02.あんま覚えてないけど乙女ゲームなんでしょ?
結局、私の頭痛が治ったのは、1週間後だった。その間暇だったから、色々考えたりヘレンさんに話しかけたり。そういえば、メイドさんは二人いて、もう1人はヘレンさんより若い、私の一つ年下の女の子だった。名をミアという。
私は頑張った。不安がられて不審がられて、話しかけるたびに怪訝な顔をされてしまったけれど、ようやく、ようやく「お嬢様は記憶喪失になってから心を入れ替えた」設定を信じてくれた。
──もうさ、クリスティアナ。どんだけ人として駄目だったんだよ…。
時々お見舞いに来てくれたザカライアの話だと、メイドにはいつも無理難題を突きつけていたそうだ。「こんな髪型は美しい私に似合わない!」とか「こんなドレスを選ぶなんて趣味が悪い!」とか。……ホントごめん。みんな。
クリスティアナは見た目だけなら完璧な女性だった。珍しいプラチナブロンドに濃い紫色の瞳、鼻筋はなだらかなラインを描き、唇は吸い付きたくなるような紅い色。スタイルもよく、とにかく感嘆のため息が出るほど美人である。
この見た目で性格が壊滅的に悪いとか、ひたすら悪目立ちするわー。胃が痛い。
そんでもって、ここは乙女ゲーム『日はまた昇る、あなたの傍で』の世界だと思う。アリス・マクィーンを見れば確証が持てそうなんだけれど。なにせ『日はまた昇る』をプレイしたのは、1年以上前のことだ。やりこむほどプレイしていないから、物語はもう曖昧になっている。──『クリスティアナ』なんていたっけか?どうせ、役割はヒロインを虐める悪役令嬢ってトコなんだろうけれど。
はー。どうせなら、ヒロインに憑依したかった…。
結論。
私が『クリスティアナ』に憑依したのは、このカスタマーサポート部署で培った苦情処理能力を活かして、方々へお詫び行脚しろってことなんだわ。
仕方ない。どうせ『クリスティアナ』として生きるしかないのなら、フツーの常識と良識を備えた人間として頑張るしかない。これだけ美人でスタイルも良い女性になるなんて、それこそ夢のような話だ。……まあ、プラスかマイナスかと言われれば、ややマイナスの気がするけれど。
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そして、再登校の日がやって来た。超快晴。ああ…外で土下座で恥をかけってことね…。土下座程度で済めばいいけれど。
緊張しながら、私は制服に袖を通す。
「お嬢様、大丈夫ですか?何やら震えておりますが…」
「…き、緊張して…」
「久しぶりの登校ですものね。大丈夫ですよ、お嬢様」
「うう…。骨は拾っておいてください…」
「…お嬢様、本当に大丈夫なのですか…?」
ヘレンさんとミアに不安そうに見つめられる。私はコクリと頷いて、朝食の席につく。
──帰って来られるかな?いやどうだろう…。
悶々と悩んでいたら、胃がキリキリ痛んできた。私は紅茶だけ飲んで、部屋を出るのであった。
寮を出たら、ザカライアが待っていた。
「お兄様、ありがとうございます!」
「本気で謝りに行くのか?」
「…はい。もちろんです」
「ならば、こちらだ」
くるりと背を向けて、ザカライアは歩き出す。私はその広い背中に小走りで付いていった。
「この時間なら、アリス・マクィーン嬢は殿下とともに登校している」
「まあ、なぜご存知なのですか?」
「…たまたま気付いた」
そうか。ザカライアが気付くほど、アリスは殿下と登校しているのか。こ、これはますます命の危険が…!
震える足を一歩一歩動かすと、学園の校門が見えてきた。
──うわぁ…!
聖ローレンス学園。イーグルを象った門扉と、長い坂になっている入口を見て、私は思い出した。
『遅刻坂』だぁ…!
坂道の両側には桜が植えられていて、入学式のとき、ヒロインが桜の花びらが舞うこの『遅刻坂』で、第1王子と出会ったのだ。
──ああ…、どうせなら最初から見たかったよ!
私、第1王子との出会いのシーンがすっごく好きだったのに!アリスの可愛さたるや、王子のイケメンたるや、半端ねぇ!という素晴らしいスチルだったのに!
残念無念と情けなさに、少し涙目になりながら『遅刻坂』を登りきった。そして、アリスを待つ。うう、この待つ間がツラい…!
「来たぞ」
「………!」
ゆっくりと坂道を歩いてくる男女。(とそのお付きの人が背後にいる。)……ああ、アリスだ!確かに『日はまた昇る、あなたの傍で』のヒロインだっ!むしろ感動だよー!アリスたん、超可愛い~!
フワリと緩いウェーブの金髪、エメラルドの瞳、小さな鼻と愛らしい唇。小顔で手足はスラリと長い。ほんっと、モデルさんみたいに可愛いっ!
よし、謝ろう。全力で謝ろう。
「ア、アリス・マクィーン様…!」
「……ク、クリスティアナ様……」
「……貴様っ!」
私が声をかけると、アリスはビクッと身体を震わせ、第1王子は怒りの声を上げる。済みません、ほんっと、済みません!
「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」
全力の土下座。五体投地。額は地面にこすりつける。
「アリス・マクィーン様、これまでの非道の数々、お詫び申し上げます。アリス様がお望みならば、謹慎でも退学でも、私に罰をお与えくださいませ」
「……え……?」
「貴様、何を言っている?」
「土下座くらいで私の罪が消えるとは思っておりません。アリス様にはあまりに酷いご迷惑をおかけして…。私、今後、アリス様にはお目に触れぬよう生活することをお約束いたします」
「クリスティアナ様…」
ザワザワと声が聞こえる。アリスや王子だけでなく、登校途中の生徒が皆足を止めて土下座している私を見つめていた。くそう、こんな恥辱プレイ、私だって不本意だよ!
しばらく土下座で震えていると、アリスがソッと私の頭に触れた。
「…もうよろしいですわ、クリスティアナ様」
「あ、アリス様…」
「いや、アリス。温情をかけてはいけない。この者はお前にどれだけ酷いことをしたことか!」
「そうです、アリス様。私が全て悪いのです。どうか罰を…!」
泣きながら、私は叫んだ。うう、本当にごめんね、アリス。こんな可愛い子に意地悪するなんて、人としてサイテーだよ!退学くらいなら、喜んで受けるよ!……投獄とか死罪とかでなければ……。
「本当に、もうよいのです。クリスティアナ様、これからも同級生として仲良くしてくださいませ」
「アリス様…」
「…いいのか?アリス」
「はい、殿下」
ニコリとそれは美しく微笑むアリス。──大人だ。しかも、心がなんと清らかで優しいのだ!私は地面に付けた額を上げられず、アリスたちが立ち去った後も「ありがとうございます、ありがとうございます」と念仏のように唱えていた。
周囲の人間がヒソヒソ語り合う。「アリス様は本当に素晴らしい」「それに比べてクリスティアナ様は…」と。
土下座したままの私に焦れて、ザカライアが声をかけた。
「…もう行ったぞ。顔を上げたらどうだ?」
「…はい…」
私はゆっくり立ち上がる。制服は汚れ、額は真っ赤、顔は涙でグチャグチャである。自業自得なのは『クリスティアナ』であって私ではない、という理不尽は感じたら負けだ。カスタマーサポート部署だってそうだ。あの仕事は、究極「私のせいでは無い」から、素直に謝ることが出来るし、罪悪感も少ない。
私は涙を拭って歩き出した。すると、ザカライアが脇から私を止める。
「せめて制服の汚れは払え。全く、世話の焼ける…」
「あ、ありがとうございます、お兄様…」
ザカライアは甲斐甲斐しく私の制服の汚れを払い、ハンカチで顔を拭ってくれた。うう、良い人だ…!
「…まあ、よく謝れたな。今まで感謝と謝罪をしたことが無いお前が」
「心を入れ替えましたから。私、ひっそり日陰で生きる人間になりますわ!目立たず、騒がず、控え目に!」
「…まあ、頑張れ」
「はい!今日は本当にありがとうございました、お兄様」
私はにっこり笑って一礼した。すると予鈴が鳴ったので、慌てて走り出す。教室行くのも怖いけれど、逃げ回っても仕方ない。私は人形、私は路傍の石、私は透明人間…!
そう恐怖して走り出した私は、ザカライアがそんな私を呆然と見送っていたことにはちっとも気付かないのであった。
**‥‥‥**‥‥‥**
「あ、土下座ちゃん」
教室に入るなり、隣の男性にそう声をかけられた。ぐっ…朝のを見られていたのか。
「済みません、お目汚しを…」
「ふうん。記憶喪失って本当だったんだな。君がそんな風に殊勝になるなんてね」
「は、はあ…済みません…」
もうどう反応すればいいやら。……しばらくはとにかく謝り倒すか。はあ、気が重い…。
「それで?ヴィンセント殿下のことは諦めるの?あんなに追いかけ回していたのに?」
「ひいっ!」
や、やっぱり追いかけ回してたんだ!それに、ヴィンセント殿下とはね。やっぱりここは『日はまた昇る』の世界なんだな。アリスに夢中でよく見てなかったな~。私、王子推しじゃなかったし。──ん?朝の一件といい、アリスってもしかしてヴィンセントルートなのかな?!
「わ、私ごときが殿下を追いかけ回すなど、不遜の極みですわ」
「…ホントに君はあのクリスティアナ嬢なのか?全く別人みたいだ」
「ええ。心を入れ替えましたから。これからはひっそり日陰でおりますわ」
「…マジでアンタ誰よ…?」
うう、視線が痛い。しばらくは仕方ないよね。これまでがこれまでだから。ザカライア曰く、「感謝と謝罪をしたことがない」ご令嬢だったんだもんね…。
ふぅ、とため息をつくと、じーっと見つめていた隣人がさらに聞いてくる。
「もしかして、俺のことも覚えてない?」
「あ、はい。済みません」
「…マジか」
今度は不思議そうな顔をした。──おや?よく見ると美形だし、見たことがある。……さては、攻略対象か、アンタも。
「俺はレイモンド・ストレイズだ」
「ストレイズ様ですね。よろしくお願いいたします」
「…なんだか不思議だな。クリスティアナ嬢にそんな丁寧に挨拶されると」
「…左様でございますか…」
もう!本当にどんだけだよ、クリスティアナ!と私が心の中で憤慨していると、教師が入ってきた。そこで隣人との会話が終了する。私は授業に集中して一日を過ごした。
一日の授業の終了のチャイムが鳴ると、私は素早く教室を出て帰宅する。なるべく人と接触しないのが一番だ。
それにしても、五体満足で帰宅出来るとは…。アリスの優しさに感謝しかない。これまで通りに学園に通って良いなんて、ヴィンセントじゃないけどちょっと甘い気がしなくもない。助かったけれど。
──やっぱりヒロイン補正だよねー!
ヒロインは心の広い聖なる人物なのだ!殺人未遂くらいでは、無かったことにしてしまえるのだ!──いやいやいやいや。やっぱりダメでしょう。
よし。もう絶対に関わらないようにしよう。それが一番平和だよ。卒業まであと1年半。私はひたすら大人しくしていようっと!
「…クリスティアナ」
「ひぃっ!」
呼ばれて驚いて、恐る恐る振り向くと、そこにはザカライアがいた。私は安堵して力を抜く。
「お兄様、どうなさったの?」
「…いや。あれからどうだったかと思ってな…」
お兄様はどうやら私から話を聞きたいらしい。あごでカフェテリアに寄るよう指示された。目立ちたくないけれど、ザカライアの命令だ。仕方なく私はザカライアの後ろを付いていった。
初めて入る学園のカフェテリアは、乙女ゲームの舞台そのもので、私はまたしても感動に包まれる。──そうそう。ここでも幾つかスチルがあったよねー!照れるアリスちゃんが可愛いんだよー!
とちょっと興奮気味の私を、ザカライアが怪訝に見つめる。うっ、またしても変な女だと思われたようだ。
「何か思い出したか?」
「いえ、ちっとも。隣の方ですら分かりませんでした」
「そうか…」
ザカライアは何やら考え込んでいる。少し落ち着いてカフェを見渡すと、中央にアリスとヴィンセントと…もう一人美形の男性がいる。あっ!思い出した!彼はクライヴ・オルグレンだ!このゲームでは、彼のルートが一番好きだったな。堅物のくせに、好きになると一直線で大胆な所が素敵だったわ。
──アリスちゃん、誰ルート?!
「…どうした?…ああ、マクィーン嬢か…」
「私、アリス様にご迷惑をおかけするわけには。もう出て行った方がよろしいですよね?」
「…いや、向こうは気付いていないから大丈夫だろう」
いやいやいやいや!アリスは良くてもヴィンセントが怖いよ!アイツの性格、結構過激よ?うう、逃げたい…。
──ん?確か、ザカライアも攻略対象だった気が…。
「あの、お兄様は…アリス様のそばに行かなくてもよろしいのですか?」
「は?なぜだ?」
「アリス様は可愛いらしくて優しくて綺麗で可憐ではありませんか!男性ならときめかずにはいられませんわ!」
「興味ない」
あっ…そうですか…。ザカライアと結ばれれば、アリスちゃんと姉妹になれるかも!とか思ったんですけどね。
残念です。
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。私も乙女ゲーム好きですが、内容はすぐ忘れてしまいます。どんなにやり込んでても、次のゲームに取りかかればうろ覚えに。
……という設定。うろ覚えだから、フラグ回避なのか地雷踏んでるのか分かっていません。