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そう言われても、困るというものだ。公爵家であるミランダはあまり平民の住む区画には来ない。そもそもとして、あまり出歩かないのがミランダだ。
そんなミランダが覚えている街は限られる。今でもはっきりと覚えているのは……。
そこまで考えて、ミランダは目を瞠った。思わず、魔王へと振り返る。
「覚えがあるだろう? 俺が向かっているのは、ミリア嬢の実家だ」
「ど、どうしてですか! いえそもそも、その姿は目立ちます!」
「む……。それは確かにそうだ」
魔王の姿は魔族そのものだ。誰もが魔王を物珍しそうに見ている。これといった観光地もないこの国に、魔族が来るなど初めてのことだ。この反応は当然のものだ。
魔王はミランダの意見に同意すると、おもむろに右手の指を鳴らした。それだけして、歩き続ける。怪訝そうにミランダが魔王の後をついていくと、すぐにその変化に気付いた。
少しずつ、そしていつの間にか、周囲の視線が魔王を捉えなくなっていた。見えていないわけではない。行き交う人は魔王を避けて歩いている。それなのに、誰も魔王を特別視しない。そこにいて、当たり前の人だと思っているかのよう。
「ちょっとした思考誘導の魔法だ。俺を見た者は俺が人間だと錯覚する」
「なんですかそれ」
ミランダの知らない魔法だ。
ミランダの知る魔法は、魔方陣を通して魔力を何かしらに変換するというものだ。思考の誘導なんてことは、ミランダの知る魔法ではできない。
転移魔法と同じように、古代の魔法なのかもしれない。老いることのない魔王なのだから、そういったものを知っていても不思議ではないだろう。
ともかく、その魔法があるなら安心だ。これ以上は文句を言わずに、ミランダは大人しく魔王の後に続く。色々と言いたいこともあるが、親友の様子を知りたいというのが偽らざる本音だ。
しばらく歩いて、やがて小さな商店が見えてきた。大通りから少し逸れた道にあるために、決して繁盛しているわけではない。それでも、多くの人がその商店に立ち寄っていく。
「ふむ。悪くない店だ」
ミリアの実家は、喫茶店と食料品店を兼ねた店だ。喫茶店で提供している菓子の材料などを販売していて、時折菓子作りの講習なども行っている、と聞いたことがある。
「ほほう。最近は砂糖も安く手に入るようになってきたからな。そういう店も出てくるか」
「昔は高かったんですか?」
「ああ。お前が生まれてくるよりもずっと前は、一部の調味料は高級品だった。金の代わりになるほどに、な」
「そう言えば、歴史の授業で聞いたことがあるような気がします。私たちには、現実感がなかったですけど」
「だろうな。良い時代になったものだ」
魔王は頬を緩めて何度か頷いた。
魔族は悪だと、そんなことを言う人は今の魔王の顔を見てほしいものだ。彼の表情を見れば分かる。魔王は、安寧をこそ望んでいる、と。
「さて、ところでミリア嬢だが」
「あ、そうでした。家にいるかな……」
親友の顔をようやく見ることができることが嬉しくて、ミランダは早速店の中へと入っていった。
親友の部屋を見て、そして店内で耳を澄ませて分かったことは、ミリアは朝早くに散歩に出かけ、日没前に戻ってくる、ということを繰り返しているということだった。
「以前からか?」
「散歩が好きな子ではありましたけど、さすがに一日中出歩くような子ではなかったはずです」
ミランダもミリアの散歩に同行したことは何度もある。時間はいつも違っていた。早朝に出発することもあれば、夕方の時もある。さすがに夜は出歩かなかったが、本人曰く、大人になったら夜も散歩したい、と言っていたのを覚えている。
そしてそのどれもが、長くて一時間程度の散歩だった。一日中はさすがに考えられない。
「心配です……」
処刑のあの日。泣き叫んで止めようとしてくれていたのを今でも思い出せる。ミランダの死がきっかけでふさぎ込んでいたとしても、おかしくはない。その程度には親交がある。
もっとも、ミランダはその親友を一度疑ってしまったが。今となっては恥ずべき過去だ。会話ができるなら、地面に頭をつけてでも謝りたいほどだ。
「探すか?」
「いいんですか? 時間とか……」
「宿は転移すればいいだろう。まだまだ余裕はある」
「伝説級の魔法をぽんぽん使わないでほしいですが、お言葉に甘えます」
ただの帰り道に転移魔法ということにスケールの違いを感じる。だが転移魔法を使えるようになると、魔王のようにちょっとしたことで使うのかもしれない。やっぱり少し羨ましい。
ただ、転移魔法で使われる膨大な魔力が何かしらの騒ぎにならないか、少し心配になる。だが魔王が何も言わないのでミランダもこの件には触れないことにしておいた。
探すのに時間がかかるだろうと思っていたのだが、二人の予想に反してあっさりとミリアを見つけることができた。商店からほど近い小さな広場、その隅に設置されてある木製のベンチに座っていた。
栗色の髪をショートポニーでまとめていて、くりくりとした瞳は褐色。見た目から活発そうな印象を受ける。事実、ミリアは喜怒哀楽がはっきりとしたとても楽しい子だ。
そのミリアは、今はぼんやりと空を見ているだけだった。それ以外は何もしていない。飲み物や食べ物を持っているわけでもなく、本当にただぼんやりと、空を見ているだけのようだ。
「彼女か?」
「そうです……」
「そう、か……」
ミランダが沈痛な面持ちで頷くと、魔王は痛ましいものを見るような目でミリアを見た。ミリアの今の状況は、その魔王の目が納得できるほどにはひどい。
心ここにあらずといった様子で、わずかも身動きしない少女。今にも消えてしまいそうに見える。
「平民の少女では、友人の死はやはりなかなか受け入れられないもののようだな」
「そう、みたいですね……」
「あれは溜め込みすぎだ。誰かに吐き出した方がいい」
「相手がいないんだと思います……」
上級学校での友人はミランダぐらいだったはずだ。初級学校にも友人はいただろうが、その者たちはもうすでに働き始めているだろう。
上級学校の長い休暇中のミリアには、相談相手がいないのだ。
「両親には話さないのか」
「私との関係は親には内緒だったはずです」
「む。まあ、当然か。公爵家の令嬢と友達になったなど、心臓に悪いからな」
ミリアもそのように言っていたのを覚えている。そのことで謝られたことも。ミランダとしては彼女は気に入っているがその両親についてはどうでもいいので、気にしていないのだが。
そう言うと、魔王は呆れたような視線を向けてきた。
「そういうところだ」
「え。何がですか?」
「お前もやはり公爵家だな」
魔王が苦笑してそう言う。本当に意味が分からない。
魔王は立ち上がると、ミリアの方へと歩き出した。
「魔王様?」
「様子を見るだけだったが、予定変更だ。少し吐き出させる」
それはつまり、魔法を使うということだろうか。さすがに止めようかと思ったが、
「このままでは自死もあり得るぞ。それでいいのか?」
そう問われて、ミランダは押し黙ってしまった。
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ではでは。




