流された雛
川に沿ってどれほど歩いただろうか?
亜子は振り返り、今まで自分が歩いてきた道を見る。
さらさらさらさら
かなり遠くまで来てしまったようで、見知った景色はない。道のりはずっと川沿いを歩いてきたから問題ないが、そろそろ帰った方がいい時間かもしれない。日はまだ高いが、家に着くころにはどうなっていることか。
さらさら ちゃぷ
しかし、せっかくここまできたのだ。もう少し歩いてみよう。
※
亜子は数日前、この川で雛流しをした。
その更に数日前に病にかかり、しばらく生死の境を彷徨ったのだ。奇跡的に回復し、感謝の気持ちを込めてとそれまでの厄を流すために人形をながしたのだ。
大病だったため、普段なら簡素な人形であったが亜子の家でできる限りの豪華な仕上がりにした。母親は端切れで帯を作り、亜子も外から可愛らしい紫色の花を摘み、人形に着けてやった。
しかし、人形を乗せた船を送り出した時に風が吹き、花だけ取れてしまった。
慌てて船を止めようとしたが追い風のため間に合わず、人形ははるか向こうまで流れて行き、やがて見えなくなった。
亜子の手には花だけが残った。
何日か経ち、亜子はあの人形のことが気になった。
川へ向かうが当然人形はなく、引き寄せられるように亜子は川に沿い、下流へと歩きだした。
途中で以前と同じ花を見つけ、一輪摘んでいく。
やがて川にかかった大きな橋が視界に入った。手すりもついている立派なものだ。下流にこんな橋はあっただろうか?
川はまだ続いているが、なぜか進む気になれず、亜子は橋を渡った。
※
凪子は門の前で立ち往生している亜子を見つけ、中へ招き入れた。
お茶と菓子を二人で楽しんでいると、亜子が尋ねた。
「ここはどこなんですか?」
住んでいる村の下流に、お屋敷があるなんて話は聞いたことがない。あまり付近と交流がないといっても、子供の足で来られる距離にある立派な屋敷だ。噂にならない方がおかしい。
「ここは境目だよ」
ずれそうになった襟巻を直し、凪子が答える。
「だからね、これ以上いくのは駄目だよ?お姉さんとの約束」
よく分からないが、これ以上答えてくれそうにない。
諦めてお茶の続きを飲む。美味しかった。
※
下流に行くのを止められたため、これ以上進むことはしない。
屋敷にいた、自分よりいくらか幼い子供たちにせがまれて、少し遊んでから帰ることにした。
「お姉さん、これ受け取ってください」
人形に着けるはずだった、花を差し出す。高級そうだったお茶と菓子のお礼には貧相だが、手持ちはこれしかない。もし川のどこかで人形が見つかったら着けてやろうと思っていたのだ。見つかる、ということは厄が流れきっていない気もするが、それよりも感謝をこめてせめて着飾ってやりたかった。自分の代わりに厄を背負ってくれた、あの人形に。
「可愛いお花だね。分かった、預かるよ」
※
「はいこれ、あの子からだよ」
手ぬぐいの上に置かれた、ぼろぼろの人形。亜子の厄を背負った雛人形だ。凪子は少し悩んで、頭の下に茎の部分を置く。簪のつもりだ。
「早く流さないとあの子が危ないって言っても、ちょっと急ぎすぎたんじゃない?結局あの子、ここに来ちゃったし」
屋敷前の河原に引っかかっていたのだ。ひどく汚れた姿からすると、亜子の背負っていた厄は相当大きいようだ。
「じゃあもうひと頑張りするかい?残りの厄も、この花にくっついてきたみたいだし」
手ぬぐいごと人形を抱え、小さな船に乗せる。近くにいた子に門を開けるよう頼み、河原へ出る。風向きも良さそうだ。
片手で襟巻を押さえながら、しゃがみこむ。
「それじゃ、逝ってらっしゃい」
「厄」と「ありがとう」の簪を着けた雛人形は、流れに乗って……
やがて見えなくなった。