またね。
「やった満月だ」
そう囁いた佳奈は用意していたお菓子の袋をひっ掴み、月明かりの下こっそり部屋から助けだした。
部屋着はいつもより少し可愛め、ジャージでなんて出かけない。
残暑も終わりかけた肌寒い夜にも大丈夫なふわっとした手触りがお気に入りのロングカーデに、Vネックのtシャツに寒いというのに反比例した汚れてもいいショーパン。
足元はこっそり部屋に持ち込んだサンダルが、家から抜け出した後は音を気にしないようにパタパタと音を立てている。
明かるい月に夜道が照らされている中、彼に今日も会いに行く。
家から10分ちょっとの小さな神社の社の下。
それが気付けば2人の待ち合わせ場所になっていた。
ーーまだ来てないか
少し小走りで来たために、早くなった息を整えるようの深く息を吸い込み佳奈 は社の下の階段に腰掛ける。
もちろんお気に入りのカーデを汚さないよう持ち上げて、体育座りした夜風にむき出しな自分の足を覆うようにカーデで包みこんだ。
遠いところから聞こえる家の声。
虫の音。
静寂と声と音を耳の中で転がしながら、しばしこの時間を楽しむ。
ーーそういえば、夜の神社で肝試ししよって戸田たちも言ってたっけ?
自分が慣れ親しんだこの空間もクラスメイト達からしたら不気味らしく、夏休みの終わりにでも肝だしをしようと騒いでいたのをふっと思い出した。
別段田舎ではないこの地域にぽつっとある、林に囲まれた小丘に立つ稲荷神社。
町のシンボルではないが丘の上にある社がちょっとしたシンボルになっていた。
そのせいかこの一帯に高いマンションなどはなく、佳奈が腰を下ろしている場所から見渡せるので街の景色もいい。
ただ異物のように取り残されている空間が他の人にとっては、少し奇妙というか近寄りがたい印象を与えるらしく佳奈が訪れる時に人に会う事は滅多になかった。
「かーな」
「コウくん!」
もの思いにふけっていた佳奈の頭を後ろから小突いてきた誰かに、つい声が弾んで何時もより大きな声が出てしまった。
「バカかな、声でけーよ」
「ははは、ごめんごめん」
隣に腰を下ろした瞬間に彼の香りがふわっと届き佳奈は少しドキッとした。
「すっかり寒くなって来たね」
「おぁ、そうだな」
「今年も後一回くらいかな?」
この月夜の会には決まりがある。
月明かりが眩しい、
寒くない、
そんな条件が揃った時だけ開催する。
残暑が残っているとは言え夜は上着が必要になって来た、そんな最近の天気に佳奈も思いを巡らせる。
そろそろ今年も月明かりの下で会うのはお終いで、来年まで持ち越しだろうとのことだ。
「いやー今年はこれが最後じゃないか。バカは風邪ひかないしって言っても一応な。」
にかっっと笑いながら頭をかき回してくるコウをキッと睨みながらも、
「私じゃなくてコウくんがっ!でしょ!」
と佳奈は言い返した。
なんだかんだこの男が優しく、以前に佳奈が寒いのに無理して来た結果、季節外れの風邪を拗らせたのを気にして言ってくれているのを知っていた。
この男の子はコウくん。
この神社のある丘は佳奈が住んでいる南側に正規の入り口があるのだが、その反対側にも社の裏ではあるが入り口がある。
そんな反対側から何時もやってくるのがコウだ。
丘を挟んで北と南で学区が違うから少、中と一緒になる事はないし、共通の友達も一人もいない。
そんなコウとの、たった一つの共通点がこの月明かりの下での神社参りだ。
今夜も2人揃って仲良くお参りして、お邪魔しているお礼と迷惑料がわりにお菓子を一つお稲荷さんにお供えして、2人は再び社の下の階段に座り直してお菓子をつまみだす。
これが何時もの2人の月夜のお参り、お賽銭はコウが、お菓子は佳奈の当番だ。
「何だかんだもう4年目だね」
「そんな経つか?時間が経つのははえーな」
「そんなだよ!なんかコウくんの言い方おじさんみたい」
ぷっと吹き出した、佳奈の頭を今度は両手でかき混ぜる。
「ちょっと髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん!」
「はっ中坊が色気付きやがって、どうせ帰って寝るだけだからいいじゃねぇか」
口を尖らせるながらブーブー文句を垂れる佳奈を心底可笑しそうにコウは笑い飛ばす。
「もう乙女に対して失礼な!」
「お、乙女って、お前がか!」
今度は人を指差しながら笑い転げるコウの足を、佳奈は思いっきり踏みつけた。
「イテッ」
「コウくん何て知らない!」
「おい、かな」
「かーな」
「おーい」
「機嫌直せってなっ」
何だかんだ意地悪を言っても結局は、こうやって佳奈の機嫌をとってくるのだ。
いつまでも子供っぽいと思いながらも、ついへそを曲げる振りをしてしまう自分の子供っぽさがいたたまれない
「悪かったって、かな。俺にとっては何時までも出会った時の泣き虫佳奈ちゃんのイメージが強くてな。お前も来年は高校生だもんな」
今度はぐちゃぐちゃにした髪を治すように優しくすいてきた。
「確かにあの時は泣いちゃってたけど、それ以来泣いてないじゃん。」
そう言いながら佳奈は出会った日のことを思い出していた。
この神社は元々佳奈の祖母と訪れていた思い出の場所だった。
両親が共働きで祖母と同居していたこともあり、すっかりおばあちゃんっ子だった佳奈。
忘れ去られているように佇む神社に「かなちゃんお散歩いこうか」と祖母が声を掛けるのが何時もの合図。
丘の階段も今では息を切らせながら走って駆けあがれる佳奈 さんだったが、小さい頃は祖母と一緒にゆっくりゆっくり登ったものだ。
神社にお賽銭、
お参りして、
階段に座っておばあちゃんが持って来たお菓子を食べる。
「稲荷様におすそ分けね。」 とお供え物するのも忘れずに。
高台から街を見渡しながら「おばあちゃんがかなちゃんくらいの時にこうやって友達とよく来ていた」と言うお気に入りの場所だからと祖母は笑う。
そして佳奈は今日あった取り留めのない事を話して聞かせると祖母は何時も楽しそうに聴いていた。
そんな祖母が小5の夏の日亡くなった。
いまいち亡くなった実感の持てなかった佳奈はお葬式の日に泣けなかった。
でも遊びから帰ってきて誰も待っていない家の鍵を開けて入る。
人のいない飲み込まれてしまいそうな静寂に、ああ、もうお帰りっと迎えてくれる祖母はいないのだと急に涙が出てきて仕事から先に帰ってきた母が来るまで泣き続けた。
泣き疲れて佳奈が起きた時にはすっかり、父が運んでくれたのか自分のベットの上で真っ暗闇に包まれていた。
いや真っ暗では無かった。満月だったのか窓から月明かりが差し込み、部屋を明るく照らす。
祖母はもういないという実感と喪失感。
小学校高学年になって来て友達と遊ぶのが楽しく、最近は祖母と散歩にも行ってなかった。
ーーもっと、おばあちゃんと散歩に行けば良かった
そう思うと居てもたっても居られず、真夜中の家を抜け出して佳奈は祖母と行っていた神社に走り出していた。
社を抜けると階段を駆け上がったきたせいで息が上がった自分のゼーゼーという音が妙に響く。
何時も昼間に来ていた神社は、夜の月明かりに中で見るといつもと雰囲気が違って見える。
ただ不思議と怖くなかった。
お参りしようにも賽銭はない。
ただパンパンと手を打ち鳴らし例をして、ただ祖母の事だけを祈った。
祈りすぎたのだろう、それでも尽きる事なくひたすら祖母とのことを神様に話した。
再び涙が溢れてくる。
ザッ
その時横から音がした。
ビクッとして音の方を見ると、其処には自分より少し年上であろう男の子がたっていた。
ひょろっと少年特有の線の細さはあるが、短髪の黒髪で目鼻立ちのはっきりとした理髪そうな顔つきは何処か自分クラスのガキ大将を思い出させる。
「おまえ、大丈夫か?」
自分が泣いている事を忘れて思わずポカンと見つめてしまった。
「おい、大丈夫なのかよ?」
近づいて来ながら、さっきより少し強めに言われた言葉に祖母のいない悲しさやら、申し訳なさやら、驚いた怖さやらで佳奈の涙腺は本日2回目の大崩壊を遂げたのだった。
突然大泣きしだした佳奈に少年は、
「おい、泣くな」
「泣き止めって」
「それ以上泣くと、目が溶けるぞ」
と不器用ながらも一生懸命、佳奈が泣き止み祖母との話まで聞いてくれたのがコウだった。
「もう泣くんじゃねぇぞ」
「うん」
「もし寂しかったら、また来いよ。俺は満月の時に大体ここに来るから」
「何で満月なの?」
「月が明るいからだよ」
こうして騒がしく始まった月明かりの下での約束は、寂しかったらという理由はいつの間に無くなっていたが、のらりくらり4年間も続いているのである。
「まあ、泣き虫佳奈ももう来年は高校生だし今年で最後かも知んねえな。こういうのって何時か忘れちまうもんだし」
何食わぬ顔でいったコウくんの言葉がツキンっと佳奈の心に刺さった。
「コウくんも高校生になっても来てるじゃん」
「俺はこれでも忙しーのよ。ほんとわ」
ふざけながら言うコウくんの言葉は嘘か佳奈には本当か分からない。
「じゃあ、キツネくん同じ高校にしようかな」
「あらやだねーこの子ったらストカーみたいに…俺の事が本当に好きねー」
とふざけ始めたコウくんに、
「うん、そうだよ。コウくんが好きなの」
と真面目な顔で言った。
「なーに言っちゃってんの、かな」
誤魔化そうとし失敗した笑顔を返した来たコウくんに、誤魔化されないと言わんばかりに続けて言う。
「好きっていったの」
「かな、ごめん。前も言ったけど、俺そんな風にお前の事を見れないよ」
「……知ってる」
「……かな」
「ただ誤魔化さないで、私も真剣に恋してるんだから」
「わかった、ごめんって」
コウは慰める様に佳奈の頭を優しく撫でる。
実は彼に告白するのはこれで3度目だ。
ここでしか繋がりのない、年に数回しか合わない人に恋をしたと気づいてから、毎年この人に告白している。その結果は今日のように答えては貰えないでいるが。
「付き合ってとは言わないから学校は教えてくれても良いじゃん」
「だーめ、かな絶対うちの高校来そうじゃん」
「それは否定できないけど。じゃあ、せめてケータイの……」
「それこそ、ダメだ。お前絶対理由つけて色々メールして来そうだし」
ーーこれも否定できない。
「じゃあ、せめて名前だけでも!」
「だーめ、かな。お前は早く俺なんか忘れて、好きな人でも作りなさい」
コウがお兄ちゃんみたいな顔で窘めてきた。
ーーこれが一番傷つくことを果たしてこの男は分かっているのだろうか。
「だからコウくんが良いんだって」
いつもの佳奈のセリフにコウが困ったように微笑んだ。
ーーあっこの顔は初めてかも。
月夜にしか会えない。
学校も知らない。
SNSも知らない。
フルネームも知らない。
本当に何にも知らない男の子。
ただ知っているのはコウという嘘か本当か分からない名前のみ。
ーーでも、こんな何も知らなくても人って好きになっちゃうんだよ。
「戸田だっけ?告ってきたクラスメイトのことも考えてみろよ」
「コウくん……それ以上言うと」
「何だよ、怒るのかよ」
「……泣くよ」
「……悪かった」
ーー勝った。
今だに佳奈の泣き顔に弱いらしいこの男を必殺技で黙らしてみても、結局は今日もこの男は何も教えてくれないのだ。
「もー今日も何も教えてくれなかった」
「ははは、かなも諦めわりーな」
「いーもん、来年も。再来年も来てやるから」
「おい!お前が来るなら心優しい俺も来ないわけに行かないだろうに」
ーーそういう優しい君でいる限りは着続けますけど。
「はあ、何時になったら諦めるのかね、バカかな。」
「諦めないからね。じゃあ、また来年」
「へーへー、また来年な」
「来年の月明かりの下でね。待ってるから!またね!」
とっくに背を向けたコウは背中越しに手を振りながら、去って行った。
私知ってるんだから、また来年って言った時に少し泣きそうに噛みしめるように言ってること。
「ほんと、お前は何時まで覚えてるんだろうな」
コウくんが呟いた声が夜風に乗って佳奈の元に届いても、去って行く狐くんの背中を見つめ続けていた。
ーー諦めるもんか。
ーー女の恋心舐めんな。
ーーそれに私もう知ってるんだから……
月明かりに照らされて彼の頭の陰からひょこひょこ2つの飛び出てる陰と、背中側に漂う影の何かに。