08
「お前は自分の学園の予定すら知らなかったのか……? 休暇は毎年同じ時期だろうに」
「待ってください! 言い訳をさせてください!」
「聞こう」
「忘れていたんじゃないんです! これは、そう……。失念していたんです!」
「同じだろうが」
呆れ果てたようなため息をつく魔王。まともな言い訳が思い浮かばないので、ミランダも何も言えずにただただ落ち込んでしまう。
だがミランダが落ち込んでいるのを察したのか、魔王は苦笑と共に言った。
「だがしかし、思い出す余裕がなかった、というのも理解できる。処刑された矢先に不倶戴天の敵である魔族を目の前にしていたんだからな。あの時に取り乱していなかっただけ、大したものだと思うぞ」
それは、紛れもない称賛だった。思わずミランダの顔が赤くなる。……ような気がする。実際どうなっているのかは魔王にしか分からない。
「それに、無駄な時間を過ごさずにすぐに戻ってきたことも評価しよう。丁度良かったからな」
「はい? どういうことですか?」
「ああ。夜に晩餐会がある。それまでの間に、この国の王子殿下が学園と寮を案内してくれるそうだ」
「え」
絶句するミランダに、魔王は意地の悪い笑顔を浮かべる。にやにやと、ミランダの反応を楽しむように。
「あちらから来てくれるぞ」
性格悪いやっぱりこの人魔王様だ、とかそんな言葉が頭の片隅を過ぎるが、それよりも何よりも。
「いえ、あの、ちょっと待って……」
混乱するミランダの声を、ノックの音が遮ってしまう。怯えるように凍り付いたミランダに気を遣うつもりなどないのだろう、魔王は入れ、と短く告げる。
そうして、入ってきたのは。
「初めまして、ケイオス陛下。ロイド・フォン・エルジュと申します。国王より案内の任を仰せつかり、参りました。よろしくお願い致します」
「ロイドの補佐として参りました、フローラ・ツー・アトメシスと申します」
簡易的な礼をしたのは、淡い金髪に優しげな青い目をした少年と、薄紅色の長髪と同色の瞳を持つ少女だ。少女の方は少年とは違い、勝ち気そうな印象を受ける目をしている。
これは、何の因果だろうか。案内役など誰でもできるだろうに、どうしてこの二人なのか。
ロイド王子と、アトメシス侯爵家の長女、フローラ。ミランダの、友人だった二人だ。
とりあえず、魔王にしか聞こえないことをいいことに叫ぶことにした。
「心の準備というものがあるんですよばーか!」
「……っ!」
魔王が咄嗟に視線を逸らした。わずかに肩を震わせているので、笑っているらしい。
「あら。言葉が乱れました。ごめんあそばせ、魔王様」
顔を上げた魔王は、どこか楽しげに目を細めていた。ミランダを一瞥してくるが、怒っているわけではないらしい。とりあえずは一安心だ。
困惑するロイドとフローラへ、魔王は笑顔で二人へと歩いて行った。
魔王とロイド、フローラを乗せた馬車は学園へと向かう。学園の施設の説明は順番に回りながら行う予定らしい。移動中では、ロイドによってこの国の学園そのものの説明が行われていた。
「十一歳から十五歳の間で、一年間だけ初級学校に通うと。一年ということは、文字を覚えるためか」
「そうなります。強制ではないので、貴族は家庭教師などを雇うことの方が多いですね。平民でも費用さえ払えば学ぶことはできますし、かなり安くなっているはずです」
「ほう。この国の識字率は高そうだな」
「いえ、その……。恥ずかしながら、強制ではないので、通わせない親も多いのです。学園に通う時間があるなら、働けということらしく……」
「ふむ……。あり得る話、か。平民なら必要になる文字も少ないだろうし、その程度なら自分たちで教えられる、と」
「そういうことです」
ちなみに初級学校は上級学校と違い、それぞれの街にあるため、王都まで通う必要はない。それでもやはり、初級学校を利用するのはほとんどが商家の人間だ。
そういった補足の説明を魔王の耳元で囁く。魔王はなるほどと小さく頷いた。
「十六歳から三年間通う上級学校では、それぞれの専門的なことを学べます。兵士になりたい者は武術について学ぶことができますし、文官となる者は計算や書類について学ぶことができます。上級学校に関してはそれなりの費用がかかりますので、平民で通ってくる者は裕福な商家ぐらいです」
「なるほど……。殿下は何年目になるのかな?」
「私とフローラは次で三年目となります。……本当は、もう一人、陛下に紹介したい者がいたのですが……」
「ほう? わざわざ俺に紹介したいということは、優秀だったのか」
「それはもう。成績も常に上位でしたし、何よりも民を大事にする考えをしっかりと持っていました。一部の貴族には疎まれていたでしょうが、素直に尊敬できる子でした」
少しだけ、驚いた。自惚れでなければ、王子は自分のことを言ってくれているはずだ。まさか、これほど良い評価を頂いていたとは思わなかった。
「実は婚約も打診したことがあったのですが、本人に冗談だと思われたらしく、王族は言葉を覆せないのだから冗談とかは言ってはいけません、と叱られました」
「…………。まあ、なんだ。気を落とすな」
「はは。ありがとうございます」
魔王が非難をこめた視線をこちらに向けてくる。ミランダとしても、今は少し困惑していた。まさか王子のあの打診が本気だとは思わなかったのだ。フローラと恋仲だと思っていた。
「できれば、会ってみたいものだな」
「それは……。そう、ですね。会ってほしかったです。あなたと面識があれば、連座を防げたかもしれないのに」
「そうか。親の都合で処刑されたか」
「その……。はい。ミランダ、という名でした。よければ、名前だけでも覚えてあげていただければ、と」
「うむ」
魔王の表情が少しだけ変わった。どう言えばいいのだろう。何とも言えない表情。魔王としてはミランダの名前はむしろ忘れられなくなっているだろうから、無理もないかもしれない。
「フローラ嬢も、その者と友人だったのか?」
魔王がフローラへと聞くと、フローラは困ったような笑顔を浮かべた。
「いつも口論ばかりしていました。ですから、ミランダ様はそう思っていなかったかもしれません。私の方は、得がたい友人だと思っています」
これにも驚いた。フローラとは、本当に口論ばかりしていたのだ。フローラはまるでそれが義務かのように、平民へと冷たく当たる令嬢だった。いわゆる、典型的な貴族、というものだ。それをどうにか改めてやろうと何度も言葉を交わしたことを覚えている。
「ミランダ様が高位貴族にしては珍しく、平民側に立つ方でしたので、私はお父様からそれに反する行動をしておくように命じられていました。平民たちが、ミランダ様の優しさに慣れないように、と」
演技だったのか。確かに、ミランダは平民に対して分け隔て無く接していた。それが毒になるかもしれない、とは承知していたので、貴族はできるだけ避けるようにとも注意はしていたが。
まさか、汚名を被ることを承知で冷たい貴族の立ち位置にいたとは思わなかった。この子は自分よりもよほど国を大事に考えているのかもしれない。
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ではでは。