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「いいかい? 今後は絶対に、一人で出かけることはしないでくれ。出かけるなら必ず僕に声をかけてほしい。日中でも付き合うし、どうしても外せない用事があったら護衛をつけるから。だから、絶対に、一人で出かけないでほしい」
「分かった分かった。しつこいやつだ」
面倒くさそうにおざなりに手を振って、魔王が扉を閉める。ミランダはそれを、何とも言えない複雑な心境で見守っていた。
今は寮の魔王の部屋だ。魔王が私兵を倒した後はすぐに帰宅することになった。これは王子からの提案で、ミランダは王子を称賛したくなったものだ。
あの時の侯爵の顔は、本当に危うかった。今にも魔王に襲いかかるのではと思うほどに。きっと王子も同じことを思ったのだろう。
無論、侯爵が何をしたとしても、魔王がどうなるとも思えない。それは王子も同じだったはずだ。だがもしも本当にそうなれば、とても面倒な事態になる。
侯爵が留学生を襲ったということも問題だが、それを返り討ちにして怪我などさせようものならそれもまた大事になる。戦争になるとは思えないが、それでも魔族との関係は冷え込むことだろう。
とりあえず、そんな事態は避けられて一安心だ。
「魔王様。やりすぎです」
「何がだ?」
「煽りすぎですよ。本当に、襲われますよ?」
もちろん魔王の身を案じているわけではない。案じる必要はない。
心配しているのは、襲われた後だ。もしも手加減を誤って殺してしまうと、その後がどうなるか分からない。人の目があるところで襲われれば証言もしてもらえるだろうが、そうでなければどのような言いがかりをつけられるか分かったものではない。
しかし魔王は、それを鼻で笑った。
「あのガネートという男、さすがにそこまで馬鹿ではなかろう。それをしてくれるなら、こちらが助かるというものだ」
「そうなんですか?」
「いくらでもやりようはある。もっといいのは、俺を攫ってくれることなのだが……」
「ああ……。言い訳のしようもない現行犯ですね」
「うむ。まあ、ないだろうがな。だが、何らかの行動は起こしてくれるだろう。そのためにロイドにも来てもらったのだからな」
その魔王の言葉に、ミランダは妙に納得してしまった。
きっと王子は、自分が同行したから問題が起きるのを防げた、と思っているだろう。しかし実際は逆だ。
王子がいなければ、もう少し穏やかに終わったはずだ。留学生、つまりは子供の戯れ言など、本来は侯爵も聞き流す程度の度量はあったはずだ。
だが王子が同行し、魔王が侯爵の私兵を圧倒する場を見せてしまった。
つまりは、王子の目の前で恥をかかされたわけだ。
誇りを重んじる貴族にとっては、その意味合いはなかなかに重いものだろう。
「怒りは正常な判断を鈍らせる。俺に直接手を出さなくとも、何かしら考えるはずだ。はは……。楽しみだ。ああ、楽しみだ」
「魔王様、性格がねじ曲がってますね」
「うむ」
「認めるんですか……」
なんというか、この魔王、遊んでいるだけではなかろうか。少しだけこの先が心配になってしまった。
深夜。
「む」
眠ることのできないミランダが暗い部屋の中で本を読んでいると、対面に座り目を閉じていた魔王が唐突に立ち上がった。何事かと目を丸くするミランダに魔王は何も言わず、鋭く壁を睨み付けている。
壁というよりも、そのさらに向こう側、だろうか。
「魔王様?」
ミランダが呼ぶと、魔王はなるほどと頷いた。薄く笑みを浮かべ、椅子に座り直す。
「なるほどこうなるか。利用されたようで不愉快ではあるが、しかし早まるなら、見逃してやろう」
「えっと……?」
「ああ、気にするな。そうだな……、一週間以内には、分かる」
意味が分からない。ミランダはなおも首を傾げるが、しかし魔王はもうそれ以上教えてくれるつもりはないらしく、また目を閉じてしまった。
王都の地図を思い浮かべつつ、魔王が見ていた先を考える。分かりやすいのは、王城があるぐらいだ。まさか、そこで何かが起こっているのだろうか。
だが、魔王に慌てる素振りがないことから、それほど大きな問題ではないのだろう。当然ながら納得はできないまま、ミランダは本に視線を戻した。
・・・・・
遠征訓練、というものがある。遠征といっても、王都の外で訓練をしましょう、という程度のものだ。街の外での動き方はもちろんのこと、野宿のやり方や索敵についても教わることになるらしい。
遠征訓練はほとんどが武術の授業に組み込まれているが、文官を志す者についても何度か経験することになる。相互理解のためだとか。
「というわけで、だ。ミランダ。明日からの遠征訓練には俺も参加することになった」
放課後にミランダにそう報告してやれば、彼女は大きく目を見開いて驚いていた。
「遠征訓練!? 魔王様が!? 正気ですか!?」
「どういう意味だ」
「いえ、遠征訓練には参加するつもりがないのかと」
「否定はしない」
実際に、今までも遠征訓練はあったのだが、魔王は参加していない。理由は単純で、買い食いができないからだ。
そう言ってやると、ミランダからは呆れの視線を向けられてしまった。
「魔王様、自由すぎますよ……」
「今更俺が遠征訓練に参加しても意味がないからな。なぜわざわざ野宿する? 転移で戻ればいいだろう」
「魔王様の場合はそうなりますよね……。でも、どうして今回は参加するんですか?」
「ロイドから頼まれたからな。せめて一度は参加してくれ、と」
「ああ、なるほど……」
ただ、ロイドの表情から察するに、彼は学校側から要請を受けて頼みに来たのだろう。学校側も留学生とはいえ、魔族相手にどう接すればいいのかいまいち分からないのかもしれない。
もっとも、学校側が今更要請した理由はおそらく……。
「いや、行けば分かるな」
「魔王様?」
「何でも無い。明日が楽しみなだけだ。さて、少し出かけてくる」
「え? 今日の授業は……」
「休む。明日の準備で行くところがあるからな」
「準備も何も、必要なものは学校が用意してくれますけど」
「それとはまた別に、だ」
忘れてはならない。ここは、人族が支配する大陸だ。力尽くでならどのようなことでも対応できる自信はあるが、あまり勝手をやっては反感を招く。
それならば。自分は大人しくしておけばいいだけのことだ。全て丸投げにしてしまえばいい。
「これを丸投げ作戦と名付けよう」
「魔王様、遊んでいます?」
「うむ。遊んでいる」
魔王にとっては、遊びと同じものだ。
魔王は明日を楽しみにしながら、部屋から転移で出かけて行った。
壁|w・)誤字報告ありがとうございます。
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ではでは。




