05
「その通りだ。あまり離れると、俺の魔力が届かなくなるからな。この王都の範囲程度なら問題ないが、大陸を越えることは間違い無く不可能だ」
「そうですか……」
つまり、ミランダの復讐には魔王の協力が必要不可欠なものだということだ。
ミランダ含め人族の子供は、魔族の王は悪逆非道な王だとすり込まれている。直接そうだと教わるわけではないのだが、物語の悪役には魔王が多いためだ。
だが実際にこうして話していて分かるのだが、魔王は非道な王とは違うとミランダは思っている。むしろ、時折ミランダを気遣ってくれるほどで、優しさまで感じるほどだ。
そんな魔王を、大陸の支配者を、自分の都合で縛り付けたくはないのだが。
「あの、魔王様……」
「ああ、少し待て」
「え?」
不意に、魔王の視線がミランダの後方、扉へと向けられる。不思議に思ってミランダが振り返ると、少ししてノックの音が聞こえてきた。
「入れ」
魔王の声の後、扉が開かれる。入ってきたのは、黒いローブに身を包んだ老人だった。頭の角が人族ではないと明確に物語っている。
「失礼致します、魔王様。先方から返答がありました。歓迎致します、とのことです」
「そうか」
「ですが、魔王様。何故この国なのですか? 他に適した国があると思うのですが……」
「知人がいるのだ。たまにはそんな理由で選んでもいいだろう?」
「困ったお人だ」
魔王の薄い笑みに、老人も肩をすくめて笑う。
歓迎する、つまりは魔王を迎えるということは、どこかの国へ行くのかもしれない。魔王にも王としての仕事があるのだから、当然ミランダにばかり構っていられないだろう。仕方ない、ちょっとした旅行と思おう、と考えたところで、
「では、エルジュへの視察は一月後だ。その方向で引き続き交渉してくれ」
「畏まりました」
え。
ミランダの思考が止まる。今、どこだと言っていた……? 確か、そう……
「では、エルジュ王国と引き続き交渉してまいりましょう」
「ああ。任せたぞ」
その、国名を聞いたミランダは、
「ええええええ!?」
ミランダの叫び声の結果は、魔王の眉をわずかにひそめさせただけだった。
人族と魔族は友好の証として、年に一度交換留学生をしている。それぞれの学生をお互いに一年預かるというものだ。
魔族は昔から魔王が大陸を支配しているので受け入れ先はいつも変わらないのだが、多数の国家がある人族はそうはいかない。年ごとに違う国が受け入れているのだそうだ。
受け入れ先の決め方はその多くが人族の国の持ち回り、何かしらの順番らしいが、時折魔王が指定することもある。学生が興味を持った国だと言えば、だいたいは通るらしい。
ミランダも交換留学生のことは知っていたが、縁の無い話だった。エルジュ王国は一度も受け入れ国になったことがないためだ。
だからこそ、知らないからこそ、ミランダは本当に、この仕組みは友好の証と思っていた。確かに、違和感は覚えていたけど、それでも、
「実際は人質の交換のようなものだ」
それを聞いたミランダの笑顔は凍り付いてしまっていた。
「人質、ですか?」
「そうだ。俺たちが人族の大陸へと攻め込めば、奴らは預かっている学生を殺してしまうだろう。その逆も同じくだ」
「そう、なんですね……」
未だお互いがお互いに信用しきれていないからこその決まりだろう。内心では複雑だが、それで平和になっているのなら、いいことなのかもしれない。
「その今年の留学先をエルジュ王国にしてしまっていいんですか?」
「いいとも。誰も困りはしない」
「そうですか……。魔王様。ありがとうございます」
本当に、ここまでしてくれるなんて思いもしなかった。
どのような言い訳をしようとも、ミランダがやろうとしていることは、ただの自己満足だ。そこに価値なんて何もない。断られるのが当たり前だったはずだ。
だが魔王は、そんなミランダの復讐に付き合ってくれるらしい。他の魔族を巻き込んでまで。感謝してもしきれない。
その気持ちを少しでも伝えたくて頭を下げたのだが、魔王は鼻で笑っただけだった。
「交換留学の前に、俺が視察に行くのも恒例になっている。エルジュへは一ヶ月後に行くことになるだろう。そのつもりでいろ」
「はい。分かりました。ではその間、魔王様のお仕事を微力ですがお手伝いしたいと思います。よろしいでしょうか?」
「好きにしろ」
「はい。好きにします」
断られなかったことに安堵しつつ、ミランダは魔王の隣へと向かった。
さて、幽霊の身でもできることは何かあるだろうか。
物を動かす訓練をしつつ、魔王から依頼される計算や書類の整理をしていると、あっという間に一ヶ月が経った。明日はついに、エルジュ王国を訪問する日となる。
ミランダは魔王の執務室で、本を読みながら魔王の帰りを待っていた。この本は執務室にある本棚から借りているものだ。本棚には資料しかないと思っていたのだが、半数以上が小説などといった娯楽のものだった。魔王曰く、仕事ばかりしていられるか、とのことだ。もっともである。
魔王は現在、会議室で明日からの最後の打ち合わせだ。ミランダも認識されずとも聞いておくぐらいはしておこうかと思っていたのだが、気が散るから来るなと言われてしまった。
それも仕方ないだろうとは思う。ミランダでも、隣で半透明の人間がふわふわ浮いていたらすごく気になる。そう思うと自分は結構うっとうしいのではないだろうか。
「その辺りどう感じていますか、魔王様」
ということで、戻ってきた魔王に聞いてみる。魔王は怪訝そうに眉をひそめて、
「何がだ」
「いえ。私、鬱陶しくないですか? 隣でふわふわ浮いていたら」
「ああ。鬱陶しいな」
「ですよね!?」
「だが慣れた。お前との阿呆な会話は気が楽だからな。いい清涼剤だ」
「褒めてます? 貶してます?」
「…………」
「魔王様? どうして目を逸らすんですか。ねえ。ねえ!」
すたすたと、魔王は執務机に向かってしまう。ミランダはしばらく頬を膨らませていたが、けれど同時に聞くのも面倒になったので流すことにした。
「でも慣れたのなら会議に連れて行ってくれてもいいじゃないですか」
「お前はそれでも元貴族令嬢か? 幽霊とはいえ、他国の者に聞かせられない話もある」
「あ……。なるほど。魔王様は私を、生者と同じように扱ってくれるのですね」
「いや、鬱陶しすぎて幽霊であることを忘れるだけだが」
「ひどい。否定できないから余計にひどい」
よよよ、と泣き崩れる真似をしてみる。無視をされた。いつものことである。
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ではでは。