太っちょ貴族は買い物に行く
昼を過ぎるまでぐっすりと寝てから、ミトロフはグラシエと合流した。
街を歩きながら、ミトロフは興味深く周囲を観察していた。なんとも人が多く、ミトロフは何度も対向してくる人とぶつかりそうになった。
「おぬしが住んでいる街だろうに。そんなに物珍しいかの?」
「あんまり外に出たことがなくてさ。貴族街から外には行けなかったし」
迷宮の上に成り立っている街はいくつかに区分けがされてあった。迷宮からもっとも遠い場所は貴族街とも呼ばれ、富裕層が居を構えている。
今まで貴族街で、さらにいえばほとんど邸宅の中で生活していたミトロフにとって、商業区の騒然とした活気や、埋め尽くすような人混みには呆気を取られるほどだった。
「これ、迷子になるでないぞ」
ふらふらと覚束ないミトロフに、グラシエが苦笑する。
「グラシエは森からやってきたんだよね? ずいぶん慣れてるみたいだ」
「昔から出入りしておったからな。狩猟した物を売るにも、生活品を買うのにも、われが担当しておった」
グラシエの足取りには迷いがない。人混みの隙間を縫うようにすらすらと歩く。
ミトロフはグラシエのすぐ後ろをついていくのが精一杯である。
「迷宮での消耗品はギルドで揃えられるでな。今日はおぬしの防具と、われの矢の補給をしよう。あとは、そうさな、剣の手入れはどうする?」
「そうだ、それも必要だ」
今まではろくに使ってもいなかったレイピアである。手入れといっても、油を塗って磨くくらいのものだった。
しかしここ数日で魔物を切り、刺し、ゴブリンの持つ鉄の武器を弾いてきた。欠けや金具の緩みなどがないかは不安になる。確かな目を持った職人に手入れしてもらいたい。
「ならば鍛冶区まで足を伸ばそう。あの辺りにはドワーフが多い」
「やっぱり、鉄といえばドワーフ?」
「そうじゃな。無骨で無口で偏屈なものばかりじゃが、鉄を打つ腕は良かろう」
エルフとドワーフは仲が悪い、という話を、いつか書物で目にしたことがある。
それは実際どうなのか、と訊いてみたいと思ったが、ミトロフは黙っておいた。
大通りから離れると、どんどんと人の数は減っていく。
鍛冶区に入れば、道を歩くのは一目で冒険者と分かる者ばかりで、ミトロフはようやく落ち着けた。
通りには刀剣を扱う店が構えられている。そのどれかに入って品物を見れば良いわけだが、ではどこに入るか、というと、これも悩ましい。
とりあえず、手近な店に向かう。グラシエが後ろから「あ、これ!」と呼び止めてくるが、ミトロフは気にしなかった。
周りに比べていっとう立派な店構えである。出入り口には扉係りが立っており、ミトロフが近づくと、扉を開いた。
中に入ると、すぐに一人の男が寄ってきた。
「本日はどういった御用でしょう?」
「防具が見たい。それと剣の手入れもしたいんだ」
「なるほど。それでしたら当店で間違いございません。防具は、従者の方に?」
「いや、僕が」
「……は?」
きょとんとした顔をされて、ミトロフも同じ顔を返してしまう。
従業員はさっとミトロフの全身を眺める。ミトロフは視線の意味と動きをしっかりと理解した。
そうだった、今日も作業着で来ているのだ。
ここはどちらかというと、貴族が見栄えの良い武具を買う店なのだろう。そこに冒険者の格好で、しかし立居振る舞いは慣れた貴族のようなミトロフが来たことで、どうにも戸惑っているらしい。
ミトロフはしまったな、と鼻を掻いた。
「……いや、ちょっと用事を思い出した。出直すよ」
と告げて、さっさと退店する。
すぐそこでグラシエが待っていた。
「習慣って怖いね。まだ貴族の気分だった」
「それはまあ、仕方なかろう。このような店に迷いもなく入っていくから、われのほうが怖気てしまったわ。おぬし、本当に貴族だったんじゃな」
「これからは自分のお金で生活するってことを、ちゃんと忘れないようにしなきゃ」
貴族というのは金に頓着がない。いかに見栄を張り、いかに自分を着飾り、価値を高めるかという考えである。
三男だったミトロフは、そうした価値観に従って好き放題に金を使う立場にはなかった。
しかしそれでも貴族としては余裕がない、というだけで、一般的な平民からすれば、高価な物をためらいなく消費していたのは間違いないだろう。特に、食に関しては。
「グラシエ、適当に店を選んでくれないかな。僕は相場がわからない」
「良きかな」
頷いて、グラシエはひとつの店を選んだ。




