02
魔王の名乗りにしばらく呆然とした後、とりあえずミランダはその場で深く頭を下げた。
「申し訳ありません。まさか、魔王様とは思わず……。なんとお詫びすればいいか……」
「ああ、構わん。気にするな。人間の小娘、ましてや何もできない幽霊に侵入された程度で目くじらを立てるつもりはない」
魔王はそう言うと椅子に座り直した。そしてぱちんと指を鳴らす。するとそれだけで、ミランダの目の前に椅子が現れた。
今のは魔法、だろうか。ミランダが知っている魔法とは全く違うもののようにも思える。考えたところで分かるはずもないので魔王に視線を戻すと、魔王は何故か目を逸らしていて、何かを呟いていた。
「ぬう……。今のは格好つけすぎか……? 映像を見た時は良い演出だと思ったのだが……」
「あの? 魔王様?」
「あ? ああ、すまん。その椅子に座るといい。……幽霊だから必要ないか?」
「いえ……。それでは、失礼します」
軽く頭を下げて、椅子に座る。魔王の言う通り、ミランダは常にふわふわ浮いている状態なので、椅子に座るというのも妙な感覚だ。実際には座るように見せかけて、やはり浮いているわけだが。
これは別に魔王が用意した椅子を警戒したため、というわけではない。座ろうとしてみたが、何故か座れなかったのだ。だからとまた立つのは失礼かと思い、見せかけだけにさせてもらった。
「では、本題に入ろうか。貴様がここに来たのは、自分の意図ではないと。そう考えていいのだな?」
「はい。証拠などありませんが……」
「構わん。確認する手段はこちらにある。今すぐは無理だが、いずれしておこう」
魔王には、ミランダの言葉が真実か調べる手段があるらしい。魔族に伝わる道具か何か、だろうか。
「では、そうだな……。辛いことを思い出させるようで申し訳ないが、何故幽霊になったか、つまりは何故死んだか、教えてもらえるか?」
「それは……」
思わず言葉に詰まる。話したくないわけではない。ただ、思い出すと、あの光景が目に浮かび、体が竦んでしまうだけだ。死の記憶というのは、ここまで恐ろしいものなのか。
ミランダが黙り込んでいると、いつの間にか魔王が目の前にいた。目を瞠るミランダに視線を合わせ、魔王が言う。
「死の記憶というのは、恐怖以外の何物でも無い。それは重々理解しているつもりだが、しかし貴様のことを知らなければ、俺にも何もできないのだ。辛いとは思うが、話してくれ」
最初は魔王と聞いて、恐怖の象徴、つまりとても怖い存在だと思っていた。だが、どうだろう。こうしてミランダを気遣う魔王からは、はっきりと優しさを感じられる。人族の貴族よりよほど優しいのではないだろうか。
「魔王様って、実はとても優しい人ですか?」
思わず口に出して聞いてみると、魔王は一瞬固まって、そして、
「ふむ……。知人に毒されているのかもしれんな……。なに、ただの気まぐれだ。気にするな」
「分かりました」
もしかすると、魔王も最初は、お話にあるような恐怖の王だったのかもしれない。そんな魔王を変えてしまった知人というのは、すごい人ではなかろうか。
「あまり面白い話ではありませんが、お付き合いお願いします」
「ああ。無論だとも。良い暇つぶしになる」
そんな言い方なのに、やはり感じるのはこちらを気遣う優しさだ。ミランダはそんな魔王に少しだけ好感を抱きつつ、今までの経緯を話し始めた。
国での生活、父の謀反の計画、友人への相談から、処刑。淡々と、本当に淡々と話していく。死の恐怖を思い出さないようにするために。
そうして全て話し終えて、ミランダは最後におどけるように言った。
「というわけで、こうして何故か幽霊になりました」
「意味がわからん」
自分も分からない。少しだけ楽しくなって笑いながらそう言うと、魔王は深いため息をついて頭を抱えてしまった。
「百歩、いや千歩、いやもっとだ、一万歩譲って幽霊になったことを納得しておこう」
「ひどくないですか?」
そんなに自分が幽霊だと信じられないのか。ミランダが不満を口にするが、しかし魔王はそれを無視する。見るからにお疲れなので流しておいた方がよさそうだ。
「それで、何故ここに出てくる。普通ならその場で、もしくはエルジュ王国のどこかで目覚めるはずだろう」
「それは私が聞きたいですね……。私も驚いています。会ったこともない魔王様の目の前で目覚めるとか、嫌がらせか拷問の類いですよ」
「うむ。その通りなのだが、人に言われると少し不愉快だな。殺すぞ」
「もう死んでます」
「幽霊とは面倒だな……!」
ひどい。好きで幽霊になったわけでもないのに。
とりあえず経緯の説明は終わったのだが、どうすればいいのだろうか。魔王は何かを考えている様子で、ミランダに意識を向けていない。せっかくの魔族の国だ。観光でもしてみようか。
「先に言っておくが、出歩くなよ」
「う……」
先に釘を刺されてしまったので、大人しく待つことにする。
やがて魔王はミランダを真っ直ぐに見つめてきた。
「エルメラド」
「あ、申し訳ありません。ミランダ、とお呼び下さい」
「む……? そうか」
今となっては、あまり家名に良い想いはない。故にそう願ったのだが、魔王はわずかに眉をひそめただけで、頷いてくれた。何故かと聞かれると思っていたのだが。
「では、ミランダ。幽霊になったということは、何かしらの未練が、成し遂げたい願いがあるはずだ。それは何だ?」
「未練? 未練ですか。未練……」
未練と言われても、どう言えばいいのだろう。友人が気がかり? 確かに友人が気がかりとはいえ、平民のあの子はともかく、王子やその婚約者の侯爵令嬢のあの子なら、特に問題はないはずだ。それぐらいには信頼している。
けれど。いや、だからこそ。
「処刑の原因を作った誰かさんには、ちょっと復讐したいですね」
ミランダがそう言った瞬間、魔王の視線が鋭くなったのがはっきりと分かった。失望の色が見え隠れした瞳だ。その原因が分からずにミランダが困惑していると、魔王が口を開いた。
「復讐か」
「えっと……。はい。放っておくと、私の友人にまで面倒事がいきそうですし」
今度は先ほどとは逆に、あの冷たい空気が霧散した。困惑を通り越して混乱しそうになるミランダだが、対する魔王も戸惑っているらしい。
「自分の誇りと名誉のため、ではないのか?」
「それは、ないとは言いません。でももう死んじゃってますし、その辺にぽいしてください」
「お、おう。ぽいするのか」
ぽいだ。誇りも名誉も汚れた。汚れてしまったのならもういらない。
「そんな形のないものより、友人のために決まっているでしょう。どうせ私は死んじゃってますしね。あれからどれだけ時間が経っているか分かりませんけど、さらし首かもしれませんし? そんな汚れきったゴミは生ゴミと一緒に埋めちゃって構いませんよ」
「く、くく……。なるほどなるほど」
魔王が機嫌良く笑う。先ほどからころころと変わる魔王の機嫌に、ミランダはどうしていいか分からない。何が魔王の琴線に触れたのだろうか。
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ではでは。