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アカシックワールド

作者: 竜月

 アカシックワールド。

 この世界の歴史は、人間にあらざるモノたちとの闘争の歴史であった、と言っていい。


 はじまりは120年前。

 人間とも獣とも違う、新たな種族、神話や伝説に生きた『架空種』が次々と発見され、そし て科学的に証明されていった。

 見つかった『架空種』と、順番は以下の通り。


『天使』…白い羽が美しく、温厚と冷徹を兼ね備えた種族。


『悪魔』…黒い羽が妖しく、気紛れで快楽主義的な種族。


『吸血鬼』…血を啜り生きる不死者。鬼の一族。


『殺人鬼』…命を終らせて生きる不死者。鬼の一族。


『妖精』…小さな躯と(はね)を持ち、悪戯に惑わせる種族。


『幽霊』…死したモノの残留思念。個体差の激しい種族。


『魔法遣い』…魔の路を追い求め、狂気に染まった元人間。


『竜』…つい最近発見された、巨大な体躯と鋼の鱗を持つ種族。


 人間は強大な力を持つ『架空種』を恐れ、『架空種』もまたそんな人間を忌み嫌った。

 そして120年繰り返されてきた闘争の歴史。

 勝ったり負けたり痛み分けたりをしながら、それでも決定的な決着は付かなかった。

『架空種』が一枚岩ではなかったからだ。

 彼らには彼らの個別の思惑があり、隙あらばいつでも他種族の背中を狙っていた。

 それが三竦みならぬ九竦みのような状態を生み出し、現在までやってきたのだ。



 ここに一人の少年がいる。

 年の頃は13、14くらいだろうか。繊細な金髪に華奢な体躯。貴族風の衣裳に身を包み、美形ながらも未だ「可愛い」という言葉が似合いそうな風貌に似合わぬ、身長ほどの大剣を背に負っていた。


 彼の名前はプルート。

 近い将来、120年の闘争を終らせ、アカシックワールドの初代統一王となり魔王となる、偉大な人物である。


 けどそれはまだまだ先のお話。


 では語りましょう。

 アカシックワールドに刻まれた、プルートの物語を。


■□■


 今は太陽の昇っている時間の筈なのに、木々が幾千も重なり合って、深くて暗い森の奥。

 二つの陣営が殺気を滲ませて向かい合っていた。

 パパパパ、と小刻みに炸裂音が鳴り響いて、鋼の弾を受けた木々は穿たれ、葉は虫食いになり散っていく。

 人間側のマシンガンによる攻撃だ。

 森の奥の未だ見えぬ『架空種』へ向けて、横並びの陣で斉射していた。


「うひゃあああ! わぁわぁ! 怖いこわいよー」

「よーしよし。だいじょうぶだからね。怖くない怖くない」

「こら! 護ってるのはあたしだぞ」


 その銃声の震源地から十数メートル横に離れたところに、一人の少年と二人の女性がいた。

 少年はプルート。銃弾は彼を狙っているわけではないけれど、銃声が怖いのか小さくしゃがみこんで震えている。

 そのプルートを、一人の女性が包み込むように抱きしめていた。

 地面についてしまいそうな長い金髪に白いドレス。

 女性的にほっそりとした躯で、彼女はプルートを胸に抱いたまま慈愛の微笑みを浮かべていた。

 ただ異質なのはその背。小さな背中からは白く煌めく羽が生えていて、ヒナを護るが如く二人を包み込んでいた。

 彼女の名前はミシェル。いと高き『天使』だ。


 もう一人、二人の前に立ちはだかり、たまに飛んでくる木片や流れ弾から躯を張って防いでいる女性がいた。

 真っ黒の髪にタートルネックセーターとカーゴパンツ。飛来物をめんどくさそうに片手で弾きながら、後ろでいちゃつく二人を睨んでいる。

 彼女の名前はリンドブルム。畏敬される『竜』だ。

 今は人間の姿をとっている。


「ちょっとリンドブルム。大声出さないでよ。プルートちゃんが怖がるでしょう」

「なんであたしが怒られる!? 護ってんのはあたしだっつってんだろ!」

「まったく怖いお姉さんですねー」

「ミシェルてめえこの野郎!」


 あまり仲の良くなさそうな二人だったが、そこは流石の『天使』と『竜』。言い争いながらも、プルートだけは完璧に護っていた。

 プルートもその安心感から、徐々に落ち着きを取り戻す。

「もうだいじょうぶだから、ミシェル。リズもありがとう」

 プルートはミシェルの羽の庇護から立ち上がって、二人に頭を下げた。

「いいのよ。私がプルートちゃんを護るのは当たり前なんだから」

「あ、あたしも……別に礼なんかいらねえよ」

 二人に微笑みながら、プルートは銃声の鳴り響く暗闇に眼を凝らす。


 と、そこでようやく銃声が鳴り止んだ。

 人間側は敵の様子を見ているようだ。

 プルートたちも、息を潜めて視線を送り続ける。



 ――人間の判断は、どれも間違っていなかった。

 間違っていたとすればそれは、彼女に戦いを挑んだことだろう。



 大量の銃弾に穿たれぼろぼろになった森の闇から。

 黒く滲みだすように、一人の女性が現れた。


 漆黒のマントに身を包み、淀むほど黒い長髪を揺らし、薄い微笑みを浮かべている。

 その口元だけが、真っ赤に熟れていた。


「愚かな……人間ども――」


「くっ、撃てえっ!」

 その言葉に、人間側のマシンガンが再び火を噴く。

 しかし彼女は闇に溶けるように姿を隠し――、再び現れた時には、既に将軍の首を掻っ切っていた。

「フフ、脆いな」

 間欠泉の如く吹きあがる血飛沫。

 自分たちの大将の血のシャワーを、人間たちは全身に浴びて。

「う、うわああああぁぁぁっっっ!?」

 そして起こる大恐慌。

 姿を消しながら人間の間を移動する彼女に、人間たちは自らの銃弾で同士討ちを繰り返す。


 彼女が現われてからものの一分も経たない内に、人間は全滅してしまった。


 赤く沈んだ血の丘で、全身を真っ赤に染めた彼女は爪から垂れる血液を舌根に落とす。

 彼女は『吸血鬼』カミラ。


 今回僕たちにきた依頼は、彼女を殺すことだ。


■□■


 町に入った瞬間に、「領主が謁見をお望みです」と招かれた。


 執事らしき老人に案内され向かった先は、街で一番のお屋敷。豪勢の限りを尽くしたかのような内装で、プルートは素直にすごいすごいと驚きながら、執事の後をついていった。

「こちらで御座います」

 そして、三人はこの町の領主であるらしい人間と面会した。

 薄い茶髪のでっぷりと肥えた良い体格の男で、大きなソファーに腰掛けている。


「よく来てくれた御三方。私が領主のサルバトーレ・ドニだ。さあ、座ってくれ」


 テーブルにはワイン。三人も薦められたが誰も飲まなかった。

 プルートが早速話を促す。

「それでぼくたちにお話とはいったいなんですか?」

 領主はそれを遮った。

「その前にひとつ確認したい。君たちがあの『アンヴィバレンス』なんだな?」

 プルートたちはそれぞれ顔を見合わせる。


『アンヴィバレンス』とは、プルートたちのチーム名だ。

 彼らは『いかなる者からのいかなる依頼でも金と気分次第で受け入れる』、と言う看板を掲げて便利屋のような稼業をやっていた。

 その看板と、『架空種』と人間の混じったチームと言う物珍しさから思わぬ難依頼が舞い込むことが多いが、今まで頼まれたすべての依頼を解決してきた彼ら『アンヴィバレンス』の評判は徐々に高まっていた。


 ミシェルが話を続ける。

「ええ、その通りですが」

「じゃあ『ボルガの魔法遣い』を倒したのも本当か?」

『ボルガの魔法遣い』――。数か月前に依頼を受けて倒した、人の路から外れてしまった『魔法遣い』だ。

 プルートは肯定する。

 それを聞いた領主は、眼に見えて喜びを(あら)わにした。

「良かった! これは天恵だ。貴方たちに依頼する。どうか、我が町を救ってくれ!」

 領主は大きな躯を折り曲げて、頭を下げた。

 その言葉、「依頼」と聞いて、今まで興味なさげに背もたれによっかかっていたリンドブルムが口を開く。

「すべては金と気分次第。内容を話しな」

 領主にするには随分と不遜な態度だったけれど、彼は嫌な表情ひとつ浮かべなかった。





「『吸血鬼』、ですか」

「そうなんだ。三か月前から、この町の近くの森に棲みついている」


 彼の話を(まと)めると、森に住みついた『吸血鬼』が町の人間を襲っているということだった。

 そしてその『吸血鬼』のリーダーを『アンヴィバレンス』に退治して欲しいと言う依頼だ。

 彼は長々と語っていたけれど、つまりはそれだけの話だった。


 プルートは既に飽き飽きした態度を隠そうともしないリンドブルムを宥めながら、懸命に話を聞いていた。

「全くあいつらは非道の限りを尽くしているのだ! 一週間前だって町の子どもが……う、ゴホッゴホッ!」

「いけません旦那様。お薬を」

 激しく()せ始めた領主に、執事が何かの薬と水を差しだす。

 領主は慌ててそれを飲み干すと、大きく息を吐いて背もたれによりかかった。

「どこかお悪いんですか?」

 ミシェルが尋ねる。

「ああ、少しだけ躯の調子が悪くてね。……私ももういい年齢だ。この座にいれるのもそう長くはあるまい。それまでに何としても、『吸血鬼』の問題だけは解決したいのだ」

 領主は息を整えながら、そんな決意を語った。

 ミシェルはプルートを見る。

 あくまで『アンヴィバレンス』のリーダーはプルートだ。依頼を受諾するかどうかの決定は、彼が下す。

 プルートは、ミシェルに向けて小さく頷いた。

「解かりました。ぼくたち『アンヴィバレンス』は貴方の依頼を受けます」

「おお! ありがとう、ありがとう」

 領主は満面の笑みで、何度も何度も頭を下げる。

 次いで執事が、

「今日はこのお屋敷にお泊りください。明朝、旦那様の私兵に森へ案内させます。それとですね……」

 彼は言い難そうに口を噤む。

 プルートが促すと、執事は申し訳なさそうな口調で言った。

「町には出ないで頂きたいのです。その……申し上げにくいのですが、『架空種』の方がいらっしゃると……」

「いいですよ」

 プルートはすぐに了承する。人間の『架空種』に対する恐怖や蔑視(べっし)の感情は、どの町でも変わらない。ミシェルとリンドブルムも嫌な顔をしたりはしなかった。

 それがプルートは少しだけ気に喰わない。まるで諦めているみたいで。


 リンドブルムが「じゃあこれが契約書な」と金の話を始めたのを横目に、プルートはひとつ領主に尋ねた。


「そうだ、『吸血鬼』のリーダーの写真や、特徴・名前は解かりますか?」

「写真はないが……特徴は黒々とした女。名前は、カミラと言うそうだ」


■□■


 案内してきた領主の私兵たちをあっさりと犠牲にしてカミラを誘い出した『アンヴィバレンス』の面々は、森を歩いていくカミラの後をつけていた。

 ただ気配を消すだとか認識阻害だとかの補助魔法は妖精族の専売特許で、『アンヴィバレンス』のメンバーは誰も使えなかったので、特別なことはせず木々を影にして追い掛けているだけだ。

 尾行がバレている可能性極めて高いけれど、それならそれで良いとプルートは考えていた。


 その内、カミラの歩く先に一軒の古城が見えてきた。

 ドームのように上空を木々で覆われて、暗い暗い森の中で、その城は異彩を放っている。

 とにかく暗い。数えられる程しか灯っていない松明のみがこの城の照明で、とても誰かが棲んでいるようには見えなかった。

 しかし、カミラは平然とその城へ向かって行く。

『吸血鬼』の居城だ。それぐらいが自然なのかもしれない、とプルートは思った。

「どう? リズ」

「ああ、間違いねえ。プンプン匂いやがるぜ。血と、『鬼』の匂いがな」

 リンドブルムは昂ぶりを抑えきれないとばかりに唇を舐める。

 プルートはここが『吸血鬼』のアジトと確信し、再びカミラの後をつけた。


 カミラが城の門をくぐり、そしてプルートたち三人が門をくぐった――その瞬間。

 鉄扉が勢い良く締まり、周囲の暗闇から多くの『吸血鬼』が滲みだし、そして、カミラが妖艶に振り返った。


「めずらしいお客様ですね。『天使』と『竜』と……人間ですか」


 やはり尾行はバレていたらしい。ついでに人間が嫌いみたいだ。マントの下で手を震わせたプルートは、カミラの口調からそう感じた。

 周りの『吸血鬼』から向けられる殺気と血への欲情を感じながら、それでもミシェルとリンドブルムより前へと進み出る。

「ちょっとお話があるんだけど……そちらに聞く気はないかな?」

「ありませんねェ。人間サマのお話なんて怖くて怖くてとてもとても。耳を塞いで仕舞いますわ」

「そっか……。それなら仕方ないね」

「ええ。仕方ありませんわ」


 一瞬の沈黙。

 そして――轟音と砂煙。


 見ると、先程までプルートが立っていた場所はカミラの鋭利な爪で爆発したように抉られ、プルートはミシェルの胸に抱かれていた。

「決裂だよ。ミシェル、リズ」

「解かったわ」

「了解! 殺していいのか?」

「不許可だよ。交渉のための戦いなんだからね」

 毎回の戦いの度、その相手を殺していいかどうかはプルートが判断することになっている。

 今回プルートは殺害を認めなかった。

『吸血鬼』たち十数人が、三人に飛びかかって来る。

 不死者である『吸血鬼』がそう簡単に死ぬことはないが、ミシェルとリンドブルムはそれを守って戦いに入った。


「おいで『鬼』の眷属たち。清浄なる『天使』の戦い、見せてあげましょう」

『天使』のミシェルは、魔法と剣を組み合わせた戦い方を得意とする。

 火で怯ませて、斬りかかる。

 剣で突いて、雷をほとばしらせる。

 更に簡単な魔法ならば身に纏った聖気だけで弾き飛ばし、物理攻撃は羽で縦横無尽の回避を可能としている。

 そうした隙のない攻防が彼女の特徴だった。

『吸血鬼』相手に彼女の聖気は有効らしく、次々敵を(ほふ)っていく。その姿は絵画のようだった。


「ハハハッ! かかってきやがれ!」

『竜』のリンドブルムは剛力と鋼の防御を特徴とした力押しファイターだ。

『吸血鬼』も怪力には中々の定評があるのだが、とても『竜』には叶わない。

 彼女は近づく者をちぎっては投げちぎっては投げ、『吸血鬼』の攻撃を幾ら受けてもたじろがずに跳ね返していた。鋭利な爪すらも彼女を傷つけることは出来ない。

 リンドブルムの手は獣のように変化し、近づく『吸血鬼』殴り飛ばす。

 あれは『竜』の力の部分的顕現。本来は巨大な『竜』である彼女は、人間の姿をとっていても部分的にその力を顕現させることが出来るのだ。

 手のみを顕現させるだけで『吸血鬼』の一団を圧倒しているリンドブルムは、どう見ても余裕であった。


 そして残るは、プルートとカミラ。

「あのお二人は随分と強いんですね。一兵卒とはいえ複数でかかっても歯がたたないなんて」

「彼女たちは同種の中でも上位種だからね」

「だけど、貴方はそんなに無防備でいいのかしら? 人間なんて簡単に(くび)り殺せるんですよ?」

「問題ないです。カミラさんを大人しくさせるのはぼくの役目ですから」

 プルートはそう言って、背中の大剣に手をかける。

 長すぎて上から引き抜くことは出来ないので、横にずらして、剣を抜き放った。


 ――鋼に数限りなく刻まれた文字は呪文。

 様々な付加をもたらす、人類生粋の技法。


 それを見たカミラは眼を見張る。

「それは……加重喪失、加速、透過、対魔、腐食の呪咀、聖気、呪咀護法、加圧、硬化、催眠、幻惑、時空制御……とんでもない数の呪文が描いてあるわね」

「この剣はぼくの生涯の歴史だからね」

「――貴方、呪術師なんだ」

 カミラの表情に多少緊張の色が混じる。


 呪術師とは、力を込めた呪文を描くことで物体に様々な力を付与させる者のことだ。

 しかしフィードバックがあり、失敗すると自分に跳ね返ってくるというリスク。

 そして習得が難しく、百人に一人程しか呪術師にはなれないと言う難易度。

 加えて、なるならば魔術師を目指すと言う人間の方が遥かに多いことから、呪術師は極めて稀だった。

 更に戦場に立つ呪術師ともなれば、もういないといっても過言ではない。

 呪術師の本来の仕事は町の店や陣の後衛で、戦う者の武具に呪文を描くことなのだ。


 一つの物体にあれほどの呪文を刻むには、公式に編み出された呪文を独力で効率的に簡略化し短縮しなければならない。

 カミラたち『吸血鬼』は一目見ただけでそこにかかっている呪文や魔術を解析することが出来る、と言う特殊能力を持っていたが、長寿のカミラでもあれほどの呪文が刻まれている武具は見たことがなかった。

 微笑みを浮かべながらも、内心でプルートへの警戒レベルを幾つも引き上げる。

 カミラでも読み取り切れないほどの呪文が描かれた武具は、それだけでも驚異に値する。

 斬られるどころか触れるだけでも――いや、近づくだけでも何があるか解からない。

 呪術武具とはそう言うものだ。


「それで? かかってこないならこっちから行くわよ?」

 その上で、カミラは余裕の態度を崩さなかった。

 彼女はこの『吸血鬼』の部族を束ねる長。誰よりも強く、気高くなければつとまらない。

 あれほどの呪術武器であろうと、扱う者が人間――ましてやあんな気弱そうな少年――では負けるはずがない、と確信していた。

 そしてそれは、確かに正しい判断だった。

「どうぞ。かかってきてください」

 プルートが大剣を躯の近くで構え直す。

 頬から一筋の汗が垂れるが、プルートにそれを気にする余裕はない。

 眼を切るわけにはいかない。たとえ動きを見切れなかろうとも。


 一撃で決める――。

 カミラは人間の眼では捉えきれない速度で背後に回り、一撃で潰してやろうと決めた。

 あの剣に何もさせない内にシンプルに殺す。何の付与がかかっているか解からない物に付き合う気はさらさらなかった。


 ――ァア――ヴゥゥ――。

『天使』と『竜』と『吸血鬼』の激しい戦いの音を聞きながら、プルートとカミラは静かに先 手をうかがいあう。

「君、名前は?」

「プルートです」

「随分若いのに…呪術師なんてめずらしいわね」

「ぼくの趣味にあってたんですよ」

「それに『天使』と『竜』と一緒にいる人間だなんて……」


 アカシックワールドでは120年間、種族間の争いが続いている。

 比較的優良な関係を保っているのは人間と『天使』くらいで、その他は争う内に自然と棲み分けがなされ、いつでも他種族の領土と生命を狙い合っていた。


「ミシェルもリンドブルムもぼくの大事な仲間だよ」

「ミシェル? あの『天使』ミシェルって言う名前なの! ハハハッ、ミカエルが『竜』と一緒にいるだなんて面白いわね!」


 場違いな笑い声が夜の闇に響く。

 ひとしきり笑ったカミラは、楽しそうな素振りのまま軽く手を振るった。

 全ての爪が30センチほどに伸びて、笑顔の裏に殺意が滲む。

 プルートはタイミングを計りながらも、掌に汗が滲むのを抑えきれない。しっかりと剣を握り直した。


「貴方なかなか楽しい子だから、もし木端微塵になってなかったら私の眷属にしてあげるわ」

「丁重にお断りします」


 それが合図。

 カミラの姿が消える。その動きをプルートは追い切れていない。

 背後に音もなく停止したカミラ。その眼下には小さな金色の頭。

 カミラにとっては花を手折るような容易いこと。

 間髪いれずに右腕を振り下ろした――。



 ――カミラの判断は、どれも間違っていなかった。

 間違っていたとすればそれは、与えられた前提条件の方だ。



 右腕は隕石の如く、地面を吹き飛ばす。

 強風と岩と砂煙が巻き上がり、周りの人間は腕で眼を覆って風に耐え、鉄扉はギシギシと揺れ、遠くの松明は吹き消えた。

 それだけだった。

「――え!?」

 そこにプルートの姿はない。

 カミラの手にも、人間を潰した感触はなかった。

 人間に避けれる筈のない攻撃だったのに。

 プルートに避ける素振りもなかったのに。


 ――その思考が、彼女の警戒を一瞬途切れさせた。


「――ッ!? グゥッ!」


 痛みが、カミラの意識を覚醒させる。

 右肩に眼をやると、そこには深々とナイフが突き刺さっていた。

 カミラは反射的に次の攻撃を回避するべく動こうとして――すぐにその努力の無為に気が付いた。

「フ、フフフ。やってくれるわね」

「かなり貴重な代物なんだけど。貴女を止めるためなら惜しくないよ」

 プルートの声がカミラの背後から響く。

「まさか“拘束”の呪文のナイフとは……」

 カミラはその解析力でナイフを見た瞬間に気が付いた。

 右肩に突き刺さったナイフには、対象の四肢をその場に拘束する呪文が描かれていた。

 誰かに抜いて貰おうにも、自分の仲間たちは『天使』と『竜』に圧倒されている。時間をかければカミラならば破れないことはないが、そんな時間、待ってくれる敵はいないだろう。


 プルートは背中側から正面へと歩み出た。大剣はもう鞘にしまわれている。

 カミラは自分の窮地を感じながら、それでもどこか清々しい気持ちがあった。

「その大剣は単なる囮。本命は“拘束”だなんてね。この私でも初めて見たわ」

 拘束の魔術は大変強力で使い勝手のいい呪文であるが、習得どころかその呪文が記されている文献自体、(ほとん)ど存在しなかった。現存する本は全て国営図書館の禁書室に納本されている筈だ。

 そんな呪文を少年が使える理由は解からなかったけれど、それほどのモノに敗北するのならばそれもまた良しと、カミラは感じていた。

 所詮は『鬼』の一族。力こそが存在の絶対とまではいかないまでも、大きな割合を占めているのだ。


 カミラは不死者。そうそう死ぬことはないけれど、痛めつけられる前にひとつだけ聞いておきたいことがあった。

「教えて。私の攻撃をどうやって避けたの?」

 プルートは無言で羽織っていたマントの片側を捲くりあげた。

「それは……“転移”の呪文ね。それで私が攻撃した直後に背後へ転移したの。……でも、どうやって? 貴方に私の動きを見て追うことは出来ない筈。どうやって私の攻撃の瞬間を見極めて転移を発動したの?」


 呪文は描き方によって発動の仕方が異なる。


 常時発動しているもの。

 時間指定で発動するもの。

 自らの意思で発動するもの。


 この三種類があり、呪術師は描く武具の種類によって描き分けていた。


 常時発動はその名の通り、描いた直後から壊れるまで常にその力を発動し続ける。最も単純で描くのも簡単な呪術なのだが、問題は敵にその武具を奪われてしまった時だ。それでも発動し続けてしまう常時発動は、ともすれば諸刃の剣だった。


 時間指定発動は決められたタイミングで発動する呪文で、主に毎日時間通りに動かす跳ね橋や時計などに使われていた。物騒なところでは爆弾に使用する、などと言う用途もあったが、戦場では使いづらい呪術だった。


 そして最後。

 意思によって発動させる描き方は近年開発された画期的な呪文形態で、最も使い勝手が良いものではあった。ただ発動時間が短いので武具に使うには技量がいる。剣ならば斬りつけた瞬間に、防具ならば攻撃を受ける瞬間に発動させなければならないのだ。だが難しいとは言え、未だ未知の可能性に満ちた発動方法だった。


 魔術師ならばその都度選びとってかけられる魔術だが、呪術師は一度描いたら変えがきかない。

 これも呪術師が不人気な理由だった。



「意思で発動させるような(いとま)は与えなかった。なのに貴方はちょうどのタイミングで転移して見せた。ねえ、どうやったの?」

「簡単だよ」

 プルートは逆側のマントを捲くり上げる。

「時間指定で転移したんだ」

「時間指定って……そんな描き方じゃちょうど転移するなんて出来っこない……いや、待って。そんな。でも……まさか貴方、私にあのタイミングで仕掛けさせるように誘導したの!?」

 それを聞いたプルートは無邪気に微笑んだ。

「正解。描いたのはカミラさんが振り返った直後。実はカミラさんの性格や力は前から知っていたんだ。有名な『吸血鬼』だからね。貴女が本気で攻撃にきたらぼくには見えないことは解かっていた。だから時間を指定しておくしかなかったんだ」

 命懸けだったけどね。プルートはあっけらかんとそう言った。

 カミラは信じられない面持ちでそれを聞く。


 つまり私の思考を読み切られていたのだ!

 どんな会話をすると喰いつくか。どういう攻撃をしてくるのか。わたしのスペックはどれほどか。

 そんなすべてを!


「……ふふっ、ふ、ははははははっ!」

 カミラはもう可笑しくてたまらなかった。

 四肢が拘束されていなければ、腹を抱えて笑っていただろう。

 プルートもそれを微笑んで見守っていた。

 その瞳には真実、慈愛が宿っていた。

 人間にこんな眼を向けられたのは初めてだな。カミラは数百年の歴史を振り返って、そう思った。




 ミシェルとリンドブルムと『吸血鬼』たちとの戦いも終わり、『吸血鬼』たちは力を使い果たしてそこらに倒れ、ミシェルとリンドブルムは多少の傷や疲れはあるものの余裕の様子でプルートの傍らに立っていた。


 三人の前で、拘束されたカミラは、ようやく笑いをおさめる。

「ふぅ。久々にこんなに笑ったわ」

 まだ笑顔のカミラは、プルートに視線をやる。

「それで私をどうするつもりかしら? 殺そうと思ってもそう簡単には死なないわよ」

「リズ。契約書を」

 プルートはカミラの言葉を無視して、リンドブルムから契約書を受け取る。それをぺらぺらと捲って眼を通して、そして言った。

「契約では貴女を殺して、そして証明として死体を持って行くってことになってるんだ」

 ああそうなの、とカミラが納得しかけた時、プルートは持っていた契約書をまるでゴミのように放り捨てた。

 リンドブルムもミシェルも、その行動を咎めない。

 謎の行動に、カミラは眉をひそめた。

「けれどその前に、聞かせてもらいたいことがある」

 プルートはカミラの眼の前まで歩み寄った。


「ねえ、カミラ。君はどうして人間を襲ったんだい?」


 カミラは一瞬表情を消した。

 その表情にはどんな感情も浮かんでいないようで、それでいて強い感情が見えるようでもある。

 しかしすぐに、

「そんなの、食糧に決まっているでしょ? 私たちは『吸血鬼』。血を啜って生きる『架空種』なんだから」

 と言い放った。

 その言葉をしばらく味わうように聞いていたプルートだったけれど、

「まったく……敗者の末路はそうあるべきだとでも思っているの? それはカミラの勝手な思い込み。敗者の処遇は勝者が決めるんだよ。契約書じゃない」

と、少し怒った様子でカミラに問いかける。


 その言葉の意味は。

 その言葉の意味は?


「さあ聞かせて。君はどうして人間を襲ったの?」

「…………」

「さあ」

「……断る。一方的に教えてくれだなんて、意地が悪いわ」

「うーん、しかたないなぁ」

 いじけるカミラを年長者のように諭すプルートと言う奇妙なやり取りがしばらく続いて、その強情さに頭をかいたプルートは、もう一歩カミラに近づいた。

 まるでキスするかのような距離。

 カミラは四肢を拘束されているだけだ。

 噛みつくことだって出来る距離。

 プルートはおもむろにカミラに手を伸ばした。


 優しい手が右肩のナイフに触れる。

 その動きを追っていたカミラの眼の前で。

 プルート自身の手で“拘束”の呪文は消されてしまった。


「…………は?」

 呆然とするカミラの肩から、ただの刃物と化したナイフが抜き取られる。

 痛みも、噴き出す血も、自由になった四肢も、カミラの意識になかった。

 ――何故? 

 意味の解からないプルートの行動に、その疑問だけで思考が埋め尽くされていたから。

 プルートは抜き取ったナイフを、頭上に掲げる。

 カミラはそれを眼で追うだけだ。

 暗い夜に赤い月が昇る。

 切っ先から血が滴るそのナイフを。

 プルートは。

 一気に振り下ろした――。




 血飛沫が舞い散る。




「……な、なにしてるのよ!」

 叫ぶカミラの眼の前に。

 深く切り裂かれたプルートの腕があった。

 血がぼたぼたと地面に零れ落ちる。

「これが交換条件。だから本当のことを教えてよ」

 プルートは少し顔をしかめながら、血まみれの腕をカミラに差し出した。

「……! …………!」

 言いたいことが山ほどあって、頭の中で整理がつかなくて、言葉にならなくて。カミラはそんな混乱の果てに、諦観のこもった大きな溜息を吐いて、優しくプルートの腕をとる。

「馬鹿ね、貴方」

「ミシェルとリズにもよく言われるよ」

 カミラが二人を見ると、ミシェルは傷が心配でたまらない、リンドブルムは自愛しないプルートを叱り飛ばしてやりたい、けれど彼の行動は止められない、そんなもどかしい表情を浮かべていた。

 カミラは気付く。きっとこの二人は、こういうプルートだから惹かれているんだと。

 何故だかそんな二人に凄く共感してしまったカミラは、舌を伸ばして、傷口を嘗め上げた。

「――ンッ……ハァ」

 カミラは甘美なその味に酔い、プルートはなんだかくすぐったい感覚に身をよじらせる。

「敗者なんて、その契約書の扱いが正しいのよ?」

「それは勝者であるぼくが決める、って言ったでしょ」

「プルートは、『架空種』が怖くないの?」

「それを『天使』と『竜』を連れているぼくに聞く?」

 真理ね、とカミラは笑った。


 すっかり血を嘗め終える頃には、大きな傷口は新たな血が零れてこない程に塞がっていた。

不死身の『吸血鬼』の唾液の力だ。プルートは不思議そうに傷口を眺める。

 終わったのを見てとってミシェルが慌てて治癒魔法を唱え始めた。リンドブルムは両手でプルートのこめかみをぐりぐりいじめて不満を発散している。


 カミラは口元の血を舌で嘗めとって、そして口を開く。

「良いわ。そこまで言うなら教えてあげる」


 言った――。


「私たちは、この町では人間を襲っていないわ――」


■□■


 深夜。

 領主の家。

 薄暗い照明で、芳しいお香が焚かれた部屋。


「ガハハハハ! もっと酒を持って来い!」


 狭いワンルーム程はあるであろう特注サイズのベッドの上で、領主サルバトーレ・ドニは大きな躯に四人の女性を侍らせて上機嫌で酒をあおっていた。

 全員裸だ。この部屋で服を着ているのは、酒を提供している執事だけ。

「飲みすぎです旦那様。お躯に障ります」

「うるさい! もうそんなもの関係ないわ!」

 領主の一喝に執事はそれ以上は何も言わず、酒を乗せたお盆を近づいて来た女性に渡す。受け取った女性はベッドを這いずるようにして、領主の元に酒を持って行った。

 と、執事が眉間に皺をよせた。

 眼の前の饗宴にではない。扉の向こうに何者かの気配を感じたからだ。

 彼の中に一瞬の逡巡が生まれる。

 彼はほんの少しベッドの上の主に視線をやって、そして部屋の端に身を引いた。

 その判断に(あやま)たず、ドアは外側から強く蹴破られる。

「う、うわあぁ! な、なんだ!?」

「「キャアアアッ!!」」

 領主の驚きの声と、女性たちの甲高い悲鳴が部屋に響く。


 蹴り破ったのは、リンドブルムだった。次いでプルート、ミシェルと部屋に入って来る。

 領主はわなわなと震える指先で彼らを指差した。

「な、なな、なんでお前たちが、」

「『なんでお前たちが生きているんだ』、ですか?」

 領主の驚きの後を引き取って、プルートが言葉を続ける。

 領主はそれに息を止めて言葉を詰まらせたが、その態度が、発言が正鵠を射ていることを明確に表していた。

「やっぱりそうでしたか。ぼくたちがカミラを殺したら、案内の私兵にぼくたちを殺させるつもりだったんですね」

 領主は額に汗を滲ませて何も言わない。

 女性たちはみんな部屋の端に逃げてかたまって怯えていた。

「ハッ! なかなか舐めたマネしてくれるじゃねえか」

「まったくね」

 リンドブルムとミシェルは領主を睨みつける。

 プルートは片手を挙げて二人を宥めて、また口を開いた。

「彼らには『吸血鬼』と戦って貰いました。囮として見事に散って往きましたよ。彼らのお陰でぼくたちはカミラを見つけて、そして倒すことが出来ましたからね」

「『吸血鬼』を倒したのか!?」

 領主は眼を見開いてベッドの上で身動(みじろ)ぎした。肥え太り過ぎて、大きくは動けないらしい。裸の姿は領主の威厳もなにもない、哀れなものだった。

「ええ。倒しました」

「なんと……そうか――そうか! ハハハハハッ!」

 領主は狂ったように嗤い騒ぐ。ベッドを激しく叩き、軋ませて喜ぶ。

 それを見ていたプルートは、小さな声で、問うた。


「その喜びは、なにに対する喜びですか?」


「あ? ああ、そんなもの、領民の脅威がなくなったことに決まっているだろう!」

「そうですか――」

 プルートは、破顔微笑。


 その笑みはどちらかと言えば人間ではなく、魔に近かった――。



「アンタ嘘吐きだな。サルバトーレ・ドニ」



「な、なにを」

「カミラを倒した後、ここに来る前に町民に話を聞いてきたよ。『この町に吸血鬼は出ますか』ってな」

「――っ!?」

 領主が息を呑む。

「答えは否だ。誰も『吸血鬼』なんて話は聞いたことないってさ。つまり、全部アンタの創作だ。だから依頼を受けた後、オレらをこの館から出さなかったんだろう?」


 ――『架空種』が一緒にいると町民が怯える。

 そう言って執事はプルートたちが外に出るのを止めた。

 そして次の日はまだ夜も明けぬ内から私兵に案内させて出発させた。


「最初に(いざな)われた時も町の入り口でいきなりだ。結果、オレたちは一度も町民の話を聞かないままだった。狸に化かされたみたいな話だな」

「…………」

「じゃあアンタが『吸血鬼』を狩ろうとした目的はなんだったのか。……こっちは町で興味深い噂話が聞けたよ」

「…………」

「――アンタ、病気なんだってな。しかも余命を宣告されるような」


 町民は言っていた。

 もうすぐあのバカ領主は死ぬらしい。

 町の医者がそう言っていた。

 やっと横暴から解放されるんだ。

 そんな怨嗟を。


「つまりお前が求めたものは――病気の治癒であり、究極は不死。『吸血鬼』の心臓を焼いてその灰を喰えば万病に効くなんつー、荒唐無稽な逸話だろ?」


 それは古くから伝わる逸話。『吸血鬼』の心臓を焼き、その灰を病人に飲ませればたちどころに治ると言うお話。故人の墓を(あば)いて心臓を切り取る、なんて暴挙に出た人間もいるくらいに有名な話だ。

 人間の情念が創りだした、始まりの解からない夢。

 サルバトーレ・ドニが求めたものは、つまりはそう言うものだった。

「ったく、んな茶番に付き合わせやがって」

「…………」

「そんなことに命懸けたかと思うと、げんなりすんな」

「…………るい」

「アン?」

「…………『吸血鬼』を殺してなにが悪いッ!」

 領主は怒りに任せて叫んだ。

「『架空種』なんてみんな死ねばいい! 殺せばいい! この地は元々人間様の大地だ! 『吸血鬼』を殺して何を咎められることがある! みんなみんな死ねば世界は平和になるんだ! それをなぜ――」

「オイ」

 堰を切ったかのように叫んでいた領主だったが、プルートの小さな呟きですぐに口を噤んだ。

 愚かしい彼でも感じたのだろう。

 恐怖を。

 死の予兆を。

「なにくだらねえことくっちゃべってんだ。いつオレが『架空種』を殺しちゃいけないなんて言ったよ」

「……へ?」

「オレがまず怒ってんのはオレらを殺そうとしたことだ。そしてもうひとつ――アンタはオレらの名前、『アンヴィバレンス』の意味が解かってねえようだな」

 プルートは背中の大剣の柄に手をやって、領主に向かって歩き出す。


「『アンヴィバレンス』の意味は両価性。ひとつのものに相反する感情を持つ、って意味だ。愛と憎しみだな。つまりオレらは人間も『架空種』もどっちも大好きで、どっちも大嫌いなんだよ――」


 プルートはベッドに土足で乗り上げる。

「う、うるさい! この甘ちゃん坊主が! 餓鬼の分際で大人に説教垂れるんじゃねえ! さっさと心臓よこせ!」

 そこまで至っても、領主は強気に撥ねつけた。

 随分前からプルートの様子が変わっていることに、気付いていなかったのだ。


 ミシェルとリンドブルムが言った。

「まったく救えない愚か者ね」

「プルートは『架空種』のあたしたちを厭わずに認めて好きでいてくれる――それだけの理由で、あたしたちが主を選ぶとでも思ったのか?」

「『架空種』は少なからず力がすべて」

「『架空種』は少なからず力がすべて」

「プルートは誰よりも甘くて優しくて」

「そして――誰よりも恐ろしいんだよ」


 ズッ――。

 サルバトーレ・ドニの腹に、大剣が突き刺さった。

 同時に大量の呪文が発動する。

「ぐわあぁぁぁああああっっ!!??」

 領主の顔が、痛みと恐怖と、処理しきれない溢れた感情に染まる。

 突き立った剣の周りの肉がジクジクと腐り始め、臭気を発する煙が漂った。

 躯に病的な斑点が幾つも浮かび上がり、白目を剥き口からは泡を噴く。

 それを見て、プルートは剣を抜きとった。

「強欲は身を滅ぼすな」


「じゃあな。さようなら」


 二種類の口調で告げて、プルートは大剣を鞘に収め、ベッドから飛び降りた。

 一仕事終えて、彼の纏っていた雰囲気が柔らかいものに変わる。

 と、いきなりプルートはミシェルに抱き締められた。

「お疲れ様。プルートちゃん」

「うん、ありがとう。」

 眼を閉じて、されるに任せるプルート。先ほどの貫録はどこへやら、まさに幼い少年の態度だった。

「なあ、アイツラはどうする?」

 リンドブルムの言うアイツラとは、怯える女性たちと冷静に立つ執事のことだ。

 それを抱きしめられたまま見やったプルートは、ふるふると首を横に振った。

「いいよ。そっとしておこう」

 そして、

「お騒がせしました」

 と言って、三人は部屋を出て行った。


 ベッドの上のサルバトーレ・ドニは、既に白骨化していた。


■□■


「終わったよ」

『吸血鬼』は初めての家には家人に招かれないと入れない。

 家の前で待っていたカミラにプルートはそう告げた。

 カミラは苦笑を浮かべる。

「まったくお互い迷惑な話だったわね」

「そうだね」

「ええ」

「ったく。違約金も貰えやしない」

 四人で愚痴を言い合いながら、館の前を離れた。

 夜の街を歩く。

 プルートが問う。

「カミラはこれからどうするの?」

「この町で私のことを知っている人はいないみたいだしね。今まで通りあの城で、獣でも狩りながら過ごそうかな」

 その返答にプルートは少し考えて、そして顔を上げた。

「もし良かったらさ、ぼくたちと来ない?」

「はぁ?」

 カミラはどういう意味だ、と眼を丸くする。

「私たちは『アンヴィバレンス』と言うチームを組んで大いなる目的のために活動しています」

「ようはその団体にお前も入んねえか、ってことだな」

 二人がカミラの問いに答えた。

 ミシェルとリンドブルムも、カミラの参加には異論ないらしい。もっともそれはプルートの意向だからかもしれないが。

 カミラは訝しげだ。

「そのチーム……『アンヴィバレンス』? その大いなる目的ってなんなの?」

 プルートは立ち止まる。そして堂々と言った。



「世界平和だよ」



「……ぷっ、アハハハハ! なにそれー!」

 世界は120年、全種族間で争いに満ちている。

 カミラは何十年ぶりかに聞いた「世界平和」と言う面白い冗談に笑ってしまった。


 けれどプルートの言葉は続く。


「そのために。ぼくたちはことを成す。


『天使』の首領・レヴィエル。

『悪魔』の首領・バアル。

『吸血鬼』の首領・レガード・ツェペシュ。

『殺人鬼』の首領・ブギーマン。

『妖精』の首領・プリンセス・マリー。

『幽霊』の首領・百鬼。

『魔法遣い』の首領・ボルガ・マジック。

『竜』の首領・ユグドラシル。

『人間』の首領・皇帝。


全ての種族の首領である九人。

この九人を――『アンヴィバレンス』が討ち取る」


 言葉の途中から、カミラは笑っていられなくなった。

 これも質の悪い冗談かと考えたけれど、三人の表情を見て本気だと感じたから。

 本気だからこそ質の悪い話だった。

「『魔法遣い』の首領、ボルガ・マジックはつい先日討ち取った。残りは八人」

「……そんな途方もない戦いに、私も参加しろと?」

「そうしてくれると嬉しい」

「相手は化け物の中の化け物よ? 私はレガード・ツェペシュとブギーマンは遠目で見たことがあるけれど、あんな存在、眼に入れるだけでも心労が(かさ)むわ。向き合うだなんて自殺志願者と愚か者のすること。貴方はそれでもやるの?」

「やるとも」

「世界中が敵に回るわ。貴方の味方は手の届く範囲で精いっぱい。それでも?」

「手の届く範囲が味方なら、僕はなんの心配もいらないな、って思うよ」

「…………」

「相手はぼくたち以外のすべて。だからこそ、カミラには『アンヴィバレンス』に入って力を貸して欲しい」



『世界平和』だなんて。

 こんなこと真剣に話し合うテーマじゃない。

 夢見がちな少女の亡き空想。

 人形の視た糸の先の夢。

 川面に消えた(あぶく)の残像。

 120年の内に誰もが見えなくなって仕舞った。



 けれどプルートは言った。目的だ、と。

 それを聞いたカミラは「ああ、なるほど」と得心する。

『天使』と『竜』がプルートに執心してついて行っているのは、彼の『架空種』を見る眼の優しさ、彼の意志の強さ、そして抱えた夢の大きさが、そのすべてが彼を放っておけなくさせるからなのだ。迷子の子犬を見つけたみたいに。


 ――これも彼の手口かしら。カミラはそう思ったけれど。

 心に宿った炎は消えなかった。


「解かった。私も『アンヴィバレンス』に入れてちょうだい」

「ホント!?」

 プルートは満面の笑みを浮かべる。

「ええ。貴方たちの目的ではなく、私は貴方について行くわ」

 カミラはふわりとプルートに抱きつく。ミシェルとリンドブルムがむっと嫌な顔をしたが、カミラは見てみない振りをした。


 と、プルートの手がカミラの後頭部を押して、首元に押し付ける。

「いいよ。吸って」

「……いいの?」

「うん。これからはぼくが食糧になるよ。すぐに増血か造血の呪文を開発するからだいじょうぶ」

「ありがとう……」


 カミラの牙がプルートの首筋に突き立てられる。二筋の血が流れる。

 プルートに痛みはない。むしろ少し気持ちいいくらいだ。

 カミラは昂りを抑える。甘美な味わいに暴走して仕舞わぬように。


「……あ……ンッ」

「――ングッ、……チュパ。……ングッ」

「……ねえ、長くないかしら」

「ああ。終わったら一発殴ろう」


 二人は静かな深夜の街で抱き合っている。

 残る二人は苛立ちながら見ている。


 ――夜はまだそこにある。





『アンヴィバレンス』。

 いずれ世界を変える団体も、今はたったの四人。

 次なる町と、大いなる目的を、彼らは目指す。



 ――――――



評判しだいで続きも書きます。

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― 新着の感想 ―
[一言]  初めまして雪合戦といいます。    読ませて頂いたので、感想を残していこうかと    感想  世界観と設定が作りこまれていて良かったです。種族の話や主人公の呪術種類の豊富さなど、短篇…
[一言] おもしろいです。 9つの種は、それぞれ現実の世界のなにかの集団、民族などの比喩でしょうか。
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