小説家と家政婦。
「ん、どうしようかねえ、困った」
小説家だと自称している先生は原稿用紙と万年筆を前にして、完全に動きを失くしていた。その顔からはいつものよくわからない満ち満ちた自信が消え失せていて、私は何処か面白くなく感じる。なんだなんだ、何事か。
「如何しました?」
「ふむ、それが全く次の話が浮かばない」
「まあ、それはそれは!」
ほんの少し先生を嘲笑いながら、作業部屋を後にする。常に何か書いているような人なのだから偶にはお休みになられたらいいのだ。ふん、ザマアミロ!しかし、理由が分かったなら私のすることは一つだと台所に走る。
昨晩、今夜の夕飯にと煮ておいた大根を温めて、鍋から少し大きめの皿によそう。あの人は酒飲みだから、味付けは少し濃い目。あっさり揚げとお豆腐、ネギの入ったお味噌汁もお椀によそってしまって、お漬物を小皿に入れて、本日のメインである鯵や海老をパパッと揚げてしまう。美味しそうな狐色とふんわり香ってくる香ばしい匂いに負けないよう自分を律しながら、これまた艶やかでほこほこ、米粒の立った理想的(私の)な白米を茶碗につぐ。体に染み付いてしまっている無駄の無い動作に嘆きそうになりながら食事の準備を進めていく。この私が家政婦だなんて!いや、特に良家の娘だとか、昔は違う仕事をしていたとかは無いから、最初から最後まで只の家政婦で、それ以上も以下も無いのだけれど。ほんの少しの遊び心くらいは許してほしい。やっていることは家事くらいなのだ。お掃除、お洗濯、そしてお料理、時々先生の相手くらいしかすることが無い毎日なのだ。
時刻は夕方。多少時間が早くともあの先生は気にしない。お空はまだ茜色で明るい気もするが、いいだろう。
居間のちゃぶ台に料理を盛りつけた食器を並べていく。今日のお茶は麦茶だ。湯呑には氷も入れてある。お酒は食べた後に出すことにしようかな。いや、持ってきておこう。冷蔵庫から冷やしておいたグラスを取り出して、その中にも氷を。冷たすぎる?いや、フライにはこれくらいでも問題無いだろう。戸棚から日本酒の瓶を持ってきて先生が座る位置の斜め前くらいに配置する。こんなものだろうか、お料理が冷えてはいけないから呼びに行こう。
「先生、先生」
お呼びすると、もう微睡み始めていたのか、机の横で横たわっている先生がごろりと寝返りを打った。
「ん、んん?如何したんだい」
「お夕飯です。食べましょう。今日はフライですよ」
フライは年寄りにはちと重たいなあ、とボヤくから、私は「だから早めに時間に作ったんです」とだけ返した。どうせ食べるくせに、もう、我儘先生。
座る先生の席の前に置かれたグラスに日本酒を注ぐと、ありがとう、と言われる。毎日言われるのだ、飽きないものだなあ。それから自分の席に座ると、先生の号令でお食事が始まる。
私は、この瞬間が嫌いではない。
「両手を合わせて、いただきます」
「いただきます」
お味噌汁を少しだけ飲む。薄味にしたが今日の料理には丁度良いくらいだ。今日も今日とて私の作ったご飯は美味しい。フライも良い具合に出来上がっているようで安心する。目の前で食べる先生はあちっあちっとフライをパクつきながら日本酒を飲んでいるようだ。白米を口に放り込んで、大根、お酒、順番に少しずつ無くなっていく料理を見るのは、ほんの少しだけ嬉しい。
いつもありがとうございます、なんて口に出しては言えないけれど、以前、これからも小説書いてくださいね先生。私にお給金払う為に、私の為に書いてくださいね。と、言ったことがある。先生はその言葉に怒るでもなく呆れるでもなく、一言、そうだなあと言ったのだ。
そうだなあ、でないとお前、此処から居なくなっちまうんだろう?
何を言っているのかと思った。でも、先生、そういう人だ。寂しがりで、オジサン、酒飲みで、すぐ眠る。
「お前の飯はいつも美味いなあ」
「当たり前ですよ」
だって私、先生の家政婦!私の為に書いてもらえるなら、いくらだって頑張れるのだ。
ね、だから先生。これからも書いてくださいね。お掃除もお洗濯も、勿論お料理も、頑張らせていただきますから!