第15話 たけちゃん。
「ど、どうも。お久しぶりです……」
「おお、虎太郎か」
頭をかき、気恥ずかしそうにしながら、たけちゃんは玄関先まで顔を出してくれた。
正直、もう何年もの間会っていなかったたけちゃんの家を訪れるのはかなりの勇気がいることだった。
だが、僕の胸にはどうしても、昨日の夕方の出来事がひっかかっていた。靄が形にならなかったこと、蝉の抜け殻が壊れてしまったこと。なんだか、不吉な予感がしてならなかった。
もしかして、夏香になにかまずい事体がおこっているのではないか。
あまり悪い方には考えたくないけれど、お祖母ちゃんも謎の病で夏香はこの村を去って行ったと言っていたし、悪い結果を考えずにはいられない。
病院を転々としていて、今はどこにいるかわからない。
つまり、生きているかどうかさえ、わからないのだ。
そう思うともういてもたってもいられなくなり、なんとかこの村で夏香の情報を得たいと思い、こうして朝から、たけちゃんに会いに、きてしまった。
「いきなり、すいません」
「いいっていいって。上がって?」
そう言ってたけちゃんは、ぶっきらぼうに居間のほうを指差した。
「いえ、いいんですけど、ちょっと聞きたいことがあって」
「ああ、俺にわかることなら何でも聞いてくれ」
ニカっと笑うたけちゃん。ようやく少しずつ、緊張感がほぐれてきた。
「あの、ずっと昔、一緒に遊んでもらったとき、夏香っていう女の子がいたと思うんですけど」
「へっ? な、夏香っ?!」
明らかに声をうわずらせるたけちゃん。浅黒く日焼けした頬に赤みが差している。
「夏香が、どうかしたのかっ?」
身を乗り出し、僕の腕をぎゅっと握りしめてくる。い、痛い痛い……。なんなんだこのテンションは。
「いや、あの。夏香が今、どこにいるか、知らないかなと思って」
「なんだあ! そういうことかあ」
落胆したようにそう吐き捨て、たけちゃんは目頭を押さえた。
「はあ、ビックリしたぞ。俺はてっきり、夏香になにかあったのかと」
「えええ?」
なんでたけちゃん、こんなに夏香のことを気にしてるんだろう。子供のころはみんなと一緒に夏香を仲間はずれにしていたくせに。
「あの、やっぱり、夏香の居場所は知らないですか?」
「詳しい住所は知らないが、大体の居場所は掴んでる」
「そ、そうなんですか?!」
ていうかなんなんだ、その言い方は。まるで犯人を追う警察みたいだな。
「お前、ちょっと二階に来い!」
「え、あ、はい」
たけちゃんに誘われるままに、僕は家の中へとお邪魔し、早足で階段を駆け上る彼の後についていく。
築百年以上経っていると言われても驚かないような古びた木造二階建てのたけちゃん家の階段は、一歩踏みしめるたびキュッキュッと、まるでうぐいす張りの廊下のような音をたてる。木枠の戸にはめられている花柄に加工されたガラス窓が、なんともレトロでいい味を出していているなあ。ここまで古いと逆に、重要文化財にでも指定したくなってくる。
「ここ、俺の部屋」
そう言ってたけちゃんはあちこち破けた障子の戸を開いた。中には、すっかり茶色く焼けた畳と、几帳面に畳まれた布団一式と、古びた学習机と、ノートパソコン。
ノートパソコンだけ、未来からタイムトラベルして来てしまったみたいに古びた風景の中で浮いている。
たけちゃんは足早に学習机に向かうと、さっそくパソコンの電源を入れた。僕も部屋を見渡しながら、その後についていく。部屋の中には本棚があり、中にはぎっしりと、赤本やら医学書やらが詰まっていた。
「あの……医学部、目指してるんですよね?」
「ああ、まあ。一応な。合格するのに何年かかるんだよって話だけどな。アハハ」
もしかしたら、夏香がきっかけだったり、するのだろうか? なんて、僕はふと、思ってしまった。
夏香の病気の原因をつきとめたくて、とか。
いや、それはないか。だってたけちゃん、子供の頃は、夏香に良くしていたわけじゃなかったしな。
けど、玄関でのやりとりを思い出すと、どうもたけちゃんが夏香のことを悪く思っているようには思えないのだ。
パソコンが起動するとすぐに、たけちゃんはネットを立ちあげ、『羽野瀬秋雄』と入力した。
「うのせ・あきお?」
僕が尋ねると、たけちゃんが頷いた。
「ああ、夏香の父親の名前だよ。村の学校で先生してたから、俺も名前は知ってた」
そっか。夏香の父親の名前だったのか。
ってことは、夏香の名前は羽野瀬夏香か。
そういえば子供の頃にも、僕は夏香の名字を聞いたことがなかったんだったっけ。
「ほら、見てみろ」
そう言ってたけちゃんが検索結果を指差した。するとそこには、『東中学校通信……三年二組担任 羽野瀬秋雄先生』と表示されている。
たけちゃんがページをクリックすると、中学校が毎月配布していると思わしきおたよりが、ネット上で閲覧できるようになっていた。そしてその三年生の特集ページに、先程見た、羽野瀬秋雄の文字が確かに表示されていた。
「どうやら夏香の父親は、今ここの中学校で先生をしているようなんだ。だからきっと夏香も、その近くの病院にいるんじゃないかと思う。この村に夏香と今でも連絡とってる奴は一人もいないし、俺にわかる夏香の情報はこれだけだ」
「ちょっと、よく見せてもらっていいですか」
「お、おう……」
マウスを借りて画面をスクロールさせると、中学校の住所が出てきた。
やっぱり。そうじゃないかと思っていたけど。
これ僕の住んでいる町のはずれにある中学校だ。
そしてこの辺りで、原因不明の難病にも対応できそうな大きな病院といったら。
あの、僕が高校へ通う途中に通り過ぎる、総合病院しかない。
灯台もと暗しとはこのことだ。
「ありがとうございます」
良かった。これでもう一度、夏香に会える可能性がでてきた。
「おう。えっと、もういいのかよ?」
さっそく足早に部屋を去ろうとする僕に、戸惑いながらたけちゃんが声をかけてくる。
「はい。夏香の居場所に目星がついたので」
「そ、そうなのかっ?」
また声を裏返しながら、たけちゃんは答え……そしてそのまま階段を下りようとした僕の肩を、ぐいっと掴んだ。
「お、おい。あの……。あのさ。頼みがあるんだけどさ」
「はい?」
振り返る。
たけちゃんは耳まで真っ赤になっている。
「もし。もしお前が、夏香に会えたらさ。子供の頃のこと、謝っておいてくれ。俺、沢山あいつを悲しませるようなこと、しちまったから」
「そう……ですよね」
僕はたけちゃんをかばうような返事なんか出来ない。あの頃、みんなが夏香にしたことは、とても許せることじゃないから。
「どうして、あんな風に夏香をいじめてたんですか?」
尋ねると、たけちゃんは答えた。
「……最初は正義感とか、仲間を守らなきゃって気持ちのつもりだったんだ。夏香は人間の身体も自由に操れたからな。俺が警戒しているのを他の子らも感じ取ったんか、夏香から距離をとるようになって、中には石を投げるやつもいた。俺はそれを辞めさせなかったし、夏香との溝を埋めようとはしなかった」
たけちゃんは険しい顔をしてうつむいている。
僕はどう自分の気持ちを伝えようか考えていた。僕はお盆に数日遊びに来た程度の関わりしかなく、村の子たちと夏香の間に何があったのか、全部を知っているわけじゃない。
それでも、夏香の屈託のない笑顔とか、スイカを爆食いした姿とか、ゴリゴリ君をわけてくれたときのこととか……色々思い出すと、あの純粋な夏香に残酷な態度をとった村の子のことは許せそうにはない。
「夏香と一緒にいれば、わかりませんでした? あいつがどんな奴か……。純粋で単純で間抜けで図々しくて子供っぽくて……優しい奴だって、わかりませんでしたか?」
そう尋ねると、たけちゃんはうつむいたまま答えた。
「本当は、あいつが良い奴なの、わかってたんだ俺は。だけど俺はあまのじゃくだったんか、意地を張って仲良くしなかった。……自分の気持ちに気付いたのは、あいつが居なくなってからだった。それからずっと後悔したり、今からでも何かできないのかとか、意味のないこと一人で考えてた。だからさ……」
顔をあげ、たけちゃんは僕を見た。その表情から、たけちゃんが抱えていた感情は僕にも伝わってきた。
「今の俺にはなんも出来ないけど、夏香が元気になるのを、祈ってるって。そう伝えておいてくれないか」
「……わかりました。伝えときますよ」
たけちゃんは「わりぃな」と言って力なく笑った。