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水鏡  作者: 湖村史生
1/7

始まり

人が歴史を作り出す。

文字として残った歴史は代々伝えられ…後世へと語り継がれる。

例えそれが誤った歴史だったとしても…………。


 都内某所の古びた雑居ビルにある編集社の1室。

まだ誰もいない事務所のデスクの一つに、書類が山になった机に長い足を投げ出し眠る人物が居る。

名前は杉野冬夜。

寝顔だけで容易に容姿の美しさが分かる程、整った顔立ちをしている。

しばらく帰宅していないのか、ヨレヨレの衣類から疲労感が伺える。

時刻は8:00ちょうど。

ビルの廊下を、ショートカットにスラリと伸びた手足。

165cm位の身長に似合う、ベージュのパンツスーツを身にまとった都築遙が歩いている。

すると遙に続いて、身長は遙くらいの見た感じ「少年っぽさ」が残る野田幸太が走り寄る。

「先輩!」

変声期があったのかと疑いたくなるような高い声が遙を呼び止める。

事務所のドアの鍵を開けようとドアノブに鍵を差し込んだ遙は振り返り

「先輩!僕、納得いきません!」

と叫ぶ幸太の声に溜息を着く。

「幸太、その話は終わっただろう!」

遙は幸太から視線を外して鍵を開けると、冷たく言い放つ。

幸太は遙の語尾の冷たさに「ぐっ」と息を飲む。

しかし幸太は意を決して、事務所に入る遙の前に立ちはだかる。

「何で、ですか?冬夜さんは良くて、何で僕は同行させて貰えないんですか!」

「今回の取材は危ないからダメだ」

「危ないなら尚更、先輩じゃなくて僕が行きます!」

「幸太は記事が書けないだろう!」

2人の言い争う声が静かな室内に響き渡る。

「ふぁぁぁ~」

言い争う2人が睨み合った瞬間、奥のデスクから大きなアクビが聞こえた。

遙が声の方を向くと、ムクっと寝起きの冬夜が顔を出す。

「朝っぱらから、キャンキャンキャンキャンうるせえ~な」

唸るように呟いた冬夜に、遙が慌てて近付く。

「冬夜!お前、又、此処に泊まったのか?」

叫ぶ遙に、冬夜は

「締切、間に合わねぇ~からな」

そう言って、アクビをしながら立ち上がる。窓辺で伸びをする冬夜を、遙は眩しく見つめた。

朝日が照らす横顔は、鼻筋の通った綺麗な冬夜の輪郭を浮き彫りにしていて、まるで何かの写真集の一コマのようだ。

ドキドキと高鳴る胸を押さえ

いつまで『友達』という関係を続けられるのだろうかと、胸に湧き上がる不安を拭えずに居る。

冬夜は美しい容姿と、178cmの身長に鍛えられたモデルのようなスタイルで女性が途切れた事が無い。

いつも違う、綺麗な女性と歩いているのを見る度に苦しくなる。

そう。自分とは正反対の、女を武器にした女。

まるで自分と父親を捨てた、あの女のような女性。

(...やはり、男はみんなああいう女性が好きなんだろうな)

遙がぼんやりと考えていると

「幸太、コーヒー」

冬夜が振り向いて呟いた。

すると幸太は顔を歪ませて

「はぁ?何で僕が、冬夜さんなんかにコーヒー入れなくちゃならないんですか!」

そう言い返す。

すると冬夜は

「はぁ?まともに仕事が出来ない奴がやれる事って、それ位だろうが」

当たり前のように答え、事務所内にある打ち合わせスペースの3人がけのソファーに音を立てて座る。

「寝み~」

アクビしながらウトウトしている冬夜と一瞬、遙の視線が合う。

ドキッと高鳴る胸。

カァ~っと顔が熱くなる感覚に

「あ...じゃあ、私が入れて来るよ」

と、遙は慌てて視線を反らす。

冬夜の漆黒の瞳に、何度も目が合う度に心臓が飛び出しそうな程にドキドキする。

慌てて給湯室に駆け込む遙に

「遙先輩、良いですよ。仕事が出来ない僕が入れますから」

幸太が、冬夜に嫌味たっぷりで叫ぶ。

冬夜は幸太の嫌味に気付かないのか、はたまた全く気にならないのか、遙が持ってきた新聞を手に読み始めた。

遥は、幸太が冬夜にキツく当たる理由が自分にあると分かっていた。

幸太の気持ちが自分にあるのを知っていて、「幼馴染み」という言葉で幸太の気持ちを言わせないようにしている自分のズルさに苦しくなる。

(幸太は私だ...)

近くて遠い人。

手を伸ばせば触れられる距離に居るのに、決して触れられない相手。

何度、あの背中にしがみつきたかっただろうか?

何度、あの大きな手で触れて欲しいと願っただろうか?

何度、あの広い胸に抱き締められたいと願っただろうか?

決して叶わない、愚かな願い。

遙は瞳を閉じて溜息を着く。

すると、ふわりと鼻腔にコーヒーの香りが触れる。

ゆっくりと瞳を開けると、幸太がトレーにコーヒーカップを乗せていた。

「先輩、コーヒー入りましたよ」

幸太のクルクル変わる表情が笑顔に変わる。リスのような可愛い顔をした、弟のような存在の幸太の笑顔に何度救われただろう。無邪気で可愛い、幼馴染みの二つ年下の幸太。

子供の頃は泣き虫で、いつも遙がいじめっ子から守っていた。

「は~たん」

「ちゃん」着けが言えなくて、いつも自分を「は~たん」と呼んで背中を追い掛けて来た幼馴染みは、今でも変わらず自分を追い掛けてくれている。

それが嬉しくもあり、時々苦しくなる。

「本当に...ズルイな」

ポツリと呟いた言葉にハッとすると、目の前に遙のマグカップを差し出され

「はい。先輩、少しお疲れ気味みたいなので、今日はお砂糖を少しだけ入れときました」

そう言いながら笑う幸太の笑顔に、遙もつられて笑顔で受け取る。

「ありがとう」

遙の言葉に、幸太は子犬のように嬉しそうに破顔した笑顔を浮かべた。

遙は普段コーヒーにはミルクしか入れないのだが、疲れた時や頭を使いすぎた時は少しだけ砂糖を入れる。

どんな小さな変化でも、幸太は決して見逃さないで気遣ってくれている。

「はい、これは冬夜さんのです!」

そんな事を考えていると、音を立てて幸太が冬夜のマグカップをテーブルに置く。冬夜は新聞に目を向けたまま

「サンキュー」

とだけ答えて、コーヒーを口に運んだ瞬間、『ブッ』っとコーヒーを吐き出した。

「ちょっ!冬夜、何してんのよ!」

遙が慌てタオルを渡すと

「ふざけんな!」

と、冬夜が叫んだ。

すると幸太は怒る冬夜を無視して

「何がですか?」

と答えてPCを立ち上げている。

その幸太の態度を見ると

「俺が気に入らないなら気に入らないで結構だけどな。コーヒー1杯まともに入れられないで、何しに此処に来てんだよ!仕事と私情を分けられないなら、とっとと辞めろ!」

冬夜は叫ぶと、ジャケットを掴んでドアへ歩き出す。

「冬夜、何処に行くの?」

叫んだ遙に

「缶コーヒー買ってくんだよ。こんなクソ不味いコーヒー入れられるんなら、2度と此処のコーヒーは飲まねぇよ!」

と、振り向きもせずに叫び、ドアを荒々しく閉めて出て行ってしまった。

遙は冬夜のカップに口を付けると、激甘コーヒーに思わず幸太の顔を見る。

幸太は泣きそうな顔をして遙を見つめていた。

「これ、どういう事?冬夜、甘い物が嫌いなの知ってるよね?」

遙が静かに呟くと、幸太は俯いて

「だって...」

とだけ答えて黙り込んでしまった。

遙は溜息を吐き

「幸太、ちょっとこっちに座りなさい」

そう言って自分のデスクの前に座らせ、遙はデスクに腰掛けた。


おずおずと遥の目の前にある椅子へと移動する幸太に

「幸太、お前が嫌ってる冬夜だけど…。あいつが1番、この社内で幸太を買ってるんだよ」

呟いた遙に

「嘘だ!冬夜さん、いつも僕に雑用ばっかりやらせて...。僕の事、いつもいつも『僕ちゃん』って呼ぶんですよ!」

と、叫ぶ。

遙は深い溜息を吐くと

「口止めされてたんだけどね…」

そう言って1枚の書類を出して幸太に手渡した。

内容は、今回の取材への幸太の同行許可申請書だった。

「これ...」

遙に幸太が笑顔を向けると

「喜ぶ前に、申請者の名前を見て」

と、遙がピシャリと言う。

幸太が疑問に思いながら視線を落とすと、そこには『申請者:杉野冬夜』と書かれていた。




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