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第13話 田舎に帰ろう。


 ミーンミンミンミンミンミンミンミンミン……。

 

 窓越しに蝉の声が響いてくる。

 

 頭が痛い。部屋が暑すぎるせいかもしれない。クーラーをつけ、時計を見る。十二時三十六分。昨日夜更かししたとはいえ、寝過ぎだった。

 水が飲みたいが、身体がダルくてすぐに動く気にはなれない。布団の上をゴロゴロ転がりながら、スマホに手を伸ばし、何気なくカメラロールを開く。中学生時代は部活やら文化祭やらで何かと写真を撮っていたが、高校生になってからは、ほとんど写真なんか撮っていない。でも、一枚だけ、最近撮影した写真が入っていた。

 

 ゴリゴリ君の、当たり棒の画像。

 

 夏香が姿を消してから、二日が経ってしまった。

 あれ以来、彼女は姿を現していない。

 

 僕は枕元に置いていたイチゴゴムを手に取り、ぼーっと眺めた。夏香は僕の初恋の人だったんだよなあ。

 

 子供のころ、夏休みになると毎年、僕は母さんの実家で母さんと志乃舞と共に一週間ほど過ごすのが通例だった。

 近くに母さんの弟夫婦が暮らしているものの、おばあちゃんは早くに夫を亡くし一人暮らしをしていた。きっとそんなおばあちゃんを喜ばせるために、母さんは毎年子供を連れて長めに帰省していたのだろう。

 

 だけど、夏香と過ごしたあの夏以来、実は僕は、母さんの実家をまだ一度も訪れていない。蝉事件はショックな出来事すぎたせいか僕の記憶から抜け落ちていたが、しっかりと残っていたトラウマのせいで、次の年の夏休みには母さんの帰省についていくことを泣いて暴れて嫌がった。そしてそれ以降も、なにかと理由をつけては帰らずにきた。

 

 おばあちゃんの暮らす村はここから車で一時間半ほどの場所なのだが、アクティブなおばあちゃんは「買い物がしたい」と言ってよく僕の住む町まで自分で車を運転し、山から降りてくる。なのでおばあちゃんに会う機会は、特に僕が向こうへ行かなくても結構あるのだった。

 

 とはいえ、僕が何年も遊びに行かないことをおばあちゃんも母さんも残念がってはいるのだが。

 

 夏香は今もきっと、あの村に住んでいることだろう。僕は彼女の住所を知らないが、さほど人口の多くないあの村のことだから、おばあちゃんにでも聞けば家の場所くらいすぐ分かるに違いない。

 

 だから、僕が夏香に会いに行くことは可能なわけだ。

 

 夏香が去った日、僕はちゃんと本当の気持ちを伝えられなかった自分を情けなく思って自己嫌悪のまま一日を過ごし、翌日はきっと夏香はまた来てくれるに違いない、なんて思って憂鬱な気分のまま、また一日を無駄に過ごした。

 

 だけど、今日目が覚めても、やっぱり夏香はいなかったのだ。

 

 きっと彼女はもう僕の元には現れないつもりなのだろう。そして、僕に怖がられていると思ったまま、それが払拭されることはない。

 

 僕が伝えに行かなければ。

 

 だったら、伝えに行けばいい。

 そうだよな。

 

 そんな事が、まる二日かけてようやく分かったところだった。

 

 だがいざとなるとなかなか勇気がいる。まず母さんに、母さんの実家に遊びに行きたいなんて相談したら「今まで頑なに行きたくないって言っていたのに一体何事?」と思われそうだし、おばあちゃんに夏香の家の場所のことなんか訊ねたら「めずらしく遊びに来たと思ったら女目当てかよ!」と思われそうである。ああ恥ずかしい……。

 

 しかしその段階を経なければ、僕は夏香に永遠に会いに行くことが出来ない。僕は夏香みたいにエクトプラズム風な移動なんか、出来ないからな。

 

 しかしあれはどういう原理なんだ……。深く考えないようにしているけれど、やっぱ怖いもんは怖いかもしれない。

 

 怖い。夢を見たことで思い出したのだが、そういえば夏香はあの村の子供たちに酷く怖がられて嫌われていたのだった。夏香はあれから今でもずっと、ああいう扱いをうけて暮らし続けているのだろうか? そう思うと彼女のことがとても心配だ。長年そんな扱いを受け続けて、まともな精神状況でいられるものだろうか?

 

 でも、蝉として姿を現した彼女は明るくて子供っぽくて、元気だった。あの夏に一緒に遊んだ夏香もそうだったよなあ。僕と二人で遊んでいるときは元気だったのだ。

 

 ともかく、やはり彼女に直接会いにいかないことには始まらないだろう。そして彼女に、僕の蝉嫌い克服に付き合ってくれたお礼と、僕の気持ちを伝えなければならない。

 

 さてと。まずは母さんに相談だな。今日は土曜日だから、幸い母さんは家にいる。僕は意を決し、リビングへと向かった。


 リビングでは母さんと志乃舞がお昼ご飯を食べているところだった。


「あ、お兄ちゃん。まさか、今、起きたの?」

 

 志乃舞は僕を上目づかいにちらりと見ながら、わざと分かり切ったことを生意気な口調で言うのだった。他人の神経を逆なでることを趣味にするのはやめていただきたいものだ。

 二人はモシャモシャと麻婆春雨を頬張っている。シャキシャキして、それでいてちゅるるんとしていて、めちゃくちゃ美味しそうだ。


「僕の分もある?」

「あるわよ、こんなにあるんだから見れば分かるでしょ」

 

 妹が小馬鹿にしたように笑いながら答える。


「ご飯自分で盛りなさいね」

 

 母さんも僕が昼まで寝ていたことをよろしく思っていないようで、ややつれない反応しか返してくれない。こういう、女2対男1っていう状況だと、どことなく肩身が狭いような気分に、いつもなる。

 

 とりあえず僕は飯を盛り、食卓についた。

 

 麻婆春雨に箸を伸ばし、ご飯の上に乗せる。わあ、艶々で美味しそうですね。

 早速、口に運ぶ。ズズズッ。ウマー。

 とまあ、それはいいとして。

 

 僕は頃合いを見計らって、なるべく何でもないことのように、話を切り出してみた。


「あのさ、母さん今年もお盆は実家に帰るの?」

 

 ムシャムシャと口を動かし、春雨を飲み込んでから、母さんは頷いた。


「そうね。今年も帰ることは帰るけど、お盆じゃなくて明日ちょっと行って帰ってくるだけよ。月曜日も休み貰ってるから、一泊しようかとは思ってるけど」

「え、明日?!」

「うん。おばあちゃんが、今年のお盆はお友達と一緒にヨーロッパへ旅行に行くらしいからね。あの年で初めての海外旅行だって」

「へえ……」

 

 相変わらずアクティブな人だ。


「おまえも行くのか? おばあちゃんち」

 

 志乃舞に訊ねたが、大量のもやしと春雨を口にくわえたまま首を振られた。


「あらひ、ともらちとあそぶひゃら。ことしわ、いかないひゃら」

「そうか……」

 

 へぇ、なんて頷きつつ、僕は緊張に箸を震わせていた。別に母さんの実家に一緒に帰りたいということはそこまで恥じることではない、とは分かっているのだが、なにせ心の中で、初恋の女の子と会いたいがために行きたいんです! と思っているだけに妙な引け目を感じてしまって、言い出しにくいのだ。

 

 だがせっかくの機会なのだ。明日行くということなら、ぜひ同行させていただかなくては。交通の便が悪い場所だから、母さんの協力抜きにあの村を訪ねることは難しい。ここで言わずにどこで言う。


「僕も、行こっかな……」

 

 ――カラーン。

 

 母さんが、落とした箸を拾い上げる。志乃舞は誤って肺のほうへ向かってしまったと思われる春雨の逆流作業に必死だ。


「あんた、行くの? 行きたいの?」

 

 喜びと驚きでえも言われぬ表情の母さんが、身を乗り出してくる。えええ……。できる限り何気なく言ったつもりだったのに。


「いやその、なんか。僕も歳をとってきまして、田舎もいいかなと思いまして」

 

 適当に、繕ってみる。


「嘘だわそんなの! だってあんた、あれだけ今まで嫌がってきたじゃないの。死ぬほど嫌がってきたじゃないの。母さんが泣いてお願いしても、頑なに拒否してきたじゃないの」

「そりゃまあ、そうだけど」

「ヴぇっほ! ヴぇっほ! ぼ、ぼにいぢゃん、蝉はどーずんのよ。山には蝉がいるばよ」

 

 むせながら、志乃舞が涙目で訊ねてくる。


「蝉は……。まだ怖いと言えば怖いんだけど、あんま嫌いじゃなくなってきたし」

「「ええー!?」」

 

 ハモられてしまった。


「え、なんで? いつ? どこで? どうして?」

 

 志乃舞はすっかり取り乱している。こいつらしくもない。


「まあとりあえずそういうわけだから。明日、僕も連れてってくれる?」


  早くこの話題は終わりにしたい。


「もちろん、いいわよ」

 

 母親は親指をグッと突き出してOKである意向を表明してくれた。


「じゃ、そういうことで」

 

 僕は気恥しい空気を誤魔化そうと箸で掴めるだけの麻婆春雨を皿から掴み取り、そいつを一気に口いっぱいに頬張った。……むせて吐きそうになった。


 

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