第4話 宝箱と、いつもの夢。
星の飾りのついたパッチンどめは、小学四年生の頃好きだった、加奈子ちゃんの。
加奈子ちゃんは一緒に書道教室へ通っていた女の子。元気いっぱいの子で、笑顔がとっても素敵だった。書道教室の忘れ物コーナーの箱に入っていたやつを、彼女に届けてあげると見せかけて僕がゲット。以来、僕の宝物である。
この飾り気のない紺色のゴムは、小学六年生の頃好きだった、裕美ちゃんの。
裕美ちゃんは運動神経抜群で男勝りなのに、実はナイーブな心の持ち主で、当時僕にだけ相談事をしてくれることがあった。僕が食べかけの給食のパンを持ち帰るのにどうしようか迷っていた時、これで袋を縛ったら? と手渡してくれたこの髪ゴムをそのまま借りパクという形でゲット。以来、僕の宝物である。
パールを使った飾りつきのシルバーのヘアピンは、中学一年生の頃好きだった、綾香ちゃんの。
綾香ちゃんは学習塾で同じクラスになって、僕とはテストの点数で張り合っていた。プチセレブな彼女はお嬢様口調でいつも僕をバカにしていたくせに、僕が塾をやめる時には少しだけ寂しそうにしてくれた。ヘアピンは、偶然彼女が塾の机に置き忘れていたものをこっそりゲット。
ピンク色のカチューシャは、高校受験の時に偶然受験会場で仲良くなった、遠藤さんの。
僕はその高校には通わないことになったので、遠藤さんとは受験日の二日間だけの付き合いになってしまったが、とても会話が弾んで面白い子だった。試験中に前髪が邪魔だからとカチューシャをしていた彼女だが、試験が終わるのと同時に外し、帰り道、ふざけて僕にかけてきたやつをそのままゲット。以来、僕の宝物である。
この宝箱の中には、僕が好きだった沢山の女の子たちとの思い出が詰まっている。
人生の中で出会った、今はもう関わりのない彼女たち。ちょっとの間だけ仲良くなれたような気がしつつも、結局実を結ぶことなど無かった僕の恋とも呼べぬ恋たち。僕はときたまこの箱を開け、これらを手に取り、うっとりと、する。
そしてこの宝箱の中で最も古く、最も謎に包まれ、最も味わい深い一品がある。
手に入れた時期はおそらく小学三年生の頃のもの。僕のコレクションが始まるきっかけとなった、最初の品。だが、どこで知り合ってどんな顔をした、何という名前の女の子のものだったのか、どうやって入手したのか、全く思い出せない。大きなイチゴ型のビーズ二つが細くて赤いゴムに通されている、ファンシーなヘアゴム。これを僕はイチゴゴムと呼んでいる(わりとそのまま)。
イチゴゴムを入手した時の記憶は残っていない。
ただ、これを入手後しばらくしてから、僕は台所から高級和菓子が入っていた立派な作りの箱を見つけだした。そしてその箱の中に僕はこのゴムをしまい、学習机の一番下の引き出しに安置するようになった。ちなみにここの引き出しにしまっている理由は、唯一鍵がかかる引き出しだから、なのだと思われる。
初恋、だったのかな。
このイチゴゴムを見ていると、なぜか切なくなるからだ。
「なーんて。人からくすねたヘアゴム見て感傷に浸るとか、僕も末期だな……」
と言いつつ、とれたてホカホカのニューフェイスを、丁寧に箱の中へと安置する。
沢藤泉。君も、こうしてきちんと、僕の思い出に加わりました。
本人からしたら迷惑そうだけど、影でこそこそ感傷に浸ることを、どうか神様お許しください。
――ようは、バレなきゃいいのだ。
「はぁ、甘い匂いがすりゅぅ」
シュシュに鼻を擦りつけていた僕は、もう我慢できなくなって、思いっきり箱の中へと顔を突っ込んだ。
加奈子ちゃん。
裕美ちゃん。
綾香ちゃん。
遠藤さん。
沢藤さん。
あと、イチゴゴムの人。
それら全部が一緒くたになって、僕の脳味噌を支配してゆく。
女の子の匂いは花の香りにも似ている。スミレ、ローズ、ラベンダー……それぞれの女の子の香りが混じり合う花園へ、意識が深く沈みこんでゆく。
「ふくくくくく」
いつしか変態・僕は、箱に顔をうずめたまま、眠りに落ちていた。
暗闇の中。ぼくは誰かと手をつないでいる。白くて柔らかい、女の子の手。彼女の顔は見えない。だって彼女は、ぼくの手をぐいぐいと力強く引っ張りながら、ぼくの前を歩いているのだ。
「ねえ、どこにいくの」
「いいところ!」
正直言ってぼくは怖い。だってこんな山の中で、夜中に子供だけで歩くなんて。お母さんやおばあちゃんにバレたら怒られるだろうし、なにより山そのものがぼくにとっては未知な場所だから怖いのだ。
この前クマも出たんだって、おばあちゃんは言っていた。
「ねぇ、やめようよ」
「だーめ!」
いつもはおとなしいくせに、ぼくと二人きりだとなぜかこいつは強気になるのだ。
ぐいぐい、女の子は山道を進んでいく。
いっぱい生えている葉っぱが、ピシピシと身体に当たってちょっと痛痒い。
「ねぇ。どこに行くのか教えてよ」
半泣きだ。
「もう、着くよ。もう、見えるもん」
「見えるの?」
「ほらあそこ」
女の子が指差した場所。うっすらと、四角い石みたいなものが並んでいるのが見えてきた。
「お墓じゃん!」
ぼくは、足を止めた。
こんな真夜中にお墓なんかに行けば、きっと幽霊がいっぱいいるに決まっている。絶対に行きたくない。
「もう。怖がりだなあ、コタは」
そいつは得意げに笑ってやれやれ、という風に両掌を返し、ぼくを馬鹿にするように肩をすくめてみせている。ちょっと失くし物をしただけで泣きべそをかくような弱虫なくせに。
「どうして幽霊だから怖いって思うの? 幽霊だって、元々は人間だったんだよ」
「そりゃあそうかもしれないけど」
「いいから行こう! 行ったら、コタが一番欲しがってたものあげるんだから」
「え、本当?」
「本当だよ」
女の子の目は真っ直ぐで、嘘をついているように見えなかった。
「苦労して準備してあげたんだから」
胸まで張っている。
なぜか知らないが、彼女が頑張って準備した、と聞いて、ぼくはものすごく素敵なものが待っているような予感がした。彼女にはそういう力があるのだ。
「わかった。行くよ」
心を決めた。
女の子は手をつなぎ直して、再び歩き出す。緊張と暑さから、ぼくらの掌はじっとりと汗ばんでいる。
お墓が、近づく。
不思議なことに、段々怖くなくなってきた。こいつが、あまりにもウキウキとしているからそれが伝染してしまったのかもしれない。
「ここ、座って」
女の子が、お墓の前の石段を指差す。ぼくは言われたとおりに座った。
「じゃあ、目をつぶって。わたしがいいって言うまで、じっとしててね」
「うん」
一番欲しいものが貰えるっていうのだから、大人しく従うことにしよう。僕はぎゅっと、固く目をつぶる。
「きたよ、きたよ。おいで、おいで」
女の子は穏やかな口調で、誰かに呼びかけた。それは言葉というよりも歌みたいだった。
「きたよ、きたよ。おいで、おいで」
ざわざわと辺りの空気が揺れる。どこからか、ぼくらのもとに何かが近寄ってくる。
「ねえ、まだだめ?」
ちょっと不安になって呟く。
「しー。静かに。とにかく、じっとしてて」
女の子に怒られたから、僕は目も口も閉じたまま、身体を一ミリも動かさずに待ち続ける。
と、何かが腕に触れた。肩にも。頭にも。膝小僧にも。
ちょっとチクっとするような、カサカサするような。
何が何だか分からなくて、僕は身体を強張らせたまま、ただただ我慢して待ち続ける。
「うん。そろそろ、いいかも」
嬉しそうに彼女は言った。
「コタ、目をあけていいよ」
ゆっくりと、僕は目を開ける。
目の前には、彼女のキラキラとした頬笑みが。
そして、僕の靴の上にも、膝にも、お腹にも、腕にも、顔にも、髪の上にも、肩にも、耳にも、首にも、おびただしいほどに蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉蝉
「ヴがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ!」
僕の叫びと共に、まるで作りもののように大人しかった蝉たちが、一斉にけたたましく鳴き始め、僕が身体を動かすと、まるで狂ったようにバタバタと暴れ飛び始めた。
「があああああああああ、ぐああああ、ああああああああああああああ」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンうるさくて耳が死ぬ。
暴れ飛ぶ無数の蝉は、容赦なく僕に体当たりしてくる。
「ああああああ、あああ、う、うんぶっ。け、けほっ!けほけほがほっ!」
一匹が、叫び声をあげるぼくの口の中に、一瞬入りかけた。手をつっこんで、どうにかそいつを追い出す。しかしその生々しい感触が口の中に残り、ぼくは吐き気まで催した。
「んん、んんんんんんんん」
口を手できっちりと覆い隠しながら身をかがめ、来た道を駆け戻る。
「待って! 待ってよコタ! どうしたの……」
背後で、そんな声が聴こえた気がした。
でも、ぼくはそんなの気にしているどころじゃない。
「んんんヴんんんんんんんんんんん」
鳥肌、嗚咽、とてつもない恐怖感。
坂道を、転がるように駆けて駆けて駆けて……
「んヴヴヴヴおが、おが、おがあさん、おがあさあん!」
怖い怖い怖い。
「おかあさあああああああああああああああああああああああああん!」
――っ?!
自分の声で、目が覚めた。