表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/112

太っちょ貴族はエルフの少女と手を組む


「シッ!」


 横手から突き込んだが、コボルドは俊敏に避けた。たた、っと軽やかに後ろに下がり、ミトロフを見る。ミトロフもまた、コボルドを見る。


 ゴブリンよりはひと回り大きい。特徴的なのは顔だろう。犬、あるいは狼だ。獣でありながら二脚で立ち、手には刃こぼれのした鉈を持っている。獣の俊敏さと、道具を扱う知性を備えた存在である。


「……おぬし、さきの男か! 早く逃げい!」


 と、背後から少女が言う。


「迷宮では助け合うものなんだろう」

「あれはコボルドじゃ。本当なら地下4階に巣食う魔物。われらでは勝てぬ」

「だから諦めろって?」

「そう言うておる! あやつはわれを狙っておるゆえ、今のうちに逃げいや!」

「なんだその自己犠牲」


 思わず振り返る。しかし少女は表情も変えず、冷静にミトロフを見返している。


「二人なら勝てる。諦める前に挑戦すべきだ」


 そんな言葉が自分の口から出ることが、ミトロフには驚きだった。もう何年も、そんなことを考えもしなかったのに。

 少女は青い目を見開き、ぽかんとしていた。


「……おぬし、良い人間じゃの」


 と少女が言う。


「ああ、良い人間なんだ。こんなところで死ぬのはつまらない。だろ?」


 ふ、ふ、と。口の端からこぼれるような笑い声。

 しからば、付き合ってもらうとしようか。


 少女が言うと同時に、矢がミトロフの横を通った。それは寸分違わずコボルドの顔を狙ったが、容易く避けられる。見えているのだ。

 そして優れた俊敏性がある。


 一足飛びにコボルドがミトロフに向かった。ゴブリンなど比べ物にならない動き。

 ミトロフは眼前にレイピアを掲げた。


 集中しろ、と言い聞かせる。

 一手間違えれば、死ぬ。


 だからこそ、引くな。前に出ろ。 


 長引けば勝てない。分かっている。自分の身体は怠惰の塊。動くには重すぎる。

 コボルドが地を這うような低さから鉈を振り上げた。

 ミトロフは半身になって避けた。死が眼前を通った。冷たい風が背骨を凍らせる。


 顔を狙う。

 いや、違う。

 こいつは避ける。


 それは直感だった。


 狙いを瞬時に変え、ミトロフはレイピアで斬り払う。

 それはコボルドが踏み込んだ右脚の膝を裂いた。


 そしてすぐさまに、ミトロフはその場から横っ飛びした。

 ビュ、と。鋭い風。


 ミトロフの背後で矢を構えた少女が、開いた射線にすぐさまに撃ち込んだのだ。

 コボルドはその矢を見ていた。飛びのこうとした刹那、ガクン、と身体が沈んだ。

 右脚。


 理解したとき、矢はコボルドの胸に突き刺さっていた。

 まだ、動く。


 横合いでミトロフが剣を構えている。流麗な所作は貴族の決闘のようでいて。

 その細剣は鋭く、的確に、コボルドの首を貫いた。

 同時に少女が放った二射目がコボルドの右目に突き立った。


 残った左目から、命の火が消える。

 それをミトロフは見つめている。崩れ落ちる重みに、首から剣先が抜けた。


 交差は一瞬だった。


 しかし、自分が死んでいたかもしれなかった。


 生きている。と実感する。自分はいま、命を燃やしている。必死に生きている。

 熱く溶けた鉄が頭の中に流しこまれたような奔流に、ミトロフはぐっと歯を噛んだ。全身がゾクゾクと震えるほどの痺れ。それは一瞬で通り過ぎたが、全身が熱い。

 見やれば、エルフの少女もまた身体を丸め、堪えるように顔を顰めている。


「……これ、が、昇華、かの。なんとも」


 少女が言う。

 昇華。迷宮の中でのみ起きる現象だ。ミトロフは知識でのみ、それを知っていた。


「これで僕らは、生物としてひとつ上の段階になったのかな。実感がないけど」


 拳を握ってみる。前より強くなったという気はしない。


「昇華した身体に馴染むには時間がかかるという話だ。コボルド程度なら、一晩も寝れば」

「明日には実感できるってことか。楽しみだね」


 ミトロフは剣を払い、鞘に収めた。

 先ほどまでの熱情、命を賭けた緊迫感。


 そうしたものは余韻すらない。広場はただただ静かだ。

 目の前に倒れ伏したコボルドだけが戦いの記憶を残している。


「改めて礼を言いたい。おぬしのおかげで命を拾った。ありがとう」


 エルフの少女はミトロフの前にやってくる。青い瞳は柔らかく細められている。


「いいんだ。コボルドを倒せたのは君のおかげでもあるし」

「おぬしがすぐに射線を開いてくれたでの。われが狙っているのが分かったのか?」

「なんとなくそんな気がして」


 どうして分かったのだろう、とミトロフは考える。

 視線、だろうか。

 幼いころから、ミトロフは他人の視線を意識していた。父が自分をどう見ているか、何を思っているか。あるいは兄、あるいはメイドたち。


 視線には独特の気配がある。自分に向けられていれば、分かるようになった。

 あのとき、コボルドと戦いながら、エルフの少女の視線を背中に感じた。それは鋭く、刺すようであった。


「われらは、相性がいいのかもしれぬな」と、エルフの少女はぽつりと言う。「おぬし、ひとりで探索を?」

「ひとりだし、素人だ。今日、はじめて迷宮に入った」

「それは豪気なことじゃ。われは4日かかって、ようやく慣れてきたというに」

「君もひとりで?」

「うむ。命を預ける相手を酒場や他人の紹介で見つける気にもなれぬでな。じゃが、いま見つけた」


 と少女は言って、真正面からミトロフを見据えた。


「われはグラシエ。スイッツの森に住む古きエルフの狩人だ。どうしてもこの迷宮の5階まで潜りたい。もしおぬしも信頼できる仲間を求めているなら、どうじゃろう。われとパーティを組まぬか。おぬしなら、われは信用できる」


 青い瞳の視線を、ミトロフは読み取る。

 そこにはただ真っ直ぐな美しい光が灯っている。


 不思議と、彼女が言うことにミトロフも同意できる。


「……僕はミトロフ。昨日限りで家から勘当された、元貴族の三男だ。僕も、君を信用できる気がする」

「なら、提案を受けてくれるということかのう」


 グラシエはわずかに不安げな様子で小首をかしげる。白金の髪が肩からさらりと滑り落ちる。

 ミトロフは頷いた。


「よろしく頼む。僕も迷宮を独りで探索するのは恐ろしかったんだ。グラシエがいると、心強い」

「よきかな」


 と、グラシエは甘く微笑んだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] ・昇華ってレベルアップですかね。どう変わっていくのか、楽しみ。 [一言] 主人公が鍛えるのをやめた理由が、なんとも悲しい。 自分がなんのために生きていくのか、見つけてほしい。迷宮に答え…
[一言] エルフの子、喋り方から言ってその道数十年のベテランかと思ってたけとまさかの初期レベルだったのか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ