04.お前はだれだ?(※ザカライア視点)
ザカライアが10歳の時、父親が事故で死んだ。
厳格な父だった。躾に厳しく、少しでも粗相をしようものなら、鞭が飛んだ。騎士として身を立てろと剣の鍛錬に熱を入れていた。そんな父親だったから、甘えたり甘やかされたりした記憶はない。
父の死により大変だったのは、ザカライアの母だった。ザカライアはまだ幼く、子爵夫人として切り盛りせねばならない。だが、生前夫とあまり親しくもなく、領主としての知識もないため、子爵領を上手く治められなかった。
そこで親戚の善意により、ザカライアの母親は見合いを薦められた。未亡人となって1年。領主の仕事に疲れていた彼女は、その薦めに従った。
そうして出会ったのが、ウィンターソン侯爵である。ウィンターソン侯爵も妻を亡くし、一人娘のために良妻を欲していた。優しく美しいザカライアの母親を愛し、二人は結ばれた。子爵領はウィンターソン侯爵の領地となったが、ザカライアが成人になるまでの預かり物だと、ウィンターソン侯爵は言う。
ザカライアは、温かな心で優しく接してくれるウィンターソン侯爵をとても尊敬していた。厳格な実父より、よほど親身になってくれる。新しい父のため、母のため、ウィンターソン侯爵令嬢──クリスティアナとも仲良くしたい、とザカライアは思っていた。
だが、クリスティアナは甘やかされて育つとこうなるを具現化した少女であった。父親以外の人間には尊大で我が儘で乱暴で高慢だった。新たな母親と兄を気に入らず、クリスティアナはただただ傍若無人であった。
ザカライアも数年歩み寄ろうと努力したが、一向に心を開かないクリスティアナに、もう諦めた。クリスティアナの気持ちも分からないでもない。愛する父親が、母親が亡くなってわずか1年で、新しい母親を連れてきたのだから。まだ幼い彼女が、新たな家族をどうしても受け入れられないことは、仕方ないのかもしれない。
だからといって、あれほど傲慢で横暴になる必要はないと思うが。クリスティアナの性格に疲れ果てたザカライアは、もう放っておこうと突き放した。
16歳になり学園に入ると、同級生に第1王子がいた。彼は美形で優秀な青年だったが、王子らしい高慢なところがあった。なぜか気に入られ、互いの実家を往き来する間柄になる。──そこでクリスティアナは王子に接し、彼に惚れ込むことになるのだが。
翌年にクリスティアナが学園に入学すると、王子への執着が酷くなる。第1王子は入学式で出会った少女を気に入り、クリスティアナをひたすら疎ましく思っていたが、クリスティアナはそれにもめげず猛アタックした。全然振り向かない第1王子に、クリスティアナは焦れる。そうだ、第1王子が私になびかないのは、あの男爵令嬢のせいだ!と思い込むようになった。
酷い虐めの後、あの階段突き落とし未遂事件が発生した。ザカライアは呆れた。殺人未遂をしようとしたら、己に返ってきたのだ。自業自得以外のなにものでもない。
だが、倒れて3日も目覚めないクリスティアナを心配して、ウィンターソン侯爵が憔悴する。それを見るに忍びなくなった頃、とうとうクリスティアナが目覚めたのだった。
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俺は父上に呼ばれて、クリスティアナの部屋に向かう。入室すると、顔色の悪いクリスティアナと目が合う。自業自得だ、と侮蔑するように見つめていると、父上から声をかけられた。
「ザック、クリスが記憶喪失になった」
「はあ?」
なにその都合の良い展開。
「自分の名前すら思い出せないのだ。色々教えてやってほしい」
「…………………分かりました」
俺は渋々引き受ける。父上から頼まれれば、何であろうと嫌とは言えない。忙しい父上の後ろ姿を見送って、ため息をついて寝台の脇にあるイスに座った。
そして俺はこれまでのことを全て話し始めた。俺は、クリスティアナが10歳の時に再婚した義母の連れ子であること。10歳からクリスティアナはワガママ放題で、俺も母もほとほと困り果てていたこと。──家族として認められていないこと…。それから、学園のことを。
話していくうちに、クリスティアナは見る見る顔を青ざめさせる。具合がよほど悪いのか?とも考えたが、全く同情する気になれない。
そうしてある程度話し終えると、もう真っ青な顔色のクリスティアナが、絞り出すように言った。
「そ、それは…申し訳ございません…」
「は?」
──聞き間違いか?
いま、コイツ、なんつった?!感謝と謝罪は一切しないクリスティアナだ。謝るはず、ないよな…?
「お兄様、私、心を入れ替えます。これからは家族仲良く暮らしたいと思います」
嘘つけ。
「それが、口先だけでないことを祈るよ」
と呆れた口調で俺は言った。
頭打っておかしくなったのだ。──ん?てことは、今までのクリスティアナと違い、謝るとか常識的な反応をしても…変ではないのか。
「お、お兄様。私、頑張りますので、色々教えてくださいませ」
「…まあ、父上から頼まれているからな。仕方ない」
「あ、ありがとうございます」
ほにゃ、と柔らかくクリスティアナが笑った。
──もともと相当な美人だから、力を抜いた笑顔はものすごく可憐だ。
い、いやいやいやいや!騙されるな、ザック!
と、俺は己を奮い立たせる。
「…そういえば、お前が階段から落ちたのは、お前がアリス・マクィーン嬢を突き落とそうとしたからだ、という噂だが?」
「ええっ?!そ、そうなのですか?!」
「…噂だ。だが、お前の素行から、そう信じる者が多いであろうな」
「ひぃぃっ!」
クリスティアナが悲鳴を上げた。……まるで、常識と良識を持ち合わせた、普通の女性のような反応。……演技か?いや、今まで演技すらしたことがない。今更する必要もないはずだ。
では、やはり記憶喪失によるものなのか。ならば、クリスティアナはもしかしたら、これから普通の女性に生まれ変わるかもしれない…。
「お、お兄様…、私、アリス・マクィーン様に謝ってきます!」
「あっ、おい!」
ガバッと起き上がって、クリスティアナは寝台から下りようとする。だが、身体がついていかず、よろよろと倒れる──のを、俺はすんでのところで支えた。うっ…柔らかな肢体の感触と、胸の谷間が目に焼き付く。
──こんな近くでクリスティアナを感じたのは初めてだった。
俺は努めて何くわぬ顔をして言う。
「…慌てるな。元気になったら謝ればいい」
「うう、済みません…」
俺はクリスティアナをそっと抱き上げて、布団の中に入れた。すると、クリスティアナは潤んだ瞳で俺を見上げる。
「お兄様…ごめんなさい…ありがとう…」
ドキッ。
──だから、お前は殊勝になると美人過ぎるんだよっ!
「…いいから、早く治すといい」
「はい」
何だかヘンな気持ちになってそう伝えると、クリスティアナは微笑んで目を閉じる。
俺は妙にもやもやした気持ちを抱えて、自室に戻って行った。
クリスティアナは、再登校の時にアリス・マクィーン嬢に謝るという。何となく気になったので、その日はクリスティアナの寮で彼女を待った。
程なくして、顔色は悪いが何かを決意した表情のクリスティアナが出て来る。俺に気付くと、彼女はパッと笑顔を見せた。──美人の笑顔は心臓に悪い。
「お兄様、ありがとうございます!」
「本気で謝りに行くのか?」
「…はい。もちろんです」
「ならば、こちらだ」
俺はくるりと背を向けて歩き出す。すると、クリスティアナは小走りで付いてきた。…子犬みたいで可愛い…。はっ!違う、違う!
俺は邪念を振り払うように、クリスティアナに言った。
「この時間なら、アリス・マクィーン嬢は殿下とともに登校している」
「まあ、なぜご存知なのですか?」
「…たまたま気付いた」
ていうか、有名な話だ。それすらも知らないのなら、クリスティアナは記憶喪失のせいで完全に無の状態となっている。──そう。まるで別人のように。
しばらく坂の上で待っていると、マクィーン嬢は第1王子とともにやって来た。クリスティアナは両膝・両肘を折り、額を地面に擦り付けて臥して謝る。
「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」
──マジで謝った!
青天の霹靂だ!やはりクリスティアナは以前とは全く違う。本人が話すように、「心を入れ替えた」のか。
ひたすら謝り倒して、クリスティアナは無事マクィーン嬢に謝罪を受け入れてもらった。──何のお咎めもないのは少し甘過ぎる気もするが、クリスティアナのあの様子では、確かに以降嫌がらせはしないように思える。
──まあ、俺が見張っていればいい。
マクィーン嬢の寛大な心を無に帰さないよう、俺はクリスティアナを見守る…いや、見張っておこうと決意した。
誰も居なくなってもなお土下座したままのクリスティアナに焦れて、俺は声をかける。
「…もう行ったぞ。顔を上げたらどうだ?」
「…はい…」
クリスティアナはゆっくり立ち上がった。制服は汚れ、額は真っ赤、顔は涙でグチャグチャである。それなのに、彼女は涙を拭っただけで歩き出す。──ちょっとまて。
「せめて制服の汚れは払え。全く、世話の焼ける…」
「あ、ありがとうございます、お兄様…」
俺は思わずクリスティアナの制服の汚れを払い、ハンカチで顔を拭う。あーあー、綺麗な顔が涙でぐちゃぐちゃではないか。
「…まあ、よく謝れたな。今まで感謝と謝罪をしたことが無いお前が」
「心を入れ替えましたから。私、ひっそり日陰で生きる人間になりますわ!目立たず、騒がず、控え目に!」
……何だそりゃ。
「…まあ、頑張れ」
「はい!今日は本当にありがとうございました、お兄様」
クリスティアナはにっこり笑って一礼すると、予鈴が鳴って慌てて走り出す。
俺は、彼女の無垢な笑顔に釘付けになって、呆然と立ち尽くしたのであった。
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次の休みには実家に戻って俺の母親に謝るというクリスティアナ。本当に別人だよ。だが、良い方向への変化なので、このまま放っておくことにした。
そして休日。俺たちは同じ馬車に乗って帰宅する。そういえば、クリスティアナは朝の用を済ませてから向かうと言っていたが、一体何の用だったのか。
「そういや、お前、朝なにやってたんだ?」
「美化委員ですので、水撒きです」
「…美化委員?」
し、信じられない…!まさかの委員会活動!
「美化委員など、務まるのか?」
「はい、頑張っております」
「ふーん、美化委員、ね…」
庭園を手入れしたり、清掃用具を確認したりと、地味な活動だ。クリスティアナがよく引き受けたよ。──いや、よく真面目に活動する気になったものだ。
──まさか、新たな男じゃないだろうな…?
そんな気配は微塵もないが、確認する必要がある。これは、あれだ。クリスティアナがまた酷い行動に出ないよう見張るためのものだ。
そんな他愛のない会話をしていると、侯爵邸に到着する。俺は先に降りて手を差し出すと、クリスティアナは素直に手を乗せた。──むう…。やはり、クリスティアナは変わったな…。
そして侯爵夫妻の出迎えに、俺たちは駆け寄った。
「お帰り、二人とも」
「ただいま戻りました」
「た、ただいま戻りましたわ…」
あ、まだクリスティアナの手を繋いだままだった。…まあいいか。振り払われていないし、彼女は妙に緊張しているし。すると、俺の手を握り返して、クリスティアナは母親に言った。
「お義母様、いままで本当に申し訳ございませんでした!」
「えっ…クリスティアナさん…?」
あ、マジで謝った!
「お兄様に聞きました。私がお義母様にとってもとってもご迷惑をおかけしていたことを」
「迷惑だなんて…」
「私、心を入れ替えました。お義母様、どうか、これまでのことをお許しくださいませ…」
「クリスティアナ…」
母親が優しくクリスティアナを抱きしめて喜ぶ。父上は涙ぐんでいた。
「さあ、中に入って。二人が帰ってくると聞いて、私ケーキを焼いたのよ」
「うわぁ!ありがとうございます、お義母様」
「ふふ、一緒に食べましょう」
「はいっ!」
二人は微笑みあって、家の中に入る。その姿を見て、使用人たちが一斉に涙を流した。
──何だろう。夢を見ているような感覚だ…。
クリスティアナ。お前は本当にあのクリスティアナなのか?
あんなに忌み嫌っていたクリスティアナなのに、俺はもう目が離せなかった。
昼食後、バルコニーで休んでいるクリスティアナを見かけ、俺は話しかけるために飲み物を渡す。
「…よく母上に謝ったな」
「それは、当然ですわ。私がずっと悪かったのですもの」
「母上のあんなに嬉しそうな顔は初めてみた。……その、ありがとう」
クリスティアナが頑張って方々に謝り倒していることを、よく分かっている。だから俺も素直に礼が言えた。
「お兄様…こちらこそ、色々ありがとうございます」
「いや。俺はなにもしていないさ」
「私、お義母様もお兄様も好きですわ」
「えっ…?」
──す、好き…?!
俺を好きなのか?!クリスティアナ!
俺は急にソワソワして、俯いているクリスティアナの手をそっと握った。
「クリスティアナ…」
好きって、本当か?!
「お兄様…私たち、これで本当の家族になれたかしら…?」
「か、家族に?!そ、そうだな、家族だな」
「ああ、良かった…!」
ホッとした笑顔を見せるクリスティアナ。うっ…だから、可愛いんだよ…その笑顔はっ!
──家族か。一瞬、期待してしまった。
……いや、何を考えている?ザック。家族だよ、そうだよそれで良いんだよ。
でも瞬間胸がキュンとなってしまった男心。
家族になれた!と手放しで喜ぶクリスティアナを、俺は複雑な気持ちで見つめるのだった。
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。