太っちょ貴族は友達ができる
翌日も3人は地下5階を探索していた。見かけるのは黄土猪ばかりで、やはり青鹿の姿は見えない。痕跡すら見つからないでいる。
黄土猪の角と肉ばかりが増え、早くもカヌレは大きな荷物を抱えることになった。
「下に行くか」
とミトロフは提案した。
休憩部屋で地図を広げ、3人で覗き込んでいる。探索できていないエリアはあるが、ここまで姿のない青鹿が未探索の場所で都合よく見つかるとは思えない。
「……そうじゃのう。はぐれた青鹿たちが下の階に生き残っていると希望を託すほうがまだ良いかもしれぬな。いつまでも猪を狩っていても仕方あるまい」
「"守護者"はどうする?」
と訊ねたのは、ミトロフにその知識が薄いからだった。
「迷宮で層が変わる階にいるとされる強力な魔物、ですよね。無理をして戦う必要はないと聞きましたが」
ミトロフの予想外にも、答えたのはカヌレだった。
「そうじゃ。倒しても一日で蘇るという、魔物の中でもっとも不可思議な存在じゃな」
「……蘇るのか?」
「そう聞いておる。何かしらの遺物が関わっておるとか、古代の魔術の呪いだとか、いろいろ言われておるがの。守護者に挑むにはギルドで申請が必要じゃ。予約制でな」
「……まるで高級レストランのようだな」
ミトロフのぼやきに、カヌレがくすくすと笑った。
「とかく、守護者は後回しで良かろう。急に行って勝てる相手でもないし、危険じゃ。倒さずとも下には行ける」
これまで一階ごとに丁寧に探索をしてきた分、探索残しや見てもいない守護者を残して先に進むのは、少し心残りがある。中途半端なものに未練を感じるように、ミトロフは後ろ髪を引かれている。
しかし、ミトロフにもグラシエにも、探すべき相手がいる。
それが地下5階で見つからない以上は、長居しても仕方がないのが事実だった。とくに、グラシエには明確な時間の制限があった。薬の原料となる青の仔鹿を見つけ、聖樹が枯れ果ててしまう前に戻らなければならない。
3人は階段に向かい、地下6階へと進んだ。階段前の広場には冒険者たちが各々に休憩している。
先ほど休憩を済ませていたミトロフたちは、その横を通り過ぎていく。
そのとき、声をかけられた
「お、ミトロフじゃんか!」
陽気な声に振り向けば、床に座ってリンゴを齧っているミケルがいた。周りにはもちろん"狼々ノ風"のメンバーも揃っている。
ミケルは仲間たちに声をかけてから立ち上がり、ミトロフのところまで歩いてきた。
「ミケル、君も6階にいたのか」
「今日もトロル探しだよ。やっぱ5階から上にはいねえからさ。つっても、6階までこれる冒険者なら、トロルを相手にしても逃げるなりできるからなあ。この階を探していなかったら、おれたちも引き上げるつもりだよ」
シャク、とリンゴを齧るミケルは、ミトロフの後ろにいるグラシエとカヌレを見る。それから首をかしげた。
「お前んとこ、3人でやってんのか。それで6階って、急ぎすぎてねえか? 大丈夫か?」
訊ねるミケルは馬鹿にしているでもなく、ごく普通に心配をしてくれているようだった。
ミトロフは迷宮の基準を知らない。3人のパーティーが少ないのか、探索のペースが早いのか、あるいはどちらもだろうか、と少し悩みつつ、大丈夫だと答えた。
「危険を感じたらすぐに引き返すよ」
「そか。ま、いまの5階にゃ青鹿もいねえしな、6階でやるほうが効率も良いかもだな。ところでさ」
ミケルはミトロフの肩に手を回して、ぐっと顔を寄せた。
「お前、あのめちゃめちゃ美人のエルフとできてんの?」
「ブヒッ」
予想だにしない質問に、思わず鼻水が吹き出しそうになってしまった。
「き、君はなんてことを訊くんだ! できてるわけないだろう!」
「まじ? 惚れてもいねえの? お前、ちゃんとついてんのかよ」
「失敬だな!? 女性にすぐ惚れただなんだと、そんな軽はずみな気持ちを持つのは騎士道に反するだけだ!」
ミトロフは鼻息も荒く言い放った。もちろん小声である。
女性を尊ぶのは貴族として当然のマナーである。私利私欲に忠実な貴族ではあるが、反面、頑なに守るべきとされる道徳もある。それらは古の騎士が遵守したとされる儀礼、騎士道を中心にしたものであり、ミトロフもまた幼いころから厳しく学んできたものである。
「お前、頭かってぇのな」
ケラケラとミケルは笑った。
「ぼくの頭が固いんじゃない。君らが柔らかすぎるんだ」
ミトロフは憮然と言う。
「まったく、すぐに好いただ惚れただの、色恋に浮き足立つのは男子としての沽券に関わることだぞ」
「その考えがかってぇんだって」
ミケルはミトロフの腕をぱんぱんと叩いた。ミケルはその腕の弾力に驚きつつ、そこをからかわないくらいの常識と思いやりは持っていた。
「ま、今日は6階にいるからさ、どっかですれ違ったらよろしくな。困ってたら助け合おうぜ」
んじゃな、とミケルは戻っていった。
「……マイペースなやつだ」
ミトロフの人生で初めて出会う性格の人間である。まったく貴族的でない相手に、ミトロフとしてはどう振る舞えば良いのかよく分からない。
「ミトロフ、友人ができたのじゃな」
「なんだって?」
ミトロフが目を丸くして振り返ると、どうしてかグラシエが柔らかい微笑でこちらを見返している。
「違うのか? ずいぶんと親しげに見えたがの?」
グラシエはカヌレに顔をむける。カヌレは素直に「はい」と頷いた。
「ミトロフさまのご友人かと思っていたのですが……違うのですか?」
「友人だと?」
ミトロフは返す言葉が見つからず、きょとんと見返してしまう。
友人。その言葉の意味はミトロフも知っている。しかし、その呼び名を使うことはこれまでになかった。
同年代の少年たちと交流することはもちろんあったが、それは全て背に家名を背負っている。貴族の子として出会う以上、そこには友情なんて言葉を育む余地は生まれない。
しかし、今のミトロフは貴族ではなかった。
ミケルもまた、貴族ではない。
「ぼくは、ミケルと友達になろうという契約を交わしたことはない」
ミトロフが顎肉をさすりながら言う。
グラシエはふ、ふ、と笑って、幼児に優しく言い聞かせるように口を開いた。
「良いか、ミトロフ。友達というのは契約ではない。いつの間にかそうなっておるものなのじゃ。お主がそう思い、相手も同じ気持ちならば、それは友達というものじゃ」
ミトロフはううむ、と唸った。
友達。それはなんとも不思議で実態のない関係性のようである。
ミトロフにはよく分からない。ミケルがどう思っているのかを推し量ることもできない。
未探索のエリアを残して6階に降りてきた時に感じたのと同じような、スッキリとしない感じがあった。
ミトロフはひとり、"狼々ノ風"に向かう。気づいたパーティーメンバーが不思議そうにミトロフを見る。ミケルもまた気づいた。
ミトロフはごく真剣に、ミケルに訊ねた。
「ミケル。違ったら申し訳ない。ぼくたちは、もしかして友達なのだろうか?」
しん、とした空白のあとで、ミケルが爆笑した。お腹を抱えて笑っている。ミケルは立ち上がり、だっはっは、と笑いながらミトロフの肩をぼんぼんと叩きまくった。
その光景を、グラシエとカヌレが、少し離れた場所から見守っている。いったいミトロフとミケルはどういう関係なのだろうと、顔を見合わせた。
笑いがおさまって、ミトロフは釈然としない顔のまま戻ってきた。そして眉間に皺を寄せた小難しい顔のまま、グラシエとカヌレに視線を合わせて、
「どうやら、ぼくとミケルは友達になったらしい。初めての経験だ。正直、戸惑っている」
ミトロフが真剣にそういうものだから、グラシエとカヌレもやっぱり、ちょっとだけ笑ってしまった。
ミトロフは釈然としない顔のまま、むっすりと下唇を突き出した。




