07
確かに大陸間で容易に移動できるとなれば、戦争はもっと泥沼化していたことだろう。大陸間の転移魔法の存在を知った時はもっと手軽に使えればいいのにと思ったこともあったが、そう考えるとこの仕組みが一番いいのかもしれない。
「陛下。準備が整いました」
同行者の一人が魔王の前で跪き、報告する。この老人は何度も見たことがある。執務室へと度々報告に訪れていた魔族だ。
以前魔王から聞いた話では、昔から魔王に仕えている最古参の魔族らしい。
「よし。始めろ」
周囲に並ぶ魔族たちが、不思議な言葉を紡ぎ始める。ミランダには聞いたことのない言葉だ。この魔法に伝わる古代言語なのかもしれない。後で魔王に聞いてみようか。
詠唱が進むにつれて、魔方陣の輝きが増し、魔力が集ってくる。その魔力は頭上に輝く光となって現れていた。中に浮かぶ光球は幻想的な光景のようにも思えるが、大地を揺らすほどの魔力の塊だと思うと恐怖心しか沸かないというものだ。
緊張でミランダが喉を鳴らすと、魔王の手が頭に触れた。安心させようとしてくれているらしい。
「陛下?」
同行者の声。不思議そうに魔王を見ている。突然見えない何かを撫で始めたのだから、気にもするというものだろう。
「何でも無い。気にするな」
魔王が首を振るのと、光がさらに激しさを増して何も見えなくなるのは同時で。
気が付くと、周囲の景色がまた変わっていた。
森の中であることは変わらない。だが、今まで見たこともなかった木ばかりだったのに、今はどこかで見覚えのある木々ばかりだ。
そして何よりも。周囲の魔族がいなくなる代わりに、魔方陣の外側に大勢の人族が集まっていた。
人族の、初老の男が魔王の元へと歩いてくる。彼の両隣には兵士の姿。護衛だろう。
兵士はともかく、初老の男はミランダもよく知る人物だった。
エルジュ王国の宰相だ。エルジュ王国から魔王を迎えるために来たらしい。
「ようこそ、エルジュ王国へ。歓迎致します」
「ああ。世話になるぞ」
宰相が手を出して、魔王がその手を握る。しばらく握手をしていた二人だったが、やがて手を放してお互いに姿勢を正した。
「では、我が国の王都までご案内させていただきます」
「よろしく頼む」
宰相が先導して、魔王が続く。その後ろは兵士たちだ。ミランダは魔王の邪魔にならないように、少し上空を浮いてついていくことにした。
そうして空から見ているからこそ、気付いた。
エルジュ王国の兵士の多くが、魔族の兵士を見て嘲り、失笑していた。もちろん、分からないように。
魔族の護衛はたったの六人。対する人族の兵士は、五十人は下らない。もっともこれには、移動時の雑務を負う者も含まれてはいるが、それでもそれだけの人数がいる。
魔族の国力はその程度なのだろう、と思ったのかもしれない。
「自分の国のことながら、未来が不安になるなあ……」
自分が生きていたら、王子を介して陛下に報告できるのに。そんなことを考えながら、ミランダは頭を抱えてしまった。
祭壇から王都へは、馬車で一日の距離だ。途中の小さな村で一泊して、翌日の昼過ぎに王都にたどり着いた。
魔王の姿を一目見ようと、大勢の人が集まっていた。誰もが笑顔で手を振っている。魔王は門までたどり着いてからは、わざわざ馬車から降りて歩き始めた。
手を振ることはしない。だがその威風堂々たる様は、それだけで魔王という存在を記憶に焼き付けてくれる。
悪いイメージが先行しがちな魔族だが、この魔王の姿だけでそのイメージが覆ってもおかしくない。少なくともミランダはそう思えた。
「さて、それじゃあ私は早速動きましょう」
ふわりと、魔王の隣へ。魔王はこちらを一瞥しただけで、再び視線を正面へ。
「魔王様。友人を探してきます。あと、私の処刑後どれだけ時間が経っているかも調べてきます」
誰にも分からないように、魔王が小さく頷く。ミランダも頷きを返し、再び空へ。魔王がこの王都にいる限り、この王都の範囲なら自由に動き回ることができそうだ。
まず向かう先は、貴族の子息や一部の平民が通う上級学校だ。そこで、友人の姿を探すことにする。友人の学年さえ分かれば、ミランダの処刑から何年経過したかが分かる。
日付の数え方は人族と魔族で共通なのだが、年号、年の数え方は全く違うものだった。日付だけで考えれば、ミランダは処刑されてさほど時間を置かずに幽霊になっていることになるのだが、実際は一年二年、もしかすると十年経っていてもおかしくはない。
それでも、少しだけ期待をこめて、上級学校の寮へと向かう。
上級学校は全寮制であり、王子ですらこの寮に住むことになる。上級学校は三学年までであり、ミランダたちは二学年だった。ミランダの友人がまだ寮にいれば、あの時からさほど時間が経っていないことになる。
寮の壁をすり抜けて、内部へ。こういう時はこの幽霊の体は便利だ。
塵一つない清潔な、静かな廊下をふわふわと浮かんで通っていく。そうしてミランダがやってきたのは、平民の子や下級貴族がいる二階だ。その、とある部屋の前で、ミランダは動きを止めた。
まだいるのなら、この先に、ミランダの友人がいる。
貴族と平民という隔たりがありながら、不思議とミランダと気が合い、よく一緒に出かけていた少女。処刑の時、泣きながらミランダへと手を伸ばしてくれていた、大切な友達。
少しだけ緊張しながら、ゆっくりと扉を通り抜ける。
部屋の中には、誰もいなかった。
「あ……」
これは、つまり、卒業してしまったのだろうか。一瞬そう考えたが、すぐに違うと分かった。部屋に置かれている物は、間違い無くあの子のものだから。
ならどうしていないのかなと考えて、そしてすぐに、
「…………。穴があったら入りたい……」
緊張のあまり、気が付かなかった。ミランダは頬を引きつらせながら、もう一度扉を通る。
そうして改めて廊下を見渡して、ミランダは自嘲してしまった。
誰もいない、しんと静まり返った廊下。学生がいるなら、話し声があって当たり前なのに、それがない。その理由は特別なことでもなく、魔王が視察に訪れるからという理由でももちろんない。
休暇。学年が変わる前の、長い休み。全ての生徒が実家へと帰省する期間であり、寮からは誰もいなくなる。清掃の人間は多少なりとも入るだろうが、当然ながら四六時中いるわけでもない。
とりあえず。そう、とりあえずは。ああして荷物が残されている以上、友人たちがまだ在学中なのは間違い無いだろう。学園の切り替わりでまだいるとなると、どうやら今はまだ、ミランダが処刑された翌年というわけでもないらしい。
処刑されて、あまり時間を置かずに魔王の前で目覚めたようだ。どうしてそうなったのかと疑問に思いつつ、魔王の元へと戻ることにした。
「絶対に、呆れられる……」
報告したくないと思いながら、ミランダは魔王の魔力をたどってその場を後にした。
この王都で最も高級なホテルに魔王はいた。最上階どころか、ホテルそのものをまるごと借り切っているらしく、魔王たち以外の宿泊客はいないようだ。
その最上階の一室に魔王はいて、ソファに座って寛いでいた。周囲に他の魔族はいない。ミランダが戻ってきた時のために一人でいてくれたのかもしれない。
ミランダが扉を通り抜けて魔王の元まで向かうと、魔王はミランダを見て、わずかに眉をひそめた。
「どうした? 友人たちの様子を見に行ったのではなかったのか? 何とも妙な表情をしているが」
「ええ、まあ、はい。見に行ってきました。寮にいるかなと」
「それで?」
「休暇中で寮に誰もいませんでした」
ミランダが正直に告げると、魔王は一瞬固まって、次に首を傾げ、そしてまるで正気を疑うような目を向けてきた。嘲りの言葉よりも心にくるものがある。ちょっとつらい。
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ではでは。