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ミランダが出て行ってから一週間。彼女は未だに戻らない。正確には一度だけ戻ってきて、屋敷にある資料などには何も問題なかったことだけは伝えられた。
その後は、侯爵に張り付くためしばらく戻ってこないと伝えられ、魔王も認めておいた。常に監視するように言ったのは自分だからだ。
そうして魔王にはつかの間の平穏が訪れたのだが。
「面白くないな……」
魔王が苛立たしげにそう呟くと、隣に座っていたロイドがわずかに体を震わせ、恐る恐るとこちらを見る。その態度が不愉快で半眼で睨むと、ロイドは慌てて視線を戻した。
「ディーゴ、ルークの機嫌がとても悪いようだけど、何かあったのかい?」
「さあ……。数日前から少しずつ悪くなっていたけど、俺たちも理由は知らないんだ」
「聞こえているぞ」
「う……」
ロイドとディーゴが押し黙る。それを見て、魔王は嘆息した。
今は午前の授業の最中だ。自分でもらしくないとは思うが、何となく、何かが面白くなくて、こうして少しずつ苛立ちを募らせている。
ただ、それで人に当たるのは間違っているだろう。魔王は小さくため息をついて、ロイドへと言った
「すまない、ロイド。少し気が立っていた」
「ああ、いや……。うん。いいよ。けれど、何かあったのかい?」
「いや、なに。個人的なことだ。気にしないでくれ」
と、自分で言いつつも、けれどやはり面白くないのは事実なわけだ。
少しだけ、こちらでも調べてみようか。
「ロイド。少し教えてほしいことがあるのだが」
「え? 珍しいね……。なにかな?」
「とある侯爵について、教えてほしい」
ぴくり、とロイドの眉が動く。
「理由は?」
「言えぬ」
「…………」
ロイドの視線が鋭くなる。それも当然だろう。今の魔王の言動は怪しすぎる。ロイドからすれば、自分の国の貴族を調べられようとしているのだ。不愉快だし、理由も知りたいことだろう。
だが魔王は話すつもりはない。彼から王女に話がいけば、少々面倒だ。王女はそれなりに聡明らしいので、ミランダとルークの繋がりに気付くかもしれない。
「ああ、別に無理して答える必要はない。その時はこちらで調べるだけだからな」
といっても、ミランダを呼び戻して少し詳しく聞くだけだ。魔王にかかる労力はない。だがどうせなら、ミランダはこのまま張り付かせておきたいところだ。
ロイドは胡乱げな瞳で魔王を見ていたが、やがて小さくため息をついた。
「さすがに詳しいことは話せないけど、市井の者でも知っている程度ならいいよ」
「うむ。それでいい」
「それじゃあ、この授業が終わったら、少し抜け出そうか」
「ああ」
魔王が頷くと、ロイドは安心したように息を吐いた。
その奥に座るディーゴがとても不安そうにしているのが分かる。魔王が何をしようとしているのか、気にしているのだろう。だが今は何も言うつもりはない。
魔王が何も言わないだろうことを察したのか、ディーゴは諦めたようだった。
授業後。その後の授業には出席せずに、魔王とロイドは魔王の部屋に向かった。護衛も当然のようについてくるが、さすがに部屋までは入ってこないようだ。というよりも、王子が止めていたのだが。
「それで? ガネート侯爵についてだっけ」
ガネート侯爵。ミランダ曰く、王女が出した貴族の名前。ミランダが生きていた時から変わっていなければ……。
「ガネート侯爵は外国との交易を担当している方だ。護衛のための私兵も一番多い。さすがにこの国の軍ほどではないけど、練度もかなりのものだと聞いてるよ」
「ふむ……。なるほどな」
「ルーク……。君は、何を知っている?」
頷く魔王をじっと見つめて、ロイドが言う。ミランダの話では分からなかったが、ロイドもガネート侯爵については何か聞かされていたのかもしれない。
だからこそ。危険だと分かっていても、何かの情報を得ようと魔王と二人きりになったのだろう。悪手にしか思えないが、それだけ彼らにとっては切実なのかもしれない。
「いや。せっかく来たのだから、貴族について少し調べていてな。ガネート侯爵については調べきることができなかったから、身近にいる王子殿下に聞いたまでだ」
「それだけ? ……本当に?」
「それだけだとも」
目に見えて落胆する王子に、魔王は苦笑する。先ほどから表情に出し過ぎだ、と。仮にも王族なら、感情は徹底して隠すか、もしくは偽るべきだ。
そう思うが、助言はしない。ミランダがこの場にいない以上、そこまでする義理はないのだから。
「しかし、練度の高い私兵か……。興味があるな。是非とも見てみたいものだ」
「そうかい? あー……。ルークは、腕に覚えがあるのかな?」
「ああ。レンザよりは強いと思うぞ」
「それはすごい。彼は午後の武術の授業では負け知らずらしいよ」
「ふはは。それはそうだろう。まず種族として違いすぎる」
様々な身体強化の魔法を駆使していた戦時の兵士ならともかく、現在の人間と一対一で戦って、リザードマンのレンザが負けるとは思えない。その程度には、種族としての身体能力の差が大きい。それはロイドも分かっているのだろう、そうだけどね、と苦笑いだ。
「だからこそ、他の生徒にもいい影響を与えているみたいでね。どうやってレンザを倒せばいいのかとみんなで考えているみたいだよ」
「ほほう。それは良いことだな。せいぜい努力をするといい。人間には無理だろうがな」
この時代の人間には無理だろう。ただし勇者は除く。彼女は魔王と同じで、例外中の例外だ。
「うん……。そんなに強いのなら、いいかな。ガネート侯爵に連絡してみようか。兵になろうとしている生徒が、そちらの私兵に興味があるようです、と。かの侯爵はプライドが高いからね。間違い無く招待してくれるよ」
「うむ。せっかくだ。頼むとしよう」
まさに渡りに船だ。無論ロイドにも何か考えがあるのかもしれないが、構わない。魔王の邪魔になるなら、それこそ叩き潰してしまえばいい。最終手段ではあるが。
「それじゃあ、また連絡するよ。待っていてほしい」
「了解だ」
魔王が頷くと、ロイドはどこか嬉しそうに微笑んで頷いた。
壁|w・)すごくどうでもいいちょっとしたこと。
エルジュ王国→ジュエル(宝石)
エルメラド公爵家→エメラルド
アトメシス侯爵家→アメジスト
ガネート侯爵家→ガーネット
パール伯爵家……、はそのまま。
べ、別に家名が思い浮かばなかったわけじゃないんだからね!!
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




