07.推しと踊っていいですか?
ザカライアの秘策は分からないけれど、帰り際のアリスちゃんの表情は晴れやかだった。良かった。
し、しかも、「もし良ければお友達になってもらえませんか…?」と恥じらいながらアリスちゃんに言われました。
…イイ…。
私、ソッチの気は無いんだけど、アリスちゃんがあまりに愛らしいので…ちょっとイケナイ気持ちが分かる。
もちろん、お友達発言には一も二も無く了承しました。ええ、諸手を挙げて。
そんな穏やかな週末が明けたあと、いつものように朝の水撒きをしていると、ゆっくりネイト君が近づいてきた。
「おはよう、クリスティアナ嬢」
「おはようございます、ネイト様」
ネイト君は私の隣に立って、にっこり微笑む。切れ長の細目が、さらに糸目になる。
キュン…。
あっ…ダメ…やっぱり好みなのぉ…。
なにその見えてるか見えてないか分からない細目はっ!しかも、優しく柔らかく笑うその素敵なお顔が…!
モロ好ミデス。射貫カレテマス。
──なんて心の悶々を必死に隠して、私たちは他愛のない会話をする。
「そういえば、今度社交界デビューするの?」
「は、はい、そうですが…なぜご存知なのですか?」
「ご令嬢方は軒並みそわそわしているからね。クリスティアナ嬢ももしかして、と思って」
水撒きのホースを片づけながら、ネイト君は言った。私の代わりにスッと道具を片付けてくれる、そのさり気なさにまた胸キュンする。
「順調?」
「あ、あははは…」
淑女の仮面を脱いで、脱力した笑い方になってしまった。ダンスがね…どうにもね…の苦笑デス。
「ふふ。ダンスが苦手、かな?」
「はうっ!」
思わずヘンな声が飛び出てしまう。気になる男子には苦手を隠したいお年頃。──中身は22歳だけど。
「ほら、練習してみようよ」
「えっ!?」
言うなり颯爽と私の手と腰をとって、ワルツを踊り始めるネイト君。「ワンツースリー、ワンツースリー」と口ずさみながら、ふんわりリードしてくれる。
キュン…。
あまりのトキメキに昇天して、余計な力が抜ける。するとあら不思議!ワルツが踊れるように!
「なんだ、踊れるじゃない」
「い、いいえ…これまで散々お兄様の足を踏みつけましたの…」
「ぷっ!ザカライア殿の足を踏みつけたんだ!」
「……お恥ずかしい話です……」
あうう…推しに己のダメさ加減を報告しなくてはならないなんて…。照れ悲しい。──忙しいな!
俯いていると、耳元でネイト君が囁く。
「…夜会で、僕と踊ってくれますか?」
「……ッ!」
「僕も夜会に参加します。必ず貴女にダンスを申し込みますので、僕と踊ってくださいね」
「は、はい…」
ネイト君の声にうっとりして、私は夢見心地で返事をした。え…これは何のご褒美…?
「約束だよ。さあ教室に戻ろう」と言うネイト君に手を引かれ、何がなんだか分からないうちに、私は気付いたら教室で授業を受けていたのであった…。
「ね、クリスティアナ嬢。デビューのエスコートは、ネイトなの?」
授業が終わった帰りしなに、隣のレイモンドにそう聞かれた。ネイト君?──そんなわけない。
「いいえ、違いますわ。ところで、なぜデビューをご存知ですの?」
「このクラスの女の子は、もれなく再来週の夜会でデビューするからさ。ご存知なかった?」
「は、はい…」
なんてこと。あまりに色々なことの記憶が無くて苦労する。……誰か、私にスケジュール表をくださいっ!
「ふぅん。でも朝ネイトと一緒に教室に来たよね?しかも、手を繋いで」
「ひっ!」
て、ててててて手を、繋いで?!
ひえぇ!
「そ、そそそそそそんなことは!」
「あれ?動揺するの?」
「わ、わ、私は、目立たず騒がず控え目に、が標語ですからぁ!」
「ぶはっ!ヘンな人生標語っ!」
レイモンドは無遠慮にゲラゲラ笑う。あーもう、目立っちゃダメなのよ!クリスティアナっ!キュンを自重しようよ!
「学園イチの美形は『トンチキ』呼ばわりだし、義兄のザカライア殿にも反応しない、そんでもって隣の俺にも興味なしなのに、ネイトにはそんなに動揺するんだ。……変わってるね、クリスティアナ嬢」
「……………はあ」
言いたいことは山ほどあるが、取りあえず口をつぐんだ私は偉い。こんなナルシストに付き合っている場合ではないのだ。さっさと帰宅して、メイドさんたちにダンスの練習に付き合ってもらわないと!
「ではご機嫌よう、ストレイズ様」
「おや、冷たいね。レイモンドって呼んでよ」
「さようなら、ストレイズ様」
私は冷たく言い放ち、そのまま教室を後にした。何が楽しいのか、レイモンドはずっと笑っている。
アイツにはなるべく関わらないようにしよう、と私は改めて思った。
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私はデビューを知ってから3週間、めっちゃ頑張りました。なぜなら、ネイト君とダンスをする約束をしてしまったから!
推しに恥をかかせるわけにはいかない。私は必死に必死に必死に!ダンスの特訓をしましたよ。ザカライアが「…目が血走ってるぞ」とドン引くほどに。
デビュー当日は朝から念入りに準備させられた。湯浴みから長い。そんな丹念にやることないよ。目立ちたくないから、とヘレンさんにお願いすると、クワッと目が開いた。ホント、擬音語の『クワッ!』っていう開き方だ。ブルブル。
「いいえ!お嬢様を夜会イチ美しくするのが、私の務めでございますっ!」
と意気込まれた。……お願い。影でひっそりさせて……。(涙)
コルセットをこれでもかっ!と絞り、白い清楚なドレスに身を包む。Aラインのシンプルな型なのが唯一の救いだ。…レースとか金の刺繍とか、マジで値段を聞きたくないような意匠だけど。首元に大きなダイヤモンドのネックレスを着けるため、デコルテの大きく開いた衣装は、スタイルの良いクリスティアナによく似合っていた。…耳と首に着けたダイヤモンドの装飾品の値段を聞きたくないけれど。
仕上がったその姿は、可憐な天使…ではなく、まるで夜の女王が趣向を変えたような姿だった。クリスティアナは、大人っぽい。
支度を終えて階下に行くと、カフスを止めながら玄関ホールで待つザカライアの姿が。──私に気付くと、呆然とした表情に変わる。
「これは…」
「まあ!なんて美しいのでしょう、クリス」
「ありがとうございます、お義母様」
わーい!褒められた!
「…とても綺麗だ、クリス」
そう言って、ザカライアが私に手を差し出す。私はその大きな手に私の手を乗せて、「ありがとうございます」と微笑んだ。ザカライアもスッゴく格好いい。出来ればアリスちゃんを並ばせて、可愛いスチルをスクショしておきたい。……スマホないけど。
「お兄様も、とても素敵です」
「ありがとう」
馬車に乗り込んで、ふんわりしたクッション(※痔防止用)に腰掛ける。すると、私の隣にザカライアが座った。──ん?その位置は正しいのか?そしてごく自然に私の手を握る。──んんん?
ザカライアは優しく微笑んで、私に聞いた。
「緊張してるか?」
「は、はい、少し…」
「作法もダンスも上達したから、大丈夫だ。…俺に、もたれていればいい」
「ありがとうございます、お兄様。私、頑張りますわ!」
足を踏まないように。
「はは。そう気張らなくてもいいさ。俺と踊ったら、すぐに帰るか」
「あ、いいえ、お兄様。私、お約束が…」
「…なに?」
ピクリとザカライアの手が動く。私に約束があるのが不思議なんですか?そーですかー…。
「誰だ?男か?」
「クラスメイトの、ネイト・グラスプール様です」
「ネイト・グラスプール…」
ザカライアは突然思案顔をする。そして眉をひそめてドンドン怖い顔つきになる。あまりの恐ろしさに、私はそっと手を重ねた。
「お兄様、どうかなさいまして…?」
「…クリス。夜会では俺のそばを離れるなよ。父上から、お前の身の安全についてお願いされているからな」
「はい。分かりました」
まるで子ども扱いだ。でも悪目立ちしないためにも、なるべくザカライアのそばにいるようにしよう。
ザカライアに腰を取られ、私は彼に少し寄りかかりながら、馬車は夜会会場にたどり着いた。
クラスの女生徒がほとんど参加するだけあって、夜会会場は人でごった返していた。名を呼ばれてザカライアにエスコートされながら、ボールルームに入る。
みんな、キラキラして美しい。良かった。これなら目立たないかも!……と期待していたら、周囲からの視線が痛い。まさか…!
「ああ、ザカライア様、素敵…」
「ますます凛々しくなられて…」
「あとでダンスをして頂けるかしら…」
…くっそ。攻略対象舐めてた。コイツの隣にいたら、常に注目のまとじゃん!
私はこっそり手を引いて距離を取ろうとしたら、ザカライアはこちらを見ずに正確に私の腰を掴む。…どうやら逃がしてくれないようです。
夜会開催の挨拶が終わり、公爵閣下のファーストダンスが始まった。……あ、第1王子じゃない。一体ザカライアはどんな魔法を使ったのか。──怖そうだから聞かないけど。
今日のデビュタントはとても多い。埋没を目論んで、私はこっそり輪に入る。すると、デビュタントを歓迎するファンファーレがなり、明るい曲が流れ始めた。デビュタントはニコニコ笑顔で手を繋いで踊る。
──あっ、楽しい!
キャンプファイヤーでマイムマイム踊ってるみたいなテンション。ちょっと懐かしい。いま、この場ではイジメも意地悪もない。明るい笑顔でダンスを楽しむのだ。私は嬉しくなる。
──ねぇ、『クリスティアナ』…。
意地悪しない人生を楽しめれば良かったのにね。貴女に何があったのか分からないけれど、私は、いま、とても楽しいよ…。
デビューせずに消えた『クリスティアナ』の魂を思って、私は少し切なくなる。
全員でお辞儀をして、デビュタントたちのダンスを終えた。白い衣装の可憐なデビュタントたちに、惜しみない拍手が注がれる。私はたくさんの喜びと少しの切なさで、デビュタントの輪から外れていった。
ビュッフェコーナーに行こうとすると、腕を誰かに取られる。
「どこへいく?」
「あ、お兄様」
振り返ると、そこにはザカライアがいた。ちょっと怖い顔で立っている。ザカライアはおもむろに腰を折って手を差し出した。
「俺と、ダンスを」
「ふふ。はい、喜んで」
私たちは微笑んで、フロアに向かい踊りだした。イチ、ニィ、サン、イチ、ニィ、サン…。リズムを刻んで足踏まないように…。
下を向く私に苦笑して、ザカライアは腰を引き寄せた。
「足を踏んでいいから、もっと俺に寄り添え。…俺を、頼りなさい」
「はい、お兄様」
私は力を抜いて、ザカライアに寄り添った。リードが上手なザカライアは、軽々と私を支えて踊る。あれ?何だか上手に踊れてる?
「上手いぞ、クリス」
「いいえ、お兄様のリードが上手なのですわ」
互いに褒め合ってダンスを楽しんでいると、いつの間にやら3曲終えた。先ほどのデビュタントのダンスもあって、私は飲み物が飲みたいと言って輪から外れた。飲み物を取ってくる、とザカライアは人混みに消える。一人になった私は、ゆっくり会場を見渡した。
──スゴイ人…。
ずいぶん規模が大きい夜会である。それこそ、王子が参加してもおかしくないほどに。あ、そう言えば、アリスちゃんは無事クライヴにエスコートしてもらえたのかな?自分のことでいっぱいいっぱいだったけど…。彼女はどこにいるだろうか?
キョロキョロ目で探し始めると、背後から名を呼ばれた。振り向くと、そこには濃紺の衣装に身を包んだ推しが!
「クリスティアナ嬢、僕とダンスを」
「は、は、はい。喜んで…」
驚きのあまり、どもってしまった。クスリと小さく笑ったネイト君は、私の手を取ってダンスフロアに向かう。
スターティングポジションをとってダンスが始まると、私の脳内は大噴火した。
──お、推しと、踊ってるぅぅ!
ふわりと香るムスク。濃紺のベルベット地のジャケットに金の蔦の刺繍。ブリーチズも同色で、蔦の刺繍が裾から太ももまで鮮やかに施されていた。
──似合うぅぅ!格好いいぃぃ!はぁはぁ。
もはや過呼吸である。
「…大丈夫?クリスティアナ嬢」
「は、はい、済みません…」
何とか足を踏まずに済んでいるが、動きが大変ぎこちない。すると、ネイト君が私の腰をくすぐった。
「うひゃあ!」
「ふふ。そう、力を抜いて。さあ!」
私の腰を抱き、ネイト君はクルッとターンした。周囲から「おお!」と歓声が上がる。──ああ、ネイト君は本当にリードが上手い…。
ネイト君に恥をかかせまい!と私は浮き立つ心を押さえつけて、ダンスに集中した。
──ああ、至福…!
推しとダンス出来るなんて、乙女ゲーム万歳っ!感触とか匂いとか、忘れないようにしよう…スンスン。
1曲踊り終えて一礼すると、ネイト君はこちらを熱く見つめて手を差し出す。…え?もう1曲…?
期待しながらうっかりその手に乗っかろうとすると、急にグイッと後ろに身体を引かれた。
「終了だ、クリス」
「お、お兄様?!」
「……おやおや」
「では失礼」と言ってザカライアは私を引っ張っていく。ダンスの輪から外れ、ボールルームまで外れ、馬車に押し込まれた。
「お、お兄様…なぜ…?」
「…もう良いだろう。帰るぞ、クリス」
「は、はい」
むっつりと押し黙るザカライアが怖くて、私は大人しく座る。急に機嫌が悪くなるなんて、一体彼に何があったのか。怖いから聞かないけど。ブルブル。
まあ、ボロが出る前に帰宅出来たと喜べば良いのかな。
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。