表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/112

太っちょ貴族は修理に出向く


 迷宮に潜った翌日は、休養日となっている。一日休み、あるいは二日休み、三日休んでもいいが、それだけ収入は減っていく。


 昼過ぎまで寝入ったミトロフは、屋台で昼食を済ませてから商業区へと赴いていた。


 長袖で隠れてはいるが、あちこちに切り傷があり、浅いものは軟膏だけを塗り、深い傷には包帯が巻かれている。

 アペリ・ティフと別れた後も探索は続けた。剣角兎の対処法は理解したとはいえ、その緊張感は精神をすり減らすものだった。


 壁を背にして待ち構え、飛んでくる剣角兎を躱す。

 言ってしまえばそれだけの簡単な行為だ。凄まじい速度で飛んでくる剣に恐れを抱かなければ、という注釈はつくが。


 剣角兎を躱す緊張感。小刀兎によって少しずつ増える切り傷。

 ミトロフばかりが損耗し、一方のカヌレは丸盾で堅実に対応できている。カヌレにはまだ余裕があっても、ミトロフの身体を配慮して、迷宮の探索を切り上げる日々が続いている。


 稼ぎは悪くない。

 剣角兎の耳は刃物として広く活用されているらしく、これも買取値が良かった。小刀兎の耳は剃刀になるというし、ミトロフたち冒険者が命懸けで手に入れた物品が、街で暮らす人々の生活の一部を支えているわけだ。


 しかしいつまでも血まみれになるわけにはいかない。

 ミトロフは、他の冒険者はあの兎たちにどう対応しているのか、と受付嬢に聞いた。


「そうですね、みなさん、盾を買われますね」


 あっけらかんとした返事は、まあそうだよな、としか言えない。

 ミトロフも全く同意するものだ。盾。それが回答である。避けるのが難しいなら、防ぐ。子どもにも分かる。


 商業区の中でも奥まった場所に、武器防具を扱う店が並ぶ通りがある。来るのはもちろん冒険者だけだ。それでも通りは市場のように賑わっている。

 もっとも、買い物をしているのは家計を担う市民ではなく、話し声もどこか乱雑だ。値引き交渉の声が聞こえるが、もはや怒鳴り合いに近い。


 そうした喧騒を過ぎた先に、メルン工房がある。ミトロフがガントレットを購入した店だ。

 店に入る。客は誰もいない。店主の腕は良いに違いないと分かっているのだが、なにしろ癖が強い。客であろうと気に入らなければ追い返してしまうような老婆なのだ。


 窓から差し込む陽光だけが頼りの薄暗い店内には、鞣された革と、手入れ用の油の香りがする。

 老婆の姿を探して進むと、奥の小部屋に続く扉が開いている。そこが作業部屋となっているようだ。座面の高い丸椅子に腰掛けた老婆が、厚い革にノミを入れていた。


「店主、客だ」

「あん?」


 ミトロフが声をかけると、老婆が顔をあげた。鷲鼻にちょこんと乗せた老眼鏡の上から睨めつけるようにミトロフを見る。


「なんだ、アンタかい。相変わらずオークみたいな顔をしてるね」


 相変わらずの口の悪さに、ミトロフは苦笑した。

 罵られているのに、どうにも怒る気がしないのが自分でも不思議だった。


「これでも痩せたんだ。ほんの少しだが」

「そんなに太った細剣使いなんざ見たことないよ。もっと痩せな」


 言いながら、老婆はくいくい、と手招きをした。

 ミトロフは作業部屋に入る。そこは老婆の、職人としての城であった。小さな部屋ではあるが、本人だけが完璧に理解できるように整理されている。


 壁を埋める棚、使い込まれた工具、大きな机に刻まれた傷と染み……ミトロフが生まれるよりも前から、老婆はこの仕事をしているに違いない。


 部屋中に満ちた年季の厚みを前にして、ミトロフは畏敬にも似た感情を抱く。それは時代を超えた素晴らしい工芸品や、美術品を前にした時に感じるのと同じものだ。


「なにを惚けてるんだい、手に持ったものをさっさと寄越しな!」


 ぴしゃりと言われ、ミトロフは背筋を伸ばした。


 そうだ、とミトロフは急に理解した。この老婆に叱りつけられると、子どもの頃の家庭教師を思い出すのだ。ミトロフには何人もの家庭教師がいたが、貴族としての振る舞い方を躾けてくれた家庭教師が、この老婆にどことなく似ていた。厳しい人だったが、公正な人でもあった。


 ミトロフは、布に包んでいたガントレットを机に置いた。メルン工房に来たのはガントレットの修理を頼むためである。


 老婆は手にしていたノミと槌を脇に置き、包みを開いた。

 ふうん、と鼻を鳴らし、ガントレットを手の中で回しながら点検していく。


 控えめに言ってひどい状態、というのがミトロフの見立てだった。

 厚革を鱗状に重ねて組まれているガントレットは、多少の傷ならば油を塗るだけでいい。しかし今では、いく筋もの切り傷と、えぐれて剥がれた傷が大きく残っている。


「小刀兎と剣角兎の傷だね。アンタ、10階まで降りたのかい」

「ああ……怒らないのか?」

「怒る? なんであたしが怒らなきゃならないんだ」

「その、あなたの作品をひどく傷つけてしまった」


 おずおずと答えたミトロフに、老婆は初めて笑みを見せた。

 くっく、と喉の奥を鳴らしてから、老婆は少しだけ柔らかい眼差しをミトロフに向ける。


「そんなことを気にしてたのかい。悪さをした子どもみたいな顔をしてないで、ちゃんと胸を張りな! アンタは冒険者だろう。堂々と持ち込んでくりゃいいんだよ」

「う、うむ……しかし、丹精込めて作った防具だろう。ボロボロになった姿を見るのは、良い気持ちがしないかと思ってな」

「そりゃ芸術家どもは気にするだろうがね、あたしは職人だ。ボロボロになった防具? 結構なことじゃないか! それだけ持ち主の身を守ったんだ。むしろ嬉しいね!」


 言葉に嘘はなく、老婆は傷だらけのガントレットを愛おしそうに撫でた。


「傷以外は綺麗なもんだ。ちゃんと手入れをしてるね」

「ああ。店主に言われたからな。迷宮帰りには手入れを欠かさぬようにしている」


 老婆がパァンとミトロフの腕を叩いた。


「いたい! なんで叩くんだ!?」

「褒めてやったんだ! 受け取りな!」

「もっと優しい褒め方はないのか!?」


 老婆は返事もせず、それきりミトロフからは興味をなくしたようで、道具箱から小さな拡大鏡を取り、ガントレットの傷口を念入りに観察した。


「さて、さて……まあそうだろうが、小刀の傷は浅いね……しかし剣角兎に表を剥がされちまったか……切り口は斜めに入ってるが……」


 そこで急に老婆は顔をあげ、ミトロフを睨んだ。


「このガントレットで剣角兎を受け止めようとはしてないだろうね?」

「まさか!」

「重ね革とはいえ、あくまでも手甲だ。剣角兎を真っ向から受け止めちゃ、腕まで貫通するよ。絶対にやるんじゃない」

「言われなくてもやらないさ。死にたくない」


 腕まで貫通、という言葉に、ミトロフは震え上がった。想像するだけで背筋が寒くなる。大事な左腕である。


「あんた、金に余裕はあるのかい」

「文句はつけないつもりだ」

「修理費はそう高くないよ。使い物にならない革の板を取り替えるだけで済む。だけどね、あんたがまだ10階に手間取るっていうなら、あと何回こいつを修理することになると思う?」


 ぶ、とミトロフは言葉に詰まった。

 それはまったく、老婆の言う通りである。小刀兎から身を守るにはガントレットが欠かせない。剣角兎の突進にも、またガントレットをあてることがあるかもしれない。

 その度にガントレットの修理を頼んでいては、費用も時間も浪費するばかりだ。


「金があるなら、小盾を買いな」

「……以前は、素人は盾なんか使うな、と言っていなかったか?」


 初めてこの店に来たとき、盾が欲しいと言ったミトロフは、老婆にめためたに罵られたのである。


「アンタの首には頭が乗ってないのかね! 10階まで潜れるなら小刀兎を防ぐくらいの技術はあるだろう!」


 コボルドやトロルといった相手は武器を使う。不規則な攻撃を防ぐために慣れない小盾を使えば、戦い方は歪になる。

 盾に意識が向かえば、剣が疎かになるものだ。一瞬の攻防に命を左右されるような状況で、使い方も知らない盾を扱うのは難しい。

 だが小刀兎となれば、盾で待ち構えるだけでいい。向こうからやってくるのだから。


「盾、か。ガントレットと併用はできないだろう?」

「役割が被ってるさ。同時に持つ意味がないよ。重たいだけさね」

「これが気に入っているんだ」


 迷宮を潜る自分の左腕を欠かさず守ってきた装備である。愛着があり、信頼がある。

 たしかにガントレットでは防ぎきれない攻撃もある。だからといってすぐに盾に持ち替えるというのは、なんだか嫌なのだとミトロフは首を横に振った。


「状況に合わせて装備を変えるのは恥じゃない。冒険者なら当たり前のことだよ」


 老婆は優しく、諭すようにミトロフに言う。

 特定の武器や防具に拘る冒険者というのは、たしかにいる。使い慣れた武器に命を賭けるというのは、冒険者の誇りを刺激する話だ。


 だが、ひとつの武器、ひとつの防具で通用するのは御伽噺の中だけであることも事実である。迷宮には多種多様な魔物が棲んでいる。


「魔物や環境に合わせて武器を替え、防具を替える。それこそが一流の冒険者ってもんさ。こだわりで命を失っちゃつまらないよ」


 それはこの場所に店を構え、幾多の冒険者を見てきた老婆だからこそ言える言葉でもあった。


「……しかし、ぼくに盾が扱えるだろうか」


 ミトロフが知っている盾使いはふたりいる。

 ひとりは、赤目トロルとの戦いで共闘したドワーフの大盾使い。もうひとりはカヌレだ。

 ふたりともがミトロフとは比べものにならない怪力であり、その力で魔物を跳ね除ける。ミトロフは、同じように戦える気がしない。


「アンタはこのガントレットをよく使いこなしてる。傷を見りゃ分かる。小盾を使っても下手なことにはならないだろう」


 なんと! とミトロフは目を丸くした。

 あの口の悪い老婆が、自分を褒めるなんて!


「……店主、調子が悪いのか?」

「馬鹿だねアンタは!」


 ばちんと肩を叩かれる。

 老婆は呆れた様子でため息をつき、やれやれと首を振った。


「とにかく、どのみち修理には時間がかかるよ。仕事が立て込んでるからね。その間に手ぶらで行くわけにも行かないだろう」


 それはもっともだった。

 では修理が済むまで探索を休みますと言うわけにもいかない。かといって手ぶらでは、小刀兎の相手は荷が重い。


「……では、おすすめの小盾を」

「まいど。そうさね、使い方に不安があるなら、ギルドで盾の講習でも受けてきな」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ