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沈黙の囁き  作者: 借屍還魂
5/12

翔真の話

File.xxx4

 翔真は四階にある、何の変哲もない部屋にいた。本当に特に特殊なものもなく、面白みのないシンプルな病室である。


 外出制限は特にかかっていないが、翔真は外に出るのを面倒だと感じる性質だった。翔真の病状は、何故か背中に黒い羽が生えていくというもので、烏天狗のようだと常々感じていた。痛みはないが、横に広がると扉を使って移動するときに邪魔である。

 記憶は、病院に来てからのことは完全に覚えており、病状が進行すると言っても羽の枚数が増えているくらいのことなので、特に気にせず毎日を過ごしていた。


 そして、現在、翔真は暇だった。途轍もなく暇だった。「とてつ」を「途轍」と漢字表記してまで伝えたいほどに暇だった。

 理由は、客観的事実として述べれば非常に簡潔なものであったが、主観的な心情を織り交ぜて述べると大変複雑なものだった。

「あー、暇、なんだな、俺」

 翔真は読んでいた本をベッドの上に投げ出した。そして自身の体を布団に沈め、一息ついたところで思い出した。

「栞挟むの忘れた…」

 翔真は誰かに聞かせるでもなく、そう呟いてから、まあいいか、と思った。どうせ、入院してから何度も読み返している本であるため、次の読み始めた多少ズレたところで、内容は頭に入っているのだ。

「正直、場所によっては暗唱できそう」

 病院に入ってから数か月。代り映えのない日常は、翔真にとって退屈以外の何物でもなかった。

 新しい本が手に入るわけでも、娯楽があるわけでもない。一番の刺激となるのは他人との会話だが、徐々に与えられた病室から外に出てくる人数は減っている。

「悪化してるのかな…」

 恐らく、病状が悪化しているものは外に出なく、正しくは出られなくなっていっているのだろう。

 緩やかに、しかし確実に退廃していく日常。そんな風に翔真は感じていた。これ以上事態が好転することもなく、唯々ゆっくりと破滅に向かっているだけであろうことに、翔真はとっくに気付いていた。

「最近は、ナースセンターの人も少ないし」

 ナースセンターに留まっている人が少ないという事は、どこかの手伝いに駆り出されているという事である。それは、誰かの世話や、又は片付け作業などに人手がいるからではないだろうか。

「………今日は、前ほど慌ただしくないみたいだけど」

 元々、哲学が好きで延々と考え続けることが好きな翔真は、それを活かして限られた情報から現在の病院内の状況を推測することが日課だった。

「そろそろ、今日のも書きますか」

 取り出したのは、ノートである。毎日、小さな気付きでもいいのでノートに書き続けることで、記憶力の向上を図っている。というのが表向きの理由で、実際はこの病院について調べたことをまとめているだけである。

 写経をしたいと言ったらノートはあっさり貰えた。事実、写経用に使っているノートもあるので嘘ではない。字は下手だと言われるけれど。

「やっぱり、名前は思い出せないか」

 翔真含め、他の全員もこの病院に来た約半年前の時点で名前を覚えていない。そして、最初は面識があったはずのお互いのことも忘れているという事。それらがノートに箇条書きされている。

「でも、目的が分からないんだよな…」

 恐らくだが、此処に入院している理由は、単純に治療の為ではないのだろう。治療なら、もっと都会の大病院とかでもいいはずだ。看護師の顔触れが変わらないことから、感染力が強い病気とも思えない。

「……これ、誰だったか」

 ノートの文字の中に、見慣れない名詞がある。名前だろう。それでも、その名前に対応する顔は全く思い浮かんでこない。横の説明を見ると、違う階の人物であることが分かる。

 重要事項のページに書いてある、関わりの少ない人から忘れる、という文字の横に可能性が高い、とだけ書き加える。

「さて、隠しますか」

 ノートによれば、初日に日記のようなものを持ってきていないかの確認があったと書いてある。そして、翔真もその事は忘れていなかった。

「都合が悪いです、って言ってるようなもんだよな」

 病院側にとって、患者の記憶は重要なことなのかもしれない。だからこそ、何を書くかわからない日記などは禁止されたのではないだろうか、と翔真は推測していた。

「抜き打ちで持ち物検査するし…」

 初日以外は、ごくたまに見回りの看護師たちが持ち物検査をしていることは分かっていることだった。一人が翔真の健康チェックをしている間に、備品確認という名目で部屋中を探し回るのだ。

「意外とバレないもんだね」

 ベッドの下を探り、鍵付きの箱を取り出す。衣服などを入れる洗濯籠を二重にし、その下側に布と一緒に入れてあるのだ。

 使わない洗濯籠を重ねて置いているだけに見えるので、今までこの中を確認されたことはない。もしされたとしても、一応鍵が掛かっているので大丈夫だが。

「無理やりこじ開けたら話は別だけど」

 その時は、その時だ。

「翔真」

 外から、ノック音と共に声がかかる。その声を聴き、手早く箱を元の位置に戻した。同じ患者とはいえ、ノートを見られるのは若干都合が悪いのだ。

相手のことを信用していないという訳ではない。余程のことがない限り口を割るとは思っていないが、変に巻き込む必要もないだろうと思ってのことだ。

「翔真、入るよ」

「……返事する前に入ってきてる気がするけど」

 入るよ、と声を掛けると同時に扉が開く。黒い、肩で切りそろえられた髪を揺らして、少女とも女性ともいえぬ人物が部屋に入ってきた。

「いらっしゃい、不由美」

 その姿は、昨日から寸分たりとも変わることはない。なぜなら、それこそが彼女の病気なのだから。

「今日も昨日と変わらず綺麗だね」

「はいはい、お邪魔します」

 褒め言葉を軽く受け流しながら不由美が部屋に入ってくる。不老不死に近いものなのか、この病院に来てからも、それより前の朧げな記憶の中でも、彼女の姿は変わっていない。

 病院に来る前の、曖昧な記憶の中の彼女が何歳なのか、自分とはどういう関係だったのか翔真には全く分からないが、変わっていないという事だけはわかる。

「…老けないって意味では、羨ましいけど」

「最近は髪が伸びないから困るよ」

 不由美は見た目が変わらないだけではない。体力的、視覚的な変化がなかっただけの彼女の体は、ここ数か月は肌の調子が変わることも、爪や髪が伸びることもなくなったという。

「……貴女だけが永遠に美しい」

「ちょっと」

「なーんて、全く、羨ましいね」

「ふざけないで」

 語尾にハートマークがつきそうな口調で不由美に言うと、低い声で返された。別に翔真はふざけている訳ではないのだが。

単純に、永遠の美しさは一般的に羨まれるものだと思うし、今の不由美が綺麗だから、維持されるなら美しいままだと言いたかっただけなのだが、真意は伝わっていないようだ。

「ねえ、飲み物、取っていい」

 聞きながら、答えも聞かずに不由美は慣れた手つきで冷蔵庫の中から缶のミルクセーキを取り出した。そしてもう片方の手でペットボトルのコーラを持って戻ってくる。

「はい」

「ありがと」

 コーラ好きでしょ、と不由美が聞いてくることはないし、翔真もミルクセーキ取っていいぞ、と言う事はない。勝手知ったる他人の部屋とはよく言ったものだと、このやり取りをするたびに翔真はしみじみと思っていた。

「………翔真」

「相変わらず開けられないか」

 ほとんど毎日、ミルクセーキを飲んでいるというのに、プルタブを開けられないのは成長をしない分、筋肉が発達することもないからだろうか。

 一口、二口。お互いに無言のまま、手にした飲み物で喉を潤していく。どちらともなく、一息ついた。

「体調、大丈夫なの?」

「んー」

「真面目に答えてよ」

 脈絡もなく、不由美が体調を訪ねるのはいつものことだった。そもそも、二人がいる場所は病院である。お互いに体調を気にすることは不自然ではない。

 特に、不由美は当面、病死するという可能性は低い。逆に、置いて行かれる側の人間である。そのことに気付いてから、不由美は他人がいなくなることを恐れたのか、体調を気に掛けるようになった。

「そうは言われても」

「小さな変化でもいいから」

 とはいえ、本当に体調が悪い人間の部屋には立ち入りはできない。不由美の、焦りや心配からくる質問は、翔真以外にされることはない。

「それなりだよ」

「変化なし?」

「夜ごとに少しずつ進んでる」

 こういう、体調を確認するような説明も、尋ねられる人物によっては自分の病状が良くないのではないかと思いこみ、本当に悪化させる可能性があるが、翔真は自分以外に質問をする機会がない事を知っているので、不由美には何も言わない。

「…ふうん、見てもいい?」

「別にいいけど…」

 翔真の病状は体から羽が生えてくることだが、体から、といっても所謂天使のように背中に集中して生えてきている。

「あ、待って、上着に引っ掛かったかも」

「取ってあげるから待って」

 背中に突っかかった感触がして、翔真は上着を脱ぐ手を止めた。ベッドの上に黒い羽が落ちる。最初こそ堕天使になってしまう、とふざけて言っていたが、肩甲骨を覆うほどまで大きくなった羽は正直邪魔である。

「結構大きくなってきたね」

「流石に、大きくなってくると邪魔だよなあ…」

「そろそろ天狗になりそうだよね」

 大きな背中の黒い羽は、確かに鞍馬天狗やそれらに近い気がする。暫く不由美は羽を触ったりしていたが、確認が終わったのか再びミルクセーキに手を伸ばした。

「ちょっと、着るの手伝ってよ」

「え、自力で大丈夫でしょ?」

「そうだけど…」

 羽の生えている向きからして、脱ぐよりは着る方が簡単ではある。しかし、着脱が難しい事には変わりがない。翔真は不由美に訴えるものの、不由美は我関せず、といった風にミルクセーキを堪能するのだった。

「……はぁ」

 まあ、こんな日常も悪くはないか、と翔真はコーラを呷った。


 歯車が一つ欠け落ちたら、そこから機関全体が崩壊するまではあっという間である。翔真は最近、改めてそう思っていた。

 一人、死んだと話を聞いてからは、歯車が噛み合わなくなったところから狂っていき、段々と不穏な空気が病院全体に蔓延し始めていた。

「……俺の所には、話しか入ってこないけれど」

 そう言って、翔真は自身の手元にあるノートに、文章をまとめ始めた。できる限り正確に、多くの情報を書き記すために。

「一人目」

 最初の一人は、彼女が好きだと言っていた鉱石に閉じ込められるように、凍ってしまったと聞いた。体の表面から徐々に広がった氷の結晶は、棺のように彼女を完全に閉じ込めてしまっているそうだ。

「もう、俺を先輩って、呼ぶ奴はいないな」

 翔真のことを先輩と読んでいたのは彼女だけである。正確に言うと、凍ってしまうよりずいぶん前から彼女は翔真を先輩と呼ばなくなっていたのだが。

『先輩、多分、先輩のこと、先輩って呼ばなくなったら、きっと、もう駄目です』

 そう言っていたことを覚えている。翔真も、既に彼女の名前が思い出せない。ノートに記された文字を見ている間は認識できているのだが、言葉にするより前に、目を離した瞬間に脳内から抜け落ちていくのだ。

「それでも、重要な情報ではある」

 誰よりも病気の進行が早かった彼女のお陰で、病気の進行度と記憶の欠如には関係性があるという事が分かった。

 彼女が欠けてからは、一人、また一人と体調が崩れていき、その話を纏めることで更に情報は集まってきていた。

「決定的な情報はないけど…」

 集めていくことで、いずれ辿り着くだろうと翔真は確信していた。しかし、体調が悪化しているのは周囲の人物だけではないことを、翔真はよくわかっていた。

「明日か…」

 翔真の背中の羽は、既に普通の服が着ることができないくらいの大きさになっていた。そのため、明朝八時に手術を受けることが決まったのだ。

「神経は通ってないらしいけど、切除して大丈夫なのか…?」

 翔真の背中の羽は、引っ掛けたり抜けたりしても痛みを感じることはない。しかし、根元から切除するとなると嫌な予感がする、最悪死ぬのではないか、と翔真は感じていた。

「となると、このノートの行く末が問題だよな」

 もし、自分が戻ってくることができなかったとして。今後、最も長く、ノートを保持できる人物。ただ一人、だれとも違って、身体的に何も変わらないのは不由美だけだ。

 不由美は自身の記憶が抜け落ちていることには気付いているようで、最近は顔をしかめて何かを思い出そうとこめかみを押さえる仕草が増えた。

「…翔真」

「いらっしゃい、不由美」

 今日も、不由美は不機嫌そうな顔で翔真の部屋を訪れた。しかし、何時ものように飲み物を取るでもなく、眉間に皺を寄せたまま翔真のベッド横の椅子に座って黙り込んでいた。

「…そんな顔してると、不細工になるよ」

「顔が変わらないことは知ってるでしょ」

 翔真が声をかけても、不由美は低い声で言い返す。翔真は思ったよりも攻撃的な返しに驚きつつも言葉をつづけた。

「笑ってる方が好きだから、笑ってくれよ」

「…また、そんなこと言うんだから」

 呆れたように不由美は笑った。翔真としては笑っている方が好きと言うのは本当なのだが、結果的に笑ったので良しとする。

「明日手術とは思えないくらい気楽だよね」

「俺は横になってるだけだから」

「そういうことじゃない」

 照れているのか、不由美の顔は若干赤い。翔真は事実を述べただけだが、話題転換に失敗した不由美はため息をついた。

「あ、そうだ、これ」

 唐突に、翔真は不由美にノートを渡した。勿論、鍵付きの箱も一緒に。南京錠を指し示しながら、不由美の目の前でダイヤルを回す。

「暗証番号、俺とお前の誕生日な」

「覚えてないんだけど」

「ノートに書いてある」

 自分のことは中々忘れないので、大丈夫だろうと翔真は言った。最悪、翔真の誕生日だけ覚えておいてくれと言外に告げる。

 不由美はノートを受け取った姿勢のまま固まった。どのくらい静止していただろうか、五分、いや、十分程度だろうか。翔真が不安になって言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、不由美は漸く言葉を発した。

「……わかった、受け取るわ」

 そして、不由美は翔真に向かって、自信満々に笑って見せた。翔真は、不由美のその表情に思わず目を細めた。

 不由美は、恐らくノートに何が描いてあるのかもわかったうえで返事をしているのだろう。それでも、はっきりとした口調で返事をした。翔真の口元に笑みが浮かぶ。

「必ず、見つける」

「そうこなくちゃ」

「それに、あんたの字を読める人、中々いないしね」

「酷いなあ」

 不由美は、真っ直ぐと翔真を見つめた。言葉にしなくても、不由美が何を言いたいのか、翔真ははっきりと分かった。

 あんたがこうやってまとめている間に、わたしだって気付いたことがあるの。大丈夫、あんたの努力は無駄になんてしない。

「だから、」

「……うん、ありがとう。嬉しい」

 翔真は、口に出したつもりはなかった。無意識だったらしい。不由美が驚いた表情をしたのを見て初めて、翔真は自分が声を発したことに気が付いた。

 だって、と翔真は思った。不由美が、本当は震えているくせに、芯の通った声で、余りにも真摯に言葉を紡ぐものだから、つい言葉が零れてしまったのだ。

「……ねえ」

 翔真の発言の真意を問いただそうと、不由美が言葉を投げかけようとする。翔真は口元に手を当て、それを遮った。

 互いに伝わるのだから、最後に本心を告げるのは悪くない。だが、あまりに直接的に言ってしまうと情緒に掛けると思ったからだ。

「…このまま、朝が来なければいいのに」

 そうしたら、まだ話していられるのに。


 朦朧とした意識と視界の中、手術台の真上に設置されている明かりだけが見える。体は手術台に固定されているのか、それとも麻酔が完全に回っているのか、指一本動かせる気がしない。

『馬鹿ね、毎日どれだけ祈ったって、朝は必ず来るんだから』

 そう言って、まだ眠っていたいというのに叩き起こされた記憶が脳裏をよぎった。そうか、思い出した。思い出したが、時は既に遅い。だが、そこで記憶の中の君が自信満々に笑った。

『だから、朝が来ないことよりも、また明日を祈る方がよっぽど良いでしょう』

 諦めて起きなさい、何度だって叩き起こすから。任せたぞ、と記憶の君に笑い返した。


 君はいつだって、俺にとっての光なんだろう。


翔真、読みは「しょうま」、男性。

好きなものはコーラ、昆布。

嫌いなものは山葵。

趣味は写経、特技は暗記だが字は下手だと言われる。

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