13.僕は怒ってるよ?(※ネイト視点)
──危ないっ!
クリスティアナ嬢の身体が傾いで階段から落ちる寸前、僕の手が届いた。その細い腕を掴んでグッと引き上げる。
「大丈夫か?!クリスティアナ嬢!」
「え…あ、れ?ネイト様…?」
ゆっくりと瞼を開けたクリスティアナ嬢が、その美しい紫水晶の瞳で僕を認識する。
──間に合った…!
僕は思わずその華奢な身体をギュッと抱きしめて、犯人を──ペスラー嬢を睨んだ。
「…これまでの数々の悪行が目に余るのは、貴女の方ですよ、ペスラー嬢」
「……っ!ネイト様…!」
ペスラー嬢は僕を悲しそうに、けれど胸に抱かれたクリスティアナ嬢を憎々しげに見つめるのだった。
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事の発端は、「花盗人事件」だった。
クリスティアナ嬢が朝の水撒きに訪れると、花が根こそぎ無くなっていたという。彼女も言っていたが、花を盗むなんてあまり意味が無い行為だ。純粋な彼女は不思議がっていたが、僕はピンときた。
これは──嫌がらせだ。
ただ、誰に対する嫌がらせなのかは判別しない。僕か、クリスティアナ嬢か。どちらかが妥当なラインだけれど。
そして放課後。美化委員全員で彼女を糾弾する。目撃証言を逆手どって。
嫌がらせの対象はこれで判明した。──クリスティアナ嬢だ。
まあ、彼女の過去を遡れば、確かに仕方ないのかもという思いはよぎるが、よく思い出せばクリスティアナ嬢はマクィーン嬢以外を標的にしたことはないし、第1王子以外は眼中にない。横柄で高慢な態度だったから、周囲は彼女に近寄ったりしなかった。
だから、花壇の花を盗むとかそんな面倒な事をするとは思えない。まして、今の彼女は朝は毎日水撒きして、実に愛おしそうに花を育てていた。
犯人は間違いなくクリスティアナ嬢ではない。
──では、一体誰の仕業で何が目的なのか?
手っ取り早く僕は美化委員長に問いただす。
「委員長、目撃証言は誰からですか?」
「それには答えられない」
「目撃者は名を明かさないのに、クリスティアナ嬢は衆人環視のなか糾弾出来るとは、卑怯ですね」
「何をっ…!」
バン!と壁をぶっ叩いて、僕は問い詰める。
「…いいから教えなさい。僕がまだ穏やかなうちに、ね」
「…………は、はい…………」
そうして得られた名前の持ち主を、僕は警戒することにした。
週末、苗を買いに街に出る。──クリスティアナ嬢と二人きりなら良かったのだが…。そもそもペスラー嬢がクリスティアナ嬢を誘ったのだ。
クリスティアナ嬢は嬉しそうだから、僕は何も言えない。最近のクリスティアナ嬢はちょっと警戒心を身につけるべきだと思うよ。──まあ、ああいうちょっと間抜け…いや、純真なところが可愛いと思うけれど。
目的の苗を買って、クリスティアナ嬢はこちらをチラッと見て少しそわそわした。だが、何も言わずに「お二人とも、今日はありがとうございました」と挨拶して去っていく。──僕だって、君を誘いたかったよ、クリスティアナ嬢。
「ネイト様、お茶でもいかがですか?」
…おや。この令嬢は去らなかったのか。声をかけられて肩をすくめる。
「いえ、用がありますから」
「…そうですか…。では、失礼いたします」
クルッと翻って、ペスラー嬢は人混みに消えた。…行き先は想像がつくが、僕はしばらく街をうろつくことにした。
しばらくしてあの花屋に立ち寄る。そして店長を呼び出して僕は確認した。
「先ほどはありがとうございました。苗はキャンセルではありませんので、必ず学園に届けてください」
「えっ?!お嬢様からはキャンセルだと…」
「そんなわけないでしょう。頼んですぐあとキャンセルなどと…」
「は、はあ。まあ、なんかヘンだとは思いましたから。返金もしてませんし、明日学園に届けますよ」
「ありがとうございます」
僕はお礼とともにチップを渡し、注文を終える。──まったく、ふざけたことを。
ずいぶん手の込んだ嫌がらせをするものだ。彼女の目的は何なのだろう?と首を捻りながら、僕は帰宅した。
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そのあとも嫌がらせは続く。女生徒のノートを破いた犯人を、クリスティアナ嬢だと決めつけて非難する。クリスティアナ嬢は「違う」と言ったのだが、誰も信じないこの状況に口を閉ざした。レイモンドだけがシラッとしていて、「お前らばっかじゃねーの」とクリスティアナ嬢をかばっていた。
どうせこれも彼女なのだろう。だが、証拠がない。クリスティアナ嬢は肩を落としてまた一人になる。──最近はマクィーン嬢が傍にいたのに。
けれど、彼女は決して泣いたりしなかった。諦めは早いが、メソメソベソベソいじける女性ではない。中々芯が強そうだ。傍に居てあげたいが、嫌がらせの犯人を監視しておいた方が良いだろうと僕はだんまりを決め込む。
だが、彼女の嫌がらせはエスカレートし、とうとう怪我人が出たのだった。
ある日の授業中のことだった。
それは体育で、クリケットの練習だった。…僕はいつも思う。スポーツをなぜ団体でやらねばならないのか。「みんなで力を合わせて!」の精神が僕は苦手だ。やりたいヤツが好きにやっていればいい。究極の個人主義だ。
たいして面白みの無いクリケットをダラダラとやっていると、女子の方に向かって練習をする馬鹿がいた。あまりに怪しいのでちらちら気にしていると、女子の悲鳴が上がる。──僕は一目散にぶつけた犯人をつるし上げる。
「…何をしている…」
「別に、授業を受けているだけだぜ?」
「女生徒に怪我をさせただろう…!」
「やってない」
クソが!しらを切れると思うな!
ギリ…と掴んだ腕を捻り上げる。
「子爵令息風情がイキがるな…」
「ひっ…!」
ついでに脅す。
「確か、君の父親は外務官僚だったかな?」
「あ…う…」
「さて、君は、いま、何をしたのかな?」
「うう…お、俺は…何も…」
「俺も見たよ」
ゆっくり後ろを振り向くと、レイモンドが男を睨んでいる。おや、珍しい。ご立腹のようだね。
「クリスティアナ嬢とマクィーン嬢。二人にクリケットのボールを当てたのは、何のためなのかな?」
「あ…うう…」
「子爵家は抹消かな?」
黒い笑顔でレイモンドは脅す。さしもの男もベラベラと白状した。
「…度を超してるね」
「ああ。お仕置きが必要のようだ」
遠くを見ると、クリスティアナ嬢が一人佇んでいる。僕たちは彼女に駆け寄った。──ん?レイモンドまで、何で?
クリスティアナに近づくと、なんと彼女は泣いていた。僕に動揺が走る。
「クリスティアナ嬢?どうしたの?」
「あぅ…っ…ア、アリス様がっ…怪我を…っ!」
「あー、もしかして、クリケットのボールが当たった?」
「は、は、はい…」
ぐずぐず泣きながら、クリスティアナ嬢はなんとか答える。
──可愛い…!
普段泣かない子がぐずぐずになると、滅茶苦茶可愛いんだなー!ギャップ萌えか?
思わず僕は彼女をふんわり抱きしめた。あっ…柔らかい…っ!
「泣かないで、クリスティアナ嬢…」
「あ、ずりーな、ネイト。ところで、なんでクリスティアナ嬢が泣いているの?」
「わ、私、の、これまでの、あ、悪行が、アリス様を、不幸に、させて、しまった、の、かも…っ」
「んな馬鹿な」
レイモンドは呆れながら一刀両断した。さすがに僕もそのツッコミには賛成だ。クリスティアナ嬢、そんなわけないでしょうよ。
ん?──マクィーン嬢…?カチッとピースがハマる。
「ああ、これは…」
「ん?なんか知っているの?」
「まあ、ね。──クリスティアナ嬢、もしかして、マクィーン嬢の怪我の犯人扱いされた?」
「は、はい」
「……ふーん、そう……」
レイモンドも気付いたようだ。レイモンドがものすごく怖い声で反応する。
「俺、その犯人見たよ」
…っていうか、捕まえてボコったよね?
「ええっ!」
「だから、クリスティアナ嬢は気にしなくていい。堂々としていなよ」
「で、でも、私、間接的にアリス様にご迷惑を…!」
「んなわけねーって。大丈夫、大丈夫」
レイモンドがポンポンと頭を叩いた。…こら、触るな。彼女は僕のだ。(※違います)
レイモンドに対抗するべく、僕は彼女の耳元で「僕は貴女の味方ですよ」と囁く。クリスティアナ嬢はピクッと可愛らしく反応して、涙が止まる。
──もうさ、僕の囁きくらいでそんな風に愛らしくなってくれるなんて、君くらいだよ。
だから、諦めない。誰を押しのけても、最後に笑うのは僕だ。
僕たちは顔面を真っ赤にさせたクリスティアナ嬢の手を引いて教室に戻った。
**‥‥‥**‥‥‥**
クリスティアナ嬢の誤解は解けないまま、剣術大会を迎える。こんな大会は面倒で仕方ないが、今年は見せたい相手がいる。それだけで妙に張り切ってしまうのだから、恋は不思議だ。
レイモンドも強いが、今年も決勝は多分クライヴだろう。──ヤツもマクィーン嬢に良いところを見せたいからな。死に物狂いで張り切るだろう。
でも僕は負けないよ?
お前らキラメンには分からないだろうけど、切れ長細目は努力しないと好きな子の気を引けないのよ。…美形はいいよなー。努力しなくても格好いいもんなー。
…てな感じで僕は対戦相手をボッコボコにして勝ち上がる。決勝は…やっぱりクライヴだった。
「…負けません」
「それはこちらも同じだよ、クライヴ」
ガァン!と打ち合う。…くそ。やっぱ強いな。美青年のくせに努力なんかするんじゃねぇ!無傷で決勝まで来たけど、さすがにお互い剣撃が当たる。…痛い。
100合ほども打ち合った頃、クライヴの一瞬の隙をついて、ついに剣を跳ね飛ばした。──勝負あり!と審判が叫んで試合が終了する。
ちょっと期待してクリスティアナ嬢のいる観客席を見ると、期待通りクリスティアナ嬢が僕を見てバチバチ手を打って喜んでいる。
──やったぞ、僕!
よく頑張った!今までの努力は、今日この日のため!
サッとクリスティアナ嬢に片手を振ると、クリスティアナ嬢は可愛く笑う。…はぅぅっ!
クリスティアナ嬢の愛らしい笑顔に射貫かれつつ、表彰式。組紐のプレゼンターは…マクィーン嬢だった。残念…。
と思ったら、渡された組紐を見て驚く。思わずマクィーン嬢をジッと見つめる。マクィーン嬢は微笑んで強く頷いた。
空色の、組紐。
僕は作り主に恋をしている。
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放課後、組紐のお礼を言おうとクリスティアナ嬢を探していると、階段の踊り場で彼女の声が聞こえた。誰かと争っているような声色だから、僕は慌てて駆けつける。
間一髪、彼女を落下からすくい上げられた。…だが、階段下の視線の先には、ザカライアが鬼の形相でこっちに近づいてくる。クリスティアナ嬢が階段から落とされそうになったことに対する怒りか、それとも彼女を抱く僕に対する怒りか。──どっちもだろうな。
「さあ、断罪の時間だよ、ペスラー嬢」
「ネイト様…私は…」
「これまでの嫌がらせは、すべて貴女の仕業だね?」
「…違いますわ…」
「嘘をつくな!」
踊り場に上がったザカライアの厳しい声が、ペスラー嬢を貫く。ペスラー嬢は泣きながら言い訳を始める。
「だって…っ…だって、私…っ!」
「…なに?」
「ネ、ネイト様を…お慕いして…」
「……ん?」
「ネイト様を、独り占めする、クリスティアナ、様が、憎く、て…」
「…………は?」
僕を、好きだって?!
今までそんな素振りを見せたことなかったのに?!
生まれて初めての告白にも、なんだかしらけてしまう。だったらさっさと告白すれば良かったじゃないか。嫌がらせなどしてないで。
…どうせ、周りに合わせてないと馬鹿にされるからだろう?僕を好きだと知られたら、悪趣味だと思われるから黙っていたんだろう?
はぁ…とため息をついていると、ザカライアが恐ろしいことを言う。
「そうか。ならコイツはくれてやる。…もう二度とクリスティアナに嫌がらせをするな」
「あっ!」
腕の中のクリスティアナ嬢をザカライアに横取りされた上、僕をペスラー嬢に押し付ける。──くそ!この筋肉が!
「…ザカライア殿、その手をお離しください」
「いやだ。クリスティアナは引き取るから、お前はそのご令嬢と話をつけろ」
「…お兄様、私、ペスラー様とお話ししたいですわ…」
「…クリス…」
ザカライアは抱き上げたクリスティアナ嬢をそっと下ろす。クリスティアナ嬢は、しゃがみ込むペスラー嬢に近づいて言った。
「ネイト様は素敵ですものね。ペスラー様のお気持ち、分かりますわ…」
「噓よ!貴女はずっとヴィンセント殿下を追い回していたでしょう?!私は…私は去年の剣術大会からずっと好きだったのよ…!」
──だから、なぜその時に言わないのだ。
「た、確かに私がネイト様の魅力に射貫かれたのは最近ですわ…。彼の切れ長で細い瞳といったら…」
「ああっ!クリスティアナ様、分かる、分かりますわぁ…!糸目が魅力的なんですのよぉぉ!」
「さすが、ペスラー様ですわっ!お目が高いこと…!」
なぜか分かり合う女性二人。──あのね、褒めてるようで、悪口だからね?切れ長細目は僕のコンプレックスだから!
脇でザカライアが「切れ長細目のどこがいいんだ?」と呟いている。うるせー!これだからキラメンはっ!(怒)
「…でも、アリス様に怪我をさせてはいけませんわ。どうか、アリス様によく謝ってくださいませ」
「………そうね。アリス様には…本当に申し訳ないことをしてしまったわ」
「ありがとうございます、ペスラー様」
クリスティアナ嬢とペスラー嬢は手を取り合って立ち上がる。背後からクリスティアナ嬢の肩を抱きながら、ザカライアは聞いた。
「クリス、甘いぞ。お前は殺されるところだったんだぞ?」
「まあ、お兄様ったら。私も同じでしたのよ?」
「……………あ」
クリスティアナ嬢がマクィーン嬢を突き落とそうとして失敗し、階段から落ちて記憶喪失になったのは有名な話。
だから、クリスティアナ嬢はペスラー嬢を許すというのだ。──僕は大いに感動した。いまのクリスティアナ嬢は、もはや完全に別人だ。
ペスラー嬢は僕たちに一礼してまっすぐに歩き出した。あの背筋の伸びた美しい後ろ姿を見る限り、彼女はもう二度とこのようなことはしないだろう。
彼女を見送ると、傍らでソッとクリスティアナ嬢から手を握られる。そして「…ネイト様、助けて下さって、本当にありがとうございました…」と紫水晶の美しい瞳で見上げられた。
「無事で良かった」と僕は返す。
だって、好きな子には良いとこ見せたいからね!
お読み頂きまして、誠にありがとうございました。