第18話 喫茶店で。
「へえ、まさかこれを願掛けに肌身離さず持ち歩いていたなんてねぇ」
夏香はイチゴゴムを手にとり、それを嬉しそうにまじまじと見つめている。
「そりゃあまあ……っていうか、あの箱の中からこれを見つけた時、気がついてたんじゃないの? 自分のだって。ったく最初から夏香だって名乗ってくれれば良かったのにさ。なんだよ蝉って」
「だって、コタはわたしのこと忘れてるみたいだったんだもん」
「う……あ、もうすぐお店だよ」
「今、誤魔化さなかった?」
「まさか」
帰り際、僕は夏香を喫茶店に誘った。事情を聞かずにおれるわけがあるまい。一体全体、どういうことなのか、説明してもらわなくちゃ。
誘った喫茶店はコーヒーが美味しいことで地元では評判のお店で、薄暗い照明や半個室的に区切られた席がプライベートな話をしやすくするような空間を演出している。
つまり、こういう時にぴったりのお店ってことだ。
あまり外食に慣れていないという夏香は少々おどおどしながら入店し、挙動不審気味に僕の後ろをついてきた。そして席に案内されてウエイトレスがその場を去ると、ようやくほっとしたように顔の筋肉を硬直させるのを止め、はしゃぎながらメニューを確認しはじめた。そして長い時間をかけて吟味し、悩み、苦悶の表情を浮かべ、入店から十五分後になって、ようやく苦渋の決断を下した。
「クリームソーダ、一つ」
緊張して声を震わせながら、夏香はオーダーを伝えた。
注文したものが届いてから、僕は口を開いた。
「まず、言いたいのはさ」
「う、うん」
「どうして退院してから今まで、会いに来てくれなかったんだ?」
おかげで相当、心配した。というかあの後夏香が死んでしまったのではないかと、思いこみ始めていたくらいだ。
「それはね、コタ! わたしが一日も早く学校へ復帰できるように、あの日からずっと、頑張ってたからなんだよ!」
そして延々、いかに今日まで忙しい日々を過ごしてきたのか、僕は夏香から説明を受けることとなった。
僕がお見舞いに行った日に奇跡の回復を見せ、なんと翌日には退院することになった夏香は、家に戻ってから体力回復のためのリハビリ、一学期中の授業のおさらい、と毎日努力し続け、夏休み明けからの学校への復帰に向け、着々と準備を進めていたらしい。
「元々原因不明の病気だったから、なんで治ったのか病院の先生はよく分からないみたい。でも検査しても数値に異常がないし、体調も回復してご飯も食べられるようになったし。やっぱりわたしの暗い気持ちが、悪いものを呼びこんでいたんだよ」
「それはいいけどさ……。僕としては連絡くらい欲しかったな。それに勉強だったら、僕がアドバイスできたかもしれないし」
「だって、驚かせたかったの」
ニコっと微笑む夏香。ニコっじゃねーよ! どれだけ心配したと思ってるんだ。
「はぁ……。まあ、いいけどさ。とにかく元気でいてくれたんだからそれで」
再開できた上病気まで良くなっていたのだから、万々歳である。
「というわけで、色々ご心配おかけしました」
丁寧に、夏香はお辞儀する。夏香のくせに、いやに礼儀正しい。
「別にいいって。今更そんな風に振舞わなくったって。夏休み中みたいにずうずうしくしてくれていいよ。どうせ今日もそのクリームソーダは僕におごらせる気なんでしょ」
「そ、そんなこと、ないよ」
夏香は焦ったように両手をぶんぶん振り回す。
「あ、あのときはちょっと、自分もどうせ死ぬしみたいな感じもあって、別にゴリゴリ君の一本くらい、いいかなって思っただけで」
「そうだっけ? 子供のころから僕といると、いっつも気が強かったような」
いじわるを、言ってみる。
「違うって! そんなことないって! 気のせいだって!」
すっかり夏香は取り乱している。まったく愉快なやつだ。
「まあ、今日は本当におごるよ。快気祝いに。他にも、ケーキでもパフェでも食べたいものがあったら頼めば? いっぱい食べて、病気でしぼんじゃった胸、大きくしなくっちゃ」
「う、うるさい! コタのエッチ!」
さっと、両手で胸元を覆い隠す夏香。
「今更そんなことされてもなあ。僕の背中には、一緒に自転車に乗った時、ムギュっと押しつけられた夏香の胸の感覚が、克明に刻まれているからなあ」
「あ、あれは幻のわたしだもん! だから生な感覚じゃないもん!」
「えーっそうかなあ? あ、そうそう! たしか森林公園でセクロスみたいな話も」
「だまれコタ!」
「だいぶ調子が出て来たな」
僕が笑ったら、夏香も恥ずかしそうにしながらテヘヘと笑った。
そしてひとしきり笑い終わってから、しばしの沈黙。
――ズズっ。
もうコップの中には氷しか残っていなかったのにストローを吸ってしまい、間抜けな音が喫茶店に響く。
なあんか、どぎまぎしちゃうんだよな。
だって、こうして生身の夏香と過ごすのには、まだ慣れてないもんだから。
「ねぇ、コタ」
「ん?」
「アルベルトって蝉のお墓、一緒に作ってもらったでしょ?」
「ああ、あの雨の日のな」
そうそう、と夏香は頷いた。
「あの蝉ね、わたしとコタがこの夏を一緒に過ごせるように、協力してくれた蝉だったの。学校帰りのコタの背中に張り付いて、抜け殻……空蝉をコタの部屋に置いてきてくれた。そのおかげで、わたしはコタに会いにいけるようになったの」
「ええ?」
「空蝉って、もともとは現人っていう、この世に生きている人間って意味の言葉が訛ったものなの。忍者も空蝉の術っていう分身技を使うでしょ? だからやってみたらできるかなーって思ったら、ほんとに分身、できちゃった」
「そんな馬鹿な……」
蝉に抜け殻を運んでもらって分身の術を使った……?
まったく、とんでもないことをやってのけちまう。
それにしても、知らないうちに蝉が背中に張り付いていたなんて、いくら蝉を克服したとはいえ、少し背筋がゾクゾクする……。でもそのおかげで夏香とまたこうしていられるようになったのだから、アルベルトには感謝だ。
「病院の窓辺でね、もう、ひと夏も、わたしの命もたないかもしれないなーってボーっとしてたとき、アルベルトが話しかけてきてくれたの。それで、なにかやり残したことがあるんじゃないかって、言ってくれた。丁度その時、コタが自転車で、病院の前の道を走っていくのが見えたの。頭に布を巻き付けて、びくびくしながら蝉を避けてた」
「見られて、たのか」
思わず赤面する。今思えば蝉が怖いからって、あんななりふり構わない格好で登校していたなんて、信じられないことだ。
「それを見て、死ぬ前にコタの蝉嫌いだけは、どうにかしてあげなきゃって、思ったの。そう思ったら久々にやる気が湧いてきて、そんなわたしをアルベルトは、ノリノリで応援してくれた。……蝉って何年も地中でひきこもりしてるくせに、たった一週間くらいのうちに、子孫を残すためにすごいこと、やってのけちゃうよね。たぶん、あいつがパワーをくれたおかげでわたし、最後の気力を振り絞って、コタに会いにいけたの。そして、コタのおかげで今、こうして生きることに前向きになれた」
唐突に、夏香は銀色のスプーンでクリームソーダのアイスをつつく手を止めた。
「ねえ、コタ。いつか」
いつになく神妙な顔の夏香に、僕の顔も自然と引き締まる。
「ん? なんだ?」
くりくりっとした二つの瞳に、ふいに無邪気な光が宿る。
「いつかわたしたちも子孫を残すために、セクロスするのかなあ?」
「ば、バカ、こんなとこでなに言ってんだよっ」
思わず赤面しながら辺りをきょろきょろ見回している僕を見て、夏香はクスクス笑いだした。
はあ、まったく。なんてやつだ。
……そんなのするに、決まってる。
最後まで物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。
もし楽しんでいただけたなら幸いです。
今後も小説をUPしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
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