序幕 暗闇に潜む蛇
月明かりすらも遮られた完全な闇の中。
焦燥に染まった男の声が響いた。
「クソッ……!背を合わせろ!死角を作るな!」
「り、了解!」
男達は6人で背中合わせに立ち、武器を構えた。
正眼に油断なく見据えるも、一寸先は闇。唐突に灯りを奪われた彼らにとっては黒い壁も同然だった。
静寂ーー闇は深く静かだった。
6人の荒い息遣いだけがただ聞こえる。
極度の緊張。何者かに命を握られる様な冷たい感覚が彼らを支配していた。
誰かが、生唾を飲み込んだ音が耳に届いた。虚構の世界なのに嫌に現実味を帯びた恐怖。それが目の前に潜んでいた。
ふと、生ぬるい風が吹いた。
正確には”風が動いて”いた。
「い、いやっ……そんな」
6人の中から短い悲鳴が上がった。
木の杖を構えた白いローブの女だった。暗がりでも薄っすらと見える彼女の姿がグラリと傾むき、倒れ、寸前で赤い粒子へと変わった。
パーティー内でヒーラーを担当する彼女は、その特性上最も打たれ弱かった。
「シンシア!」
彼女の隣に居た騎士風の男が彼女の名を叫ぶように呼んだ。
しかし、彼女からの返答はない。代わりに応えたのは頸部への衝撃と僅かな息遣いだった。
男は訳も分からずに視界を完全な闇に沈めた。
「マルコ!火属性の魔法で照らせ!このままだと削られんぞ!」
リーダー格の男が叫んだ。それに従い、黒いローブの男が魔法を唱える。
ローブの男を中心に赤い魔法陣が明滅した。残った3人は魔法使いを庇うように囲んで立つ。
最善の対応だ。これでこのまま魔法が発動すれば、襲撃者の有利性が消えて攻勢に出ることが出来た。
四人の内、二人は近接系のアタッカーだ。視界さえ取り戻せば勝てる自信があった。
「いけるっ!!フレイムレイン!」
ローブの男が魔法名を唄い、同時に杖から白金の光が天へと登った。
設置型の間隔攻撃魔法ーー本来ならば自律型の平面攻撃手段だが、この時ばかりは灯りとしての効果が重要だった。
空で炸裂した火球が辺りを明るく照らした。その風圧で木々を揺らし、枝葉をざわめかせる。
そこは森が開けた小さな広場だった。
一切の遮蔽物はなかった。
「クッソ明るいなおい。眩しいくて目がいてぇ」
不意に男達以外の声が響いた。背後からの声に男達は慌てて飛びのいた。
瞬間、彼らの鼓膜を風切り音が揺らした。
「ま、さか」
黒いローブの男が声を漏らし、霧散した。赤色の粒子は”死に戻り”した証だった。
「ーーマルコォッ!」
視界が晴れ、攻勢に出ようとしていた男達は狼狽した。確かに、自分達は襲撃者を眼前に据えていた。少しでも動けば即座に反応していたはずだった。
しかし、その素振りもなく仲間が一人殺された。
異常だ。リーダー格の男は内心恐怖を感じていた。
彼が用意したこのパーティーは誰もが攻略組を目指す武闘派のプレイヤーだった。少なくとも、このベータ版が始まって数日の内に近隣ダンジョンに挑める程の強者を集めたのだ。
それがどうだ、一瞬の油断、一寸の驕りがこの様な結果を生んでしまった。
「オォイッ!テオてめぇっ…今ので二人殺るって言ってたよなぁ!どうっ見ても三人いんですけど?」
襲撃者が怒声を挙げる。
リーダー格の男はやはり、と得心した。
敵には仲間が居たのだ。しかし姿が見えない事から、もう一人は遠隔攻撃職ーー弓使いであると当りをつけた。
「大声で名前を呼ぶな。ルミナ」
テオと呼ばれた男が口を開いた。距離があるのか小さな声であったが、静まり返った森の中では良く通る声色だった。
名を明かされた襲撃者ーールミナはしてやったり、といった様子で言葉を繋げた。
「ワザとだよ、ワザと」
「全く……悪ふざけが過ぎるぞ」
「おちゃめだろ、許せよ」
「てめぇら!ふざけるなよッ!」
談笑をするルミナにしびれを切らした男の一人が激昂した。細剣を装備した男がルミナに向かい疾走する。
パーティーの近接攻撃役である彼の膂力は凄まじく、その間合いを一瞬で詰めた。
ルミナは意識を背後に向けていた為か、僅かに反応が遅れる。いかに二人を屠ったと言えど無敵では無い。アタッカーの連続攻撃を浴びれば彼らの後を追うことになる。
ルミナの瞳が肉薄した男の視線と交差した。既に男は細剣を引き絞り、その鋭利な切っ先を突き出さんとしていた。
ーーしかし
瞬間、男の足元に閃光と熱が生まれた。ルミナは咄嗟に身体を倒す様に背後に飛びのいた。たが、深く踏み込んでいた男の身体は閃光を覆い隠してしまった。
しまった、と後悔しても既に遅かった。
次には灼熱色の光へと変わり地鳴りと噴煙を巻き起こした。
ーー爆発したのだ。
「どうだ、約束通り二人だろう?」
爆炎と煙をお伴に赤色の粒子へと姿を変えた男を見送り彼はのたまった。今度は彼がしてやったり、と笑う番だった。
「おぃ!ふざけんなっ!HP八割吹っ飛んだぞおい!俺諸共始末する気だったろ!」
ルミナが声を荒げて叫んだ。声色は怒気を孕んだように聞こえるが、何処か楽しげな雰囲気を醸し出していた。
「おちゃめだろ、許せよ」
テオはルミナの台詞をそのまま返した。
ルミナは額に手を当てワザとらしくやれやれと溜息をもらした。
「てめぇという人間がよーっく分かったよ。てめぇあれだ、性格悪いわ」
「そりゃどうも、兄弟」
軽口の応酬だった。二人の平常さに残された二人の男達は薄ら寒い物を感じていた。
ーーこいつらは異常だ。
リーダー格の男は確信した。
こいつらは異常だ。いかなゲームの中だと言っても、体感型ゲームの戦闘で僅かな恐怖も抱いていない。
人を殺す事にも躊躇いがない。仲間が傷つく事もどうでもいいと思っている節がある。男は彼らが真性の殺人者なのだと感じざるを得なかった。
「クラウス、森の外に逃げろ。みんなに情報を持って帰るんだ」
「で、でも…ハルさんは」
リーダー格の男ーーハルがパーティーでも一番の新人であるクラウスに指示を出した。少しでも早く外の仲間たちに伝えるべきだと考えたのだ。また、クラウスのようなMMO慣れしていない人にはテオとルミナは刺激が強すぎると感じたのだ。
クラウスは見捨てて逃げられない、と渋るがハルはそれを宥め言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「重要なことだ。また新たなPKが現れたんだ。早く皆に警戒を促さなければならないんだ。頼む、森の外にいる皆に伝えてくれ」
「……分かりましたッ!ハルさん、ご無事で……」
そう言ったクラウスの表情は
森の中に走り去るクラウスを尻目に、ハルは剣を構え直した。せめて一矢報いなければ収まりがつかなかった。ハルは目の前で騒いでいる襲撃者を鋭く睨んだ。