14
それは、初耳だった。少なくともミランダは研究が禁止されていると伝え聞いている。そう魔王に言うと、魔王は肩をすくめて、
「おそらくだが、長い年月を経てそう伝わってしまったんだろう。そのルールは三百年も前に決められたものだ。その三百年の間で間違って伝えられたとしても、不思議ではない」
なるほど、と一応納得はできた。歴史ですら間違って伝えられることがあるのだ。ほとんどの人間が関わらないルールなら、間違えられても不思議ではないかもしれない。
「魔王様も、研究を続けているだけ、ということですか?」
「そうだ。いや、正確に言えば、ホムンクルスの研究の副産物が目的だ」
「副産物と言うと……」
先ほどの部屋を思い出す。あの部屋にあったのは、多くのカプセルと、それに満たされたもの。色のついた水と、それに浮かぶ人間。
「肉体……?」
「うむ。その通りだ。あれら全てに、魂は入っていない。決して目覚めることのない肉体の集まりだ」
「それは……、何のために?」
「無論、俺が使う」
一瞬、何を言われたか分からなかった。絶句するミランダに、魔王は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「本来の主目的は医療用だった。あれらの臓器は使えるから、臓器の交換が必要な者に提供できる。そして、そうして臓器が使えるのだから、肉体そのものも使えるだろう? 魂さえ移せばいい」
意味が分からない。いや、何となくは理解できる。だが、どうしてだろう、理性が理解を拒んでいる。それは、許されざる外法だと、本能的に理解できてしまう。
「それは……」
言い淀むミランダに、魔王は安心させるようにその大きな手をミランダの頭にのせてきた。もっとも、素通りしてしまったが。
素通りした右手をぷらぷら振りながら、苦笑して魔王が言う。
「すでに許可は下りている。乱用する場合は神に罰せられるだろうが、今回は理由と目的を伝えてあるからな。渋々ながら認めてもらえたよ」
神。この世界を管理しているらしい、管理者たる精霊の上位存在。なお、その存在は多くの者が疑問視しているが、魔王の口振りからすると実際にいるし、魔王は神と直接に会うことができるらしい。
その神から認められているのなら、大丈夫なのかもしれない。正直、ミランダの頭は重大な情報を一気に詰め込まれたせいでパンク寸前だ。あまり難しいことは考えたくない。
どうせミランダが何を言ってもこの魔王は実行に移す。それならもう任せてしまった方が楽だろう。ミランダが気にするべきことは、その体をどうするかだ。
「魂のない体を使って、何をやるんですか?」
できることは多くあるだろう。例えば、その体で大きな犯罪を行い、さっさと体から脱出するとか。この魔王ならそんなことはしないと分かっているが。
「まだ分からんか?」
「はい。分からんから聞いています」
「ふむ……。俺があちらの学校に通う。もちろん、留学生として、な」
「え……」
まさか、と思う。何故、とも思う。困惑するミランダに、魔王が続ける。
「協力してやる、と言っただろう?」
それだけのために。その目的のためだけに、魔王は造られた体を使い、エルジュ王国の学校へと通うつもりらしい。
その行動に、魔王にどのような利点があるのか。いくら考えても、分からない。魔王の意図が分からない。
「どうした?」
それでも、なんとなく、分かってしまう。魔王は本当に、自分に協力してくれるつもりなのだ、と。
「本当に、いいんですか?」
「無論だ。まあ、向こうに行ってからは、俺は何もできんがな。お前は自分自身でじっくりと調べるといい。俺はたまの休暇だと思って楽しむとするさ」
ひらひらと、手を振って歩いて行く魔王。ミランダはその背中に、深く頭を下げた。
留学生がエルジュ王国へと向かうのは、あちらで授業が始まる日だ。それまでの期間、ミランダは魔王の仕事をできるだけ手伝った。
もちろん、表に出る仕事ができるわけではない。それでも、必要な資料を前もって用意したりと、そういった事務関係の手伝いならいくらでもできる。
公爵家の令嬢が何故と言われるかもしれないが、父の仕事を手伝っていたら自然と覚えてしまったことも多いのだ。
そうしてエルジュ王国へと向かう日が明日へと迫ったところで、魔王は必要な手続きや引き継ぎを全て終えていた。明日より一年は宰相に全て任せてしまうらしい。
「一年も宰相に国を任せてしまって大丈夫なんですか?」
「問題ない。やつは信頼できる。それに、以前も一度頼んでいるしな」
それだけ信頼できる相手がいることを羨ましいと思うべきか、以前も頼んだという事実に呆れるべきか、少し分からない。
「さて、では俺は出かけてくる」
「え? こんな夜にですか? もうお休みになられた方が……」
窓から外を見れば、もう真っ暗だ。街の明かりすら少なく、星々の光の方が目立つほど。こんな時間に出かけて、何をするというのだろうか。
「体を預けに行く」
「へ?」
「いや、当たり前だろう? 魂を移すということは、この体が無防備になるということだぞ? 宰相に国のことを任せるのだから、この体については他を当たらねばなるまい」
魔王に言われるまで元の体のことをすっかり忘れていた。学校に通うためにホムンクルスの体を使うなら、その間の本来の体のことも考えておかないといけない。魔王はすでに預ける先を決めているようではあるが。
「ちなみに誰に預けるのですか?」
「勇者だ」
「…………。はい?」
「勇者だ」
意味が分からない。いや、もちろん誰を指しているのかは分かるのだが、何故そこで勇者が出てくるのか。今は敵対しているわけではないとはいえ、本来なら明確な敵対者だ。
「実は遠回しな自殺志願……?」
「お前は勇者のことを何だと思っているんだ……。確かに奴とは何度も殺し合ったが、今は特に何もないぞ」
「はあ……。そういうものですか」
「そういうものだ。それに、誤解を防ぐためにも、経緯はしっかりと説明しておいた方がいい」
もしも何かが起こった時に、お互いに対応しにくいため、らしい。勇者が何かしらの用事でこの大陸に来る時も、事前に魔王に会いに来ているそうだ。
「では行ってくる。ここでじっとしているように」
「子供じゃないので安心してください」
「…………」
「何ですかその目は」
疑いの視線は失礼だと思う。これでも魔王のために働いたつもりなのに。
冗談だ、と魔王は笑いながら手を振って、姿を消してしまった。
壁|w・)宰相に以前任せた時は幼女のストーカーをしていたかもしれません。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。
 




