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勇者アイリス。かつて人族と魔族が戦争をしていた時代、魔王と戦い続けた、聖剣に選ばれた勇者。多くの姿絵が残っているため、彼女の容姿は誰もが知るところだ。
ミランダももちろん知っている。平民のミリアも知っていた。貴族平民の区別なく、世界中の誰もが知っているほどに有名な少女。
戦争が終わった頃に神の祝福を受けて不老となった、という伝説もあったが、実際のところはすでに亡くなっているだろうと誰もが思っていた。
どうやら伝説は真実だったらしい。姿絵と変わらない少女が、ミランダの目の前にいる。
鎧は着ていないが、白銀の髪を風に揺らして凛と立つ姿は神々しさすら感じられ……、
「くあ……。ねむ」
神々しさ……、
「ん。ほら、起きろ、魔王。げしげし」
「おいこらやめろ蹴るな。それが怪我人にすることか」
「いっそ死ね」
「お前は本当に俺への当たりがきついな……」
前言撤回。神々しさはなかった。
けれど、魔王への態度から、そして魔王の態度から、彼女が勇者本人であることは疑いようのないことだった。
「ところで魔王。一応留学生だよね」
「うむ。留学生だ」
「…………。ぷっ」
「笑うな。話が進まん」
本当に、気安い。魔王もどことなく楽しそうだ。
「ん……。じゃあ、お仕事します」
勇者はそう言ってから、大きな欠伸をして。
そして、呆然と立ち尽くす兵士たちと侯爵を、睨み付けた。
「ひっ……!」
いくつもの悲鳴が漏れ聞こえてくる。それも当然だろう。殺気を向けられていないミランダですら、悲鳴を上げそうになったほどだ。
殺される、と本気で恐怖したのは、これが初めてかもしれない。処刑の時ですら、ここまでではなかった。
「君たち、何をしようとしていたの?」
ゆらり、と勇者が前に出る。いつの間に取り出したのか、彼女の右手には光り輝く剣が握られている。あれが聖剣だろうか。
「君たちに自覚はないのかもしれないけれど」
ゆらりゆらり。歩みは遅い。けれど、誰もが動けない。
「今の平和は、薄氷の上に成り立つもの。いろいろ手を回して、ようやく、殺し合いのない世界になった」
側の兵士が、泡を吹いて倒れた。けれど勇者はそれを気にしない。彼女は、真っ直ぐに、今回の元凶へと向かっていく。
「こんなところで殺し合いなんてしたら、また戦争になりかねない。ましてや、無抵抗な魔族をなぶり殺しにするって、間違い無く戦争まっしぐら。……なんで、そんなこと、するの?」
「お、お待ちください! これは、そう! 訓練です!」
「は?」
勇者から感じる殺気がさらに増し、侯爵は尻餅をついた。どうにかして勇者から距離を取ろうとして、
「はい行き止まり」
勇者の姿がぶれたかと思うと、侯爵の真後ろにいた。
「ひい! ま、待ってください! 私の言うことがそんなに信じられませんか!?」
「…………」
勇者の目が侯爵を見て、次に兵士たちを見て、魔王を見て。そして。
「え……?」
そして間違い無く、ミランダを見た。王女の時とは違う。間違い無く、真っ直ぐに、ミランダを見ていた。見えている、らしい。
勇者はまた侯爵に視線を戻すと、首を傾げて言った。
「どう見ても、訓練には見えない」
「……っ!」
侯爵も気付いたらしい。魔王が一切抵抗しなかった理由に。面白いほどに顔を青ざめさせている。
「ん……。まあ、いいよ。自分の意見を押し通したいなら、してもいい」
「え……?」
「ん。戦う。私と。きっと、楽しい」
あ、この人魔王様と同類だ。直感的に察した。
「そ、そんなことは! できません!」
「そうなの? 安心していいよ。手加減するから。……気が向いたら」
「気が向いたら!?」
「大丈夫。死にはしない。……多分」
「多分!?」
そのやり取りを呆然と眺めていると、魔王が腹を抱えていることに気が付いた。それはもう本当に楽しそうに笑いを堪えている。
笑っていいのかどうか、ミランダには未だに分からない。
「ん……。というかね? 私は、とっても忙しいの」
「は……?」
「お家でメルが待ってるから。あ、メルって言うのは、義理の娘でね。すごくかわいい。今日は一緒にお昼寝をする予定。……予定、だった」
勇者の目が、据わった。
「邪魔、しやがって」
「ええ……」
かなり個人的な理由だ。平和のためとか、そういった大義名分もどこかへいってしまっている。義娘との時間を潰されたのが心底不愉快らしい。
壁|w・)娘との時間を奪われたら誰だって怒る。勇者であっても怒る。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。
 




