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翌日、夜。魔王の注意として、ミランダ自身は見えないが、当然ながら魔道具の玉は普通に見えてしまうとのことで、いつもより周囲に気を配って移動する。当然ながらすり抜けることもできないので、開いている窓から侵入したりと、いつもより少し大変だった。
この屋敷に住む伯爵は、最初からミランダたちの処刑に賛成していた貴族の一人らしい。パール伯爵から聞いただけではあるが、エルメラド公爵とはあまり仲が良くなかったのできっと間違いないだろう。
間違いであっても、誰かが死ぬわけではないので許してほしい。
天井付近を漂いながら、屋敷の主を探す。天井付近にいるのは、目立たないようにするためだ。ここなら、小さい玉が一つ浮いている程度では気付かないだろう。
しばらく探すと、執務室を発見した。初老の男が執務机で仕事を……。
「してないじゃない……」
ゆったりと椅子に座って、紅茶を片手に本を読んでいた。後ろからのぞき見てみると、少し古い小説だと分かる。幼い頃、王子に勧められて読んだことがあるものだ。
内容は、勇者を主人公にしたお話で、魔王城に囚われた仲間を助け出しに行くというもの。視点が同行する仲間で、まるで見てきたかのような臨場感のある描写だった。
なお、当然ながらただの創作であり、巻末にもその旨はしっかりと記載されている。
「まあ、うん……。自宅で何をして過ごそうが、いいのだけどね……」
それに、今は休憩中かもしれない。うん、きっとそうだ。
ミランダはそう結論づけて、さて、と少し離れる。
「休憩中でも関係ないからね」
そう言って、ミランダは天井付近から魔道具の玉を落とした。
すぐに玉は床に落ちて、効果を発揮した。瞬時に周囲の魔力を吸い尽くし、明かりが消える。瞬く間に部屋は光一つない暗闇に包まれた。
「な、なんだ!?」
伯爵が狼狽した声を出す。ミランダにはその表情がしっかりと見て取れた。
幽霊の特性なのか、どのような闇の中でもミランダは視覚を確保できる。鮮明に見えるわけではなく、白黒のような世界ではあるが、それでも相手の顔を見る程度なら十分だ。
本棚の本や紙を手に取り、床に投げ捨てる。その大きな音に、伯爵は何度も体を震わせた。椅子に座って、縮こまってしまっている。
かなり陰湿だなとは理解していても、少しだけ胸のすく思いもある。そんな自分に少しだけ自己嫌悪しつつ、けれどこちらは殺されているのに嫌がらせだけなのだから、きっと問題ないはず。
そう自分に言い訳していると、部屋の外が騒がしくなってきた。どうやら使用人たちが駆けてきているらしい。
とりあえず本棚を倒して扉の前へ。少し重いが、問題なく動かすことができた。
「ひい……!」
独りでに倒れて動く本棚に伯爵が蒼白になっている。扉を開かせないようにするためだったのだが、勝手に怖がってくれるのならそれはそれで問題なしだ。
伯爵は椅子から転がり落ちると、窓へと向かって駆けだした。
「いや、それはだめです!」
さすがにこれにはミランダも慌てる。ここは二階だ。落ちてしまうと、打ち所が悪ければ死んでしまう。さすがに人死にまでは求めていない。
伯爵の服の襟を掴むと、思い切り引き倒した。
「あひゅう……」
同時に、伯爵が気を失った。少し拍子抜けしてしまう。
「旦那様! ご無事ですか!」
部屋の外から、扉を叩く音。本棚のせいで開けることができないらしい。こんなにあっさり気絶してしまうなら、必要なかった。面倒に思いつつも、本棚をじらして、ついでに扉も開けてやる。
「え……?」
扉の向こうにいたのは、使用人たち。独りでに動く本棚と、同時に開いていく扉を見て、凍り付いていた。彼らを怖がらせたいわけではなかったので、少し申し訳なく思ってしまう。
初老の執事は呆然とした様子でそれを見ていたが、すぐに我に返ると慌てたように部屋に入ってきた。
「旦那様!」
倒れている伯爵に駆け寄る執事。執事が伯爵の肩を揺すると、伯爵はすぐに目を覚ました。
「お、おお……。よく来た……。本当に、よく来た……」
短い時間で憔悴しきった伯爵に、執事は怪訝そうに眉をひそめるが、すぐに首を振って伯爵を助け起こした。
さて、仕上げだ。
執事が隣に立ったことで安堵の表情を浮かべる伯爵の目の前で、ミランダは机のペンを手に取った。
「は……?」
「え?」
伯爵と、そして執事が間の抜けた声を漏らす。彼らの目の前で、適当な紙を一枚手に取り、机に置く。白紙の部分に、ミランダはペンを走らせた。
『今回は、挨拶だけとしておきます。いずれ、正式に、お礼をさせていただきます』
恐る恐る近づいてきた伯爵がそれを読み、その表情から血の気が失せた。そして、最後に記された文字に、文字通り跳び上がった。
『エルメラド』
「うおあああ!」
「旦那様!」
その場で倒れて、這って逃げ出す伯爵。執事は恐怖に染まった目をミランダが書いた文章に向けて、そして彼もまた、逃げるように執務室を出て行った。
「うん。こんなものかな」
最後に残されたミランダは、晴れやかな笑顔で屋敷を後にした。
「ははは。陰湿に過ぎるぞ」
魔王の部屋に戻ってきたミランダが魔王へと今日のことを報告すると、魔王は心底楽しそうに笑いながらそう言った。
陰湿なのは理解している。けれど、やめるつもりもない。
「だめですか?」
「はっは。いやいやまさか。俺はいいと思うぞ。陰湿ではある。だが同時に、誰も不幸になっていないからな」
誰かが罪に問われるわけでも、ましてや人死にが出るわけでもなく。彼らが被る被害があるとすれば、ミランダが散らかしていった部屋の片付けと、あとは伯爵が夜に一人でいることができなくなる程度だろう。それも、いずれ時間が解決するだろうと思う。
「多少は気が晴れたか?」
魔王の問いに、ミランダは少し考え、それなりに、と頷いておいた。
本音を言えば。彼らにも相応の苦しみを与えたいと、思わないわけでもない。魔王の協力があれば、それこそこの国の貴族を皆殺しにすることもできてしまうのだろう。
だがそれをしてしまえば、待っているのはこの国の消滅だ。そんなことは望んでいない。
「うむ。まあ、やり方は陰湿ではあるが、俺はそれを否定するつもりはない。しばらくはこれを続けるのか?」
「ええ、まあ。はい。とりあえず、この王都にいる貴族だけでも」
「うむ。ではそれが終われば、外にいる貴族だな」
え、戸惑うミランダに、魔王は言う。
「ここだけで終わってしまうと、不公平だろう? お前も不完全燃焼ではないか?」
「それは、まあ……」
「領地を持ち、普段はその領地にいる貴族であっても、お前たちの処刑に関わった者はいるはずだ。それも調べてみるといい」
どうせなら最後までだ、とのたまう魔王は楽しそうで。
案外ミランダよりも、魔王の方が楽しんでいるのではと思ってしまった。
壁|w・)陰湿ぱーと2。
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ではでは。




