05.これはもしかしてフラグなんですか?
記憶喪失から、1ヶ月が過ぎた。
私は「目立たず、騒がず、控え目に!」をモットーに、なるべく人と関わらず平穏無事に過ごしてきた──つもりだ。隣人から話しかけられる以外は。
朝、花壇の水撒き。昼間、ボッチ飯。夕方、即帰宅。このルーティンにより、アリスちゃん一派(※ヴィンセント殿下とクライヴ)とは全く接触がない。この調子よ、クリスティアナ!
時々ザカライアが様子を見に来てくれる。優しいなぁ…と絆されそうになるが、アレは監視だ。ブルブル…。まあ、最近はザカライアとの仲も悪くないけれど。
時々会うと言えば、ネイト君もそうだ。週に2回くらい朝の水撒きの様子を見に来てくれる。──いや、これも単なる管理だ。信用されないって結構胸に刺さるな。ちょっと好みの男性なら、なおさら。
──いやいやいやいや!ダメよ、クリスティアナ!
男性を気にするなんて、ダメ、絶対!それは破滅フラグってやつよ。ゴキブリがゴキブリホイホイに引き寄せられて一網打尽にされてしまうから!いまはとにかく平穏無事に卒業することを目標にしよう。あと1年半の標語は、「目立たず、騒がず、控え目に!」ですっ!
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そんなわけで、私はひっそりと裏庭でボッチ飯を楽しんでいる。社会人だったときも友人は少なく、昼休みはよく一人で過ごしていたから、
むしろ通常運転である。…ただ、スマホ欲しい…推しに課金したい…。
のんきに手作り弁当を堪能していると、甲高い声が聞こえ始める。ちょっ、ここ、裏庭よ?私みたいな柳ユーレイのような人間か、イジメをしたい人間がくる場所よ?──要するに、人目の付かない場所。ミョウガやドクダミがよく育ちそうな影影しい庭。アタシ、ココ、嫌イジャ、ナイ。
「調子に乗らないでっ!」
「きゃっ…」
あっ!な、なにやら不穏な雰囲気…。私は声の上がった所へ、少しだけ近づく。
「あなたね、たかが成り上がりの男爵風情が、殿下にお近づきになって良いと思ってるの?」
「殿下だけではなく、クライヴ様まで独占して!」
「私は、そんなつもりは!」
女生徒数名で、一人の天使を糾弾している。……あーこれ、イベントだよ。うろ覚えだけど。本来なら、きっと先頭切ってイジメてたのは、『クリスティアナ』だったんだろうな。ブルブル。
天使は涙目だ。うう、そうだよね。言われなき糾弾…でもないか。殿下とクライヴに言い寄られているのは事実だし。ただね、それはアリスちゃんの本意かどうか。
「私も殿下には話しております。あまり特別扱いしないで欲しい、と。でも…」
「まあ!特別扱い、ですって!」
「さすが成り上がりですわね。図々しいこと!」
「あなた如きが特別など!うぬぼれもいいところね!」
「うう…」
あー、それね。イジメの常套句ね。「ちやほやされていい気になってんじゃねーよ!」ってことね。ああ、アリスちゃん、「なんも言えねぇ」状態だわ。憧れの男性が振り向いてくれないってツラいよね。イジメの女の子の気持ちも分からなくないけど、でもでも、アリスちゃんが悪いわけでも無いんだな、これが。
…どうする?止める?
…いやいや、目立っちゃうからダメよ、ダメダメ。
などと葛藤していると、女生徒たちはエキサイトしてきた。…この展開は、マズイ。
「あなたなんて、あなたなんてっ…!」
「きゃあ!」
あっ!それはあかん!
「だめぇーっ!」
…と結局飛び出してしまった。アリスちゃんをかばったから、私の右頬がみるみる赤くなる。…をい。結構な力でぶっ叩いたな!暴力反対っ!
「お、おやめ下さいまし。アリス様を責めてはいけませんわ」
「なっ、何言ってるのよ!元々はあなたがアリス様をイジメていたのではありませんかっ!」
はい、その通りです、多分。スミマセン。
「だからこそ、ですわ。私のような下劣な行為を、皆様にさせるわけにはいきません」
「…クリスティアナ様…」
「アリス様は、そんな私を女神のような寛大なお心で許して下さいました。どうか、責めるのでしたら私を代わりに責めて下さいませっ!」
「そ、それは…」
オロッと動揺が走る女生徒たち。よし!あと少し。カスタマーサポート部署のエース(※ウソ)が説得したるっ!
……と大きく息を吸ったとき、女生徒の背後から足跡が近づいてきた。「待てっ!」と言ってる。言われて思わず待つ私。
「何をしている?!──貴様っ!」
「ひいっ!」
駆けつけた男性が、叫ぶなりバシッ!と私の左の頬を叩く。これは、アレか。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ的なアレか。
──いやもう、今までの自業自得だと思えばこれくらい…って痛──ぁいっ!
容赦ねぇな、この悪魔!
「クリスティアナ!今日という今日は、もう許さんっ!」
「殿下、やめてください!」
「止めるな、アリス。こやつは土下座までして君を騙したんだぞ?!」
「クリスティアナ様は私をかばって下さったのです!殿下、ひどい…」
涙目で天使がヴィンセントを止めた。ヴィンセントはアリスの潤む瞳に頬を染めて固まった。…馬鹿野郎はお前だ!
ドタマにきた私は、目を据わらせて静かに女生徒たちに言い聞かせる。
「皆様、ご覧になって?あの憧れの王子様は、中々過激な性格ですのよ?ええ、問答無用で女生徒の頬をぶっ叩くような、華麗な紳士ですのよ!」
「ク、クリスティアナ様、それは…」
「貴女たちは、皆様それは素敵な女性ですもの。こんな高慢なトンチキにお時間を割く必要はございませんわ」
「………おい………」
「追いかけるのでしたら、そうですわ!お兄様なぞいかがですか?アリス様のおそばには居ませんし、本物の紳士ですし」
「それは光栄だ」
コツ、と靴音を立てて近づいてきたのは、件の兄だった。あ、ゴメン。勝手なこと言って。でもでも、可愛い天使のために犠牲になっておくれ、ザカライア!
女生徒がキャア!と高い声を上げた。おお、やはりザカライアも人気あるんだ。
「もう少し自重するように、殿下とクライヴには言い聞かせるよ。ご令嬢方、それでよろしいか?」
「は、はい、ザカライア様…」
ここでダメ押しの笑顔!ザカライア、分かってるぅ!
こうして女生徒はザカライアにうっとりしながらアリスちゃんに非礼を詫びて、教室に戻って行った。
あとに残されたのは、私とアリスちゃんの他に、殿下とザカライア。殿下は今にも私に掴みかかろうとせんばかりに睨んでいる。うっ…怖いです…。
「貴様…よくも私をこきおろしてくれたな…!」
「ひっ!」
私はザカライアの背に隠れた。ザカライアは苦笑しながら、かばってくれる。
「事実だろ、ヴィンセント。お前がマクィーン嬢の尻ばかり追うから」
「下世話なことを言うな!私はアリスのそばにいて守っているのだ」
「で、殿下…。どうかもう少しお控えください。私も、クラスの友人が欲しいのです」
「……む」
ヴィンセントは眉を下げてしょんぼりした。うーん、美形はしょんぼりしても美しいんだなぁ。そしてアリスちゃんは落ち込む美形を完全無視して、私に近寄った。
「それより、クリスティアナ様、頬は大丈夫ですか?!私のせいで…本当に済みません…」
「あ、いいえ、そんな、アリス様のせいではありませんから。お気になさらず」
「…クリスティアナ様…」
アリスちゃんは泣きそうな顔で、私の頬を見つめる。優しいなぁ。私はアリスちゃんを安心させるために、にっこり微笑んだ。
「アリス様、私、保健室に寄ってから教室に行きますので、申し訳ございませんが先生にご事情を話しておいて頂けますか?」
「はい、もちろんです、クリスティアナ様。保健室には…私も付き添いますわ」
「大丈夫ですよ、アリス様。手当てをしたら、すぐに戻りますから」
「でも…」
自責の念と心配から、アリスちゃんは言い淀む。少し俯くその姿が可憐すぎるっ!まつげ長いーっ!ああ、ヒロイン補正ねっ!アリスたんかわゆす!はぁはぁ。
「マクィーン嬢、俺が付き添うから戻ってくれ」
「…ザカライア様…」
「いえ。お兄様はそこのトンチキを連れて戻ってください。私は一人で行きます」
「なっ!貴様、まだ愚弄するかっ!」
「しかし…」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ殿下の脇で、ザカライアまで躊躇う。…あのね、『クリスティアナ』はもう17歳だし、中身は社会人2年の22歳だぞ?なんでそんな心配されなきゃならんのだ。
「子どもではありませんのよ。大丈夫ですから、皆様、あとをよろしくお願いいたします」
私はそう言ってスタスタ保健室に向かう。振り向かなかったから分からないけれど、多分みんな教室に戻っていったみたい。誰も追ってこなかった。ほっ…。
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保健室には誰も居なかったので、勝手に入って勝手に備品を拝借する。鏡を見ると、両頬が結構腫れている。女生徒はともかく、あのトンチキめ!いつか倍返ししたいわっ!
とりあえず頬を冷やすために、タオルを借りて濡らした。頬に当てて冷やす──ってあんまり冷たくないな。氷、氷…。
探そうと立ち上がると、スッと目の前に物体が。
「はい、氷嚢。こちらの方がいいよ」
「あ、ありがとうございます…?」
ごく自然に手渡されて、ごく自然に受け取った。──あの、なんでここにいるんですかね?授業中ですよ?
「あの、グラスプール様はなぜここに?」
「ネイトでいいよ、クリスティアナ嬢。それはね、僕が昼休みの一件を全部見ていたからだよ」
「えっ?全部見ていたのですか?!」
「うん」
「そっ、それはお目汚しを…」
ネイト君のいつもよりくだけた言い回しにドキドキしながら、私は氷嚢を頬に当てる。あー冷たくて良い気持ち…。
俯き加減で冷やしていると、ふんわりと頭に手を置かれた。
「クリスティアナ嬢、本当に変わったんだね。あんなに平和的な解決になるとは思わなかったよ。──よく頑張ったね」
「ネ、ネイト様…」
よしよし、とネイト君に優しく撫でられる。ちょっと子ども扱いではあるが、好みの男性から優しくされて、ときめかない女がいるだろうか。いやいない。
キュンです、ネイト君…。
柔らかな撫で方にうっとりしていると、ネイト君がクスクス笑い出す。
「それにしても、殿下をつかまえて『トンチキ』とはね。くくっ、最高だよ、クリスティアナ嬢」
「…はあ、ありがとうございます…?」
ネイト君はどうやら私の殿下に対する過激な態度が気に入ってくれたようで、ずっとクスクス笑っていた。
そして腫れが引き始めたところで、私たちは教室に戻る。ネイト君はやたら機嫌が良く、私にいっぱい話しかけてくれた。……フツーのお話ならここで恋愛フラグが立つのにな。
乙女ゲームで恋愛フラグを立たせないのって、案外難しいな!
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。