気味な漆黒の身体は蒸発するように黒い霧になって呆気なく消えていった。

 恐怖心の対象が跡形も無く消えた事で美乃の緊張の糸が切れた。

張り詰めていた精神の反動でへたり込んでしまった。

大きなため息をついた。

そこで自分が先程まで呼吸を忘れていたことに気がついて。

深く呼吸をすると興奮と緊張で火照った内臓に冷たい酸素が染み渡る。

 すっかり気を抜いた美乃。

その背後からカツンという音が響いた。

(忘れてた〜〜)

先程とは違う緊張が美乃に走る。

簡単に言うとやっちまった感。

「やれやれ。全くいい加減にしてもらいたいところだな。」

美しい鈴の音。

それを連想させる高くて澄んだ声。

 

 恐る恐る振り返るとそこには闇の色をした悪魔を連れた真っ白な少女がいた。

 天使よりも美しいその少女は美坂を見下ろしこう付け加えた。


        「なぁ、人間」



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