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第9話 サイクリングデート?


 ――ずしり。


「うあっ?」

 

 何か非常に肉厚なものが、布団の上から僕を抑え込んでいる。


「コタ、いくらなんでも寝過ぎだよ」

 

 拗ねたような声が、布団の向こうから聞こえてくる。


「あ……蝉か。わるい、寝てたよ」

 

 弁解すると、蝉は僕の上からどいてくれた。


「はあ、重たかった」

 ぺちり、と非力な平手打ちを喰らわされる。

「重く、ないでしょ」「へい」

 

 僕は瞼を擦り、よろよろと立ちあがった。異常なはずの現象にも、すっかり慣れてしまっている自分がいた。


 僕の貸した服を着替えた蝉は勝手に部屋のクーラーをつけ、ああ、暑くてダルイわ、とカーペットの上で横になる。


「ねえ、なんか冷たいものある?」

「つ、冷たいもの? 麦茶とか」

「麦茶とか、しけてるー。コーラが飲みたいよぅ」

 

 ひどい悪態のつきようだ。講義も三日目とあって、慣れから気が緩み、地の性格が出てきてしまっているのかもしれない。


「あー。アイスとか食いたいなぁ。ゴリゴリ君とか食べたいなぁ」

 

 そう言って、間抜けな顔で大あくびを一つ。

 

「スイカなら、あるぞ」

 

 そういえば、スイカ切ったから食べちゃいなさいよ、と母親が昨夜言っていたのに食べ忘れていたのを思い出したのだ。


「ほんまかいな?」

 飛び起きる蝉。

「苦しゅうない。持ってこいや、コタ!」

「どの口がそんなことを申すか!」

 むにむに。

 僕は蝉のほっぺたを、両掌で思いっきり圧縮してやった。


 ――シャリッ! シャリシャリッ!


好吃ハオチー!」

 

 蝉は夢中になってスイカを食い散らかしている。

 僕も蝉に全部食べられるのは癪なので一緒に食べるが、一つ食べたらもういいや、という気分になった。スイカって種をいちいち出さなければならないのが面倒なんだよな。そんなに甘いもの好きなわけでもないし。

 

 ただ、気になるのはその雑な食べ方である。さっきから蝉が着ている僕の白いTシャツに赤いスイカの汁が飛び散っているように思えてならない。白い服を貸してしまったことを、さっそく心底後悔した。

 

 それにしても、見事な食べっぷり。母親は食べやすいようにスイカをブロック状に切り分けてタッパーに入れておいてくれたのだが、六・七つほどあったはずのスイカブロックも、あっという間に残り一つになってしまっている。

 そのまま迷いなく食べちゃうんだろうなあ、と思っていたが、一応蝉は断ってくれた。


「あの、いいの? これも食べちゃっていいの?」

 

 最後の一つを指差して、蝉はそう訊ねているものの、既にもう片方の手に持ったフォークは、スイカに突き刺さってしまっている。


「いいよ」

「優しいんだねー」

 即刻、スイカは蝉の口の中へと消えていった。

 

「げぷぅ」

 

 フォークを置き、心地よげに膨らんだ腹をさすっている。女子としてあるまじき姿だ。

 

「今日はどうすんの、講義とやらは」

「うーん。まあ、直りそうな兆しは昨日見えたしなぁ。あとは実践あるのみ、かな」

「というと?」

「縦横無尽にサイクリングでもすればいいんじゃないのー」

 

 めちゃくちゃ適当だった。


「そんなんで克服できるのかな?」

「ま、こういうのはなんだかんだ言って、慣れだから」

 

 呑気なお顔をされている蝉先生。まだスイカの美味しさの余韻に浸っているのかもしれなかった。

 と、ここで素朴な疑問が浮かぶ。

 

「あのさ、樹液って、うまいわけ?」

「へ?」

 

 蝉は、きょとんとしている。


「蝉って、主に樹液を吸って生きてるんだろ? 樹液とスイカって、どっちが美味いわけ?」

「ああ。あーね、あーね」

 

 蝉は激しく頷く動作を繰り返す。そんなに首を上下に振ったらムチウチにでもなるんじゃないかと、僕はいらぬ心配をしてしまった。


「そりゃあ、樹液ですわ」

「そうなんだ?」

 

 意外だ。あんなにも美味しそうに食べていたスイカより、さらに美味しいものを食べたら、蝉は一体どんなリアクションを取るんだろうなあ。


「ねえ、どんな味がするんだ? 樹液って」

「そりゃ、あーた……」

 

 蝉は考え込むように顎に手を当て、天井を見上げる。とてつもなく美味しいものだけに例えが難しいのかもしれない。


「胡椒がたっぷり入ったベッコウ飴みたいな味、かな」

「へえ、すごく不味そうだね」

 

 そんなものが好物なのかと思うと、ちょっと壁を感じた。


「とにかく、出かけよっか。一日中外にいれば、蝉にも慣れるよ」

「そうか……そうだな。行くか」

 

 一人でいれば絶対に外へ出る気なんかおきないと思うのだが、不思議と、蝉と一緒だとその気になってくる。誰かが背中を押してくれるのを僕自身待っていたのかもしれない。


 昨日同様、自転車の後ろに蝉を乗せてサイクリング。今日は昨日に比べれば幾分か気温が低いようで、風を切って走っているとそれなりに涼しいと思えないこともなかった。ただやはり、時間が経つにつれてじんわり汗ばんではくるけれど。曇り空だが湿度が高い、といった感じだ。


「そういえば今日、夜から雨だったっけ?」

「あ、そうなの?」


 蝉は知らなかったらしく、ノーテンキに返事を返してくる。まったく。僕が天気予報を思い出さなかったらずぶ濡れのまま家から遠いどこかで途方に暮れることになったかもしれないぞ。

 夕方……なるべく五時頃までには家に戻れるルート、ということを考えながら自転車を走らせる。蝉の肉布団カバーのお陰もあってか、ほとんど恐怖心は感じない。時たま蝉の鳴き声が聞こえると緊張はしてしまうけれど。

 

 とりあえず、土手沿いの道を走ってみる。しかし来てみてから気が付いたことなのだが、土手沿いの道というのは当然地面より高い位置にあり、さらに道幅も狭く、周囲には何もない。つまり普通の市街地や並木道などに比べ、蝉のいる確率が低そうなのである。


「これじゃ特訓にならなかったかな?」

 

 後ろの蝉に訊ねてみる。


「いいんじゃないの。そのうち蝉のいそうな場所に出るでしょ」

 

 その返事の仕方だと、寧ろ蝉は、もう蝉なんかどうでもいいと思っているようだった。まあ確かに、こうしてさほど抵抗も無く外出が出来るようになっている時点で蝉嫌いは克服されたも同然なのかもしれない。

 

 土手沿いをそのまま走り続けていると、遠くに川が見えた。ここの土手は川から遠い場所に設けられているため、間に野球場やテニスコート、グラウンドなどがあるのだが、そこを通り過ぎると徐々に川と土手の距離は近づいて行った。


「わあ、大きい川だね」

 

 蝉はやや興奮気味に言った。


「そうか?」

 

 見慣れている僕からすれば、川なんてこんなものだと思うのだけれど。確かに、幅の広い川ではあるのかもしれない。


「あ、さてはお前、田舎もんだな?」

 

 茶化すような声で、僕は蝉に問いかける。


「へ、何で?」

 

 純粋な蝉は、子供のような声で訊ね返す。


「お前の住んでたところの川は、きっともっと小さい川だったんだろう? ということはもっと上流の川、つまり山ん中の川だったってことだ。ここはさほど海に近いってわけではないけれど、下流のほうだからな。川の感じ方一つで、お前の出が知れるってもんだぜ」

「なるほどね。わりと頭がいいな、コタは」

 

 素直に感心されてしまった。小馬鹿にしたつもりだったのに。


「で、どうなんだ? お前は山から出てきた田舎モンの蝉なのか?」

「さあ。ご想像におまかs……」

 

 みるみる近くなった川から響いてくる濁流の音に、奴の声は掻き消されてしまった。こうなるともう会話さえ出来ない。僕と蝉は、無言で土手を走ってゆく。

 

 次第に辺りには木が多くなってきた。蝉の声もする。『まむしに注意』という看板まで出てきてしまった。少し心細くなるが、来た道をまた引き返すのも難なので強引に自転車を走らせ続ける。もはや道も、コンクリートの舗装ではなく砂利道。行く先は緑が深まってゆくばかりである。


「カァ、カァ」

 

 カラスが一羽降りてきて、近くの木にとまった。一瞬ギロリとこちらを睨まれたような気がする。怖や怖や、と思いながらも僕はその脇を通り抜けていった。しかしこうして間近で見てみると、カラスってのは獰猛な顔立ちをしているもんだ。おでこは盛り上がっているし体格はいいし、真っ黒だし、例えとして合っているかは分からないが、まるでゴリラみたいだな。あの嘴でつつかれたら、案外結構な怪我をしそうな気がする。


「カァ、カァ、カァ」

 

 また一羽、カラスが姿を現した。そして木にとまり、先程のカラスと同様、こちらに顔を向けて睨みを効かせている。


「ねえ、コタ! 戻ったほうがいいんじゃないかな!」

 

 不安になったのか、耳元でそう叫び、蝉はぎゅっと僕のTシャツの襟元を掴んだ。ぐえ。苦しい。


「でも、一本道なだけに、来た道をただ引き返すってのも面白みがないだろ!」

 

 大声を出さないと、川の水の音がうるさくて話が出来ない。


「そ、そうかもしれないけど!」

 

 蝉は前方を指差した。


「あ……」

 

 それを見て、僕も急ブレーキをかける。

 

 指を指されるまで気が付かなかったが、土手沿いに生い茂る木々の中には沢山のカラスたちが潜んでいるではないか。そしてどいつもこいつも、僕たちのほうへ顔を向け、睨んでいる。


「ここ、カラスたちのねぐらだったみたい、だよ……」

「そか……」

 

 僕はカラスの視線を気にしつつ、ゆっくりと自転車を回転させ、Uターンを試みる。だが、もう最初にカラスを見てから結構自転車を走らせてしまっていた為、元の道を戻るにしても、カラスたちがガンをとばす中を走らねばならないようだった。


「やっぱこれ、怒ってるよなあ?」

「……うん。ものすごく。話も聞いてくれないくらいに」

 

 蝉は僕の背中に身体を密着させる。カラスが蝉を食べるのかどうか僕は知らないが、きっと天敵だから怖いんだろう。


「大丈夫、安心しろ」

 

 蝉にそう言い聞かせ、僕は猛スピードで自転車を発進させた。


「グアッ!グアッ!グアッ!」

 

 大勢のカラスたちが僕たちを追いかけるために羽ばたいたのが、振り向かなくても音で分かった。だがもう、こうなったら飛ばすしかない。


「アア! アアア!」

 

 けたたましく響く、カラスの鳴き声。二度と近寄るんじゃねぇぞ人間どもめ、と聞こえた。

 前方から飛んできた一羽が、ぶおん、と風を切りながら僕の耳のすぐそばを、威嚇するようにかすめて飛んでゆく。


「ひっ」

 

 思わず、身をかがめる。蝉もなにやらカラスに対する言い訳のようなことをブツブツ呟きながら僕の背中にぴったりと貼りついていて、かなり恐怖で頭がヤラれてしまっている様子が伺えた。さらに加速してこの場を去らないと危険なようだ。


「ぢくじょおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 足がつるかと思うくらい一生懸命に、僕はペダルを漕いで漕いで漕ぎまくった。


「はぁ、暑!」

 

 僕は土手からグラウンドの側にある公園まで降りて、適当なスペースに自転車を止めると、芝生の上に寝転がった。とにかく汗が止まらないし、自転車を漕ぎすぎて足が棒のようになってしまった。


「おつかれぇ」

 

 よろよろと、僕の隣に蝉も横たわる。放心状態で、空を見上げている。

 お互い息を整え、落ち着いてきたころに僕は呟いた。


「さっきは、怖かったな……」

「だね」

 

 蝉も激しく頷く。


「やっぱ、怒ってたよなあ、あれ」

「うん。巣を荒されると思ってたみたいだった。ごめんねって伝えてみたけど全然聞いてくれないし。あれは本気でつつこうとしてたね」

「確かに。つつかれる寸前だったな」

 

 だが今は、緊張感からも解放されて、どこか気持ちが良かった。近くに生えている木からは明らかに蝉の声が聞こえてくるけれど、それももう、どうでもよくなってきた。

 

「なんか、気持ちいいな」

 

 こうして草の匂いのする中に寝転がって過ごすのも、悪くない。


「でもね、たぶん背中、すっごく汚れちゃってるよ。何気に芝生の中って湿り気が半端ないからね」

「別にそんなのどっちでも……。って、お前! お前は駄目だろが! 白いTシャツなんだぞ!」

「知らんがな」

 

 蝉は気持ち良さそうに芝生の上に悠々と横たわったまま、身体を起こそうとはしない。


「ふざけんなよー。その服、何気にわりと最近買ったばっかりのやつなんだから。ほら、早く起きろ」

 力ずくで、蝉を起こしにかかる。

「ふひゃ、くすぐったいんれすけど!」

 僕の腕が蝉の腰をつかんだのが悪かったのか、蝉は艶めかしく身をよじらせてククク、と笑った。

 

 それを見たらついついもっと苛めたくなって、僕は蝉をくすぐりにかかる。

 

「ひあ? ひぃっ! やめ! やめーい! やめぇぇえええええい!」

 

 蝉は渾身の力を振り絞ってやめええい、やめええいと繰り返す。しかし徐々にその抵抗力は弱ってゆき、しまいには身体のどこを触っても笑いだすようになってしまった。


「おね、おねがひっ! もうゆるひてっ!」

 

 半泣きで蝉が謝ってきたので、僕は手を引いた。蝉はひとしきり身体に残った余韻ぶん笑い終えてから、ようやく身を起こした。


「あーあ。やっぱり汚れてるよ……」

 

 泥まみれ、とまでは言わないが、土の色が背中についてしまっている。白いTシャツだったのが痛かったな。漂白剤でも使って落ちればいいのだが。


「ま、家帰ったら洗おうよ。わたしも手伝うから」

「当然だな」

 

 それからしばらく、僕たちはボーっとそこで時間を過ごした。



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