TRICK 1-2
――翌日。不思議と、気持ちのよい朝だった。カーテンから日が漏れ、ちょうど自分の視界の当たりにまで差し掛かって眩しかった。体を起こすと、自然とスッキリしていた。こんなに気持ちのよい朝は久しぶりだ。
多分、新しい環境が心配していたよりも良かったと安心したのだろうと、ミヤビは思った。父の無理な行動によって転校したのだ。環境が変わるということを知って、いろいろな準備にも追われ、昨日も変な夢を見たものだから、かなり疲れていた。だけれどそんな疲れを払拭するかのような、心地の良い朝に、なんだか心が安らいだ気がする。
「まあ、やるしかないか」
寝間着から新しい学校の制服に着替えるため、ブレザーに手をとる。
今日から転校する、私立静華灯光学園の制服は、紺色のブレザーになる。さすが私立だけあってか、内側にチェックのデザインが施してあったり、なかなか良くてかっこいい気がする。
ブレザーの袖に手を通し、ネクタイを締める。前の高校は学ランだったので、ネクタイを締める練習を何度もした。その甲斐もあってか、なんとかうまく結ぶことができた。
「よし」
勉強道具の不備がないことに、カバンを見て確認する。そういえば昨日、父に荷物を送るよう頼まれていたのを思い出し、机の上に置いた黒い箱を取り出す。
「……ほんと、大事なものならちゃんと確認しろって感じだよな」
昨日の突然の電話の後、父から指定した場所と時間に直接渡すようにとメッセージが来た。18時に新宿だそうだ。普通に郵送すればいいのに。面倒くさいし、何か犯罪めいたヤバイ物なのかと思う。中身に関しては気になるが、確認している余裕はなさそうだ。
ミヤビは黒い箱をカバンにしまって、一階に降りる。トーストとコーヒーの、良い匂いがしてきた。
「おはよう水無」
「ミヤビくんおはよー」
エプロン姿の二ノ宮と、カウンターに黒崎が座っていた。二ノ宮は妙にエプロン姿が様になっている。頻繁に料理をするのだろう。
一階は、事務所のとなりに食事スペースがある。キッチン設備と、テーブルと、テレビ、カウンターが置いてあり、どうやらここで食事を摂るようだ。
黒崎の隣の席には、簡単に、卵焼きとトースト、サラダが並べられていた。
「おはようございます」
「おう。昨日も言っての通り、朝の担当は俺だ。ちょっと用で早く出るから、簡単なものになってしまって悪いな」
「いえ……」
「所長ぉ?昨日あれだけ言っておいてオリジナル要素卵焼きとサラダだけですか?」
ぶーと黒崎が言いながら、トーストをかじる。
「……悪かったよ。突然の仕事なんだ」
「例の事件ですか?」
二ノ宮の返答に対して、急に声のトーンが変わる黒崎。何かあるのだろうか。
「ああ。すまないが片付けはよろしく頼む。水無、気をつけて」
エプロンを脱ぎ、スーツのネクタイを締め直して、ジャケットを着て足早に二ノ宮は出かけていった。
「にげたなーこのー!! あ、ミヤビくん昨日は眠れた?」
黒崎が、飲んだコーヒーカップを起き、ミヤビに話しかける。
「もうぐっすり」
「あらら。そりゃ良かった。ごめんねうちの所長。なんか昨日事件があったらしくてさ」
「……事件?」
事件があって、一介の探偵がそれほど急ぐ必要があるのだろうか。とミヤビは思った。警察が捜査をすれば、いい話だ。
「そ。ほんとここ最近なんだけど、殺人事件。ニュースとか知らない?」
「殺人事件……ですか」
ニュースなんて見てないから、あまり気にならなかったけど、世間では殺人事件が騒がれているらしい。ミヤビはあまり興味がなかった。
「うん。ミヤビくんも気をつけてね。近頃物騒だから。あ、朝っぱらから暗い話でごめんね」
「いえ……」
ミヤビはその後、二ノ宮が用意してくれた朝飯を食べ。黒崎と雑談をした。
「あ、片付けは私がやっとくよ。初日から遅刻とか、まずいでしょ?」
黒崎の好意に甘え、ミヤビも出かけることにした。
静華灯光学園は、下宿先から電車を乗り換えて行かないといけないようだ。運行案内板に従っていけば、問題ないだろう。
下宿先を出て、駅に入ると、プラットフォームを埋め尽くす程の人でミヤビは驚いた。これが都会の通勤ラッシュというやつなのか……と。
なんとか電車を乗り換え、目的の駅についた頃には、すこし疲れていた。今度はもう少しラッシュを避けていくことにしよう。そう心に誓った。
「しかし、最寄りの駅が、静華灯光学園前とは……」
分かりやすい。検索して迷うことがなかったので非常に助かった。
――私立静華灯光学園。
一貫教育を推進するこの学園は、初等部から高等部、大学まであるというエスカレーター式の学園だ。歴史はまだ浅く、できて10年ぐらいしか経っていないらしい。施設も新しく、悪い気分はしない。昨日ホームページを見た所によると、他の高校に先立ってITシステムを導入しており、いろんな新しい技術が教育に取り入れられているようだ。
職員室を探し、入ろうとするが、通常の学校とは異なり職員室は鍵がかかっていた。ミヤビはインターホンを押す。
『はい?』
「転校生の水無ミヤビです」
『どうぞー』
扉のロックが外れ、ミヤビはドアを開けた。前の高校の職員室と異なり、書類が少なく、机にパソコンが埋め込まれていた。パンフレットにも書いてあったが、かなりIT化が進んでいるようだ。
自分の教員を探す。おーい、こっちです。と一人の男が呼びかけるので、ミヤビはその男の机に向かった。
「来たみたいですね。担任の、霧島庄太郎と申します。どうぞよしなに」
ミヤビのクラスは、2-C。担任は霧島庄太郎というらしい。中肉中背で、猫背な霧島は、にこりと笑いながら挨拶をした。
「水無雅です。よろしくお願いします……って、何故敬語ですか?」
「性分でしょうか。私も治そうと心がけてはいるのですが。どうも取れなくて。こんなつたない私ですが、教員免許のあるれっきとした教員ですので、ご心配なさらず」
逆にこちらが恐縮してしまうくらいの敬語っぷりに、ミヤビは驚いた。ただ、優しそうな先生ではある。
「あなたのお父様、水無努さんは、大学時代の先輩なのですよ」
「そうなんですか……」
「大学時代は大変お世話になったんですよ。その恩がこういった形で返せるのはうれしいですね」
外堀は埋められているようだ。まあ予想はしていたから、あまり驚いてはいなかった。
ただ、なんか押し付けがましいような、もどかしい気持ちになる。
「そうそう、実は貴方ともう一人いらっしゃるので紹介しますね。貴方と同じ転校生で、クラスメイトになる、藍沢美月さんです」
「よろしく。転校生同士、仲良くしましょう」
凛とした、まっすぐな声。
「……よろしく」
彼女は手を差し出してきたので、そのまま彼女の手を握り、握手を交わす。握った手は暖かかった。むしろ自分の手が冷たい気がする。
握手をした彼女は、藍沢美月の瞳は、ミヤビの目を真っ直ぐに見ていた――。
初対面で、こんなにも真っ直ぐに見てくれる人はあまりいない気がする。いや、自分自身が自然と人と目線を下げて話してきたことがあったかもしれない。けれど彼女の瞳は、そんなミヤビを真っ直ぐに見ていた。
瞳の色はブルーで、恐らくハーフなのだろう。髪も肩ぐらいまで伸びており、染めた感じのしない、純粋な金髪だ。制服も女子用ブレザーを完全に着こなしている。ネクタイの結び方で悪戦苦闘していた自分とは大違いだ。
けど、ミヤビはなんだか、ぎこちなかった。女の子にまっすぐに見られたことに緊張したというより、なんだか違和感があった。けれどその違和感は、何によるものなのかは分からなかった。
「さて、始業式は明日ですし、お2人には端末の説明をしないといけませんね。部屋を変えましょう。ついてきてください」
霧島は、そう言って別の部屋に案内する。
職員室から通じる別の部屋も、ICロックがかかっていた。霧島が首からぶら下げていた教職員証をかざし、ロックが開く。
「最近は物騒ですからね。私はいささかやりすぎな気もしますが……どうぞ」
霧島に案内された部屋は、10人位が入りそうな小さめの会議室だった。
「さて、そちらにおかけ下さい」
藍沢とミヤビは、霧島と向かい合わせになるように座る。机の上には、小型の箱がおいてあった。箱に文字が記されており、【Hunter Phone Type SEIKA TOUKOU High School】と書かれていた。なぜだか既視感がある。
そうだ、あの黒い箱だ。あの黒い箱とデザインが似ている。
「それは我が校で採用している端末、スマートフォンです。蓋を開けてみてください」
霧島の指示どおり、2人は箱の蓋を開ける。内容物は、電源ケーブルに説明書、それに一台のスマートフォン。今まで流通しているスマートフォンと何ら変わりないようにも見えるが、裏面に静華灯光学園の校章があるぐらいだろうか。
「ハンターフォン……教育用ではすでに流通していたのね」
「ハンターフォン……?」
見たことのない形だ。新型だろうか。藍沢は何か知っているようだった。
「ええ。藍沢エレクトロニクス社製の新型を、本校ではテスト運用させていただいております。電子学生証、校則、教科書データ、各種システムなど、機能は上げればキリがないですが、一番重要な機能は電子ロック解除機能ですね。これがないと登校ができません。職員室がある事務棟は外部の方もいらっしゃることから誰でも立ち入りが可能ですが、それ以外の棟にはそのスマホが必要になります。もちろん、今まで持っていたスマホを利用していただいても構いませんよ。ただ2台もちという形になってしまうと思われますが」
霧島が解説する。ともかく、このスマホは高校生活を送る上で重要なアイテムのようだ。その後霧島から、“ハンターフォン”の基本的な操作方法について教わり、利用に必要な各種手続きを行った。
「さて、他にあなた達にやっていただく手続きはありません。来週は遅刻しないようにしてくださいね。それでは解散になります。お疲れ様でした。」
会議室を出る藍沢とミヤビ。霧島は挨拶しそのまま職員室へ戻っていった。本格的な灯光は、来週になる。
「……さて、帰るか」
「あら、もう帰るの?」
「やることもないからな」
「私は、学校を回ってみようと思うの。最先端の学校システムに興味あるし」
「そうか」
「貴方もどう?」
また、真っ直ぐに藍沢はミヤビを見つめた。ナチュラルだなと、ミヤビは思った。まさか誘われるとは思わなかったので、内心少し驚いた。
「……必要ないだろ。構造ならこのハンターフォンとやらに書いてあるわけだし」
霧島から、ハンターフォンには学園に関する様々な情報が埋め込まれているのを聞いていたので、ミヤビは別に学校探索なんて必要ないと思った。
「それもそうね。だけれど、情報だけで理解できるものと、実際見て感じるものって、違うと思わない?」
「まあ、それは分かるけど」
「あら、気が合うわね」
「どうも」
「じゃあ行きましょう」
「分かったよ……」
藍沢に連れられ、学校探索をすることになった。事務棟を抜け、一旦校門へ向かうことにする。ミヤビは改めて、学園の全体像を眺める。入るときにはあまり気にしていなくて、改めて見るが、圧巻だ。校門を抜けた先には大きな広場があり、それを囲むように校舎が立ち並んでいる。中央には大きな時計塔があり、直径30cm程の高校によくある時計ではなく、
ロンドンの、時計塔のような大きさになっている。
「ホントに、大きな学園よね」
「だな、いくらで建てたんだろうな、こういうの」
「あら、私もちょうど気になっていたとこ。ビックベンイメージなのかしら」
「ビックベンって?」
「ロンドンの時計塔の名称。聞いたことない?」
「ああ。ビックベンてそれか」
「正式名称はグレート・ベルらしいわ」
「へー」
「この広場は一般にも開放されているみたいね。電子ロックを解除しなくても入れるみたい。生徒限定エリアは校舎内、ということかしら」
「みたいだな」
ハンターフォンを開いて構造を確認する。高等部の建物は大きく分けて3つあり、正面から入って右から、教室棟、クラブ棟、実習棟があるようだ。2人はまず右の教室棟から入ることにした。昇降口の手前に駅前の改札機のような機械が4つほど並べられており、これが霧島の言っていた電子ロックの装置だと理解した。ミヤビはハンターフォンをその機械のIC認識部にかざし、ロックを解除した。
「行きましょう」
「ああ」
教室棟は授業がないせいか、生徒はほとんどいなかった。各教室にも電子ロックの装置があるようで、部外者の立ち入りができないようになっていた。また、廊下から教室の様子が見える。教室の中は電子黒板に机には端末が埋め込まれていた。
「ハンターフォンを設置して、授業を聞くみたいね。ホントに忘れたら大変みたい」
「だな。けど重い教科書を持ち歩かなくていいのはいいけど」
「それもそうね」
「関係ないけど、なんでハンターフォンなんだろ」
まるでモンスターを狩るためのアイテムのようだ。とミヤビは思った。ゲームとかのやりすぎだろうか。
「ただの商品名よ、意味はないわ」
「へー」
「名称の時点であまりうまくはいってないと思っていたけれど、教育機関に売っていたなんて。うちもいろいろ考えるわね」
「うち?」
「あ、ごめんなさい。ただの独り言よ」
そういえば霧島は、ハンターフォンが藍沢エレクトロニクス社製と言っていた気がする。藍沢と何か関係があるのかと、ミヤビはふと思った。
「ああ……藍沢エレクトロニクスってもしかして」
「まあ、隠しても意味ないわね。私の父のグループ会社なのよ。藍沢エレクトロニクス。藍沢グループの子会社なのよ。聞いたことないかしら」
「知らないや」
「嘘でしょ」
藍沢は驚いた。そんなに大きい会社なのだろうか。
「俺、世間に疎いから。ニュースとかあんまり興味ないし」
ミヤビは、世間一般の事象に関して、興味を持っていなかった。気になることといえば
「ふふっ。あなた面白いわね。初めてよこんな人」
「悪かったな」
「あら、気持ちを悪くしたのなら謝るわ。けどニュースはたまに知っておかないとだめよ? 最近物騒だし、新しい情報を手に入れることは大切ね」
「お前は先生かよ……」
藍沢の父は、聞くところによると藍沢グループという巨大組織の社長令嬢らしい。立ち振舞とかでそんな感じはしていたけど、そうだったのか。
けれどミヤビはそうだったのかと思っただけで、凄いだとか、恐れ多いだとか、なんも感じなかった。
「しかし、あなた何にも驚かないわね。拍子抜けちゃうわ」
「うーん別に。みんな人間だし。お前はお前だろ」
「私は、私……。ふふっ、そうね。それもそうだわ。あなた本当に面白いわね。改めて、よろしくお願いするわ」
藍沢は、ミヤビの言葉で初めて、ちゃんと笑顔になった。
その時初めて、ミヤビは最初の違和感の正体がなんとなくわかった気がした。彼女は取り繕っていたのだ。人間誰しも他人と会うときは取り繕う。けれど、藍沢のそれはどこか遠くを見ているような、焦点があっていないような。そんな感じがしたのだ。
「ああ、よろしく」
一通り回ったところで、時間が経っているのに気づくミヤビ。そういえば、親父に黒い箱を渡さなくてはいけなかったのだ。改めて場所を確認すべく、元々持っていたスマホを開くと、新たにメッセージが入っていた。
<1900に品川駅に変更。詳しい場所は追って連絡します。部下が取りに来るから、到着したら下記の電話にかけてくれ、X9X-XXXX-1XXX>
親父からだった。場所と時間を勝手に変えやがった。
ただでさえ東京は初めてなのに。
品川って何処にあるのだろうか。どうやって行くのだろうか。
「マジかよ」
「どうかしたの?」
「あ、いや。個人的な用事なんだけど、こっから品川までってどうやって行けばいいか分かる?」
「品川ね。よかったら案内するわよ。私の帰路だし」
「助かる」
「いえいえ。転校生のよしみだし、貴方とは仲良く慣れそうな気がするから」
2人は、品川駅へ向かうべく、駅へと急いだ。