表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

恋の壁の恋

作者: 刹多 楡希

私は恋の壁。

長年、人々の恋模様を見て来た、深大寺山門の恋の壁だ。

君には、前座として十一の失恋話を話したが、今回こそ成就した恋の話を語るとしよう。



鬼太郎茶屋に入った怪奇好きのカップルが今日の主役だ。いつもの様に茶屋に入り怪奇談義を楽しんでいる。

二人の内、よく話すのは日本妖怪研究家のM氏の方で、時たま壁に話しているかと思う程に一方的に自説を披露する。しかし、いつもS氏は楽しげにそれを聞いているのだった。


今日の話題は西洋妖怪で、『世界の妖怪大百科』を眺めながら、珍しく聞き役のS氏がよく喋っていた。

ドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン等と英語も交えながら嬉々として語る姿を見るに、S氏は西洋妖怪研究家なのだろう。しかし、M氏はあまり関心がなかった。

その態度が不満だったのか、いつもは温厚なS氏は声を荒げて、M氏の間違いを指摘した。

「フランケンじゃない!フランケンシュタイン。フランケンシュタインは怪物を創った学生の名前で、怪物に名前はないから!怪奇研究家なのにそんな事も知らないの!」

怪奇研究家としてのプライドを傷つけられて、M氏も感情的に言い返していた。

「その位知ってるさ!でもここは日本だ。西洋妖怪のフランケンは子泣き爺に負けて海底に沈められる。これが正しいんだ!」


その心ない発言にS氏は涙を浮かべて、最後の言葉を残すと視界から消えた。

「Cursed, cursed creator! Why did I love?」


それは、I(愛)がO(無)へと切り変わった瞬間だった。だが、M氏は、S氏の言葉をエロヒム・エッサイムの様な呪文としか思っていなかった。

こうして、日本妖怪研究家VS西洋妖怪研究家による失恋妖怪大戦争の火蓋が切って落とされたのだった。


…おかしい。

心温まる恋話のはずが、失恋話になってしまった。そういえば、私は一度も成就した恋の話をしていない。私は恋の壁のはずなのに。


…いや、私は恋の壁ではない。

失恋の壁だ。

昔は本当に恋の壁だったのだが、十数年前にこの身に刻まれた唐笠お化けの呪いで、私が見たカップルは必ず失恋するのだ。

縁結びの深沙大王すら、解けなかった強力な呪い。この呪いを解けるのは鬼太郎だけだ。十二の失恋話を聞いた君よ、調布の妖怪ポストまで、鬼太郎に手紙を送ってくれ!



***


「妖怪・失恋の壁か。今回も面白かった!」

二〇一五年の夏の終わり、調布のとある病院の一室であなたは声を出して笑った。そして、右手で持っていた原稿をベッドの上に置くと、その手を動かない左手に載せた。

「それにしても壁の気持ちを想像するなんて君は凄いね」


…壁の気持ちは良く分かります。

だって、壁のモデルは私自身ですから。



そう、私は壁。

妖怪好きなあなたにとって、ただの壁。同じ壁でも、あなたにはぬりかべの方が魅力的ですよね…。


 私がこの物語を書く事になったのは、旅行先の奥軽井沢であなたが大怪我をしたから。

調布に戻り長期入院が決まった六月の月夜、あなたはいきなり皆で怪談を書こうと言った。

日本妖怪好きのあなたには珍しく西洋妖怪関連の書籍がベッドに転がってたから、きっと二百年程前の怪奇談義に影響されたのだろう。

そういう訳で怪談話を書き始めたけれど、あなたはとある吸血貴族みたいに広大な構想を練るだけで終わり、代わりに私が書いた恋の壁の物語を楽しみにしているのだった。


物語を披露してしばらく雑談を交わした後、帰ろうとすると、あなたに呼び止められた。

「これを妖怪ポストに!」

渡されたのは、ぬりかべが深大寺参道を塞いだ絵葉書だった。

葉書を渡したあなたは、寝癖の妖怪アンテナを立たせ、網鬼灯の目玉親父を頭に載せていた。今年は一緒に行けなかった深大寺の鬼灯祭りで私が買ってきたもの。

「今度こそ恋が成就した話が聞きたいな…」


十二番目の物語は、あなたと私の比喩。でもあなたはその事に全く気づかない。

なんでそんなに鈍感なの!

怒りが込み上げてきて、私はあなたの妖怪アンテナをぶち抜いた。

妖怪アンテナなんかつける前に、人の心が分かる人間アンテナをあなたはつけるべきだ!

呪いを解いて欲しいのは私なのに…。


私は病室を飛び出し、天神通り商店街を彷徨った。

続きなんて書けない…。だって嘘だから。

十一の失恋話にもモデルはいる。でも、本当は誰も失恋する事なく最後は幸せになる…。

私は壁の振りをして、ヒトの恋愛を馬鹿にしたけど、本当は羨ましかっただけ…。

「ぬりかべさん、あなたにも私の気持ち分かりますよね?」

私は商店街のぬりかべを左手で優しく撫でながら語り掛けた。壁仲間を見て、私は少し落ち着いた。その場を立った時、背後からぬりかべを見つけたカップルの会話が聞こえた。

「そういえば、新しい鬼太郎だと、ぬりかべに妻子がいたよね…」

ぬりかべよ、お前もか!

仲間と思った壁にさえ裏切られた私は、怒りの大魔神の様に足を踏み鳴らした。


私の思いを秘めた物語ではあなたに伝わらない。真実を記したラブレターを書こう。

普通の恋文では、あなたは見向きもしないから、あなたの好きな怪奇小説の体裁を装って。

モデルは、私の愛読書、あなたには好きだと言えなかった、あの名前のない怪物の物語。

メアリー・シェリーのフランケンシュタインは、私のバイブル、グリモワール。

私もあなたへの愛を得られない怪物だから。

でも壁にだって、虚構を押し潰して真実を見せられるかもしれない。



***


私が労苦の完成を見たのは、十一月末のとあるわびしい夜の事でした。

早速読んでもらおうと、病室に駆けこんだ私の目に入ったのは、黒い髪に潤んだ目、やつれた顔をしたあなた。


死人の様に黒いあなたの唇から零れたのは、あなたが最も尊敬する水木しげる先生の死の知らせだった。

その死にあなたは深く深く悲しんでいた。


あなたはいつも笑顔で冗談ばかり言っていて、取り乱した泣顔なんて見た事がなくて。

なんて声をかけたらいいか分からずに、あなたの潤んだ瞳と目が合い、私はバックベアードに睨まれた様に動けなかった。

あなたの深淵を覗いた様で、怖くなって…

私は怪物の元から逃げ出した。悪鬼が後ろから迫る気がして、振り返る事すらできずに。


しばらくして逃げる事に疲れた私は、いつもの商店街で呼吸を整えた。

私って最低…。

自己嫌悪に駆られふと見上げると月に照らされた鬼太郎と目玉親父が私を見下ろしていた。

目玉親父は、身体が腐り目玉だけになってでも、愛する鬼太郎の元にいる事を選んだ。

その姿に私は怪物と向き合う勇気をもらった。

私は恋の敗者だけどヴィクター(勝者)・フランケンシュタインみたいに、怪物を見捨てはしないから!


病室に戻るとあなたは涙の跡が残る笑顔で迎えてくれた。

「新しい物語読んだよ…今までで一番の傑作だね」

差し出されたのは、私が書いたあなたへの愛の創造の物語。

恥ずかしい物語を取り返そうと伸ばした私の左手をあなたは掴むと、物語の最後のページに、二人の名前の相合傘を書き込んだ。

そして、昔の様に相合傘の先端のハートを丸で囲んだ。

「これは唐笠お化けの呪い。君は一生私の左手でいなければならない」

十数年前のあの時から、あなたは何も変わってない。変わったと思ってたのは私の方…。


私が恋の壁。

恋の戦場で道を防いでいた壁はぬりかべじゃなかった。

恋の壁を作っていたのは、私自身…

その刹那、私の恋路を塞いでいたぬりかべが、道を開けてくれた。


ぬりかべが開けてくれた深大寺参道を通り、私は初日の出を眺めていた。

あなたと互いの左手を握りながら。


今までの私は、ただの壁だった。

けれどもう壁じゃない。

あなたの栄光の左手、闇の左手。

鬼太郎にとっての目玉親父と同じで、妖怪になっても私はいつまでもあなたの左手。


手を握りあう二人の後姿を、深大寺の恋の壁は暖かく見守っていた。

「ようやく呪いが解けたな。妖怪・恋の壁」

取り戻した左手で恋の壁を優しく撫でたのは、右手一つで仲間の活躍を書き続けたある妖怪だった。


『フランケンシュタイン』のファンとして、『鬼太郎』におけるフランケンシュタインの怪物の扱いがあまりにぞんざいなので、もし水木しげるに会う事が出来たら訴えたかった事をこの作品に託しました。


ちなみに、作中のM氏とS氏は、水木しげるとメアリー・シェリーのイニシャルがどちらもM・Sだった事に由来します。



水木しげるが暮らした調布界隈が舞台となっています。

作中に登場した、深大寺、鬼太郎茶屋、妖怪ポスト、天神通り商店街は実在しています。

水木しげるが眠る覺證寺も近くにあるので、機会があったら立ち寄ってみてください。



水木しげるとメアリー・シェリーへの哀悼の意を込めて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ