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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第一章

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太っちょ貴族はエルフ狩人を心配する


 そのまま併設の食堂に向かう。

 夜まで間があるためか、食堂の席はすっかりガラガラである。それでも周囲の目につかないような隅の席を選んで、3人は腰をおろした。


 普段はグラシエが場を仕切るのだが、今回はミトロフがその役を買った。


「今日も無事に帰ってこられた。とくにカヌレは大変だったろう」

「いえ、足手まといになっていなければ良いのですが……」

「全くなっていない。むしろカヌレのおかげでとても捗った。食事も最高だ」

 それは本心だった。荷物を預かるポーターとしての役割だけでなく、カヌレの作る食事や紅茶により、休憩時間が充実した。よく休むことは重要である。

「カヌレが頑張ってくれたおかげで、収穫品も多かった。これは三等分しよう」


 と、ミトロフは先ほど受け取ったままの金額を机に置き、山を分けようとした。

 それを止めたのはカヌレである。


「三等分はご遠慮いたします。わたしは荷物をお預かりしていただけですし、命の危険に立ったのはお二人ですから」


 毅然とした物言いだった。ミトロフがなにをどう言おうと、そこだけは譲れないという意固地にも思えるほどの硬さがある。


 普段ならグラシエが説得してくれるところだが、ミトロフが見やると、グラシエは何か別のことに思い悩んでいるようだった。会話が耳に入っているようにも見えない。


 ミトロフとしては三等分で構わない。しかしカヌレが受け取らないというのであれば、無理に押し付けることもできない。


「なら、僕らで8割、カヌレは2割でどうだろう?」

「……ポーターとしてはそれでも多いのではないでしょうか?」

「ポーターだけじゃない。食事作りも頼みたい。君の料理というスキルを提供してほしい」


 それはミトロフの本心だった。

 これから先も迷宮に潜る以上、滞在時間は長くなる。必然的に迷宮で食事をすることになり、そうなればギルドの売り出す携帯食に頼るしかない。


 しかし今日、携帯食の味気なさを知ってしまった。カヌレの作る料理と紅茶を味わってしまった。

 ミトロフにとって食事は命に関わる重大な要素である。


 ミトロフの提案に、カヌレはおろおろと戸惑った様子を見せたが、それでも頷いてくれた。


「そ、そういうことでしたら。わたしの料理の腕前でどの程度ご期待に応えられるかは分かりませんが……」

「それは良かった。これで迷宮で過ごす不安が減ったよ。グラシエもそれでいいかな?」

「……ん、ああ、構わない」


 と、グラシエが気もそぞろに頷いた。

 ミトロフはその様子のおかしさに気づきながら、訊ねることはしなかった。グラシエがこれほどに悩む原因は、彼女が迷宮に潜る理由ーー地下五階で起きている異変に起因していることは間違いなかったからだ。


 どうするべきかと悩みながらも、ミトロフはこのまま打ち上げを兼ねた食事会を提案した。

 しかしカヌレは、街での市場が開いているうちに迷宮に持ち込む食材を買いに行きたいからと辞退した。


 フードのために視線は分からずとも、彼女もまたグラシエの様子がおかしいことには気づいていた。その原因にミトロフが心当たりがあろう、ということも分かっている。


 それは二人の事情であり、そこに自分が首を突っ込む立場ではないと理解しているからこそ、早々にこの場から離れようという気遣いであった。

 ミトロフはカヌレのその配慮を理解した上で、ありがたく受け取ることにする。


 食堂からカヌレの背中が見えなくなって、それから周囲を見回し、近くに誰もいないことを確認してから、ミトロフは声をひそめた。


「グラシエ、どうした? 例の薬に関することか」

「……うむ」


 グラシエは頷いた。普段から雪のように白い肌であるが、今は血の気すら感じられない。

 わずかに揺れている瞳で、グラシエはミトロフを見返した。


「青鹿がおらぬのでは、聖樹の病を治す薬は作れぬ。仔鹿の角が必要だったのじゃ」

「……仔鹿の角? それくらい、ギルドで保管されてないのか?」


 ギルドは冒険者の持ち帰った素材の大半を買い取っているし、市場に出回る素材を取りしきっている。

 グラシエは首を横に振った。


「そもそも仔鹿は滅多にその姿を見せぬらしい。それに仔鹿の角は特別な素材なのじゃ。切り離してから3日で腐ってしまうゆえに、保管ができぬ。こうしてわれが迷宮に来たのも、角を狩ってすぐに森に戻るためじゃ」

「……そうか、そしていま青鹿すらいなくなっていると」

「そうなってしまった原因すら不明となれば、われにはどうしようもない。じゃが、このままでは聖樹は死んでしまう。われら一族も森を追われよう……困ったものじゃ」


 冗談かのようにグラシエは苦笑した。しかしその顔に面白がる様子などなく、瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。


 グラシエにとって、森とは故郷なのだろう。そこには家族がいて、友人がいて、彼女の人生がある。思い出がある。失いたくはない大事な場所なのだ。


 ミトロフはそれを理解できた。自分にはない感情だった。ミトロフには、そこまで真剣に思い悩むほどに守りたいものがない。


 ただ、グラシエが大切にしたいと願うものなら、それは素敵なものなのだろうとミトロフは思う。

 守るための価値があるのだろうと。


「大丈夫だ。何とかなる」


 とミトロフは言った。


「僕のトロルと一緒だ。探そう。見つかるまで、何度でも迷宮に行こう。理由が分からずに青鹿がいないなら、ひょっこりと戻るかもしれない」


 それは根拠のない気休めにしかならない言葉だった。

 だがミトロフは真剣に、本気でそう思っていた。心からの言葉だった。


 だからこそグラシエは、目を丸くした。呆気に取られてしまった。

 あまりに当たり前で、真っ直ぐで、愚直で、だからこそ思いつきもしなかった選択肢に気づかされたように。


「……探す、か」

「そうだ。どこかにいるかもしれない」

「……何度でも?」

「そうだ。見つかるまで行こう」

「……じゃが、先に聖樹が枯れてしまったら?」

「グラシエは自分の役目を果たすために全力を尽くしたんだ。枯れるほうが悪い」


 きっぱりと言いきったミトロフの、丸々としたその顔を、グラシエはただ見つめた。

 ミトロフの目つきは凛々しく、上向きの豚鼻はぷっくりと膨らんで息を吹いている。おかしなことなど何も言っていないと確信している表情である。


 それはどうしてか、グラシエに笑いを呼び起こした。

 自分の肩にある重圧に押しつぶされ、全てが終わってしまったと思い悩んでいた自分のことが、ひるがえって滑稽に思えたようである。


 く、く、と。

 グラシエは笑う。


 ミトロフの底抜けなまでの自信と。自分の一辺倒な生真面目さを。


「そうじゃな、まだ何も終わってはおらぬよな。探そう。この目で確かめよう。迷宮はまだまだ深く、先は長い。諦めておる暇はないわ」

「ああ、その通りだ」


 とミトロフは満足げに頷いた。




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