太っちょ貴族は知識を求める
古い言葉で“叡智を置く場所“と名付けられた建物がある。国が管理する大書庫だ。屋内には見上げるほどの書架が並び、そこに本が無数とも思えるほどに並んでいる。
街人であれば誰でも利用はできるが、出入り口には衛兵が立ち、入るにも出るにも手荷物を検査される。
本は高級品だ。盗むことだけでなく、汚すことにも傷つけることにも罰則は厳しい。手が汚れているだけで入ることは許されない。
街人は“紙の王の宮殿“などと言って揶揄するほど、規則に支配された場所であった。
屋敷に住んでいたころは屋敷の中に書庫があり、そこで手ごろな本を見つければよかった。なにか新しいものが欲しければ執事に言って商人に持って来させた。
それも今は遠い話。本が読みたいと思ったときには、本のある場所に自分で行かねばならない。
行く場所も、その目的も明確に定まっていれば、行動を起こすまでの負担は軽くなる。ミトロフは期待外れだった本を戻し、また次の本を探して、書架の間をゆっくりと歩く。
取り扱われている項目ごとに書架は分けられているが、ミトロフの求めるような本はなかなか見つからなかった。題名を流し見しながら、新たに見つけた一冊を取ると、閲覧席に足を向けた。
大書庫の閲覧席に座る人は多くない。浴場のほうがよほど賑わっているだろう。街の喧騒を壁の向こうに、静けさと青い陰が敷かれた空間の中で、ミトロフは古びた紙のかび臭さを鼻に感じていた。
手ごろな席に腰を落ち着けると、本を捲った。
それは”錬金術師”が著した書物であるらしい。知識と魔力によってこの世の事象を操作する”魔法使い”に対し、知識と観察によって世界の構成を分析するのが”錬金術師”だった。
ミトロフも彼らの存在を知ってはいる。
鉄や銅から金銀といった希少金属を生み出そうとした話は有名だが、人の病は”細菌”という目に見えぬほど小さな生物の影響であるなどという主張をしたことで、治癒の奇跡を扱う教会から邪教とまで呼ばれたという歴史を学んだことがある。
総じて”錬金術師”と呼ばれる人々は、この世界をこれまでとは別の視点で解釈することを目的としており、それを彼らは”科学”という新しい学問であると自称している。
ミトロフはページを捲っていく。興味深い項目は多いが、求めているのは”雷”についてだった。
これまでの何冊もの本では、雷への知見は得られなかった。そもそも雷についての言及は薄く、あったとしても宗教上の逸話などに絡められており、”雷”そのものについては書かれていない。
ミトロフが求めているのは、宗教学者による『聖書における”雷”の象徴的な役割について』ではなく、現実問題として『雷をどう防ぐか』だった。
そのために必要なのは、雷が神の力の具現化であるという神話ではなく、嵐の夜に光り轟音を発する天候の現象としての雷の知識だった。
幼いころから家庭教師が傍に立ち、望まずとも学ぶことを身につけさせられたミトロフは、物事を考えるための知恵の土台を手に入れていた。
生きることだけで精一杯の日々で、考えること、知識を得ることは贅沢である。貴族という生まれの余裕のために、ミトロフは”雷とは何か”という”問い”を持つことができる。
そしてついに、雷について書かれたページを見つけた。初めのうちはただ眺めるように目だけが文字をなぞっていたが、いつの間にかのめり込むように読んでいた。
読書とは食事に似ている。それぞれに味わいがあり、満たされるものを見つけてしまうと、手が止まらない。
ページを読み終えると、ミトロフは「ほう」と息をついた。”錬金術師”の研究は、ミトロフにとっては”神の力”のひと言よりも説得力がある。
「雷とは”デンキ”のこと、か」
冬に羊毛の服を着て金属のドアノブに触れるとき、手にばちりと痺れが走る……それが”デンキ”であるという。
この本を書いた”錬金術師”は、嵐の日に凧をあげたらしい。凧糸に金属の鍵を通していたことで、その鍵を通じて”デンキ”が流れた……ゆえに”雷”とは決して”神の力”などではなく、巨大な”デンキ”の塊である、と。
その断言ぶりは清々しいほどだったが、ミトロフですら眉根を寄せてしまうものはある。
腹の底を震わせるような雷鳴と閃光は、神々しさを纏った畏れを感じさせる。人知を超えた力の奔流に間違いなく、あれは”神の力”だと信仰する気持ちが理解できるのだ。
この”錬金術師”が書くところでは、雷は地面から突出した物に目掛けて落ちる性質があるらしい。教会の尖塔や城に落雷が起きやすいのはそのためだと。
古来より落雷で破壊されてきた家屋は数知れない。それを防ぐためにこの”錬金術師”が考案したというのが……。
「これが……なるほど……興味深い……」
手書きの絵があり、説明はわかりやすい。それが果たして効果があるのかは試してみなければ分からないが、無策で挑むよりは期待が持てるだろう。
ミトロフは内容を繰り返し読んで頭に入れると、本を閉じて作者を確認した。
「ベンジャミン・フランクフルト、か。覚えておこう」
ミトロフは本を書架に戻すと、雷の対策のための道具を求めて街に繰り出した。




