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沈黙の囁き  作者: 借屍還魂
6/12

鱗也の話

File.xxx5

 鱗也は自室ではない暖房のよく効いた部屋にいた。室温は摂氏28度。少し暑いとも感じられる部屋で、既に主のいない部屋でもある。


 暖かいを通り越して、服装の調節を失敗すれば寧ろ暑い部屋に来ているのには一応、理由がある。鱗也の最近の趣味は読書であり、しかし、最近まで読書があまり好きではなかったので、自室には本が無いからだ。

 それなら、本を自室に持ち帰るなり、新しい本を持ってきてもらうなりすればいい事は分かっている。それでも、鱗也は毎日毎日、時間が許される限りはこの部屋で本を読むのだった。


 服の襟をつかみ、少し前後させることで風を送る。少しだけ胸元が涼しく感じるものの、根本的な解決には至らない行動だ。

「あっついな……」

 鱗也は、部屋にあるベッドの横の椅子に座って読書をしていたが、そう呟いて本から視線を挙げると同時に集中力が切れたことを自覚し、静かにしおりを挟んで本棚に戻した。

 首元に何重にも巻かれた包帯を緩めようとして、やめる。この包帯は、鱗也の症状を悪化させないために付けられているものなのである。

「見た目的には、悪化しそうなんだけど……」

 鱗也の症状は、身体に鱗が生えてくることである。小さな、紫がかった青色の鱗が腕や首など、一般的に蕁麻疹が出てきそうな位置に生えてきていた。

 首の包帯は、これ以上の刺激を与えないことで鱗の増加を防ぐ効果があると説明されている。鱗が生える以外には体に異常が無い為、部屋から出て行動することに制限は掛けられていない。

「……本、あと少しで」

 後少しで読み終わるのだ。全体の割合としては九割程度読んだところだろう。しかし、この暑さで情報が多い最後の部分を呼んでも頭に入らないな、と鱗也は感じていた。

「本当は、持って帰っていいことくらい、わかってる」

 鱗也は、視線をベッドの方に向けた。この部屋の主が、本来いるべき空間。そこには、無機質な、白く四角い箱だけが置いてある。持ち主は死んでしまっているのだから、本を持ち出したところで今更文句は言われないのだ。

「お前、本返せって煩いもんな」

 箱の表面を軽く拳で叩く。コン、と軽い音が響いて、鱗也はなんとなくこの音は嫌いだな、と思った。この中で、この部屋の主、本の持ち主である氷織は眠っている。完全に締め切られた箱の外からでは中の様子は全く見えない。

「外から温めても、溶けないみたいだな」

 まさに、棺と形容すべき箱は、顔の部分だけ内部が見えるようにガラスが嵌められているが、凍ってしまった氷織は尚も冷気を発し続け、ガラスを白く曇らせている。

 本当は、箱の中も室温と同じく摂氏28度に設定されているらしい。しかし、実際は箱から常に冷気が発されている。冷血漢、など人物を差して罵る言葉はあるものの、実際に血すらも凍っているので氷織の場合は洒落にならないな、と鱗也は思った。

「……溶けたら、どうなるんだろうな」

 もしも、氷を溶かす為に火で炙ったら中身の氷織だけ取り出せるのだろうか。それとも、そのまま骨だけになってしまうのか。考えたところで答えが出ないことはわかっているが、ぐるぐると思考が脳内をめぐる。

「どうせ、俺は、いや、俺達は」

 完全に氷織が死んだという裏付けがない限り、死んだように凍っているだけ、と思い続けるのだろう。鱗也は静かに、ひんやりとした箱の蓋の上に手を置いた。生気が吸い取られるような冷たさだ。

「……や、鱗也」

 控えめなノックの音が、静かな部屋に響く。本来入室の許可を出すべき主人は、やはり起きる気配がない。

「鱗也、いるのか?」

 そっと、扉を開けて入ってきたのは青二だ。鱗也と同じく、青二も毎日この部屋に訪れている一人だ。ただ、訪れる目的は別であるが。

「いるよ、青二」

「……よかった」

 青二がこの部屋に来てするのは、トランプだ。氷織のトランプを貰ったからだが、直接受け取ったわけではない。あの日、氷織が凍り付いてしまった後、看護師を呼ぶよりも前に鱗也の目に入ったものがあった。

「……またそれか?」

「これ以外に用事あると思うか?」

「いや」

 氷織が本を置いていた棚に、一緒に置いてあったトランプケース。ケースから透けて見えるはずの一番上のカードは、常にスペードのエースだったのだが、その日は違った。

『青二にあげる』

 とだけ、青いボールペンで書かれたメモがケースの一番上に入れられていたのだ。その事に気付き、翌日、氷織のことが明らかになった後、鱗也は青二にこのことを伝えた。

「穴が開くぞ」

「……冗談」

 青二は、毎日このメモを穴が開くほどに見つめる。別に、書いてある内容は簡潔であるし、読解が難しい程文字が下手なわけではない。女らしい丸文字ではなく少し癖のある字だが、崩れているようで、行書体で綺麗に書いているような、バランスの取れた字だ。

「炙っても、何しても、それ以上は何もないぞ」

「わかってるって」

 何も変化がないことくらいわかっているのだが、青二は毎日メモを見て、鱗也はその様子を静かに眺める。青二は満足するまでメモを見ると、ケースから他のカードを取り出し、山札を混ぜていく。

「はい」

「まだ何も言ってない」

「付き合ってくれるだろ?」

 鱗也は、青二から五枚のカードを差し出され、ため息をついた。文句を言うものの、引く気のない青二を見て仕方ないとため息をつきながらカードを受け取った。

「ルールは?」

「いつも通り。ポーカー」

「五点?」

「そう」

 氷織と青二が日課のように行っていたポーカーを、今は鱗也と青二で行っている。因みに、現在の鱗也の戦績は二勝五敗一引き分けだ。前回五敗目を喫し、負け越している。

「まずは何点?」

「一点で」

 鱗也は、どちらかというと慎重な方だ。何時も勝負の初めは一点から賭ける。鱗也はカードを確認しつつ、青二の表情を窺う。普段は豊かな表情が、勝負の時は一向に読めない。勝負所を逃さない強さが青二にはある。

「先に交換していい?」

「どうぞ」

 青二はカードを一枚だけ交換した。一方、鱗也の手札は揃っているカードが無い。全部交換しても良い所だが、それは役無しであることをばらすようなものだ。諦めて、クラブのキング、ハートのジャック、ダイヤの6を残して二枚カードを交換する。確率が同じなら、少しでも強い手札を残しておく作戦だ。

「フォールドする?」

「……しない。コール」

 手札に来た二枚を確認し、コールを宣言する。青二は意外そうに目を開いてから、自身の手札に目を落とした。

「オープン」

 青二の手札はダイヤの6以外の6をそろえたスリーカード。対する鱗也の手札はキングのワンペアだ。初戦から負けるとは、幸先がいいとはとても言えない状況に鱗也は苦笑した。


 結局、その日の勝負の結果は鱗也の敗北だった。連敗したな、と内心悔しく思っている鱗也とは対照的に、青二は嬉しさを隠さず、鼻歌を歌いながらトランプを片付け始めた。

「……聞いたことある歌だな」

「タイトルも歌詞も覚えてないけどな」

 なんとなく、聞き覚えのあるメロディだ。陽気な歌を歌いながら、青二は丁寧な手つきでトランプをケースに入れ、蓋を閉めて氷織の机の上に置く。

 机の上に置く理由は、氷織がいつ起きてもいいようにである。起きた時に、氷織の手元にあるように。氷織が書いたメモも丁寧に、山札の一番上に置いておき、ゲームが終わるまでの時間で氷織が起きなかったことを確認しては、寂しそうに青二は文字を読み返す。

「……なあ」

 そうして、片付けが終わった後に青二がいう事は決まっている。勝っても、負けても、必ず同じ言葉を青二は口にするのだ。勝った時の方が、有無を言わさぬ語調で言うけれど。

「あしたも、やろう」

 鱗也は、本当はお願いだから、と青二が続けたいのを知っていた。この言葉を口にするとき、何時だって青二は情けない顔をしているから。

 こうやって約束をして、また明日も会うために青二は真面目にポーカーをしていることも、鱗也は知っている。知っているから、毎日ここに来ているのだ。

「……気が向いたら」

 知っていても、返す言葉はいつも同じだ。確約はしない、できない。青二も、鱗也も。


 今日は、雨が降っている。絶え間なく窓を叩く雨の音は眠りを誘うが、時折あたりに轟く雷鳴が目を覚まさせる。鱗也は窓から空を眺め、ざあざあと止まることなく降っている雨を見て、シャワーというよりは滝のような雨だな、と思った。

「……雨だし、青二は来ないだろうな」

 これだけ雨が降っていて、止む気配もないとなれば、青二は一日部屋から出られないだろう。青二には悪いが、今日は一人で時間を潰すとしよう。朝食の鮭にぎりを食べながら鱗也はそう思い、氷織の部屋に向かうことにする。

「入るぞ」

 返事がない事は分かっているが、一応声だけかけて入室する。勝手知ったる他人の部屋とはいえ、相手が女子ということもあっての配慮のようなものだ。

「あっつ……」

 鱗也が氷織の部屋に入ってまず感じたのは、昨日以上の熱気だ。暖房の温度自体は変わっていないのだが、雨での湿気があるからか、とても暑いように感じる。

「部屋の温度設定、頭おかしくないか……」

 文句を言っても返事はないし、温度設定を勝手に変更するわけにもいかないのだが、思ったことはそのまま口にしておく。悪口を言ったら、言い返す為に起きるかもしれない、という考えが少しだけあった。

「……なんか言えよ」

 静かな部屋の中で、鱗也は憎たらしい、頬が凍り付いた氷織の顔を見る。氷織が凍る時、目の前で体の先から動かなくなっていく姿を見て、鱗也の目から鱗が落ちたことを思い出す。

 その時は『まじかよ』の一言しか出なかったのだが、鱗也の目からは薄い青紫掛かった透明な鱗が一枚、床に零れ落ちていた。

「本当、目から鱗ってあるんだぞ」

 比喩として驚いた時に使う言葉である目から鱗。自身から、物理的に鱗が落ちるというのは本当に驚きだった。人間の目は、当然だが鱗が出るような構造に放っていないし、そもそも人間の体から鱗が作られるのかも鱗也は知らない。

「今考えれば、全部お前が最初だったのかも」

 あの日を境に、最初は腕に一つか二つしかなかった鱗が、関節ではない所に段々と増えてきた。暖かい所にいると、なんとなく体の調子がいいように感じるようになった。

「多分、変温動物に近いんだろうな」

 変温動物は気温が高い方が活発になる。この鱗の形状も、魚というよりは爬虫類に近いような感じがする。そして、暖かい部屋が自分に良くないと鱗也が気付いたのは、つい最近だ。

「……気温が高いと、体内の細胞も活性化するんだ」

 鱗也は返事をしない箱に話しかけ続ける。暖かい部屋にいると、鱗が生えてくるのが早い気がする。最近は首元も殆ど鱗に覆われ、そして、のど元に一枚、逆さに生えた鱗があることにも気付いた。

「無性に水に入りたくなるの、何なんだろうな」

 横にある椅子を立って、ベッドの上の箱に並んで座る窓から見える雨に、異様なまでに目が奪われている自覚が、鱗也には会った。外に出て走りたい。鳴り響く雷の方に呼ばれている、根拠のない考えが頭に浮かぶ。

「……青二が、雨、嫌いになるかもな」

 鱗也が同意を求めて箱を軽くたたいても、返事は返ってこない。言いたいことだけ言って、逃げた氷織を見ると鱗也は何とも言えない気持ちになった。衝動的に包帯の上から首を搔きむしると、近くに雷が落ちた。

「……これ」

 雷の光が、線の様に本棚を照らしたように見えた。一瞬だけ走った、その軌跡をたどるように本棚に手を伸ばし、一冊の本を手に取る。

「最終巻……」

 昨日、結局途中で読むのをやめた小説だ。しおりを挟んでいたページを開くと、もう残りは七ページほどしかなかった。だが、小説の残りの内容も、最後の一行を見てすべて鱗也の頭から吹き飛んでしまった。

「白い、姫金魚草」

 この小説を読み始めた時、氷織は本の端を折られたらいやだからと、鱗也に押し花を使ったしおりを渡した。そう、白い姫金魚草のしおりを。

「皮肉かよ……」

 小説の最後の行に、その花は登場する。本を貸してくれと言った時は、氷織は最後まで読み切れるのか疑わしい目を向けていたというのに、最後まで読まないと分からない仕掛けをしていたのだ。

「……何か挟んである」

 後書きより後ろ、最後のページに挟まっているのは、勿忘草のメモ用紙。青二に残してあるものと同じ紙だ。そこには、氷織の字で花言葉が記してある。

『私を忘れないで、友情』

 器用なやつだ、と鱗也は氷織への評価を改めた。突然凍ったくせに、後に残された俺達に言い残したことだけは沢山ある。

「その気持ちはわからなくもない」

 友達に忘れられたくないと思うのは、人として、おかしい事ではないと思う。鱗也は氷織の机から勿忘草のメモを一枚拝借し、適当なシャーペンも拝借して青二に一言書き残す。引き出しの中の小さな折り鶴は、見なかったふりをした。

「お別れだ」

 そう告げる相手は、青二ではない。メモを残しても見る事ができない相手に、伝えるために口に出したのだ。鱗也は、ここはただの監獄であり、病気何て治らないと気づいてしまった。そんなところに留まり続けて、分かり切った終わりを迎えるのは嫌だった。

 鱗也は静かに窓を開けた。雨が部屋に入り込んで来るのも気にせず、窓枠に足を掛けた。風を受けたカーテンが膨らみ、雨が棺桶のような箱を濡らす。雨粒が箱に当たった瞬間に、氷が砕けるような音がした。

 最後にもう一度だけ、と箱に目を向け、口を開く。

「『   』」

 鱗也の口から零れ落ちた言葉を、鱗也は理解できなかった。しかし、その言葉を確かに知っていた。そうか、こいつの名前はそうだった。確かに呼んだはずなのに、鱗也の頭の中には音が残らず空気に溶けていく。

「だけど、確かに」

 名前を、呼んだ。そう思うと同時に、鱗也の、四階の窓から飛び出した体は地面に近付いていった。


 今更、誰が何と言っても、お前は狭い箱の中にいる。


鱗也、読みは「りんや」、男性。

好きなものはおにぎり、鮭。

嫌いなものは黒糖。

趣味は他人の癖探し、特技は折り紙でよく小さい鶴を大量に作る。

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