08.君はだれだ?(※ネイト視点)
ネイト・グラスプールは、朝から完璧に整える男だった。
厳格な父に育てられ、ネイトは何事においても折り目正しく生きてきた。そして、何でも出来る男たれ、と教育だけでなく武術にも優れた人間に成長する。
なぜなら。
ネイト・グラスプールは、いわゆる美青年ではないからだ。
見ようによっては良い男と言えなくもないが、万人がキャーキャー騒ぐような容貌ではなかった。ネイトの目は切れ長で細い。その特徴は、全く万人受けしないものだ。
容貌は変えられない。だから、それ以外の全てを鍛えよう、とネイト少年は誓う。そしてその誓いに忠実な青年に成長したのだった。
そして16歳になり聖ローレンス学園に入学する。
当然、彼は首席だった。武術においても、誰にも引けを取らなかった。だが、女生徒に人気があるのは、クライヴだったりレイモンドだったりと、美形の男たちである。
そういった反応は、もう慣れっこだった。女生徒にキャーキャー言われるために、己を磨いてきたわけではない。全て、自分のために切磋琢磨してきたのだ。
──と、己に言い聞かせながらも、寂しい男心であった…。
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僕はいつもと変わらない朝を迎え、いつもと変わらない道をゆく。
だが、その日はいつもと違う出来事が起こった。『遅刻坂事件』である。
僕はキラキラメンバー(※この時は第1王子、マクィーン嬢、クライヴ、その他お付きの人)の数メートル後ろを歩いて登校していた。『遅刻坂』に差しかかると、何やらてっぺんで誰かが待ち受けている。細い目を眇めて見ると、美形兄妹(※義理)だった。
「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」
突然の叫び声に、周囲は身体をビクつかせる。美しいご令嬢が全力の土下座。まさに五体投地。額は地面にこすりつけていた。
「アリス・マクィーン様、これまでの非道の数々、お詫び申し上げます。アリス様がお望みならば、謹慎でも退学でも、私に罰をお与えくださいませ」
「……え……?」
「貴様、何を言っている?」
「土下座くらいで私の罪が消えるとは思っておりません。アリス様にはあまりに酷いご迷惑をおかけして…。私、今後、アリス様にはお目に触れぬよう生活することをお約束いたします」
「クリスティアナ様…」
え?なに?あのクリスティアナ・ウィンターソン侯爵令嬢が謝罪、だと!?
ちょっと目の前の光景が信じられない。唖然として立ちすくんでいると、いつの間にやらキラキラメンバーは消えていた。
だが、ウィンターソン嬢はまだ土下座したままだった。……一体彼女に何があったのか?目の前の出来事は現実なのか…。
彼女はゆっくり立ち上がった。制服は汚れ、額は真っ赤、顔は涙でグチャグチャだが、達成感と誇らしさが瞳に写っている。涙を拭って歩き出す彼女に、僕は目がくぎ付けになった。
教室で影を潜めて大人しくしているウィンターソン嬢に、誰もが目を疑う。だが、日が経つにつれ、そんな彼女にも慣れていった。
彼女はなんと美化委員の活動に参加した。これには本当に驚いた。委員会活動なぞまったく眼中になく、ただひたすら第1王子の尻を追いかけていた彼女は、一体どこへ消えたのだろう。ほとんど別人ではないか。
──それに。
僕を見る目が…その。うぬぼれて良いなら、なんだかうっとりしているみたいだ。…なぜ?こんな切れ長細目の僕に?
いやいや!きっと勘違いだろう。僕は自分を戒める。すると、甘やかなメゾソプラノの声で尋ねられた。
「こ、この苗はどこに植えましょうか…?」
「…そうですね。僕が穴を掘るので、順に植えていただけますか?」
「はい、お任せください」
そう返事して、彼女は僕が掘る穴に、丁寧に苗を植えていく。黙々と作業を進めると、あっけなく作業が終わる。
不平不満の一つや二つを覚悟していたが、彼女はいつかの朝のように達成感に瞳を輝かせてた。──僕は狐につままれているのだろうか?
この様子なら、もう一つお願い出来るかな?
「明日から、毎日水を撒きに来ます」
「はい、分かりました」
「朝と夕方のどちらが良いですか?」
「私はどちらでも。えっと…あなたが決めてくださってよろしいですわ」
──ああ、記憶喪失なんだっけ。
多分、記憶喪失でなくても、彼女は僕の名前など知らなかっただろうけれど。
「ネイト・グラスプールです。では、僕が夕方撒きます」
「私は朝ですね。明日から頑張りますわ」
「…よろしくお願いします」
おもわず不信感満載の顔で言ってしまう。それが伝わったのであろう、彼女は苦笑していた。
仕方ないよ。君の素行はそれだけ悪いものなのだから。全っ然信用できないからね?
毎日朝夕の水撒きだ、と僕はがっかりしながら、二人で道具を片づけてこの日は終了した。
だが、意外にも彼女は毎日朝の水撒き当番を楽しそうに行っていた。彼女が水撒きをサボったことはない。たまに声をかけて手伝うと、彼女はとても嬉しそうにしていた。はにかむ様子が、なんとも可愛らしい。──いやもう、僕は自分が信じられなかった。
クリスティアナ・ウィンターソンは、超弩級のワガママ娘。それが世間の評価だったのに。記憶を喪失してから、人が変わったように普通の、常識と良識を備えた女性になった。
加えて、なぜか僕を見るとうっとりした表情になり、話しかけると照れてはにかむ。──そう、それはまるで恋しているかのように…。
でも、僕は期待しない。クリスティアナ・ウィンターソンは、無類の美人だ。キラメン(※キラキラメンバー)の中でも、第1王子並に美しい。そんな美貌の女性が、切れ長細目の僕なんて好きになると思うか?まして彼女のそばにいる義兄は、これまた凛々しい青年だ。キラメン(※キラキラメンズ)だ。──ヤツと比べられるのはごめんだ。
でも、彼女に会ってしまうと、思わずそわそわしてしまう、悲しい男心であった…。
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だが、僕に転機が訪れる。
それは、かの有名な『トンチキ事件(※命名:僕)』だった。
彼女はいつも一人で裏庭で昼飯を食べている。──本当に、今までの彼女とは540°(※1周回ってさらに半周)変わった。どうやらあまり目立ちたくないらしい。クラスでは俯いて本を読んでいるし、授業が終わるといち早く帰宅するし。何かから逃げるような生活を送っている。
静かでいい、と思いつつ、何やら目が離せないのも事実。
その日もぼんやり裏庭を見ていたら、マクィーン嬢が数名の女生徒に囲まれていた。美人によくある、やっかみである。まあ、確かに第1王子がずっとまとわりついているからな。以前のウィンターソン嬢のように面白く思わない女生徒も多かろう。美貌に生まれるのも、中々大変そうだ。
すると、「だめぇーっ!」と叫びながら、ウィンターソン嬢がマクィーン嬢をかばって引っ叩かれた。スパァン!といい音がしたから、結構痛かっただろうに。それなのにウィンターソン嬢は、引っ叩いた女生徒を優しく諭す。おお、やるなぁ!
と、そこへキラメン(※第1王子)の登場だ。着くなりウィンターソン嬢の左頬を引っ叩く。有無を言わさず。──まぁ、これまでの素行の悪さを鑑みれば仕方ないと言えなくもないが…。
──さすがに一方的過ぎる。
イラッとした僕は、現場に出て行って仲裁しようと一歩踏み込むと、ウィンターソン嬢がスパンと言い放つ。
「皆様、ご覧になって?あの憧れの王子様は、中々過激な性格ですのよ?ええ、問答無用で女生徒の頬をぶっ叩くような、華麗な紳士ですのよ!」
「ク、クリスティアナ様、それは…」
「貴女たちは、皆様それは素敵な女性ですもの。こんな高慢なトンチキにお時間を割く必要はございませんわ」
トンチキ!ちょ、それ、最高だな!
「………おい………」
「追いかけるのでしたら、そうですわ!お兄様なぞいかがですか?アリス様のおそばには居ませんし、本物の紳士ですし」
「それは光栄だ」
そういって、それは極上の笑みを浮かべて近づいたのは、キラメン(※ザカライア)だった。女生徒から歓声が上がる。そして上手く丸め込んで平和的な解決となった。
…くそ。これだから美青年は…!
ウィンターソン嬢は治療のため、保健室に一人でスタスタ歩き出した。……一人か。
僕は保健室に先回りした。
保健室に入ってきたウィンターソン…いや、クリスティアナ嬢は、濡らしたタオルを頬にあてる。それより、こっちの方が良いんじゃない?
「はい、氷嚢。こちらの方がいいよ」
「あ、ありがとうございます…?」
ごく自然に手渡すと、クリスティアナ嬢はごく自然に受け取った。でも不思議そうな顔をしている。うん、可愛いね。
「あの、グラスプール様はなぜここに?」
「ネイトでいいよ、クリスティアナ嬢。それはね、僕が昼休みの一件を全部見ていたからだよ」
「えっ?全部見ていたのですか?!」
「うん」
「そっ、それはお目汚しを…」
僕が微笑みながらくだけた口調で話すと、クリスティアナ嬢は照れて恥ずかしそうにしている。……うん、可愛いね!
僕は美しいプラチナブロンドの頭にふんわり手を置いた。
「クリスティアナ嬢、本当に変わったんだね。あんなに平和的な解決になるとは思わなかったよ。──よく頑張ったね」
「ネ、ネイト様…」
よしよし、と優しく撫でると、クリスティアナ嬢は嬉しそうにうっとりしている。
その様子は演技でも僕をからかっているのでもない。俄には信じがたいが、彼女は本当に僕を気に入っているみたいだ。
──それが、なんだか嬉しい。
それにしても、殿下をつかまえて『トンチキ』とはね。君は最高だよ!
これからはもっと積極的になろう、とはにかむ彼女を見つめながら誓うのだった。
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僕は意外に腹をくくったら積極的になれるらしい。いままで女性に対してアプローチしたことないから、上手く彼女に話しかけられないかと思ったりしたが、全然だった。むしろ、自分でも驚くほど小技を駆使してアプローチ出来た。スムーズに。宰相の血筋かな?
何にせよ、彼女と夜会でダンスの約束を取り付けた。嬉しそうな彼女を思い出すたび、僕の胸が熱くなる。──よし。大至急、夜会服を新調しよう。彼女の美貌に少しでも相応しくあるように。
僕は顔面コンプレックスもなくなった。だって、あんなに美人の彼女が僕を気に入ってくれたのだ。むしろこの切れ長細目で良かったのだ。
ただ、彼女はどこか臆病でなにかから逃げている節がある。それが何なのかは、これからの付き合いでじっくり知っていこうと思う。
もう僕は、引き返せないほど彼女を気に入る…いや、好きになっていた。
デビュタントの衣装に身を包んだクリスティアナ嬢は、本当に美しかった。美の女神の化身である。今回のデビュタントの中で、断トツに綺麗だった。
だが、彼女の傍らには、必ずザカライアがいる。──恋を知った僕には分かる。あれは、恋する男の瞳だ。ザカライアは義妹に…つまり、彼女に恋をしている。
キラメンがライバルとは面倒くさいが、彼女の様子を見る限り、『義兄』以上の想いは無さそうである。……今のところ。
──では、行きますか。
僕は約束を果たしに、彼女に近付いた。
「クリスティアナ嬢」
背後から優しく声をかける。彼女はすぐに振り向いてくれた。僕はスッと手を差し出す。
「クリスティアナ嬢、僕とダンスを」
「は、は、はい。喜んで…」
驚いた彼女は、可愛らしくどもった。思わず僕はクスリと小さく笑う。そしてダンスフロアへ連れて行った。
ダンスを始めると、顔を赤らめたクリスティアナ嬢ははぁはぁと息が上がる。……過呼吸?
「…大丈夫?クリスティアナ嬢」
「は、はい、済みません…」
なんだか動きがぎこちない。力を抜いてもらおうと、僕は彼女の腰をくすぐった。
「うひゃあ!」
「ふふ。そう、力を抜いて。さあ!」
──ははっ。ヘンな雄叫び!
僕は笑って彼女の腰を抱き、クルッとターンした。周囲から「おお!」と歓声が上がる。──ホント、何でも出来る人間になっておいて良かったよ。これで彼女の中の僕の株が上がったかな?と期待する。
だって、彼女は本当に僕をうっとりと見つめるのだ。甘く柔らかな感触のクリスティアナ嬢。僕にもたれるその姿は、その、下半身がムズムズするくらい、可愛い。
1曲踊り終えて一礼すると、僕は彼女を熱く見つめて手を差し出す。是非、もう1曲。パッと明るい表情で僕の手に己の手を乗せようとする刹那、急に彼女は後ろに身体を引かれた。
「終了だ、クリス」
「お、お兄様?!」
「……おやおや」
嫉妬心むき出しで、僕をにらむザカライア。余裕のないキラメンを、僕は初めて見た。しかも、僕相手に。
そのまま問答無用でクリスティアナ嬢を引っ張って連れ去った。
──ふぅん…。
まだ僕に分があるかと思っていたけれど、余裕のない首席がどう出るか分からない。それに、何のかんの彼女のそばにいるのは、ザカライアの方だ。あの態度では、クリスティアナ嬢を諦めないだろう。
──でも、僕だって諦めないよ。
さて、次はどう動こうかな?
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。