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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第二章

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太っちょ貴族は立ち向かう



「––––ほう」


 と、ひと声。まるで驚いた様子もなく、騎士は頷いた。


「何を賭けて剣を握る?」

「ぼくが勝てば、カヌレを貰う」

「であろうな。では私が勝ったら?」

「”アンバール”の小袋をひとつ」

「なに……?」


 その時ばかりは騎士の声に驚きと疑念が混じった。

 それは小さな確信だった。ミトロフは正体を知らねど、”アンバール”に価値があることは分かっている。


 カヌレが”アンバール”を知らなかったことと、ポワソンの言葉から推測するに、”アンバール”はごく最近、それも権力者の間でだけ、需要が高まっているに違いなかった。


 ミトロフは知っている。権力者……貴族というのは、希少なものに目がない。そして流行を決して逃さない。

 常に真新しく、価値のあるものを探し、それを手に入れるために余念がない。周りの貴族たちに見せつけることで、己の地位と権力という格を示す手段だからだ。


 ”アンバール”はその道具として重宝されているに違いない。


 そして、カヌレが有力者の従者をしていたであろうことと、目の前の騎士甲冑の美しさからすれば、この騎士は必ず有力者と繋がっていると考えた。

 ならば”アンバール”の価値を正しく認識している、と。


「どこで手に入れたか、聞いても?」

「ブラン・マンジェと”商談”をしたんだ」

「証拠はあるか?」


 ミトロフは腰に下げた小鞄から、”アンバール”を取り出した。それはアペリ・ティフから返礼にと渡された時のものである。投げると、騎士は危うげなく受け取り、じっくりと眺めた。


「なるほど。偽りではないようだ」


 投げ返された”アンバール”を、ミトロフは空中で掴みと……れず、出っ張った腹に当たって床に落ちた。


「……」

「……」


 ミトロフは屈み、”アンバール”を拾い、小鞄に戻す。


「……ぼくが勝てば、カヌレをもらう。あなたが勝てばこれをひと袋」


 ミトロフは何事もなかったように条件を繰り返した。


「興味深い話だが、貴公は私に勝てると思っているのか? 決闘とは、魔物を相手にするのとは訳が違うぞ」

「もちろん分かっている。どうだろう、条件を近づけるために譲歩してくれないか」

「譲歩とは?」

「あなたの身体に剣が触れたら、ぼくの勝ち」


 ミトロフは堂々と言った。恥も外聞もなく、心持ち胸を張り、顎を上げ、腕を組み、まさに貴族としての威風を纏って、そこに立っている。


 ふ、ふ、ふ、ふ、と。騎士甲冑の中で笑い声が響いた。それはなかなか止まらず、騎士甲冑の肩が震えているほどだった。


「貴公には、矜持というものがないのか? 決闘を挑みながら、そのような条件をつける者など聞いたことがない」

「矜持? そんなものはない。ぼくは勝つためになんでもする」


 再び、ふ、ふ、ふ、と騎士は笑う。笑いながら膝を落とし、黒の革手袋を拾った。それをミトロフの足元に投げ返す。


「その条件で良い。貴公の剣が私に届けば、負けを認める」


 騎士は笑みを止めた。

 途端、空気が変わったことを知る。冷えている。覇気、熱気、殺気……そんなものはない。ただ、騎士は冷え冷えとしている。静かに、夜の湖面のように凪いでいる。


「––––さあ”決闘”をしよう」



   ▼



 場所を移した。そこはギルドの中庭である。ミトロフが小盾の講座を受けた場所は、人目にもつかず、地面も整い、決闘をするのにちょうどいい場所である。


 ミトロフは受付嬢にまた講座を受講したいとささやかな嘘を伝え、この場に通してもらった。

 講師として再びソンが連れてこられたが、手短に訳を話すと興味もなさげに「好きにしろ」と鼻を鳴らして壁際に寝転んだ。時間いっぱいまではここで仕事をしたという言い訳のためである。


 騎士はすでに待っている。準備もなく、構えもない。常在戦場という言葉を、ミトロフは思い出した。

 ミトロフも向かおうとはしているのだが、カヌレがどうしても行かせてくれないでいる。


「なりません。ミトロフさま、兄は化け物なのです」

「赤目のトロルより強いのか?」

「比べることが愚かなほどに」


 ミトロフは茶化したつもりなのだが、カヌレは真剣に返答した。ミトロフも態度を改める。


「……強いのは、分かる。いや、分かるつもりだ」

「失礼を承知で言わせていただきます。ミトロフさまでは、剣先ひとつ届くわけがありません」

「きみはそう思うんだな」


 と、ミトロフは余裕の表情で言った。頼もしくも見えるが、カヌレにはそれが、自分の力を過信した人間の笑みに見える。


「たしかにミトロフさまは迷宮で”昇華”を得られているのかもしれません! ですが、兄はその程度ではどうにもならないのです!」

「きみが臆病なのはよく分かった。心配はありがたいが、そこで座っていてくれ」

「ミトロフさま!」

「なあ、カヌレ––––きみのやりたいことはなんだ?」

「––––え?」


 ミトロフはすれ違いざま、カヌレの肩を叩く。


「行ってくる」

「お、お待ちください!」


 ミトロフは振り返らず、騎士の元へ向かった。


 兄は化け物なのです。


 カヌレの声が耳に残っている。カヌレは、強い。そのカヌレが化け物と言うのだから、騎士はもっと強い。

 勝てるわけがない。


 ミトロフは自分でもそれをよく分かっている。絶対に無理だと、自分の声が聞こえている。


 怖い。ただ、怖い。

 手が震えている。

 足が震えている。

 今にも漏らしてしまいそうだ。


 絶対に勝てないと心底思っている相手に、それでも挑む自分の愚かさ。なぜ自分はそんな愚かなことをするのかと、何度も自問している。

 ミトロフはふわふわと覚束ない足で砂地を踏む。騎士の前に立つ。小盾のベルトをキツく締める。


「ここで取り下げても良い」


 騎士が柔らかな声で言う。

 それはおそらく、慈悲だった。

 恐れていることを見抜かれていると、ミトロフは察した。


 自分の虚勢を、矮小さを、弱さを、知られている。

 当然だ。


 騎士と比べて、自分はどうだろう。

 身体は弛み、鍛錬が足りず、積み重ねたものは何もなく、己を支える背骨は薄く、経験も浅い。

 戦う前から分かるというものだ。これは無駄な行いだ、と。


 だからこそ、ミトロフは剣を握った。

 抜き、下段に払い、ピッ、と空気を切る。


 弧を描きながら眼前に構え、剣を垂直に立てる。掲げた細剣は貴族の証である。

 それは戦うという意思。命を賭け、立ち向かうための構えである。


「よろしい」


 騎士は頷き、剣を抜いた。それは変哲もない直剣である。騎士もまた決闘儀礼のために構え、それからゆるりと力を抜いた。ほとんど自然体のその立ち姿は、舐められているのか、そうした構えなのか。

 ミトロフは分からない。だから、進むしかなかった。




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― 新着の感想 ―
[一言] ちゃんとキャッチせえ
[気になる点] ハンデがあっても負けるレベルか さてどうやって勝機をつかむのか
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