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第7話 公園デート?


「暑い……」

 

 背中が汗びっしょりだ。

 

 かなりの弾力と厚みを持つ蝉の胸を背中にぎゅっと押しあてられたまま家から十キロ近く離れた森林公園まで自転車を漕ぐのは、なかなかの苦行だった。パイオツ地獄とでも申しましょうか。どうして真夏の炎天下に、肉布団かぶって運動せねばならないのだ。


「ふぅ~。着いたね」

 

 蝉は額の汗を拭いながら、自転車の荷台からぴょん、と飛び降りる。

 平日とはいえ夏休みなので、公園は子供たちの騒ぐ声がちらほらと聞こえてくる。

 僕は自転車置き場に自転車を止め、鍵をかけた。


「で、どうするんだ」

 

 ここまで来る道のりは、自分にしっかりと巻き付いていた肉布団のお陰か、なぜかてぬぐい無しでも普段より蝉への恐怖も感じずに来ることが出来たのだが、さすがに未知の電波を強烈に発信し続けているかのように不気味な騒音を掻きならしている森林公園の中を散策するような気分には、なれない。


「コタ、売店で、アイス買おうよ。」

 

 火照った顔をこちらに振り向ける蝉。その目は虚ろで、熱中症の一歩手前まで来てますオーラを放っていた。


「そうだな……」

 

 僕も、水分垂れ流しすぎて死にそうです。

 ソロソロと、目の前に見えている売店へ、自然と足は向かっていった。


 売店の中は静かだった。省エネということなのか、電気もついていないし、エアコンもない。でも扇風機の風が肌に当たるだけでも、幾分かマシな気分にはなることは出来た。


「ゴリゴリ君にしようかなあ……」

 

 蝉はアイスの入れられた冷凍庫を真剣な眼差しで見つめている。


「ねえ、ゴリゴリ君とかき氷のみぞれ、どっちがいいかな?」

「僕はゴリゴリ君かな」

「じゃ、わたしもゴリゴリ君」

 

 そう言って蝉は、二本のゴリゴリ君を僕に手渡してくる。

 無言の、ニコニコ。

 

 ……蝉が金を持ってるわけ、ないもんな。


「仕方ねぇなあ」

 

 特に買ってやらねばならないような義務など無かったのだが、物欲しそうにじっと見つめられながらゴリゴリ君を食べることになるのも嫌だ。僕はただ純粋にゴリゴリ君の美味しさを楽しみたいのだから。


「すいません、これください」

「はい。二つで百四十円ねー」

 

 ゴリゴリ君が安くて助かった。二つでも、一つ分の値段じゃないか。

 

 ペリペリと袋を裂いて、文字通り氷菓なゴリゴリ君を、ゴリゴリ言わせる。


「このゴリゴリ感がたまんないわー」

 

 蝉は嬉しげに、白い歯で青い氷の塊を噛み砕いては飲み込んでいる。僕も同じく。あまり焦って食べ過ぎると頭痛を催すことがあるので要注意だ。


 ちなみにゴリゴリ君は木の平たい棒にアイスが刺さった形状をしており、稀に『当たり』と書かれた棒が出ることがある。当たりが出ると、もう一本貰える。だが僕は生まれてこのかた、ゴリゴリ君で当たりを引いた試しが無い。


「当たるかなあ」

 

 無邪気な蝉は、溶けかかった氷をじうじう吸いながら棒からアイスを引き剥がす。そしてしばらく名残惜しげにペロペロした後、棒を見た。


「当たりなんですけど!」

「マジで?」

 

 確かに奴の棒には「当たり」と書かれていた。もちろん僕のには、何も書かれていない。


「やったあ。早速交換してもらってきちゃおっかなー」

「……え、写真も撮らずに?」

「えええ?」

 

 蝉は目を丸くしている。


「こんなもん、写真に撮りたいの?」

「そりゃまあ、だって、めずらしいからな」

 

 僕はズボンのポケットからスマホを取り出した。


「へえ……。コタってマメだね。まあいいや、持っててあげるから撮りなよ」

「おう」

 

 蝉は「当たり」の文字が見やすいよう、丁度いい角度で棒を持ってくれた。なかなか気が効くじゃないか。

 

 ――パシャーッ!

 

 うむ。いい写真が撮れたぞ。


「もういいぞ。ありがとな」

 

 ふふふ。僕は思わず二ヤけてしまった。これは縁起の良い画像をゲットできたぞ。


「じゃあ、交換してくるから」

 

 そう言って蝉はぴょこぴょこ売店まで戻って行った。奴の動きにはどことなく子供っぽいところがある。売店からは「す、すいませぇん」という蚊の鳴くような声が聞こえてきた。

 威勢よく飛び出して行ったくせに、随分と弱気な声だ。初対面の人と話すのが相当苦手なたちらしい。意外と内弁慶タイプなのかもしれないな。

 でもなんで僕の前で弁慶になるんだ。いつから僕はあいつの「内」になったんだ?

 そんなことを思っているうちに蝉は帰って来た。


「貰えた!」

 

 そう言ってキラキラ笑っている。


「良かったな」

 

 僕がそう言うと、蝉は答えた。


「コタも良かったな!」

 

 え、何で? と訊くより前に、蝉はゴリゴリ君の袋を開封し、ガヂリと丁度半分のところまで前歯で噛んで無理やり口に咥え、棒に刺さった残りを僕に差し出してきた。知覚過敏の人には出来ない技である。


「はんふんほ」

 

 半分こ、してくれるらしい。


「ど、どーも」

 

 暑いからな。受け取っておくか。

 そして僕は何食わぬ顔で、震える唇で、奴の前歯の後が克明に残るゴリゴリ君の下半分を口に含んだ。

 女子との、間接キスかあ……。

 恵まれたボディなわりにあんまり色気のない奴だけれど、やっぱり蝉だって、女子に分類されているわけで……少々ドギマギする。


 それから僕たちは、森林公園の中を歩き始めた。はじめのうちは芝生の中の歩道だったので余裕だったが、徐々に木の生い茂るエリアが近づいてきて、思わず僕は足が止まってしまった。

 

 シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ。

 大量の蝉たちが、懸命に腹部を発音筋で振動させている。一体あの森の中をどのくらいの蝉たちが飛び交ってることか……。考えただけで背筋が凍る。

 

 目の前に、サッカーボールが転がって来た。それを追いかけて走ってきた小学生の男の子が、怪訝そうな顔をして僕を見る。歩道の途中で突然立ち止まり、恐怖に顔をゆがませ、目に涙を溜めた男子高校生を見れば、きっと誰でもそんな顔をしたくなるだろう。


「大丈夫だよ」

 

 そう言って、蝉は僕の手を握った。それを見た男の子は頬を赤らめ、恥ずかしげにしてその場を去った。ラブラブなカップルとでも勘違いされてしまったようだ。


「悪いな」

 

 僕は、蝉の手を力強く握りしめた。今まで、僕の蝉嫌いにここまで真剣に向き合ってくれた人なんか、いなかった。僕にとって蝉嫌いは、生活を送る上での大きな支障となっていたし、耐えがたい精神的苦痛だったというのに。もちろん、自分にも改善するぞという気持ちが足りていなかったのかもしれないが。

 

 いずれにしても、克服しなければ、というところまで追い込んでくれたのも、そして情けなく雑木林の前で立ちすくむ僕に付き合ってくれるのも、彼女なのだった。

 そういう意味では、この蝉少女には本当に感謝している。

 

 僕だって本当は、蝉なんかに怯えて暮らさなければならないのは、嫌だったのだ。


「ゆっくり、行こうか」

 

 彼女が、歩き始める。僕もゆっくりとそれに歩調を合わせる。

 蝉の鳴き声は一歩歩くごとに大きくなって、僕は冷や汗が止まらない。

 それでも彼女は汗ばんだ手をギュっと握ったままでいてくれる。

 怖くて、僕は下を向き、足元だけをじっと見つめながら歩いた。

 

 歩道はやがて、林に包まれてしまった。背の高い木々に囲まれたこの道は、涼しいのにジメジメとしていた。日当たりが悪いせいか、歩道の脇に置かれたベンチにも、石垣にも、苔が生え放題になっている。


「もう、林の中だよ」

 

 こくり、と声も出さずに僕は頷く。耳元で囁く彼女の声さえも聞き取りにくくなるくらいに、蝉の声はもはや公害レベルに大音量である。己の存在をも掻き消されそうなほどに強烈なその鳴き声。かろうじてそれに耐えてここを歩けているのは、隣に彼女がいてくれるからだった。

 

 ――こわいよぉ。こわいよぉ。

 

 あの悪夢の中で発していた自分の声が、聞こえた気がした。

 

 ついに、幻聴まで。僕は気持ちを落ち着かせようと、目を瞑り、深呼吸をする。

 

 ジジッ!


「っはぅ」

 

 道の端に転がっていた蝉が、突然思い出したかのように飛び立っていく。


「怖がらなくて大丈夫だよ。蝉たちはエロいことしようと頑張ってるだけなんだから」

 

 そう言って蝉は、僕の肩をぎゅっと握りしめ、顔を寄せる。


「エ、エ、エロいこと、っすか……」

 

 なぜか、かしこまってしまった。


「そうっすよ! エロいことっす!」

 

 むふふと意味ありげに笑いながら、蝉はますます顔を近づける。彼女の吐息が鼻先をかすめる。ほんのり甘くて柔らかい匂い。


「ここで鳴いている蝉は、みんなオスなんすよ。そして、メスを呼び寄せるために必死に鳴いているんすよ」


「そ、そうだったんすね……」

 

 自分だってそんなことくらいうっすら知っていたはずなのに、改めてそう言われるとなんだか蝉の鳴き声もちがう聴こえ方がしてくるから不思議だ。


「セクロスさせろーさせろーって、鳴いてるわけなんすよ」

「こ、こら。仮にも女子なんだからそーゆーこと言うんじゃねーよ」

 

 思わずポカリ、と軽~く蝉の頭をグーで殴りつけたら、ゲヘヘと下品な笑い声を漏らされた。こいつも蝉だから、季節柄性欲が高まっているんだろうか。


「蝉はね、不器用なんすよ」

 

 彼女は上を見上げる。木々の枝葉が空を覆っている。


「短ければ一週間。長くても一カ月くらいしか飛べないから、飛ぶのもめっちゃ下手なんす」

 

 言われてみればそうだよな。ずっと土の中に潜って生きていたものが、最後の僅かな期間だけ羽を持つんだから。


「下手だから、怖いんす。だから人が近づいただけでも怯えて飛び立とうとするんだけど、飛ぶの下手だから逆に人にぶつかったりしちゃうんす」

「めちゃくちゃ迷惑だな」

「まあそう言いなさんなって~♪」

 

 おどけた調子で手をペラペラと動かす蝉。


「セクロスの仕方もね、不器用なんす。飛びながら、出来ないんすよ」

「え、そうなの?」

 

 蝉の交尾なんて想像もしたことが無かったが、てっきりトンボみたいに二人羽織り風味で飛びながら行うのかと思っていた。


「地面の上で、お尻とお尻とくっつけて、するんすよ」

「へえー。それじゃまるで人間みたい……だな」

「まあ、そうっすね。でも蝉にとっては、地面の上でそんな姿勢をとることは危険極まりない行為なんす。突然外敵がやってきても飛んで逃げることが出来ないし。だからまさに命をかけて、セクロスするわけなんす」

「そうだったのか」

 

 こいつが性行為のことをセクロスセクロス言うのは一端置いておくとして。

 

 そんなにも、蝉の夏って命がけだったんだな。

 まあ、だからって蝉が気持ち悪くないのかと言われればやっぱり気持ち悪いけどさ。

 でも、考えていることが少しでも分かってきたら、ちょっとはマシになった気がする。


「といった所で、今日の講義はおしまい! よく頑張ったね、コタ。ちょっと無理させすぎちゃったかなって思ったけど」

「いや、そんなことないよ……」

「そう? ま、でもそろそろ戻ろうか」

 

 そう言って蝉はくるりと向きを変え、まだ僅かにしか歩いてきていない林の中の歩道を戻ろうとする。


「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 僕はそんな彼女の腕をとり、引きとめた。

 

「んぬ?」

 

 予想外のことだったのか、蝉はそのまんまるい瞳を余計にまんまるくして僕を見つめ、首をかしげる。


「あの……。よければ、この歩道を一周歩き終わるまで付き合ってくれないか? 今なら、もう少し頑張れそうだから」

「へ。ほんとに?」

 

 蝉が目を、輝かせる。

 

「お、おう」

「やったあ!」

 

 自分の野外授業が功を奏したことがよほど嬉しかったのか、蝉はめいっぱいの力でジャンプした。

 

 ジーッ! ジジッ! ジジ!

 

 それに驚いて近くの木に止まっていた蝉が、けたたましい音を立てながら暴れ飛ぶ。


「うおおおおおおおおおおおおおおまえやめろよおおおおおおおおおおおおおお」

 

 焦った僕は、てんてこ舞いなステップを踏みながらてんてこ舞い踊る。


「うーむ。その反応を見るに、まだまだですな、コタくん。さあ、先生と一緒にもっと蝉気の多い場所まで参りましょう」

「えぇ……」

 

 僕は半べそで、蝉に引きずられるような格好でついていく。


「まったく、情けないですわねえ。そんなことじゃ、いつまで経っても蝉学校を卒業することなんか、出来なくってよ?」

 なんで急に高飛車な女教師口調になってんだこいつ。ゆるーく腹立つぞ。

「そう言われてもなあ。大体、僕昨日入学したばっかじゃねぇかよ」

「そんな悠長なことを言っていられるような時間は無いんですわよ」

 

 蝉は僕を振り返り、おどけた口調で言った。


「アタクシにはおよそ一週間程しか、猶予は無いんでございますのよ」



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