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第12話 消えた彼女。

「夏香……もう一回……ターザン……」

「コタ」

 

 聞き覚えのある声に、僕は目を覚ました。


「あ……」

 

 蝉がパジャマのまま枕元に立って、じっとこちらを見つめている。その顔は夢の中の女の子と、同じ顔だった。


「夏香、だ」

 

 なんで今まで、思い出さなかったんだろう。

 確かに背は伸びたし体つきも女性らしく成長してはいるけれど、その顔立ちはほとんど変わっていなかったのに。


 そしてそれより何より、どうしてあんな大事な子のことを僕は今まで忘れていたんだろう。


 あの子は、僕の初恋の相手だったのに。


「思い出したんだね」

「え……」

「寝言、聞いちゃったから」

 

 なぜか夏香の顔は、強張っている。

 あの女の子……夏香……。

 そうだったのか?

 まだ寝起きで良く回らない頭で僕は考える。


「なんだ、もっと早く言ってくれれば」

「鍵を、返しに来たの」

 

 夏香はそっと、手を僕のほうに差し出した。手のひらには、学習机の一番下の引き出しの鍵が乗っている。


「え、でも」

 

 それが無かったら、僕は蝉を克服する必要がなくなってしまうじゃないか。


「コタは、もう大丈夫だと思ったから」

「……え?」

「だってアルベルトのお墓を作る時、一緒に悲しんでくれたでしょう?」

 

 昨日の夕方のことを思い出す。確かに、夏香が深く沈んでいるのを見て、きっと死んだ蝉が彼女にとって大切な存在だったのだろうと思って、僕は悲しい気持ちになっていた。だからできる限りのことをして、弔ってあげたいと思っていた。


「まだ蝉が大好き、とまではいかないと思うけど、でもコタはもう大丈夫だと思ったから、いつまでも鍵を預かっておくのはやめようと思ったの。大切なものを奪って無理やり克服させなくたって、コタはきっと自分自身のために頑張れると思ったから」

「そうだったんだ」

 

 そういう意味でなら、鍵を返してもらえるのは嬉しいかもしれない。僕が一歩全身した証でもあるし、僕のことを信用してもらえた証でもあるのだろう。


「あと、訊きたいことがあるの」

「な、なに?」

 

 今日の彼女はやけに改まっているのでこっちまで緊張してしまう。


「コタ、わたしの事を思い出したってことは、あの日のことも思い出した?」

「あの、日?」

 

 なんのことだろう。


「コタが、蝉を嫌いになった日のこと」


 感覚が、蘇って来た。

 

 よく見る、あの悪夢の感覚が。

 

 全身を無言で這う大量の蝉たち。

 その尖った手足がちくちくと皮膚を刺す感触。

 互いの身体がカサカサ擦れ合う音。

 鼻の上にも、耳の中にも。頭の先からつま先まで、まるで僕の身体を覆うように。

 

 思わず、背筋が凍りつく。


 あれは……もしかして実際僕が体験した出来事だったのか?

 あの女の子は夏香だった?

 頭の中がグルグルする。トラウマが僕の身体を支配していく。


「ごめんね」

 

 夏香の目には、いつもの無邪気さがちっとも宿っていない。それどころかまるで夜の闇みたいにどこまでも真っ暗だった。


「コタの蝉嫌いは、わたしのせいだったんだよ」

「……」

 

 まだ、僕はあの感覚から逃れることが出来ずにいる。身体中に、まるで今もアレがびっしりとくっついているかのようで、表情さえ変えることが出来ない。耳にも、首筋にも、アレがびっしり貼りついて、蠢いているような気がした。


「罪滅ぼしのつもりで、コタの蝉嫌いを克服させたいって、思ってるつもりだったの。でも、そうじゃなかったんだって、気付いちゃった。わたしはただ、もう一度、コタと遊びたかっただけなの。一緒にいたかっただけなの」

 

 彼女の頬に、一筋の涙が伝って落ちた。


「だけどコタは、わたしのこと、怖いよね。わたしと一緒に、いたくないよね」


 なんとか、返事がしたい。

 声を、出したい。

 でも、あの感覚に苛まれて、僕は身動き一つできなかった。

  

 怖いか、怖くないか。

 そりゃ、怖かったよ。今でもトラウマなくらいに。

 だけど、それとは別なんだ。

 別のことが、あるんだよ。


 返事を返さない僕を見て、夏香は落胆したようだった。


「そりゃ、そうだよね」

 

 そう言って寂しげに笑って。

 彼女の像が、徐々に薄らいでゆく。

 彼女は、消えるつもりなんだ。

 

 もう二度と僕の前に姿を現さないつもりかもしれない。

 くそ。

 

 だけど身体に、力が入らない。

 まるで金縛りにあったみたいに、動かないのだ。

 

 待ってくれ! 夏香。

 僕は君に、伝えたいことがあるのに。

 

 願いもむなしく、みるみる彼女は霧になる。

 

 そして最後には真っ白い粒子になって、ふわりと形を無くし、机の上の抜け殻の中に吸い込まれていってしまった。


「……っあ! って! 待って! 夏香……」

 

 やっと声が出るようになったころには、もうすっかり彼女は姿を消してしまっていた。


「夏香……」

 

 僕はなにも出来ずに、じっと抜け殻を見つめ続けていた。




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