太っちょ貴族は美味い飯を知る
二人は相談した結果、いちど迷宮を出ることに合意した。
ミトロフは初めての探索のために疲労していたし、昇華が身体にどう影響を及ぼすのかも分からない。ふたりの性格として、無理をしない、という点が同じであったのは幸いだった。
帰り道に三度、ゴブリンと遭遇した。
二度は遠距離でグラシエが射抜き、一度はミトロフが斬り捨てた。
二人でいることの心強さに、ミトロフは内心で驚いていた。
何かあってもグラシエに頼ることができる。
それは気の緩みでなく、不要な緊張感や焦りを取り除いてくれる。ゴブリンと戦うときですら、ミトロフは自分の動きから硬さが抜けたのを感じていた。
迷宮からようやく、地上に戻ってきた。ずいぶんと長く迷宮に潜っていた気がしたが、実際には数時間のことでしかなかった。
「まずはギルドで手続きをするでな」とグラシエが言い、ミトロフはもちろん同意した。
といっても、そこはもう迷宮ギルドである。
地下へと続く迷宮の真上を覆うように建っているそれが、すでに迷宮ギルドと呼ばれる場所なのだ。
目の前にあるずらりと並んだ受付で帰還手続きを行い、狩猟品の鑑定と買取をお願いした。それぞれがゴブリンの耳による討伐報奨金を。コボルドについては折半という形になる。
貴族としての感覚でいえば、あまりに安い小銭をミトロフは受け取る。
それでもこれは、ミトロフが人生で初めて、自分の手で稼いだお金だった。それだけで特別な思いが込み上げる。
たとえ一宿一飯で消えるような金額であっても、自分にとっては何よりも価値がある。
噛み締めているミトロフを尻目に、グラシエがパーティ結成の手続きを進めている。
基本的にソロよりはパーティの方が死亡率が少ない。
それはギルドにとっても喜ばしいので、パーティを推奨している。税制の優遇措置もあり、少しの手間をかけて登録することのメリットは大きい。
「ミトロフ、ギルドカードを」
グラシエに言われ、銀のカードを差し出す。
ギルド職員は鉄型のプレートにカードを差し込む。引き出しを開けると、そこには細い軸先に文字が彫られた金型がぎっしりと並んでいる。
職員は慣れた手つきでひょいひょいと拾い上げると、それをプレートの上部に並び、固定した。そしてプレスするようにガン、と叩きつける。カードを入れ替え、また文字を選び直し、同じように叩く。
ミトロフは返されたカードを見る。空白だった下部に、パーティ:グラシエ、と名前が刻まれていた。
「パーティ名も登録できるが、今は空欄にしておいたゆえ。そのうちに良きものを考えよう」
ミトロフは頷く。自分以外の名前が刻まれたカードもまた、大切なものになった。
「さ、ひとまず食事じゃ。命を助けられたでな、ここはわれに奢らせてほしい」
「食事!」
ミトロフは急に欲を思い出した。空腹だ。そうだ、僕は腹ペコだったんだ!
ぐううう、と腹が大きく鳴り響いた。
グラシエは口元に手を当て、くすくすと上品に笑った。
「そうよな、われも空腹じゃ。思いきり食べよう」
ギルドの建物内にはひと通りの施設が用意されている。もちろん食堂もあって、そこでは食用可能と判定された魔物の肉や、迷宮内で発見された食材が調理されている。
二人は一階の食堂に入り、ささやかな祝杯を行った。ゴブリンとコボルドではわずかな実入りにしかならない。
それでも鳥肉を甘辛く炒めたもの、ひと瓶の赤ワイン、ナッツの入った色鮮やかなサラダを頼み、安宿で一泊するだけの金にはなった。
乾杯をして、ミトロフはワインを飲む。渋く、苦く、葡萄の香りもろくに感じられないような安ワインだが、美味い。疲れた身体に染み渡り、緊張のほぐれた精神を癒してくれる。
ミトロフはあっという間に食事を終える。貴族としてのテーブルマナーは身体に叩き込まれている。だから食べ方はあくまでも上品だった。粗野な冒険者が多いギルドの食堂では、目立つほどだった。
ミトロフは腹を撫でる。
まだまだ足りぬほどに空腹だった。それでも、これからの生活を考えれば、欲に任せて食べたいだけ食べるような生活は変えなければならない。
「ミトロフ、われに遠慮しないで追加を注文するがよいぞ。おのこはたくさんの食事をするものじゃろう」
「ありがとう。でも、いいんだ。この贅肉をなくさないと、戦うのにも邪魔だし」
言って、ミトロフはぽっこりと膨らんだ腹をつまんだ。
堕落した生活を象徴する重りである。何をするにも邪魔な塊は、あって得をすることがない。動きは阻害され、食費はかかり、服のサイズも大きくなる。
「この機会に、僕は痩せようと思う」
「そうか。それは良い心がけだ」
頷くグラシエに返事をするように、ミトロフの腹がぐうぐうと鳴り響いた。
ミトロフは真顔を維持した。
グラシエも真顔で見返した。それから手をあげて従業員を呼ぶと、肉料理を追加した。
ミトロフは仕方なく、そう、グラシエの好意を無駄にしないために、断腸の思いで、ぺろりとすべて平げた。
働いたあとの食事は最高だな、とミトロフは思った。




