表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/112

太っちょ貴族はボスファングと戦う


 大丈夫だ。落ち着いている。

 ミトロフは奇妙なほど冷静でいる自分に驚いている。


 ととん。


 と、ステップを踏む。それは自分と相手との立ち位置を変えるための歩法である。


 ミトロフは空中にいるファングの横手に回るように調節し、膝をわずかに落とした。踏み込む力と、重心とを乗せて、膝を伸ばす。腕を伸ばす。剣は点を貫いて押し出される。

 手応えがある。


 ファングの下顎から刺しこんだレイピアは、その頭を貫通した。

 ミトロフは素早く剣を抜く。


 ファングは跳んだ勢いのまま、さっきまでミトロフがいたはずの場所の空を切って、地面を転がった。

 弓に矢をかけたまま、グラシエがファングの様子を睨む。

 野生の獣は手負いがもっとも危険だ。仕留めたと確信していたとしても、迂闊に近づかないのは狩人の鉄則だった。

 通路に静寂。


 それからグラシエがそろそろと近づき、ファングを確認する。

 死んでいた。


「一撃か。見事な腕前じゃな、ミトロフ」

「僕も驚いた。昨日はゴブリン相手でも、もっと焦りや恐怖があったんだ。でも、いまはすごく冷静だった」

「昨日とは違うのか。慣れた、ということではなく?」

「うん。昨日とはまるで違う自分になったみたいで……あ」


 そして思い至る。


「これが昇華の影響、なのか?」

「力ではなく、精神を成長させた、ということかの」


 なるほどな、とグラシエは頷いた。


「昇華についてはわれも詳しくは知らぬ。じゃが、ミトロフがそう感じているのならありうる話じゃの」


 ミトロフには自分の力が増したという実感はない。

 昇華とはその程度の変化しか起こさないのかと思っていた。だが、今の冷静さは、ミトロフにとって大きな実感をともなう成長だった。


 二人はファングの死体から剥ぎ取りを行う。

 ファングでは毛皮や牙、内臓の一部などが買取の対象となっている。

 しかし毛皮を剥ぐには手間がかかるし、内臓を得るためには解体する必要がある。


「大人数のパーティにもなれば、専門の解体人や荷運び人を雇ったり、荷車を持ち込んで丸ごと持ち帰ったりもするという。しかし今のわれらには重荷になるだけじゃ。牙だけもらっていくしかないの」

「解体にも手間と時間だけかかって、得るもののほうが少なそうだしね」


 それからも数度、ファングの襲撃を受けた。


 たいていはグラシエが先に発見し、矢で先制を奪う。一発で仕留めることもあるし、距離があれば二矢で動きを奪い、とどめだけを行うこともあった。

 通路の先には小部屋があり、そこでは三頭のファングが群れを作っていた。


 群れを発見したら逃げる。


 事前に二人はそうした取り決めをしていたが、今回は状況が悪かった。ほとんど偶発的な鉢合わせになってしまった。

 逃げるには距離が近い。こちらを見つけている獣に、背を向けて逃げることは悪手でしかなかった。


「ミトロフ、逃げられぬ! やるぞ!」


 素早く決断したのはグラシエだった。狩人の経験から、戦うしかないと見切った。であれば先制を取るべきである。

 流れるような動きで矢を二本取り、連射した。一発は頭に、もう一発は脚に。一頭は倒れ、もう一頭は警戒するように下がった。


 残った一頭はひと回りも身体が大きい。それが群れのボスであるようだった。

 襲いかかってくる動きは素早く、それでいて威圧感がある。

 グラシエが再び一射する。しかしその矢を、ボスファングは避けた。


 ボスファングは牙を剥き、低空を滑るようにミトロフの腕を狙った。

 ミトロフはその動きを冷静に見つめていた。どう身体を動かすべきかを考える余裕もある。

 ファングを相手にするには、横手に回るのが最もやり易い。これまでの戦闘で身につけた動きで、ミトロフはステップを踏んだ。


 そして横合いからボスファングの顔に向け、刺突。

 が、避けられる。ボスファングは前足で跳ねるように後ろに跳んだのだ。


「ミトロフ、気をつけろ!」


 前傾に身体が伸びたミトロフの横合いに、後脚に矢を生やしたファングが飛びかかった。


 連携している!


 やられた、とミトロフは舌打ちした。

 ボスファングは最初からミトロフを仕留める気はなかったのだ。だから攻撃を容易に避け、退くことができた。こちらの攻撃を誘い、その隙にもう一頭が喰らいつく。


 まさに群れとしての狩りである。

 ファングは牙を開き、剣を持つミトロフの腕を狙っていた。

 避けられない、と覚悟したその時。


「動くでないぞ!」


 とグラシエの鋭い声。

 昇華によって強化された精神のおかげで、ミトロフはグラシエの言葉に従うことができた。

 矢が掠める。


 ミトロフ顔の横を風が通り抜ける。腕のわずか上を過ぎた矢は、今、まさに噛みつこうとしていたファングの赤い口内に突き立った。ファングは頭を叩かれたように回転してその場に落ちた。


 助かる……!


 ミトロフは腕を引き、体勢を整える。

 ボスファングはすでに追撃に向かってきている。


 逃げることよりも戦うことを選んだのは、迷宮に住まう魔物としての本能だろうか。

 ミトロフはボスファングと真正面から対峙した。

 右斜め前にレイピアを払い、眼前に掲げる。貴族としての決闘の儀礼である。


 狙い定めるように切先をボスファングに向ける。そのときにはもう、ボスファングは飛びかかっている。

 ミトロフは足を捌く。幼いころに教え込まれた動きを身体が覚えている。牙を避け、横に位置をとる。


 ボスファングが一瞬前にミトロフがいた場所へ着地する。前足の爪が地面に噛んだ瞬間に、ミトロフはレイピアを突いた。


 一刺。


 それはボスファングの首を貫通する。厚い皮と硬い筋肉の手応えが重い。


 ミトロフの方が押し負けそうになる。ボスファングが暴れれば、レイピアの細い剣身が折れるだろう。

 ゆえに、突いた剣は同じ速さで抜き戻さなければならないのだ。

 ミトロフは肘を引く。


 レイピアがボスファングの首から戻り、赤い血が噴いた。


 動脈を断った。狙い通りだった。

 しかし、ボスファングはまだ生きている。


 四肢で地面を握り、首を振り、ミトロフに飛び掛かった。ボスファングは巨大な矢であり、砲弾となった。

 ミトロフは避けるつもりはなかった。自分の重すぎる身体では無理だ、と悟った。

 脚を踏ん張り、覚悟を決め、レイピアを突き出した。


 剣はボスファングの口中に突き立った。その勢いは止まらない。剣に貫かれながら、ボスファングはミトロフに食らいつこうとする。


 牙が暴れる。レイピアが激しく揺れる。ミトロフは瞬間的に柄を強く握りしめた。

 どん、と衝撃がきた。


 ミトロフはボスファングの体当たりを受けて立った。右足が浮いた。跳ね飛ばされそうになって、堪えた。だん、と、強く右足を踏み込んだ。


 剣ごと押し込まれたために、右腕の肘は胸に引きつけられている。

 眼前に真っ赤な口が開いていた。


 牙がミトロフの肩に刺さっていた。

 巨大な顔。その瞳。ミトロフはじっと見据えている。


 最後に荒い呼吸を残して、ボスファングはだらりと崩れ落ちた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ