王国の竜
微睡みの中だけが、黒竜――ディルベラードにとって幸せだった。
夢の中だけが、ディルベラードにとって幸せだった。
思い出すのは、王国でのかつての日々。永遠に続くと思っていた、平凡だが幸せな日々。
国を守護する竜として崇められ、しかし親しみを込めて優しく触れ合ってくれた人々。最初はディルベラードが気まぐれに受けた契約から始まった関係だったが、いつしかディルベラードも人の隣にいるのが好きになっていた。特に、王族に連なる一人の少年とは、深い友情を結んだものだった。
孤高である竜同士ではあり得ない、繋がりを持つ人だからこそ持つ優しさや温かさ。ぬるま湯のような心地良さに、ディルベラードは癒されていた。
数百年続いた平和な時。数千年、数万年を生きる竜にとって、それは一瞬の出来事とも言える短い時間のことではあったが、ディルベラードにとってその時間は何十倍にも長く感じられたものだった。
だが、永遠に続くと思っていたその時は、突如打ち砕かれた。
隣国である帝国からの宣戦布告。そして、それと同時に起きた、稲妻のような強行制圧。
老若男女関係なく、王国民は帝国に制圧されていった。食料を奪うこともなく、女を犯すこともなく、帝国兵は王都を目指して、ひたすら前へ前へと進軍を続けた。
そして、宣戦布告から約一週間。王都は帝国によって陥落し、王は降伏宣言を出したのだった。
守護竜であったディルベラードも帝国兵と戦った。竜にとって人は虫けらのような存在だ。ディルベラードにとっても例外ではなく、ディルベラードは次々と帝国兵を屠っていった。
だが、数の力は大きかった。如何にディルベラードが一息で百人を殺そうと、その隙に二百人がディルベラードの横をすり抜ける。すり抜けた二百人を対処しようとして、更に三百人が通り抜けていく。
目指すものは王都だけ。帝国兵はディルベラードに目も向けず、死した仲間に目も向けず、真っ直ぐ進軍し続けた。
空を飛ぶことができたのならばまだ対処の仕様もあったのだが、そうすることのできない事情もあった。一度地に降りたことが、ディルベラードの唯一の失策だったのだ。
竜破人<ドラゴン・スレイヤー>と呼ばれる、超一級の人間達の存在。それが、ディルベラードを地に縛り付けていた。
竜にとって人間は下等な存在だ。だが、神はそんな下等な人間だからこそ、愛したのかもしれない。普通の人間からは考えられないほど優れた者が、時折人間たちの中から現れるのだ。
その者は時に王として君臨し、魔法使いとして大成し、学者として歴史に名を刻んだ。
そんな人間達の中には、当たり前のように戦闘に特化した者も存在した。その中でも、更に一握りの存在。竜と対等に戦い、そして打倒する者もいた。そんな存在を、人間達は竜破人<ドラゴン・スレイヤー>と呼んだのだ。
そんな超越者が五人、ディルベラードと対峙していた。一人でも厄介だというのに、そんな存在が五人だ。長い年月を生き、それに相応しい力を持ったディルベラードといえど、死を覚悟するほどの危険な状況であった。仮に五人全員を屠ったとしても、ディルベラードも次の瞬間には死んでいることだろう。
しかし、それは竜破人達にとっても同じだった。今まで討伐してきた竜とは比べ物にならないほどの巨躯と、威圧。視線を向けられるだけで心臓が止まりそうになるほどだ。しかも、その行動はディルベラードにとってはただ一瞥しただけなのだ。
下手な行動を取れば、その瞬間死が待っている。故に動けず、硬直し、睨み合うことしかできない。
時間が経てば経つほど、お互いに不利な状況になっていく。ディルベラードは王国の様子が気になり、竜破人達は体力が削られる。
地獄のような睨み合い。動けず、止まるしかない状況。時間を一瞬切り取ったように凍った空間だ。
そんな中でも、一日、二日と時間は過ぎる。竜破人の体力も徐々に削られ、圧倒的な体力を誇るディルベラードも、徐々に落ち着きをなくしていく。
竜破人の体力は限界に近い。また、王国が敗れるまでの時間もそれほど残されていない。
ディルベラードが覚悟を決める。相打ち覚悟で五人を一気に吹き飛ばそうと決意する。例え肉体が死したとしても、魂だけになって帝国兵を蹂躙すればいい。
そんなことができるかは、ディルベラードもわからない。だが、そう考えなければならないほど、ディルベラードは追い詰められていた。自分の大切な場所を失う恐怖に怯えていた。
もはや迷いはない。ディルベラードが突撃しようとしたその瞬間、凍った時は破られた。
ガクリと、竜破人の一人が体勢を崩したのだ。竜破人といえど人間だ、疲労の限界が存在する。
それは一瞬のことだった。だが、その一瞬で十分で、その一瞬が長すぎた。
響く罵声。覚醒する竜破人。
全てが遅い。
突撃を止め、ブレスを一瞬だけ溜める。人一人を破壊する程度ならば、コンマ一秒以下の溜めで事足りる。
奔る閃光。人間では反応することもできない速度で迫るそれを、竜破人は勘で察する。
ディルベラードの殺気を読み、閃光に視線を向けようとして――対処するには遅かった。
過ぎた閃光。他の竜破人が叫ぶ。おそらく名前だろうが、ディルベラードは認識しない。頭部を失った竜破人に視線を向け、確実に死んでいることを確認し、次の獲物に視線を向ける。
狙われた竜破人と、ディルベラードの視線が交錯する。化け物を見るような瞳だと、ディルベラードは思った。ディルベラードの存在に恐怖し、とても敵わないと諦めてしまっている瞳だった。
勝てると、ディルベラードは確信した。諦め、恐怖に囚われた竜破人など、もはや敵ではない。勝負の舞台にすら立っていない。
敵ではなく、獲物だ。これから始まるのは狩りだ。一方的な虐殺だ。
なぶり殺しにしてやりたいところだが、今は時間がない。即座に殺し、王都に向かわなければならない。帝国軍は、王都の目の前まで迫っているかも知れないのだ。
怒りとともに咆える。魂にまで響く竜の咆哮は、それだけで人を殺すこともある。さすがに竜破人が咆哮程度で死ぬことはないが、竜破人達はディルベラードに恐怖している。身を竦め、棒立ちになってしまった。
これで止めだ。ディルベラードはブレスを溜め、そして放つ――瞬間、そのブレスを消してしまった。
感じたのだ。今、繋がりが絶たれた。いつも感じていた契約のラインが、たった今ブツリと切れた。
王国とディルベラードの間で結ばれた契約は、互いに存在する間、互いを守るというものだ。互いが存在する間という契約の都合上、どちらか一方が消滅すれば、この契約は無効となる。
ディルベラードは今だ健在だ。ならば、消滅したのは、もう一つ。
王国が、陥落したのだ。
ディルベラードはそれを理解した。理解し、現実を受け止めるのに数秒が必要だった。そして、現実を受け止めた瞬間、全力で咆えた。天に向かって、感情を全て吐き出すように咆えた。
竜破人だけがそれを見ていた。何が起きているのかわからない竜破人達だったが、ディルベラードの咆哮を見て涙していた。孤高なる竜の咆哮としては、それはあまりにも悲しすぎたのだ。
竜の咆哮は魂に響く。ディルベラードが感じている悲哀は、見る者に涙させるほどに深く、強いものだったのだ。
それを見て、魂で共感し、竜破人達は帝国が勝利したことを確信した。
哭き、哭き、哭き続け、一通り哭き終えた後、ディルベラードは大空へと飛び立った。ディルベラードが何を思っていたのか、それを知る者はいない。ただ、それから百年の間、ディルベラードの姿が目撃されることはなかった。
◆
財を尽くした広間だ。広く、豪華絢爛。しかし、嫌味さは欠片もなく、広間の内装や人の配置に至るまで、全てが美しく見えるように計算されている。
普段は特別な行事の際のパーティや、他国の使者などが皇帝に謁見するために使われる広間だが、今は兵士からの報告を聞くために使われていた。
「かつての守護竜も、こうなっては災厄でしかないな」
クスクスと楽しそうに、しかし瞳に怒りを宿らせながら、皇帝――ザィクトス・V・エルードルは兵士から報告を受けて呟いた。
褐色の肌に、鮮やかに光る黄金のような金髪を持った男だ。獅子帝と呼ばれるほど苛烈な性格を持った男として知られており、帝国の領土拡大と利益を目的に、各地に戦争を仕掛けている。
百年前の皇帝も、ザィクトスのような苛烈な性格を持っていたらしい。ディルベラードの守る王国を攻めたのも、目的は今と同じだったようだ。
「カナマル殿。貴方はどう動く気ですかな?」
チラリと視線だけを向けて、ザィクトスは隣に立つ老人に問う。
漆黒のローブを纏った枯れ木のような老人――カナマルは、少しばかり逡巡した後、弱々しく震える声で答えた。
「わたしがぁ……やるしかぁ……ないでしょうなぁ……」
声は震えているが、その決心は強い。だが、その場にいる誰もが、無謀だと思っていた。
カナマルは優れた魔法使いだ。その年齢は百を軽く超えているが、未だに帝国内でカナマルを超える魔法使いが現れたことはない。しかし、いくら魔力により延命をしているといっても、それにも限界はあるのだ。
カナマルは既に限界を迎えている。それはカナマル自身も、そしてその弟子達も分かっていることだ。もちろん、皇帝や補佐をする文官、武官達も分かっている。
かつてはカナマルも、竜破人に匹敵する腕を持つ魔法使いだった。海のように豊富な魔力量を武器に、帝国の敵を容赦なく薙ぎ払い、危険な魔獣を葬ってきた。
しかし、今は見る影もなく衰えてしまった。老いとともに魔力量は減り、かつてのように大魔法を連発することはできなくなった。魔法の腕や魔力の操作は昔よりも向上しているが、竜を討伐するのにそういった細かい技術はあまり役に立たない。圧倒的な大火力で攻撃するのが、魔獣や竜を討伐するのに必要なことなのだ。
それを考えれば、カナマルがディルベラードを討伐するのは無謀であり、無茶であり、無理である。それが、この場に集まっている者の総意であった。
「無理だ!」
「カナマル殿! 無茶はおやめ下さい!」
「貴方に責任はないはずだ!」
「竜破人は今はいないのですぞ!」
「陛下! どうかやめるように進言を!」
皆が口々に引きとめようとする。かつて存在した王国の末裔であるカナマルだったが、今は帝国の筆頭魔法使いだ。こんなことで彼を使い潰す訳にはいかないし、それ以上に帝国の発展に貢献してくれた彼には、安らかに余生を過ごしてもらいたいと、皇帝を含めこの場に集う全ての人間が思っていた。
「皆、黙れ」
ザィクトスの一言で、その場の音がピタリと消える。
「カナマル……いや、ジイよ。何故、そう思う?」
ジイと呼ばれるのもいつ以来だろうか。カナマルはシワだらけの顔をさらにシワだらけにするように微笑むと、その強い意志を皇帝に告げた。
「百年……ですよぉ……。王国が、帝国に潰されてからねぇ……」
「それがどうしたというのですか! 王国を潰したのは帝国の罪! ならば守護竜を討伐するのは帝国の責務であり、カナマル様に関係ないでしょう!」
武官の一人が叫ぶも、カナマルはそれに答えずに続ける。
「長いですねぇ……。ですがぁ……それだけ経って……かの守護竜がぁ……既になき王国のためにぃ……動き出しましたぁ……」
ディルベラードは、王国の守護竜だった。だから、王国を取り戻すべくディルベラードは動き出したのだろうと、カナマルは考えていた。そして、それは正解であった。
「わたしはぁ……王国の末裔ですよぉ……。ならばぁ……わたしがぁ……止めるしかぁ……ないでしょうなぁ……」
かつての王国の民として、かつての王国の末裔として、カナマルがやらなければならない。ディルベラードを、止めなければならない。
誰が強制したわけではないが、それがカナマルの矜持であった。意地であった。かつての王国の末裔として、それだけは譲れなかった。
既に王国はなく、かつて王国にいた民の子孫たちも、今や帝国の民として幸せに暮らしている。王国が存在していたという生き証人は、もはやカナマルとディルベラードしかいないのだ。
既に滅んだ王国だ。ディルベラードは王国を取り戻そうとしているのかもしれないが、こんな状況でディルベラードが暴れまわるのは悪手でしかない。ディルベラードが行動を起こすのに待った百年という時間は、人間にとっては長すぎた。王国を知っている者など、既に人間にはほとんどいないのだ。
ならば、かつての王国を知っている者の片割れとして、カナマルはディルベラードを止めなければならない。ディルベラードの友の一人として、ディルベラードを止めなければならない。
百年前のディルベラードは、誇り高くも心優しい守護竜だった。そんなディルベラードの周りには、子供達が集まり、女性達が話の花を咲かせ、大道芸人達が場を盛り上げようと得意な芸を披露していたものだ。ディルベラードがいたからこそ、そんな幸せに満ちた光景を見ることができたのだ。
しかし、今のディルベラードには、かつての面影は存在しない。本能のままに暴れまわる邪悪な堕ちた竜として、人々はディルベラードを認識しているだろう。
我慢ならないことだった。これ以上ディルベラードの名誉が傷付けられるのは、カナマルには到底我慢できなかった。
老いを感じさせない鋭い瞳が、ザィクトスを貫く。不退転の覚悟だ。この場に集った者を叩き潰してでも、カナマルはディルベラードの元へ向かうだろう。
「……分かった」
「陛下!」
止めても無駄だ。そう感じたザィクトスは、弱々しい声で許可を出した。
ザィクトスが子供の頃から、カナマルは偉大な魔法使いとして帝国に君臨していた。カナマルの魔法を見る度に、幼いころのザィクトスは心を踊らせていたものだ。
血は繋がっていなかったが、祖父のように思っていたのだ。大切な家族を、ザィクトスは死なせたくなかった。
「ただし、一つだけ誓え。必ず生きて戻ると。例え、止められなくとも、必ず生きて戻ると、そう誓え」
「……」
ザィクトスが見つめるが、カナマルは視線を合わせようとしない。頑なに床を見つめ、沈黙を保っている。
「……はぁ……行っていいぞ」
数秒ほど経ってから、ザィクトスは退室の許可を出す。その言葉に頭を下げ、カナマルは静かに広間を出て行った。
カナマルが退室した後、集った者達は動けなかった。あれほどの決意を見せたカナマルは初めて見るし、弱々しい一面を見せたザィクトスというのも初めて見たからだ。困惑と驚きで、誰もその場を動くことができなかった。
「ジイは……」
ポツリとザィクトスが呟いた言葉が、不思議と広間に響き渡る。
「ジイは……家族よりも友を選んだのだな……」
一筋の涙が、ザィクトスの頬を流れる。
「友に殉じる気か……ジイ……」
命をかけて、カナマルはディルベラードを止める気なのだ。ザィクトスという家族のためではなく、ディルベラードというかつての友のために、カナマルは命を捨てる気なのだ。
それが、どうしようもなく悲しかった。
「……さらばだ、大魔法使いカナマルよ」
家族としてのザィクトスは選ばれなかった。ならば、ザィクトスにできるのは、皇帝としてカナマルを送り出すことだけだった。
ザィクトスがこの場にいないカナマルに対して言葉を送り、同時に武官達が最上級の礼を示す。文官達も頭を下げ、カナマルを送る。
その後、カナマルが出発したという報告が届くまで、誰もその場を動くことはなかった。
◆
王都跡地。最初にディルベラードが暴れた地であり、現在ディルベラードが住み着いている地でもある。地面には瓦礫が数多く転がっており、残っている建造物は何もない。竜という種族の強大さが伺える光景である。
「……馬鹿ばかり……だのぉ……」
<転移>の魔法でかつての王都跡地に辿り着いたカナマルは、後ろを振り返って言った。自分は一人でやるつもりだったのだ。それが、どうだ。自分の後ろの光景は?
「一番の馬鹿は師匠ですよ」
「我々がついてこないわけがないでしょう」
「師匠あるところに、弟子ありですわ」
直弟子もいれば孫弟子もいる。カナマルが弟子として育てた魔法使い及びその弟子達が、カナマルの背後に集結していた。
数はおよそカナマル一門の六割といったところだろう。残りの四割は、仕事や休暇などで城を離れていた者達だ。つまり、城にいたカナマル一門の魔法使い達が、一堂に会したことになる。
「魔法使いだけで竜に挑むなど、命を捨てるようなものですよ」
「然り! 我々のような前衛がいてこそ、後衛たる魔法使いは安心して魔法を使えるといったものよ!」
涼やかに笑みを浮かべる騎士と、豪快に口を開いて笑う騎士。第一騎士団と第二騎士団の団長である。そして、その背後には二つの騎士団の面々が勢揃いしていた。
カナマル一門が、一緒に連れてきたのである。
「カナマル殿。我々の命、今こそ使い潰してくだされ」
「あの時に救われた恩を、今こそお返し致します」
第五まである騎士団の内、二つがこの死都に集結している。今こそ大恩を返すため、死を賭してもかの竜を倒さんと集結したのだ。
かつてこの二つの騎士団は、ある魔獣を討伐するべく冬の山へ派遣されていた。
一つの街を滅ぼした魔獣であった。竜と同等の危険度があるとして、皇帝のザィクトスは精鋭中の精鋭である第一、第二騎士団に討伐を命じたのだった。
対策は十分に練ったはずだった。豊富な物資を揃え、貴重な魔道具を湯水の如く使い、余裕を持って魔獣を討伐できるはずであった。
予想外だったのは、魔獣の知能の高さであった。
冬の山は魔獣の庭のようなものだった。自然という強大な味方をつけた魔獣に罠にはめられ、壊滅の危機に瀕していたところを、救援に駆けつけたカナマルに助けられたのだ。
その後、騎士団は見事に魔獣を討伐。奇跡の生還を果たしたのだった。
本来ならば、この二つの騎士団は壊滅し、帝国は大きく力を削いでいたはずである。カナマルはその時に国を救い、多くの騎士の命を救ったのだ。かつて失っていたはずの命である。カナマルのために使うのに否はない。
「我々は既に死を覚悟しております。カナマル殿が竜を倒すことこそ、我らの勝利と言えるでしょう」
「カナマル殿が勝利されるならば、我らの命は惜しくありません」
騎士団の面々の瞳には、既に死の色が見えている。騎士団の面々は死を覚悟している。何人も死ぬかもしれない。全滅するかもしれない。
だが、誰一人としてそれを恐れていない。カナマルがディルベラードを討伐すると、誰一人疑っていない。
だからこそ、人類よりも圧倒的に強力な堕ちた黒竜ディルベラードを前にしても、恐れ一つ見せていないのだ。
そんな騎士団の様子を見て、ため息を一つ零したカナマルは、振り返って目の前のそれを見つめた。
黒竜ディルベラードが、その姿を現していた。
既にディルベラードは目と鼻の先。戦闘が始まるのは、まもなくのことだった。
ディルベラードの咆哮。それが、戦いの合図となった。
◆
「三重強化・対竜能力絶大低下!」
始まりは、カナマルの魔法からだった。
対竜能力低下。竜のあらゆる能力を低下させる魔法である。才能に恵まれた魔法使いは、こういった魔法を極大まで使用可能だ。だが、その才能と人生を全て魔法に捧げたカナマルは、極大を遥かに超えた絶大まで使用可能である。それを更に常人には到底たどり着けない、三重という領域で強化させたのだから、ディルベラードのあらゆる能力は半分以下まで低下している。全てを魔法に捧げたカナマルという存在だからこそできる離れ業である。
しかし、騎士団や魔法使い達の目に油断はない。
能力が低下したとしても、竜なのだ。その能力は未だに絶大。ブレス一撃で壊滅することがなくなっただけで、まともにブレスを喰らえば前衛である騎士団は半壊するだろう。
「魔法だ! 速く! 付与を!」
騎士団から声が飛ぶ。その声に答えるように、魔法使い達から次々と魔法が飛んだ。
「二重強化・二重範囲最大化・対物理極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対魔法極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対炎極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対竜極大上昇!」
攻撃強化、防御強化、属性付与、抵抗上昇など、様々な補助魔法が飛ぶ。数々の強化魔法を受けた今の騎士団は、間違いなく世界最強の軍団であろう。
しかし、それでようやくスタートラインなのだ。それでようやく戦う資格を得られるのだ。
一対無数。考えられる限りの強化を受け、人数を揃えることで、ようやく竜と戦うことができるのだ。それを考えれば、かつて存在した一人で竜を屠れる竜破人がどれだけ規格外な存在なのか想像できるだろう。
無数の補助魔法を発動させることで、ようやく準備は整った。ディルベラードが訝しそうにカナマルを見ていなければ、こんなこともできなかっただろう。
ディルベラードは首を振り、疑問を吹き飛ばす。目の前の人間は帝国に与する者だ。滅ぼすべき敵であると、認識し直す。
ここからようやく開幕である。無数の補助魔法を受けたことで、騎士団及び魔法使い達は竜と戦えるレベルまで戦力を向上させた。だが、それは鎧袖一触されることがなくなっただけで、その攻撃をまともに喰らえば致命傷は間違いない。かつてないほど強化されているとしても、油断することは決してできないのだ。
はじめに、魔法使い達による無数の攻撃魔法がディルベラードを襲った。炎、氷、風、光、闇、音、衝撃、あらゆる魔法がディルベラードを襲う。
竜は魔法に高い抵抗力を持つ。長き時を生きたディルベラードの魔法抵抗力は、全盛期のカナマルであっても、補助魔法なしではまともにダメージを与えることもできないほどだ。
だから、対策が必要になる。まずはじめに、カナマルがディルベラードの能力を大幅に下げる。次に、無数の属性の攻撃魔法で、ディルベラードの抵抗力を測定する。様々な属性に抵抗できるとしても、必ずどこかに穴はある。他の属性よりも高いダメージを叩き出す属性が必ず存在する。
「……光です! 光魔法を中心に!」
その属性とは光。次の瞬間、雨あられと光属性の攻撃魔法がディルベラードに襲いかかる。一つ一つは大したことがなくても、それが積み重なれば無視のできない規模となる。水滴がいずれ石を貫くように、ディルベラードの堅牢な鱗もいずれ貫かれるだろう。
それを嫌がったディルベラードが空を飛ぶ。魔法攻撃の届かない場所まで飛ぶと、ディルベラードはブレスを溜めた。
「確認しました! ブレスです!」
魔法使いがディルベラードの行動を確認し、戦っている面々に伝える。
竜のブレスは、この世界で最も破壊力のある攻撃の一つだ。威力が高いということではなく、破壊に特化しているのだ。
炎のブレスは何が起きようと消えることがない。毒のブレスは対象の魂も腐らせる。破壊のブレスは存在を粉々に粉砕する。
そして、ディルベラードのブレスは破壊のブレス。そのブレスの一撃は、騎士団と魔法使い全員の魂を粉微塵に消滅させることも可能である。
しかし、そんな危険なブレスへの対策を怠るわけがない。
「二重強化・二重範囲最大化・対竜極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対竜極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対竜極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対竜極大上昇!」
「二重強化・二重範囲最大化・対竜極大上昇!」
「盾、前へ!」
「合わせろ! いくぞ、オーラガード!」
ただでそれを受けるほど、騎士団は間抜けではない。竜に対する耐性を更に上昇させた騎士達が盾を持ち、ブレスを防ぐために前へ出る。
竜が放つブレスを防ぐには、竜に対する耐性を上昇させるしかない。ブレスを防ぐことができるほどに、耐性を上昇させるしかない。
更に、オーラガードと呼ばれるスキルにより、騎士団及び魔法使い達を包むほどの結界を展開する。このスキルは、一定範囲内の攻撃を防ぐ結界を作り出し、そのダメージを自らが肩代わりするというスキルだ。
それを騎士団の面々が同時に展開することにより、一人がダメージを受けるのではなく、スキルを発動した一人一人が分散してダメージを受けるようにする。
ダメージを分散し、更にブレスに対して高い耐性を持つとなれば……。
「被害は軽微! 戦闘に支障なし!」
「回復魔法を!」
「はい! 二重範囲最大化・軽回復!」
ご覧の通り、被害を受けることもほぼなくなる。おまけに魔法使いが即座に回復させることで、騎士団が受けた傷もすぐに治癒される。ブレスへの対策は万全と考えていいだろう。
それを見たディルベラードは、忌々しそうに息を吐く。ブレスは無駄だと理解したのだ。竜のブレスは、竜の誇りそのものとも言える。今のディルベラードは、誇りを深く傷つけられたに等しいのだ。
だが、他にもやりようはある。飛ぶのは無駄だと理解したディルベラードは、地に降りた。山の如き巨体を持つディルベラードが、騎士団に向かって突進する。
そう、その巨体とパワーを活かして暴れるだけでも、立派な攻撃手段となるのだ。大暴れするディルベラードを、騎士団が防ぐ、防ぐ、防ぐ。その身を盾として、魔法使い達を、そしてカナマルを攻撃させまいと必死に食らいつく。
だが、いくら防御を固めようと、衝撃までは防げない。爪の攻撃で無傷だったとしても、衝撃で吹き飛ぶのを防げるわけではない。死ぬことは回避できている騎士達だったが、ディルベラードの攻撃を防ぐたびに、まるで放り投げられた小石のように高々と宙を舞うこととなった。
今はなんとか食らいついているが、こんなことでは戦線が崩壊するのも近いだろう。騎士団の邪魔がなくなれば、次は魔法使い達である。
それをわかっている魔法使い達が、対策をしないわけがない。
「二重強化・麻痺付与!」
「二重強化・毒付与!」
「二重強化・睡眠付与!」
「二重強化・氷結付与!」
「二重強化・鈍化付与!」
考えられる限りの弱体化を施し、ディルベラードの動きを鈍らせる。もちろん各種状態異常に高い耐性を持つディルベラードであるため、そうそう状態異常になることはない。
だが、今のディルベラードはカナマルの魔法によりその能力を大きく低下させている。そのため、その高い耐性も大幅に下がっており、普段よりも状態異常にかかりやすくなっているのだ。
麻痺になり、眠り、毒を与えられ、氷の彫刻となり、動きが鈍くなる。全ての状態異常にかかったディルベラードだが、これで終わるわけもない。
「グオオオオオォォォォォ!」
特大の咆吼。魔力を燃やし、エネルギーを巡らせ、全ての異常を吹き飛ばす。能力低下は解除できないものの、二重強化された麻痺や毒程度ならば、その身一つでディルベラードは解除できる。
だが、それで十分時間を稼ぐことができた。
ディルベラードが吼えている間に、吹き飛ばされた騎士たちが戻ってくる。そして魔法使い達に攻撃が及ばないように騎士が守り、魔法使い達が状態異常でディルベラードを鈍らせる。そして光の魔法による攻撃を繰り出し、また動きを鈍らせる。
その繰り返しだ。延々と彼らはそれを繰り返している。
はたして、これで倒せるのだろうか? 否、倒せる可能性は限りなく低い。これはただの時間稼ぎだ。延々と時間稼ぎを繰り返しても、ディルベラードを討伐できるわけがない。
では、彼らは何が目的なのか。考える必要もなく、彼らはこれが目的なのだ。彼らは既に、目的を果たしているのだ。
偉大なる魔法使いが準備を終えるのを、待っていたのだ。
「皆の者……時間稼ぎぃ……ご苦労じゃったぁ……」
どれだけ繰り返しただろうか。
時間にするとそれほどでもないのだろう。だが、騎士団や魔法使い達にとっては、永遠にも等しい時間だった。彼らは竜破人ではない。彼らはカナマルのような偉大な魔法使いではない。彼らは一部の突出した人間ではなく、ただの才能ある人間にすぎないのだ。
そんな彼らが、絶望そのものとも言えるディルベラードの攻撃をひたすら耐え続けるのだ。どれだけの重圧だったことだろう。逃げ出したかったに違いない。
だが、彼らは耐えてみせた。カナマルというたった一つの希望を信じて、見事に耐え抜いてみせたのだ。
「しかし、まぁ……おかげでぇ……準備は整ったぞぉ……」
小さいながらもよく通るその声は、カナマルのものだ。
そして、それは彼らが待ちわびた知らせだった。
「回帰」
カナマルの魔法が発動する。
<回帰>とは、カナマルの独自魔法の一つであり、特定の状態まで何かを戻す魔法のことである。わかりやすく言えば、時間を戻す魔法といえばいいだろうか。
そして、カナマルはこの魔法を自分自身を対象として使用した。戻る時間は百年前後。老人から一気に青年まで戻るということである。
つまり――。
「待たせたね。かつての魔力と、今の魔法。昔の姿で、今の魔法を使えるなんてね」
竜破人に匹敵すると呼ばれた魔法使いの復活である。
「これが僕の全盛期。いや、今が僕の全盛期」
否、昔よりもカナマルの魔法は洗練されている。かつてのカナマルよりも、今の方が格段に強いだろう。
カナマルは更に魔法を続ける。
「三重強化・封絶」
<封絶>。世界の一部を切り取り、別世界として存在させる魔法である。いわゆる結界のようなものであり、切り取られた世界の中で何が起きても、それは元の世界に影響を与えない。
そして、最後の魔法が発動する。
「創世の光」
それを理解できたものはいただろうか。
魔法により創り出されたその光は、世界創世の光であった。宇宙の始まりの火であった。
世界創生のその一瞬。それを、カナマルは自らの魔法で再現し、ディルベラードに喰らわせたのだ。
その現象は一瞬で終わった。だが、その一瞬で十分であった。一瞬で、勝負はついていたのだ。
一撃であった。世界創世に等しい攻撃を受けたディルベラードは、それだけで瀕死となっていた。むしろ、能力が低下した状態で、この一撃を喰らい死ななかったディルベラードを称えるべきだろう。カナマルが手加減をしていたというのもあるが、それを考慮してもあっぱれというほかない。
だが、もはやディルベラードに戦う力は残っていない。今であれば、騎士団でもとどめを刺せるだろう。
しかし、騎士団は動かない。魔法使い達も動かない。
それは、カナマルの役目であると理解しているのだ。
「ディルベラード。僕がわかるかな? カナマルのことを、覚えているかい? 一番の友だったじゃないか」
カナマルが優しく語りかける。その言葉に、ディルベラードが頭を上げた。
懐かしい顔を見たディルベラードは、はたして何を思うのか。だが、その瞳から流れる一筋の涙が悲しみでないことだけは確かだろう。
「ありがとう、覚えていてくれたんだね」
カナマルが微笑む。ディルベラードは堕ちた守護竜だ。そして、王国を守護していた時から、百年以上も経過している。竜にとって百年とは瞬きのような間であるが、それでもディルベラードがカナマルのことを覚えているかは、カナマルにはわからなかった。
「友よ、もういいだろう?」
再度、カナマルが語りかける。
「なあ、友よ。僕達の時代は終わっているんだ。僕達の国は終わっているんだ」
その言葉に、ディルベラードの目を伏せる。
わかっているのだ。理解しているのだ。王国は終わった。王国は滅亡した。王国は帝国に滅ぼされ、帝国の領土の一部となってしまった。
王国が滅亡し、百年以上が経過したのだ。人が生きて死ぬには十分な時間だ。人にとって、王国とはもはや過去の存在であり、歴史の中にのみ存在する名前なのだ。
もはや王国とは過去である。ディルベラードもそれはわかっている。しかし、それでも、許せないものがあったのだ。
「君は帝国を許せないのだろう。その気持ちは当然だ。怒りの余り暴れまわる君の気持ちも当然だ。しかし、今の帝国には、君の愛した国の末裔も多く住んでいる。私の娘や息子も住んでいる。王国は滅びたが、王国の民はまだ生き続けているんだ」
カナマルの子ども。それを聞いたディルベラードが驚きに目を見開く。王国の民は生きていた。王族の血は受け継がれていた。
「帝国を許せとは言わない。だが、怒りを鎮めて欲しい。誇り高き君を、邪悪な竜として語り継がせたくない。君の愛した王国の民に、君を怖がらせたくない」
カナマルは目を伏せる。何かに耐えるように、口を固く結んでいる。
カナマルは、心の底から言葉を出そうとしているのだ。
カナマルは、本当に伝えたいことを言おうとしているのだ。
「これ以上、友達が恐れられるのは、我慢できないんだ」
そう、それこそが、カナマルの本音なのだ。
友達が傷つくことが、カナマルは嫌なのだ。
瞳を閉じるディルベラード。その心境はわからないが、今のディルベラードからは全てを憎むような怒りを感じることはできない。
ディルベラードにとって、王国が、そして友達が全てだったのだ。怒りに呑み込まれ、闇に堕ちたとしても、友達の願いを無下にすることなどできなかったのだ。
ましてや、カナマルはディルベラードにとって一番の友達だったのだから。
そして、その思いをカナマルは正確に読み取った。百年以上離れていたとしても、カナマルとディルベラードは親友である。かつての変わらない友達の思いを、カナマルがわからないわけがない。
「ありがとう。でも、君も限界なんだろう? 実は、僕も限界なんだ」
<回帰>という時間を巻き戻す大魔法を使って、代償がないわけがない。全盛期まで戻ったカナマルだったが、その体は限界を超え、崩壊を始めていた。もはやいつ死んでもおかしくなく、カナマルを支えているのは気力のみであった。
「王国を愛してくれてありがとう。僕の友達になってくれてありがとう。もっと語り合いたいけれど、どうやらそれもできそうにない。だから、次の機会にするとしよう」
クスリと、カナマルは笑う。友達に何かを自慢するような、子どものような笑みだった。
「知ってたかい? 僕は諦めが悪いんだ。百年以上、ずっとこればかり研究していた。我ながら馬鹿みたいだよ」
カナマルは詠唱を始める。最初で最後、一世一代のカナマルの魔法である。死が近づいているのを感じながら、カナマルは静かに詠唱を進めた。
たった数秒の詠唱だ。すぐに、詠唱が終わる。
「それじゃあ逝こうか。なに、再会はすぐにできると信じてるよ。次に会う時も、僕は君の友達でありたいな」
それだけで、ディルベラードは全てを悟った。ディルベラードへ別れを告げるカナマルに対し、ディルベラードもゆっくりと頷いて応える。それを見たカナマルは、背後を振り向き、ここまでついてきてくれた自慢の仲間たちにも別れを告げる。
「みんなも、ありがとう。僕のわがままに付き合わせてしまって、申し訳ないと思っている」
騎士団と魔法使い達に、カナマルは頭を下げる。それに対する返答は、カナマルとの別れを惜しむ声だった。
「水臭いことを言わないでくだされ!」
「最後にカナマル殿と共に戦えて嬉しかったです!」
「カナマル殿! お達者で!」
「さようなら、カナマル様!」
「あなたは偉大な魔法使いでした!」
「あなたが私の師であったことは、私の最高の誇りでしたわ!」
ああ、本当に、いい仲間を持った。カナマルは心の底からそう思う。
だが、別れに涙は似合わない。仲間達との別れは、最高の笑顔でするべきだ。
「ありがとう……君達が一緒で、本当によかったよ……」
自分は最高の笑顔ができただろうか。カナマルにはわからない。だが、きっとできたはずだと、カナマルは信じていた。
「じゃあ、みんな。さようなら」
既に準備はできている。カナマルは騎士団と魔法使い達、そしてディルベラードに向かって微笑むと、その魔法を発動させた。
「死神の祝福」
カナマルの最期の魔法が発動する。
それは、自身と対象の命を奪い、そして転生させる魔法だ。
たとえ魔法に高い抵抗力を持つ竜であろうと、この魔法から逃れることはできない。おまけにディルベラードは抵抗しようとも思っていないのだ。失敗するはずがない。
カナマルの体が光に包まれる。ディルベラードの体が光に包まれる。死神の慈悲が、光となって包み込む。
そして、光は羽となり、光の羽が空に舞い上がると、カナマルとディルベラードの体はその場から消え去っていた。
残された騎士団と魔法使い達は、しばらくそこを動けなかった。カナマルという偉大な存在は、彼らにとって大きすぎた。溢れてくるものがありすぎて、こらえることができなかった。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。誰ともなくノロノロと動き出すと、言葉一つ上げることもなく、帝国へと移動を開始した。その胸中がいかなるものかは、本人にしかわからない。
その後、帰還した騎士団及び魔法使い達により、カナマルが竜を討伐したと皇帝に報告された。
その誇り高さ故堕ちてしまった守護竜は、友達であるカナマルの手により討たれたのだと。
カナマルとディルベラードの友情は吟遊詩人の手によって物語となり、人々に長く語り継がれることになった。
そして、カナマルは偉大なる魔法使いとして、ディルベラードは誇り高い悲劇の竜として、歴史に名を刻むのであった。
ディルベラートの名前は、永遠の友情の証として、残り続けるのだった。
◆
帝国の片田舎に、不思議な少年がいた。
マルカナと名付けられたその少年は、幼い頃から叡智に優れ、高い魔法の才を発揮した。村の魔法の使い手などあっという間に追い抜き、今では彼が村で一番の魔法使いだ。
そんな少年が、ある日興奮した様子で家に帰ってきた。
両親が驚きながら迎えると、少年は両腕で抱えるほど大きな卵を拾ってきていた。
「友達なんだ!」
困惑する両親だったが、少年は止まらない。否、止まれない。ずっと待ち望んでいた友達と、ようやく会えたのだから。
「僕にはわかる。ううん、僕にしかわからない。でも、絶対そうなんだ」
嬉しそうに卵を撫でながら語りかける少年を見て、両親は諦めたようにため息をつくと、好きにしなさいと一言だけ告げた。
元より、息子には日頃から助けてもらっているのだ。恩を返す、というわけではないが、助けてもらっている息子の珍しいわがままの一つや二つ、許してやろうと思っていた。
「早く君に会いたいな。もう決めてるんだよ? 君の名前は――」
少年の言葉に答えるように、大きな卵が少しだけ揺れた。